「私は、1999年5月末に、22年間勤めた会社を…」

今月は、JCCNJ教会員花崎由紀姉のお母様で、今年2月に日本で洗礼を受けられた内田真紀子姉のおあかしをご紹介させていただきます。

「私が幼い頃から何十年も毎週笑顔で母を訪ねてくる新興宗教の方々がいました。母は当たり障りのない返答で対応していたのを覚えています。宗教と名の付くものには何一つ耳をかさなかった母が、神様、イエス様に出会い、聖霊の働きによって導かれる姿を目の当たりにし、人の力ではどうしようもないことが成されるのを実感しました。途中でくじけるのでは?と思っていた一年間の受洗の学びも教会の方々に励まされ最後まで頑張る事が出来ました。受洗後も今までと変わらずマイペースで、でも神様、イエス様と向き合うときには襟を正し、気持ちは正座で、クリスチャン生活を送っています。」 (花崎由紀)

私は、1999年5月末に、22年間勤めた会社を停年退職しました。その時にすでに椎間板ヘルニアになっていて、半月後に入院し、2ヶ月間入院しました。見舞いに来られた人が熱烈な新興宗教の信者で、枕元で、信仰しないと直るものも直らない、と言われましたが、寝たきりで人に便器の世話をしてもらっている時に、話に耳を傾ける余裕など私にはありませんでした。

しかし、少し良くなった頃、今までの人生は何だったのだろう、と考えるようになりました。退職するまでは、働かなければ生活できないので必死で、人生のことをゆっくり考えたことがなかったのですが、時間ができたことと、病気をしたことが大きいと思います。退院してリハビリに励みましたが、身体が思うように動かず、情けない気持ちと空虚な気持ちで過ごしていました。

その頃、娘一家がアメリカのニュージャージーに居たのですが、一家も日本のお友達との出会いがあり、お友達に、野外礼拝があるのでご一緒しませんか、と誘われ、教会に行くようになりました。すばらしい牧師と沢山の日本人のお友達との出会いがあり、それから毎週教会へ行くようになったと聞いています。2001年にイギリスに転勤になり、ミルトン・キーンズの教会に日本の女性牧師が来られ、全員で学びをし、2003年4月に娘と長男と次男が洗礼を受けました。その頃から、私のほうに、毎週、牧師のメッセージや学びのテープが送られて来るようになりました。また、電話でもいろいろ神様の話を聞きました。

娘一家が今度はタイに転勤になり、タイの日本人教会で娘婿と三男が洗礼を受けました。その頃、娘が電話で、一度教会に行ってみたらと勧め、4つほどの教会を調べてファックスで送って来ました。私は娘があまり熱心に勧めてくれるので、一度覗くだけのつもりで行ってみようと決心しました。ファックスで送られて来た教会の中にチャペル・こひつじがあったのですが、私は迷わず、チヤペル・こひつじを選びました。何故だか分かりません。今になって思えば、それも神様の導きでした。私は勇気を出して、チャペル・こひつじに電話を掛けました。恵子さんが出られ、場所を聞きましたが、その後で恵子さんが、ぜひ一度いらして下さい、お待ちしております、と言われた言葉が心に残りました。2003年5月の第1週目の日曜日に、恵子さんの言葉に引かれ、白転車で行きました。これが私が初めて教会に行ったいきさつです。

教会に行ったものの、知合いの方がだれも居ない中で心細い思いをしていましたところ、三宅さんが私に声を掛けて下さいました。そのとき、三宅さんは「私は神様から内田さんの世話をするように導かれています。」と言われたのです。驚きましたが、心細かった気持ちがホッとし、とても嬉しかったことを記憶しています。すばらしい牧師に出会い、沢山の方々に出会い、優しい言葉を掛けていただき、メッセージよりも皆さんに会えるのが楽しみで、毎週礼拝に出かけるようになりました。

その頃、娘の長男が内臓に異常があり、タイの病院に入院していましたが、急遽日本に帰国することになり、歩くこともできない孫は、担架で飛行機に乗せ、日本の空港に着くと、救急車で病院に直行し、タイの日本人教会の牧師が手配して下さった順天堂大学病院へ入院することができました。紹介された教授もクリスチャンだったので、毎日祈って下さったそうです。孫が入院しているとチャペル・こひつじで話したところ、皆さんで祈って下さいました。そして、無事退院できました。

また、娘がひどい腹痛におそわれ、外国は日本のようにすぐに診療してもらえず、予約を取らないと診療してもらえないとのことでしたが、娘が祈り続けたら、腹痛がおさまったそうです。私は電話でこのことを聞いて、「あっ、やっぱり。神様は本当に働いておられる。働いて下さった。」と思い、感動し、確信を持ちました。私自身も今までにいろいろな出来事がありましたが、大きな事にならず、無事に過ごさせていただいているのも神様のおかげだと思います。

私は犬とのら猫2匹とで生活しています。娘にしたら、遠く離れているので、私が淋しくないだろうかと色々心配です。娘は自分が神様を信じ、心豊かに暮らしているので、日本に居る私にもその心の豊かさを持ってほしいと、一家で私が心淋しくないように、もっと信仰が深まるようにと、いつも祈ってくれています。私が娘一家を訪ねてイギリスやタイに行ったときに、皆でお祈りする姿を目にし、私もその輪にはいりたい、そのために神様を本当に信じて祈れたらと思い、もっと神様のことを勉強してみようと思いました。孫も全快し、私は神様が本当におられる、神様の働きは本当だと確信しました。それからは、礼拝が私の生活の一部になり、聖餐式も納得して受けることができるようになりました。

教会に行き出した頃、三宅さんが私にイエス様は内田さんのために死なれたと思いますか、と言われ、その頃は、イエス様は人間のために十字架にかかられたが、私のためにとは思えません、と返事したことを覚えています。でも今は違います。こんな罪深い私のために十字架にかかられたと確信しています。今までのことを梅い改め、これからの人生を神様と共に歩めたら、とても幸せです。

クリスチャンになれるのは徹底的に勉強した人、そして善の生活を行なっている人だけと思っていましたが、神様はありのままの私を受け入れてくださると、学びで牧師に教わり、神にゆだねなさいと学びました。孫は、洗礼はゴールじゃなくスタートだと、イギリスの牧師から学んだ、と教えてくれました。

神様、私の心を満たして下さい。そして、神様のあふれた力で人と接して行くことができるように導いて下さい。証をする機会を与えて下さった主に感謝いたします。

一回ただお言葉を下さい。
(マタイの福音書8章8節)

月報2006年5月号より

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