『「天使の涙」・・・ 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。』

母が転落事故で亡くなった。68歳。5月の深夜祈祷会から帰った夜中。姉からの電話。
「家裏の高台の石垣から落ちたらしく、頭を強く打って意識がない。
しばらく経っていたようだ。心臓がどんどん弱っている・・・。」
悪い夢を見ているのだと思った。
何度も電話が行き交い、震えがきた。必死で神に叫び求め、祈り続けた。「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。・・・」ヨハネ14章が飛んできた。
意識が戻らない。手術も難しい。もうだめかもしれない。「泣くな。」弟が叫んだ。救急車が呼ばれた時間、主のみ前に出て祈っていたではありませんか。どうぞ助けてください。回復させてください。もう一度奇跡を起こしてください。でも、もし・・・・助からないの
でしたら、母の人生のすべての罪を私のこのとりなしの祈りゆえに、主にあってどうぞ赦してください。イエス・キリストの名を思い出
させ、今、信じることが出来るようにしてください。どうぞあわれんで母を天国に導いてください。神と長く真剣勝負の格闘をした。
朝を待って、みなさんのお祈りをお願いした。しかし、日本時間の深夜、その日のうちに、意識も戻らないまま亡くなってしまった。
夫婦の喪服が入っているス-ツケ-スが乗り継げなかった。私は母の喪服を着た。顔も頭もひどくつぶれているのだろうと覚悟していたが、実にきれいな安らかな顔をして横たわっていた。傷もシミもしわもなく、髪も黒々として若いきれいな母だった。神は、あの叫びを聞いて、母を救ってくださったのだと思った。
父に促されて母に触った。死人の冷たさだった。聖書に出てくる死人の復活を思い、大声で主のみ名によって、神に叫ぼうか。叫んでみてはどうか。もしかしたら、息を吹き返すかもしれないと思った。でも、しなかった。
2004年、私たちがアメリカに来た夏、父に胃がんが見つかり、二度の手術で全摘した。母は病院に泊り込み、つきっきりで看病した。そのとき、父の死を一度は覚悟したが、まさかの母の死だった。
父は深い悲しみの中、腸閉塞と胆石の激しい痛みに度々襲われ、あれから何度も入退院を繰り返している。
そして、去年の夏、とても元気だった主人の父が急に脳出血し、倒れた。右半身が完全に麻痺し、言語障害があり、認識も十分でない。一ヶ月の治療入院の後、四ヶ月、リハビリセンタ-にいて一月末に、施設に移った。回復は望めなく、自宅に帰ることもないだろうと思われる。義理の母はこの突然の悲しみと、先の見えない不安と痛み、疲れの中、心身ともに弱りきっている。
あっという間に取られる命と、障害を持ちつつも残され、与えられている命がある。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。・・・」イザヤ55:8そのような頃、私たちに帰国の内示が出た。ここはまだ二年。ビザも残っている。次男の高校を長男と同じNYの高校に決めて、願書を詰めている時だった。「とにかく、辞令までの15日間、祈り続けます。はい。そうですか。と今は言えません。日本を向けませ
ん。」と夫に話した。まだまだここに私の心があった。日本の実家のことを考えると、「ありがとう。丁度良かったです。」と言える
ことなのかもしれないが、そう言えない自分がいた。旧約聖書の「エステル記」が頭によぎり、自分のことと重なり、この内示は必ず流れる、と思った。また既に、神様が導いておられると思うことが5つも6つも始まっていた。
私たちは思うこともなかったNJ転勤になった。ドイツを離れる時、神様は何度も美しい虹を見せて、私が導くから心配いらない、と語られた。聖書の約束に信頼しつつ、時には弱る心を注ぎ出して二人でよく祈った。
そして、やっと少しずつ少しずつ山が小さくなって動き出し、さあ、ここから・・・という矢先の辞令だった。何だか力がどっと抜けた。
そんな10月。多くのことが重なり、疲れ果てていた私の心に「天使の涙」は届けられた。「あっ」。天使の赤ちゃんの小さな小さな涙。たくさん次々、赤ちゃん天使の涙が連なっている。かわいい鉢植えの天使の涙、葉っぱたち。熱いものがこみ上げてきた。無言の優しさと熱い篤い祈りが迫り、慰めに満たされた。名前で決めたという鉢植え「Baby’s/Angel’s Tears」。毎日毎日、いっとき一時、眺めて祈るうちに、ドンドンドンドン元気が与えられてきた。一つ一つ神様の恵みを感謝しつつ、数えられるようになってきた。
「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」ヨハネ13:7変えられないことを受け入れる信仰を私にもください。
また、神様は全ての道を造り変えられることができる、という信仰をも与えてください。
全てのことを用いて、人の痛みがわかる位置に私もどうぞ置いてください。
そして、約束どおり、やがて私も義の実で満たしてくださいね、と祈ります。
「天使の涙」はNYに残る長男に引継ぎ、託します。祝福の管理を委ねます。
きっと寮で、あなたもあなたの友達も励まし続けてくれるでしょう。
2008年6月。卒業する時に、彼女の元に返してください。あの時のあなたの優しさは、こんなに大きく広がりました、と。枯らさないでね。水も忘れないでね。大きく立派にして必ず返してね。
一人ひとり、ここで出会った多くの方々のために祈ります。
熱い篤い祈りを共にしてくださった信仰の友、祈りの先輩。
みなさんの優しさと祈りを決して忘れません。本当にありがとうございました。
「主にある者は幸いである。」と喜んで、「私と私の家とは、主に仕えます。」ヨシュア24:15 と告白して新たな心で出発します。

月報2006年3月号より

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