「私の生まれた地は、現在のロシア…」

私の生まれた地は、現在のロシアのサハリン(旧樺太、戦前は日本の領土)です。戦後、昭和23年11月に日本人として最後となった船で、親戚を頼りに大家族11人と共に引き揚げて、北海道紋別郡生田原町に落ち着きました。数年後、奇しい出来事が起こり、岩見沢市郊外に住み、小学から高校まで過ごしました。やがて、社会人として札幌に移り、数年後には結婚、長女出産、その後、室蘭市に仕事の関係で移り住みました。
ある日、近くで開拓伝道をしておられたスウェーデンミッション白鳥台キリスト教会のアナニア・トシエル宣教師が訪ねて来られ、一枚のトラクトを渡されました。以前、中学校で歴史の教科書で学んだキリスト教は、「自由、平等、博愛」の精神が根底に流れていると感じていて、宗教は嫌い、私には必要無いと常に思っていた私の心にその時何かが響いたような気がして、直ぐに祈祷会に出席し、礼拝へと導かれました。また、吸い込まれるように聖書をむさぼり、通読する日が続くようになりました。礼拝とは云っても、トシエル師と若い女性の伝道師と私の三人だけでしたが、私にとって恵みの時、救いの時だったと、後になり神様のご計画であったことを主から知らされました。間もなく、聖書の冒頭にある「初めに、神が天と地を創造した。地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。創世記1:1-2」という御言葉に圧倒され、神様に捕らえられてしまいました。
そのような中にあって、人目にはわからなかったようですが、主人との関係が悪い状態に陥っていました。こんな時こそ神様にすがるしか道が無いと追い込まれました。すると、数々の御言葉が与えられ、祈られ励まされて、神様の愛がどれ程に深く絶大であるかを示されました。そして、何よりも神様の御名を冒涜し、傲慢な私の心が罪であることを知らされました。
二千年前にこの私の罪のために、父なる神は愛する独り子イエス・キリストを人として地上に送り、イエスは私だけでは無く全人類の罪を担い、苦しみの十字架の上で打ち砕かれ、血を流して死んでくださり、その血潮のゆえに罪赦されたことを知りました。また、三日目によみがえり、弟子たちに現れ、神の国を語り教え、天に昇り、父なる神の右に座し、今も私たちのために執りなしてくださっている事を知りました。永遠の命が与えられる希望を固く信じ、イースターにその教会の初穂として洗礼を受けました。洗礼の日、礼拝の始まる前より、涙が止まらず二時間ほど続き、洗礼式に臨んだ事は忘れられません。聖霊が私の体、霊の中に圧倒的に臨んでくださった事を後で確信しました。ハレルヤ!!  私の人生はこれからすべてバラ色、元の幸せな家庭生活が送れるのだと神様に感謝を捧げておりました。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。使徒16:31」
しかし、主人は私たちの前から姿を消したのです。受洗二週間後、主人から丁重な手紙が届き、帰る事は出来ない、死を選ぶとの内容に驚き、地球が180度回転したような、頭の上では真っ黒な雲が渦巻いている幻を見てしまったのです。幸い、近くに教会がありましたので、1日に何度も祈りに行き、トシエル師には「ご主人は必ず生きていますよ」と励まされましたが、どこかの教会に飛び込んで、神に助けを求めてほしいと泣きながらの日々でした。
やがて、室蘭で住む事が困難になり、札幌に移り、OMF(国際福音宣教会)の教会に集い、祈りと励ましを受けました。興信所に足を運び、主人の行方を依頼する事になったのが、娘が5才の時でした。その時、何よりも力となり、私を支えたのは聖書の御言葉でした。
8ヶ月後、祈りが答えられ、その年のクリスマス・イブの日に仙台で再会し、数知れずの厳しい現実と向き合いつつ再出発しました。仙台で私が行き始めていた仙台国見教会のイースター礼拝に主人は約束通り出席し、礼拝のメッセージと聖霊の助けにより、イエス様を信じ救われました。礼拝後、赤裸々に罪を告白し悔い改めました。そして、ペンテコステの日に洗礼を受けました。
その主人が5年前にスキルス性の胃癌と宣告され、10日間の入院の間、お会いする方々に感謝の言葉を言い続け、イエス様が共に闘ってくれた事を語り、最後には神様の御手に捉まるようにしながら、身許に凱旋しました。葬儀には私の姉妹や甥たちも遠くから駆けつけてくれて、「キリスト教の葬儀はとても良いね。感じる事が多くあった」と言ってくれ、私も十字架の出来事を語る事が出来ました。錦織先生とは以前から再会の約束をしていましたが、ちょうど日本を訪問されていた先生が来られたのが前夜式の時となり、先生からも慰めの御言葉をいただき、神様の愛と憐れみを感じました。
翌年3月11日に東日本大震災が発生し、3分43秒の地震に自然界の恐ろしさを体験しました。私のしていた仕事の関係から、多くの被災者と向き合い、現場にも接し、その苦しみと悲しみを微力ながら共に分かち合いました。
その後、アメリカに住む娘たち家族と生活をするように導かれ、人生で一番長く時間を過ごした仙台を離れ、2012年11月にアメリカにやって来ました。翌年にNJ日本語キリスト教会のメンバーとして加えさせていただきましたことに感謝しています。はや3年を過ぎようとしています。
私が今思う事は、この世の厳しい時代に生かされた者として、この地上では残された時間は少ないかも知れないと感じています。しかし、私たちの国籍は天国にあり、そこには住む家を用意していてくださると約束されている希望のゆえに、患難さえも喜び、忍耐を持って祈り従う者となりますように。これ程までに愛して下さるお方を一人でも多くの人達が信じ、救われますように。そのために約束の御言葉を宣べ伝える事が出来ますように助けて下さいと祈る日々です。再びイエス様がこの地上に来られる事を固く信じます。主イエスよ、来て下さい!! アーメン

月報2015年9~10月号より

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