「1998年のクリスマスは…」

1998年のクリスマスは私にとって特別なものでした。それは私が本当の意味でのクリスマスを知って迎える初めての年だったからです。伝道の書3章に「全てのワザには時がある。神の為される事は皆その時にかなって美しい」とあります。私が正にこの御言葉のとおりに「今」がイエス様が叩いておられる私の心の扉を開ける時だと確信した時のことを告白したいと思います。

聖書を学び教会に通うようになったのは、NJからアトランタへ引っ越してからでした。でも、それよりずっと以前から関心は持っていました。というのも、私の父と妹の一人がクリスチャンで教会は身近な存在だったのです。ただ、父も妹も自分の信仰や考えについて家族と話すことが無く、私からたずねる事もありませんでした。(特に父は私が生まれる前から教会から離れていたので)近くて遠いものでした。

父は私が結婚してすぐに急な病であっという間に亡くなってしまいました。父が何を考えどんな信仰を持っていたのか聞いてみたいと思った時にはすでに天国に召されていたのが残念ですが、それは私が神様の元に召されて父に再会した時の楽しみだと考えています。

結婚し駐在員の家族としてアメリカに来た1990年からの6年間のNJでの暮しは毎日が忙しく楽しいものでしたが時々、何か虚しさのようなものを感じていました。一日一日は充実しているようでも無意味に思われ、どんなにたくさんの友人がいても心と心の結びつきまでは求めようも無かったのです。

1996年にアトランタに転勤が決まった時,新しい土地で心の満たされた新しい暮しがしたいと心から願いました。その時はじめて自分の中に「教会に行きたい」と言う思いがわいてきました。そしてそれに応えるかのように、すぐに教会に導かれたのです。それは教会で開かれているInternational English Classを通してでした。毎週授業の後に開かれる日本人のBible Studyに出席しました。聖書を読み、初めてイエス様が救い主であり、私の罪の為に十字架にかかって下さった事を知り、少しずつ信じるようになりました。何よりうれしかったのは、イエス様がいつも側にいて、共に人生を歩んでくださる方だと知った事です。そして他の人にもこの福音を伝えたいと考えるようになり、最初は隠れるようにして通っていたBible Studyに次々に人を誘うように変えられました。心の痛みを分かち合える友も与えられました。その後、周りの方達の祈ると導きにより、1998年のクリスマスに洗礼を受けました。

今までの人生の中でもっと早く神様の事を知り信じる時があったのに、と思ったこともありましたが、私に与えられた「時」はその時だったのです。神様が私の為に用意して下さった「時」と「道」をよく見て歩んでいきたいと思います。

5月23日より我が家で、錦織先生に「聖書を読む会」を開いていただく事になりました。私自身がBible Studyを通してイエス様に出会えたように、まだイエス様を知らない人たちに福音を伝える場として用いられるよう願っています。どうか、お祈りください。またご興味のある方、ぜひおいでください。お待ちしています。

月報2001年6月号より

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