2018年8月19日 『時間を超える神の愛』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネの第一の手紙3章16節

今年のJOYJOYキャンプのテーマ
「さあいこう!タイムマシン『アガペごう』の大冒険」
「アガペ」・・・アガペーというギリシャ語「神の愛」
ギリシャ語の4つの愛
フィリア・・・友愛
ストルゲー・・・親子の間の愛
エロース・・・男女の間の愛、価値のあるものを愛する愛
アガペー・・・無償の愛、犠牲の愛
世には色々の愛がある。素晴らしい愛がある。
しかし、イエスが十字架にかかったことによって、私たちは「アガペー」の愛を知った。
私たちが神に背を向けている時から、神は私たちを「アガペー」の愛で愛している。(ローマ5:6-8)
神に愛された者は、今度はわたしたちの周りの人々に愛を注いでいく。命を与えていく。日々、命を与えていく。
テイクアウトQuestions
1)自分の愛と、神の愛はどこが似ているでしょうか?どこが違うでしょうか?
2)神はあなたの人生にどんな素晴らしいことをしてくださいましたか?感謝すべきことは何でしょうか?
3)神の愛に応えて、私たちは何ができるでしょうか?あなたが愛すべき人は誰でしょうか?その人のためにできること何でしょうか?

2018年8月5日 『神のものは神に』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章15節〜22節

 

 

「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」政教分離?
ヘロデ党・・・親ローマ⇔パリサイ派
この対立する2つのグループが反イエスで協力。
ローマに納税すべき?
イエスの答えは「納税にはYES、でももっと大切なことがある」

→神のものは神に返しなさい
1)何が神のものか?
全てのものの十分の一・・・マラキ3:8-12
神様への信頼。神様を第一とする信仰告白。
才能・・・マタイ25:14-15
私たちの時間、人生、周りの人々、神様が私たちに託されたもの。
私たち自身・・・神のかたちの刻まれた者(創世記1:27)
2)どうやって返すのか?
十分の一献金は単純。
神のもとに帰る。自分の考えで生きてきたことを悔い改めて、神に帰る。
一瞬一瞬、神がほめたたえられることを求める。
神に身をささげて生きる=修道院や伝道者になることではない。
与えられたところで神を第一として歩んでいく。
仕事を通しても神の栄光を表す。
3)何がそうさせるのか?
神がそのように造られたから。そこに祝福があるから。
イエスが全てを与えてくださったから。
第一コリント6:19-20
テイクアウトQuestions
1)あなたが神に返すべきものは何でしょうか?どうしたらいいと思いますか?
2)私たちが神に全てをお返しすべきなのはどうしてでしょうか?どうしてそれができるのでしょうか?
3)私たちが神に返すべきものを自分のものにしてしまうことはあるでしょうか?神に返すのが難しいものはあるでしょうか?

2018年7月29日 『婚宴への招き』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章1節〜14節

 

パーティーに招かれるのも、来てもらえるのも。うれしい。
神様は楽しみにして、準備をしてこられた。
しかし、人々は2つの反応で神の招きを拒んだ。
1)招きを受け入れなかった人々。
ユダヤ人に向けたメッセージ。
神はあなた方を招いたのに、あなた方はそれを侮辱で返した。
→エルサレム滅亡の預言。
私たちはどうだろうか?
畑、商売・・・仕事。神様より仕事?

仕事は神様が与えてくださっているもの。創造の初めから。

問題は神様から任された仕事が、神様よりも大切になること。
お金も、才能も、家族も神様から与えられたもの。
で
もいつの間にか、神様よりも大切になる。
アブラハムに「約束の子」イサクを捧げなさいと言われた神。

アブラハムはいつの間にか、イサクが神よりも大切になっていた。
神はひとり子を与えて、私たちを婚宴に招いておられる。
2)礼服を着なかった人々。
礼服を着てこなかった人が追い出された?どうして?
礼服は入り口に準備されていた。・・・その礼服を着なかったということは、自分の服に自信があった。礼服を着たくなかった。
私たちのために備えられた礼服はキリストの十字架。
「キリストを着る」ガラテヤ3:26-27
それを着ないということは、自分の力で神に受け入れられようと思っている。自分は大丈夫と思っている。
テイクアウトQuestions
1)王の招きに応えなかった人々はどうして応えなかったのでしょうか私たちも同じような理由で神の招きに応えないことはないでしょう
2)礼服を着なかった人はどうして着なかったのだと思いますか?私たちに当てはめるとどのような気持ちでしょうか?
3)神様は私たちにどのようなパーティーを準備しておられるのだと思いますか?

2018年7月22日 『砕かれた心』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書21章33節〜46節

 

砕かれた心・・・信仰生活の中でとても大切。
⇔傲慢な心、「プライド」
私はあの人よりも信仰深い、結構良い線いっている
 自分はわかっている・・・
砕かれた心に神の恵みが注がれる。
1)神の思いと人の思い
ユダヤ人に向けたメッセージ。
神はあなたがたにこの世界に祝福を運ぶ使命を与えられたのに、それに従わなかった。預言者たちを送ったのに従わなかった。ひとり子さえも殺そうとしている・・・そのことを指摘した。
私たちに対するメッセージでもある。あなた方はどうなのか?
神は私たちに愛をもって使命を与えられた。
裏切られても、裏切られても、招いておられる。ひとり子さえ送られた。
私たちはその神様の愛に対して、神を退けて、この世界を「私たちのものだ」と主張している。人生も、時間も、お金も、才能も。
そこに気づいて砕かれることが必要
⇔自分が砕かれない→神を砕こうとする
2)隅のかしら石イエス
「隅のかしら石」詩篇118:22-23の引用。・・・イエスのこと。
他に土台はない。他のもので代用することはできない。
この石によって砕かれる。イエスに出会う時に砕かれる。
「
罪を犯すから罪人なのではない。罪人だから罪を犯さないではいられない」
詩篇51:16-17 「神の受け入れられるいけにえは砕けた魂」
テイクアウトQuestions
1)神様は私たちに対してどんな思いを持っておられますか?どんなことをしてくださったでしょうか?今日の聖書箇所と、自分の今までの歩みから考えてみましょう。
2)私たちは神様からこの世界をどのように任されているでしょうか?
3)神様によって砕かれた経験はありますか?それはどんな経験だったでしょうか?

2018年7月15日 『悔い改めへの招き』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書 21章28節〜32節

 

兄が「行きます」→行かなかった
弟が「嫌です」→心を変えて行った
なのか、その反対なのかは写本の問題。
いずれにせよ、指導者たちへの悔い改めへの招き。

→私たちに対する悔い改めへの招き。
1)義の道への悔い改め
「義」は神様との正しい関係。
神は私たちを神と共に歩む者として造られた。創世記1:26-27
「罪」は神と信頼関係が壊れてしまう。
「神は意地悪で、本当は私たちを愛していなくて、私たちを騙していて」
(創世記3:4-5)
悔い改めは「神との関係に戻りなさい」ということ。

正しいことをする、間違いを犯さない、ではなく、
神との関係によって、平安をいただいて、自由を与えられて、生き生きとした歩みをする。
「義」は「羊」の下に「我」がいる・・・十字架の元に自分を置く。
2)神の国への悔い改め
「悔い改め」:普通は「メタノイア」:思いを方向転換する
ここの30, 31節は「メタメレオー」:関心の向くことを変える
自分のことから、神のことへ。
「神の国」は「神の愛の支配」「神の愛に満たされる生き方」
神の愛に感謝して歩む生き方へ。
「悔い改め」・・・罪を犯さないように頑張る???
「罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯す」

だから、悔い改めは、神の前の全面降伏。⇔自分は大丈夫
テイクアウトQuestions
1)「義」とは何でしょうか?それによって、私たちは何を得ることができるのでしょうか?
2)「悔い改め」とは何でしょうか?
3)悔い改めをためらわせるものは何でしょうか?どうしたら、悔い改めることができるでしょうか?

2018年7月8日 『何を恐れるか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章23節〜27節

 

スポーツのゲームでの審判・・・権威を持っている。
それに従うことによって、秩序が守られ、ゲームが成立する。
神殿でイエスが商売をしている人を追い出したり、人々を教えたりしている。
・・・神殿の管理をしている祭司長や長老は「何の権威で?」
イエスは彼らの権威に中身がないこと、そして、自分は神から遣わされていることを言いたかったのだろう。
しかし、ここではストレートにそれを言うのではなく、質問をすることを通して、彼ら自身の姿を問うている。
・・・悔い改めへの招き。
しかし、彼らは恐れなくていいものを恐れ、恐れるべきものを恐れないで、結局逃げてしまった。
1)恐れなくていいもの
①人を恐れた
群衆が恐ろしい。
聖書の中には人を恐れて失敗をする人がたくさん。

創世記12章 アブラハム
ルカ23章 ピラト
②今まで築いて来たものを失うことを恐れた

バプテスマのヨハネを認める・・・
自分が悔い改めなければ
→自分が権威あるものとしてイエスに文句を言いに来たのに、自分が悔い改める側に
・・・それはできない。
結局はプライド。
2)恐るべきもの
神を恐れる(畏れる)
箴言1:7, 伝道の書12:13
テイクアウトQuestions
1)どうして人を恐れると、失敗をするのでしょうか?
2)今まで築いて来たものを失うことが恐れになるのはどうしてだとおもいますか?
3)神を恐れる(畏れる)とは具体的にどういうことでしょうか?

 

2018年7月1日 『見た目ではなく』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章18節〜22節

 

難解な箇所:いちじくの実がなっていなかったから枯らしてしまった?
→イエスは奇跡を通して、メッセージを伝えた。
「葉だけ繁らせていて、実を結ばないならば、切られる、枯らされる」
・・・当時のイスラエルの民への警告。
ルカ13:6-9のたとえ話「もう少し待ってください」と取りなす番人。
2つのストーリーをまとめる
→「実を結ばなくても憐れみの時があるが、いつまででも、ではない。」→実を結ぶ歩みへと招かれている。
1)実を結ぶとは?
①悔い改めの実(ルカ3:7-14)
 悔い改め・・・方向転換・・・自分中心から神に従う道へ
 
悔い改めの実・・・それにふさわしい歩みをする
②伝道の実(ヨハネ15:16)
 出て行って、伝えていくときに、救われる人が起こる。
③御霊の実(ガラテヤ5:22-23)
 聖霊が住んでくださる中で、与えられる品性。
2)実を結ぶために
実を結ばなければ・・・と、頑張って、実に注目して、実をつけようとすると「クリスマスツリー」状態に。
実を結ぶために必要なのは、
ヨハネ15:4-5「イエスにつながっている」

ルカ13:8「周りを掘って肥料をあげる」
詩篇1篇「流れのそばに植わった木」・・・みことば
山も動くことを信じて主に従って歩んでいく。
テイクアウトQuestions
1)実を結ぶとはどういうことでしょうか?あなたは実を結んでいると思いますか?
2)あなたは3種類の実の中で、どの実を結ぶことを大切にしたいと思いますか?
3)実を結ぶために、あなたの生活の中で何が必要だと思いますか?

 

2018年6月24日 『神と共に歩む喜び』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章12節〜17節

 

クリスチャンの歩みで一番大切なものは何?

礼拝に来ること?聖書を読むこと?お祈りすること?
「神と共に歩む喜び」「神の愛に感謝して歩むこと」
宮で商売していた人たち
両替
・・・ローマ皇帝の肖像付きのコインは神殿ではダメ。偶像礼拝。

     祭司たちの認めた肖像のないコインに両替する。
鳩・・・貧しい人々のささげもの、でも完全でなければならない。
    「いらないもの」ではなく、最高のものを神にささげる。
    「これは完全だ」と祭司が認めたものを売っていた。
どちらも手数料で祭司たちが儲けていた。
イエスは「わたしの家は祈りの家」だと神は言われた、と追い出す。
「神が子ども達の口に賛美を与えた」と子ども達の賛美を受け入れる。
神と共に歩む喜びは祈りと賛美の中に。
1)祈り
祈りは特別なことではない。神と語り合うこと。神と過ごす時間。
私たちが祈ることができるのは、イエスがいるから。

イエスの十字架によって、神との関係がつくられた。
祈りの中に主はおられる(マタイ18:19-20)
2)神と共に歩むところにある賛美
賛美は神様をほめたたえること。
神様は私たちの賛美を喜んでくださる。
賛美は天国に行っても続いている。・・・伝道も、説教も必要ない。
神は賛美の中に住んでおられる。(詩篇22:3)
テイクアウトQuestions
1)イエスはどうして、神殿で商売をしている人々に対して厳しい態度を取られたのでしょうか?どうしますか?
2)信仰生活の中で、一番大切なことは何だと思いますか?
3)祈るのが難しいと思う時はありますか?どうして、そう感じるのでしょうか?
4)あなたが好きな賛美の曲は何ですか?それはどうしてですか?

 

2018年6月17日 『あなたをつかんで離さない!』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書21章1節から11節

 

 

イエスが馬ではなく、ロバに乗ってエルサレムに入った思い。
平和の王として・・・軍馬に乗る勝利者ではなく。

軍馬に乗る勝利者は・・・私が勝ったんだから、私のいうことを聞け!
イエスは、事なかれ主義の平和ではなく、
誰かが我慢して実現する平和ではなく、
「シャローム」を与える方。
・・・内側から溢れる喜びと力。
そのためにはどうしてもロバが必要だった。
馬ではいけなかった。

馬がいなかったから仕方なくロバにしたのではない。
「主がお入り用なのです」
・・・平和の王として来られたイエスを示す存在。
「柔和」・・・日本では美徳のように思われている。
・・・ここでは、「惨めな」という意味を持つ言葉。
惨めな思いになる私たちのことをわかってくださる。
上から見下ろすのではなく、同じところに立ってくださるお方。

→究極は十字架。この箇所から、イエスの十字架までの1週間が始まる。
私たちを愛によって離さない神。ローマ8:35-39
テイクアウトQuestions
1)イエスはどうしてロバの子を用いられたのでしょうか?
2)平和の王としてこられたイエスは、当時の社会の支配者たちとどのように違っていたでしょうか?
3)このイエスを私たちの人生の王とする、とはどういうことだと思いますか?
4)私たちは神に従う時に、その動機は、恐れによって支配されていますか?愛によって支配されていますか?

2018年6月10日 『何をして欲しいのか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第20章29節〜34節

 

「何をして欲しいのか?」
叫び求める目の不自由な二人の人に「何をして欲しいのか?」
彼らの答えは「目を開けていただくことです」
21節でもヤコブとヨハネに「何をして欲しいのか?」と聞かれる。
イエスは今日も、私たちに「何をして欲しいのか?」と聞かれる。
あなたは、「何をして欲しいのか?」と聞かれたらどう答えるか?
1.認めてください!
ヨハネとヤコブの「大臣にしてください!」
19章27節のペテロの言葉から繋がっている。
→こんなにやったんだから、こんなに有能なんだから認めてください!
私たちは認められないと生きていけない。
イエスの答えは「あなたが頑張ったから、こんなにやったから、有能だから認められるのではない、その前から、存在自体が認められている」
私たちが罪人である時からひとり子を与えるまで、私たちを愛した神
・・・私たちの存在自体を認めてくださっている。
2.目を開いてください!
この目の不自由な二人の求めは、弟子たちの求めとは対照的。
何も「これだけやりましたから!」というものがない。
自分の貧しさ、足りなさ、それを知っていた。
ヨハネ9:41「見えると言い張るところに、罪がある」
わかっている、見えている、と思っている時にはわからない。
マタイ5:3「心の貧しい人は幸いである」
神の恵みは低いところに流れる。
<テイクアウトQuestions>
1)私たちの「私を認めてください!」との叫びにはイエスはどのように答えられますか?あなたはそれをどのように感じますか?
2)イエスは今日も私たちに「あなたは何をして欲しいのか?」と尋ねられます。あなたはどう答えますか?

2018年5月13日 『賛美による大逆転』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 使徒行伝第16章25節〜34節

 

どんな時に賛美をするか?どんな環境で音楽を聞くか?
・・・「普通の状況」とは正反対の「牢獄の中での賛美」
1)賛美はあなたを変える
濡れ衣を着せられて投獄されていた。

・・・愚痴が出てきても仕方ない。
・・・出てきていたかもしれない。
・・・しかし、賛美をする時に、私たちの内側も変えられていく。
賛美の中で、焦点が変えられていく。
神を賛美する者に変えられる。
自然と湧いてくるまで待っていなくていい。賛美を始めよう。
2)賛美は状況を変える
囚人たちはパウロとシラスの賛美を聞いていた。
牢獄の扉が開いてしまっても、逃げなかった。
牢屋番はパウロとシラスの賛美を聞いていた。
「私は救われるためにどうすればいいですか?」と尋ねる。
ドイツの強制収容所で、日本軍の捕虜収容所で、文化大革命の労働改造所で、
賛美が人々の心を変え、環境を変えていく。
テイクアウトQuestions
1)讃美歌は自然と湧いてくるまで待ったほうがいいですか?それとも、賛美できない時にも賛美したほうがいいのでしょうか?どう思いますか?
2)好きな讃美歌はありますか?どんなところが好きなのでしょうか?賛美によって自分が変えられたことがありますか?どんな経験だったでしょうか?
3)状況が厳しい中で賛美をすることは難しいでしょうか?それを乗り越えるためには何が必要でしょうか?

 

2018年5月6日 『神の国の秩序』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第20章17節〜28節

 

「神の国の秩序」

エルサレムに向かって行く時のイエスの3回目の受難予告
↔︎弟子たちは自分たちの夢の実現が近づいたと思った。
ゼベダイの子ら(ヤコブとヨハネ)は「イエスの右と左に」
他の弟子たちも同じ思い。
イエスは・・・「違うよ、私の国では正反対だよ」と言われた。
神の国の秩序・・・この世の秩序と違う。互いに仕え合う生き方。

イエスの杯を飲む
イエスに従う道はイエスの杯を飲む道。
神の愛をいただいたが故に、喜んで苦難を受ける。(コロサイ1:24)
イエスに従うが故に経験する悲しみ、苦難もある。
信じているから、平気、ではない。
マタイ26:36-39:イエスも悲しみ、悩まれた。
しかし、その価値がある、のが神の国の歩み。

しもべになる
イエスが歩まれたように歩む。
→自分の存在を与える。認められなくても、神の前に忠実に歩む。
「ちいろば」先生の保育園のおばちゃん。
誰も見ていなくても、無駄に思えても、給料が増えなくても。
「自分」のこだわりの問題。・・・「自分を捨て、イエスに従う」

イエスは私たちのために命を捨ててくださった。しもべとなってくださった。
・・・その愛をいっぱいに受けて、その愛に感謝して、しもべになる。

テイクアウトQuestions
自分の考えと、神様のみこころが違っていると思ったり、知ったりすることはありますか?どんな時ですか?
「イエスの杯を飲む」覚悟はできていますか?弟子たちも覚悟はできていましたが、イエスを捨てて逃げました。イエスに従うために必要なのは何でしょうか?
しもべとはどんな人でしょうか?あなたはしもべとして、具体的に何をしていきたいと思いますか?

2018年4月29日 『気前のいい神様』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第20章1節〜16節

 

「ぶどう園の主人」のたとえ話
朝早く、「1日1デナリ」で働いてくれと労働者を雇った主人。
その後も、9時、12時、3時、5時と労働者を雇う。
夕方、最後に来た人たちから1デナリずつ払う。
朝から来た人は持ってもらえると思ったが、やはり、1デナリだったので主人に文句をいう。しかし、主人は「私はあなた方と1デナリの約束をした。この最後に来た人たちにも同じようにしたいのだ!」と答える。

1) 神の国の生き方
経営を教えているのではない。
「天国は・・・」・・・つまり神の支配はこうなのだということ。
「天国」・・・死んだあとに行くところ、と考えると、最後にちょっと頑張ればいい、ということを教えているかのように誤解する。
「天国」・・・「神の国」→「神の支配」→「神の愛の支配」
→「神の愛に満たされること」「神の愛に満たされた歩み」

2)一方的な恵み
あなたはどこに自分の身を置いている?
朝から来た人の立場だと、「ずるい」と思う。
夕方来た人の立場だと「ありがたい」と思う。
・・・本当は私たちはみな、「夕方から来た人」なのだ。
ローマ6:23「罪の支払う報酬は死、神のギフトは永遠の命」
「先のものはあとになる」・・・自分が先の人だと思っていると神様の恵みの大きさがわからない・・・大切なものを見失う。
損をしたのは誰?・・・主人!神は犠牲を払い、リスクをとって、私たちを愛し、用いてくださる。

テイクアウトQuestions
1)あなたは自分をどこに置いてこのたとえ話を読んだでしょうか?
2)自分はこんなに頑張っているのに・・・と思う時はありますか?どんな時でしょうか?そのときに、あなたの目はどこに向いているでしょうか?
3)神様はあなたのためにどのような気前のいいことをしてくださったでしょうか?

2018年4月22日 『愛されている』

お証し: 宮嶋裕子姉

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ルカによる福音書第10章24節〜37節

 

三浦綾子さんの作品の中には、聖書のメッセージ、神様からのメッセージが込められている。

「塩狩峠」の中にこの聖書の箇所が出てくる。
この聖書の通り、隣人を愛そう、誰かの隣人になろうと思った主人公
→問題のあった同僚の隣人になる。

その背景にあったのは、「自分のためにイエスが十字架にかかった」ということがわからない、自分の罪というのがそれほど深刻だとは思わない
・・・牧師のアドバイス「聖書の言葉を一つ徹底的に実行してごらん」

その同僚の隣人として生きる主人公。しかし、同僚は「うっとおしい」「見張られているようだ」と文句を言う。
→自分はこんなにやっているのに・・・と彼を憎む。
→自分は彼の隣人になろうとしていたけれども、ただ見下していた。
→この倒れているのは自分だったのだ。
→このサマリヤ人はイエス・キリストだったのだ。
自分は傲慢にも神の子の地位に自分を置き、友人を見下していた。
・・・これこそが罪だった。

倒れている人・・・周りの誰か。 サマリヤ人・・・私
倒れている人・・・自分     サマリヤ人・・・イエス
イエスは私の痛みをわかってくださり、飛んできてくださった。

テイクアウトQuestions
1)「塩狩峠」に出てくる牧師は「イエスを十字架につけたのは私だと思っている」と言いました。そのように感じたことはありますか?どうしてでしょうか?
2)あなたは良きサマリヤ人の話を読むときに自分をどこに置きますか?
3)良きサマリヤ人はこの倒れている人にどのようにしたでしょうか?それはイエスがあなたのためにしてくださったこととどのように重なりますか?

2018年4月15日 『何を頼るか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章16節〜30節

 

 

イエスのところに来た青年
「永遠の生命を受けるためには・・・」
永遠の生命・・・いつまでも生きる・・・量の問題?
それだけではなく質の問題も大切。・・・神と共に生きる。
→結局「天国」→「神の国」→「神の愛に満たされること」
16節では「永遠の生命」23節「天国」
 →死を超えて神の愛の中で生きること。
「お金と信仰」というよりも、「何を頼りにするか?」という問い。

財産ではなく神を頼る
「何でも守って来ました」というこの青年に「財産を売り払って、貧しい人々に施して、わたしに従って来なさい」と言われた。
もう一つのしなければならないこと、というよりも「神を頼りますか?お金、財産を頼りますか?」という問い。
持っている人はそれを頼りに生きてしまう。持っていない人は神を頼りにして生きることができる。・・・富む人が天国に入るのが難しい。
でも、「人にはできないが神にはできる!」

自分の功績ではなく、神の恵みを頼る
ペテロ「ごらんなさい!私たちは全てを捨てて従いました!」
残念ながらペテロも勘違い。
「捨てる」という行動ではなく、神ご自身を信頼して歩むということが大切。
神の愛、神の恵みを感謝して歩むのか、自分がこれだけやったということを誇って、
報いを求めて生きるのか?・・・天国はどっち?
→20章に続く。

テイクアウトQuestions
1)この青年は悲しみながら去って行きましたが、いったい何が問題だったのだと思いますか?
2)ペテロはどうしてこのようなことを言ったのでしょうか?イエスはどのように答えられましたか?
3)私たちは永遠の生命を受けるために、どうすればいいのでしょうか?

 

 

2018年4月8日 『幼子のように』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章13節〜15節

子ども達を連れて来た母親たち。
→弟子たちは諌める。
→イエスはその弟子たちに対して憤られる。
「子どもたちが私のところに来るままにさせなさい」

マルコ10:15「あなたがたも幼子のようにならなければ」!!?
でも、聖書には「考え方では大人になれ」とある。
1コリント14:20, ヘブル5:11-14
イエスの「幼子のようになりなさい」はどんな意味か?

「天国」の先入観を取り除く。
「天国」→「神の国」→「神の支配」→「神の愛の支配」
→「神の愛に満たされること」「神の愛に満たされた生き方」

「幼子のようになる」とは?
「主の祈り」のよびかけ。・・・私たちの父よ。
「アッバ」・・・父親を信頼して呼びかける言葉。もともと幼児語。
マルコ14:36,
当時の人々はそのように神に呼びかけることは考えられなかった。
ローマ8:15, ガラテヤ4:6
奴隷の霊ではなく、神の子としての霊を受けている。
→イエスを信じる人々は神のご機嫌をとってビクビクする生き方ではなく、
神の子として、神を信頼して、その胸に飛び込む生き方へ招かれている。
⇔放蕩息子の兄のように「私はこれだけやったのに・・・」
この続きのペテロの言葉「私は全てを捨ててあなたに従いました・・・」

テイクアウトQuestions
1)「天国」「神の国」はどんなところだと思いますか?
2)あなたは大人になって、何か失ったものはありますか?子どもから学ぶことはあるでしょうか?
3)「幼子のようになる」ことはどういうことでしょうか?あなたにとって、そのために難しいことはありますか?

2018年4月1日 『信じるものになりなさい』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書第20章19節〜31節

イエスの復活は信じられる?
昔だから信じられたのではない、イエスの時代の人も信じられなかった
→トマス「十字架の釘の跡に指を入れて、脇腹に手を入れてみないと」
そのトマスが信じられた・・・私たちも信じる者への招かれている。

トマスはどうしてこんなことを言ったのか?
取り残されたような?
どうして私がいない時に?
信じさせてくれ!
信じたいけど信じられない!

イエスはトマスにも現れた「さあ、あなたの指を、あなたの手を」
トマスは「我が主よ、我が神よ」と。
イエスを信じられなくて、仲間を信じられなくて、申し訳なさ。
神を神としないで、自分の考えにこだわって生きる・・・罪。
それを悔い改めた。
1週間前の自分の言葉「指をいれて、手を入れてみないと」を
イエスは聞いておられた。
見えない時にも、イエスは確かにそこにおられて、聞いておられた

トマスは私たちの代表。トマスがいてくれてよかった。
トマスへのメッセージは、私たちへのメッセージ。
トマスの信仰告白は、私たちの信仰告白。
カラバッジョや他の画家たちの絵・・・本当に入れたのか!?
そ
の手を引っ張っている手・・・イエスが信じなさいと招かれる。

テイクアウトQuestions
1)イエスの復活を信じてますか?どうして信じることができましたか?どうして信じることができないのですか?
2)トマスはどうしてこんなことを言ったのだと思いますか?
3)「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」とのイエスのメッセージは私たちにどのような意味を持っているでしょうか?

2018年3月25日 『イエスよ、どこまで』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マルコによる福音書第15章16節〜41節

 

十字架は飾りではなく、アクセサリーではなく、私たちの生き方。
ただ、十字架を掲げるだけではなく、十字架を生きる。

1)イエスよ、どこまで人は罪深いのですか?
①王なる方を徹底的に侮辱するまで。
「王様万歳」「つばをかける」「十字架から降りてこい」
②自分の罪を自覚できないほどに
マルコ15:10ピラトは妬みのためであるとわかっていた
自分はわからない、でも、他人から見たら、妬み。
③私はここまでひどくないと思うまで。
私たちはこの箇所を読んで、ここまでひどくないと思う。
メル・ギブソンの「パッション」の撮影エピソード。
この人々の姿は私たちの姿。

2)イエスよ、どこまであなたは人を愛するのですか?
①徹底的な侮辱を耐えられるまで。
1)-①の侮辱をイエスは耐えられた。
「救い主ならそこから降りてみろ」
・・・イエスは降りることができた
・・・でも降りなかった。私たちの救いのため。
②父なる神に捨てられるまで。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
イエスは罪を負って罪の塊になって捨てられた。
③神殿の幕が二つに裂けるまで
聖なる神と罪をもつ人との間を隔てる幕
神が「これはもう必要ない」と真っ二つに裂かれた

<テイクアウトQuestions>
1)人はどこまで罪深いでしょうか?あなたはどこまで罪深いのでしょうか?
2)イエスはどこまであなたを愛していると思いますか?
3)あなたはこのイエスの愛に、どのように応えるでしょうか?

 

 

2018年3月18日 『夫婦についてのイエスの教え』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章1節〜12節

 

マタイ19:1–12
「夫婦についてのイエスの教え」

パリサイ派の生き方・・・線を引く
どこまで許されるのか?
→離婚は許されるのか?どんな理由ならOKか?
イエスの教え・・・中心を示す
「夫婦は一体である」
「神が合わせられたものである」

創世記2章の夫婦の始まり。
第1コリント6:16の「遊女につく者はそれと一体になる」
→夫婦は霊的に、魂のレベルで一つになっている。

「私と相手は違う」というところからの出発。
結婚の誓い・・・どうして必要か?自然とできるわけではないから。
「私とあなたとは違う二人の人なんだけれども、神によって一体とされたのだ」ということころから出発する。

エペソ5:33
Emerson Eggerichesの”Love and Respect”
夫が受けるのが必要なのは尊敬であり、妻が受けるのが必要なのは愛である。

自分から始める。愛するためのエネルギーは神からくる。
神はひとり子を与えるほどに私たちを愛してくださった。
愛された喜びをもって愛する。

<テイクアウトQuestions>
1. あなたは線を引く生き方で満足していることはないでしょうか?例えばどんなことがあるでしょうか?
2. 夫婦の間での互いの違いを認めることと、夫婦として一体だということはどのように両立するでしょうか?
3. あなたが夫を妻を(または一般的に隣人を)愛するために具体的にすべきことは何だと思いますか?

2018年3月11日 『共に歩む喜び』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ピリピ人への手紙2章1節から11節

 

ピリピ2:1–11
「共に歩む喜び」

7年前に思わされたこと。
支援する人々を支援する
長く覚え続ける

宮古の教会の歩み
教会存続の危機の中での震災
教会堂は被害を免れた。
「救援物資あります」「携帯の充電できます」の貼り紙
→誰も来ない。
避難所に出て行く。耳を傾けて行く。仕えていく。
→信頼を築いて行く。

高く掲げられる十字架
・・・しかし、私たちはそのように生きているだろうか?
イエスは私たちのために低くなられた。

・・・私たちと共に歩むために。
・・・その低くなられたことの極致が十字架。
→そこに私たちも招かれている。


テイクアウトQuestions
東日本大震災で被害にあった方々、痛みの中にいる方々のために、私たちは何ができるでしょうか?
あなたは十字架を見るときにどんなことを感じますか?イエスの十字架はどんな意味があるでしょうか?
あなたの隣人は誰ですか?

2018年3月4日 『赦し合う教会』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章21節〜36節

 

18 章のテーマ・・・教会はどんなところか。
1-14・・・一人一人が神の宝として受け入れられているところ。
15-20・・・罪と悔い改め
21−35・・・赦し合い

罪が軽んじられるのではない。悔い改めに招かれている。
そして、どこまでも赦し合う。

  1. 神の豊かな赦し
    1万タラントの赦し・・・5000回の人生=自分では返せないもの。
    「あわれに思って」・・・原語では「ハラワタが痛む」
神は、私たちの痛みをご自身の痛みとして受けてくださった。
    赦されたことが事実。豊かに赦されたことが事実。
  2. 赦し合うために
    ペテロの「7回までですか?」・・・普通は3回だった。
イエスの答え・・・7を70倍するほどに・・・どこまでも。
    100デナリ・・・100日分の稼ぎ。・・・赦せない。
・・・それはお互いの関係だけで見ているから。
全体が見えていない・・・主人から1万タラント赦されている
    私たちも豊かに赦されていることを忘れていないか?
    私たちの人間関係は神のもとになければならない。
    「愛の正三角形」神とあなたとわたし
  • テイクアウトQuestions
    1)私たちは人が赦せない時、どういう理由で赦せないのでしょうか?
    2)互いに赦し合うために必要なことはなんでしょうか?
    3)神様との関係が変わった時に、人との関係も変わったということがありますか?それはどんなことだったでしょうか?

2018年2月25日 『教会のしるし』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章15節〜20節

18 章のテーマ・・・教会はどんなところか。
1-14・・・一人一人が神の宝として受け入れられているところ。
何が教会のしるしか?・・・マタイの2箇所の「教会」から。
①信仰告白(16:13-19)
②罪と悔い改め(18:15-20)

1)罪を罪として忠告すること
罪が軽く扱われてはならない。
噂話にしてはならない。皆の前で避難するもの違う。
まず一対一で→2−3人で→教会に訴える。

2)悔い改めに導くこと
一対一で語る時にも悔い改めが期待されて入る・・・兄弟を得る。
2−3人で語る時にも、教会に訴える時にも、悔い改めへの招き。
教会がその人を「異邦人や取税人のように扱う」時も、
悔い改めへの招き。・・・マタイ自身が「取税人」出身。

3)祈りによって支える
罪の忠告と悔い改めへの招きは祈りによってなされなければならない。
心を合わせて祈る祈り。
そこにある主の臨在
マタイ全体を通して貫くメッセージ。1:23→18:20→28:20

テイクアウトQuestions
1)自分の罪を示されたことがありますか?その時は、どんなことを思いましたか。どんなことを罪として感じたでしょうか?
2)誰かが罪を犯しているのを見た時に、あなたはどうするでしょうか?聖書が勧めていることを実行するのが難しいなと思うことはありますか?
3)先週のメッセージにあった「一人一人が神の宝として受け入れられているところ」ということと、今日のメッセージはどのようにつながるでしょうか?

 

 

2018年2月18日 『神の宝物』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章1節〜14節

18 章のテーマ・・・教会はどんなところか。
あなたは誰?「私は~である」という文章を20書く。何が出てくる?
「私は神の宝物」「この人も神の宝物」というアイデンティティー。

  1. あなたも神の宝物
    弟子たちの質問「天国では誰が一番偉いのか」・・・比較の世界の質問
    この質問は私たちの質問でもある。このイエスの答えは、私たちへの答えでもある。
    イエスの答え「この幼子のように自分を低くする者が・・・」「自分はどこまで自分を低くできたかな・・・」とを考えることではない。
    天国→神の国→神の支配→神の愛の支配→神の愛に満たされること
    神の愛を信頼してそこに身を委ねること、それが神の国の生き方。
    あなたは神の宝であるというメッセージを幼子のようにそのまま受け入れること。比べる必要はない、比べる意味はない。
  2. 彼も神の宝物
    自分を神の宝物として受け入れる時に、隣にいる誰かも神の宝。
    小さな者を受け入れる、小さな者も躓かせない。
    教会の功利主義、成果主義の危険。役に立つ人が大切にされる。
    →イエスがご自身の血を持って買い取ってくださった教会と違う。
    役に立つかどうか、それが教会にとっての大切さではない。
    神様に愛されなければいけない人々の集まり。
    第一コリント12:21-25・・・弱く見える肢体が必要。

テイクアウトQuestions
「私は~である」というものを20個考えてみてください。その中で一番大切なのは何でしょうか?
周りの人と自分を比べることはありますか?そんな時どんな気持ちになりますか?それに対して神様はどのように言ってくださいますか?
教会が功利主義になったり、成果主義になったりすることの危険はなんでしょうか?教会で一番大切にされるべきことはなんですか?

 

 

2018年2月11日 『神の子として』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書17章22節〜27節

  • 2015年から読んで来たマタイによる福音書の続きに戻る。
  • 今年のみ言葉「わたしたちが神の子と呼ばれるためには・・・」
  • 「子は納めなくても良い」・・・元々「子は自由なのである」
  • しかしイエスは宮の納入金を納めた。人々を躓かせないため。
  • 私たちも神の子として自由。でも、その自由をどう使うか。
  1. イエスの自由
  • 出エジプト記に出てくる「神殿の納入金」
  • 王はその子から税金や貢物を集めない。では、神の子であるイエスは神殿の納入金は払わなくていいのでは・・・でもイエスは納めた。
  • 自由な神の子イエスが、私たちのために全てを捨ててくださった。
    ピリピ2:6-8
    十字架にまで行ってくださった。全世界の人々の罪を負って、罪の塊となって、父なる神に捨てられてくださった。
    →私たちの救いの喜びのために。私たちの平安のために。
  1. 私たちの自由
  • イエスの言葉「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)
    でも、人々はそれで怒ってしまう。「私たちは元々自由だ!」
  • 自分が縛られていることを自覚するところから自由への道が始まる。
  • イエスによって与えられた自由を何のために使うのか?
    ガラテヤ5:13
    愛をもって互いに仕え合う。
  • 自由の中で、主を愛し、人に仕えよう。

テイクアウトQuestions

  1. あなたは自由ですか?
  2. あなたは神の子としてどんな特権を持っていると思いますか?どんな喜びを知っていますか?
  3. 聖書は私たちが与えられた自由をどのように使うように招いていますか?どのように使おうと思いますか?

 

 

2018年2月4日「だけん、輝やいとうとよ」

説教者 : 清水まお神学生

聖書箇所 : 第一ヨハネ5章1節〜5節

今年のみ言葉
「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜ったことか、よく考えて見なさい。」第一ヨハネ3:1

極みの愛によって、私たちは愛されている。

1) イエスがキリスト
• キリストとは「油注がれた者」という意
• 神によって生まれた者
• イエス様が大切にしているものを大切にする
• 神様の命令(伝えたいこと)は重荷にならない

2) イエスを神の御子と信じる者
• この世とは?
• 信仰 vs この世
• この世に打ち勝つ方法は一つだけ!

テイクアウトQuestions
1)イエス様からの命令はいくつあったでしょうか?また、その命令とは何でしょうか?
2)この世に住みながら、この世とどのように戦えばいいのでしょうか?
3)今、重荷と感じている事はありますか?それは何ですか?どうすれば、下ろせますか?

 

2018年1月28日「愛の極み」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : ヨハネによる福音書13章1節〜17節

今年のみ言葉

「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1

どれくらいの愛か・・・極みまで弟子たちを愛されたイエス

  1. 弟子たちの足を洗ったイエス
  • 弟子たちの姿・・・私たちの姿。
  • 弟子たちの姿にかかわらず愛し通された。
  • 最後の夜、何を語るか、何をするか、一番大切なこと。
  • 足を洗う・・・十字架で私たちの罪を洗うことの象徴。
    イエスは私たちの一番汚い、恥ずかしいところを洗ってくださった。
  • 「いえ、私は大丈夫です」というペテロ・・・プライド。
    「自分でできますから」「洗うほどではありませんから」
  • イエスに洗ってもらおう。イエスの愛を極みまで受けよう。
  1. 互いに足を洗い合いなさいとの招き
  • 自分が洗ってもらわなければいけない者であることを認めること
  • 誰かの足元に跪いて、足を洗うこと。その欠けや、醜さ、愚かさをおおうこと。あげつらうのではなく。
  • 上から目線で赦すのではなく。足元にひざまずく。
  • 16-17節:⎫ イエスのようにはできない。その限界を知りつつ、互いに仕え合っていく。

☆テイクアウトQuestion

  1. イエスの愛の極みとはどんな愛だったでしょうか?
  2. あなたの足元にイエスがひざまずいて、あなたの足を洗おうとされたら、あなたはどうしますか?
  3. 教会の中で、「互いに足を洗い合う」とはどういうことでしょうか?具体的なことを考えてみてください。そして、それを実行してみましょう。

 

 

2018年1月21日「赦しの世界への招き」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書18章21節〜35節

今年のみ言葉
「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。」第一ヨハネ3:1

私たちがこれほど愛されている→「赦しなさい」
実はこの言葉は第一ヨハネのテーマの1つ。第一ヨハネ4章19-21節

ストーリー
1万タラントの借金「もう少し待ってください。必ず返しますから。」
でも、主人はわかっていた、返せない。だから赦してやった。
そしたら向こうから100デナリ貸している奴が来た。
同じことを言うこの人。「ちょと待ってくれ、必ず返すから」。でも、彼はそれを赦さなかった。主人は怒って、彼を牢屋に入れてしまう。

100デナリ・・・100日分の稼ぎ。簡単に赦せない。
「お互い様」のことではない、「絶対に向こうが悪い」ということ。
100デナリ・・・先ほどは大したことはないと言った。でも、これはあくまでも1万タラント赦されたのだという前提があるから。
ここの部分だけ見ていると、簡単には赦せない。
1)自分が赦されたことを忘れている。
2)あれはあれ、これはこれ、と切り離して考えている。
3)1万タラントの意味がわかっていない。
→神を愛しているといいながら、兄弟を愛せない人は偽り者。

赦さないならば、苦しむのは自分・・・拷問役人

  • テイクアウトQuestion
    1)あなたはどうしても赦せない人がいますか?どうしてでしょうか?
    2)自分が赦せない時、上の1)2)3)のどの状態だと思いますか?
    3)あなたはどれくらい赦されたと思っているでしょうか?

 

2018年1月7日「神の招きに答えて」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : ルカによる福音書19章1節〜10節

 

  • 序)
    今年のみ言葉第一ヨハネ3:1
    クリスマスツリーの飾りと木の関係。
    外側を飾るよりも、内側から木を充実させよう。
    イエスに出会って、神の愛を知り、変えられた人・・・ザアカイ
  1. 目を留めて名を呼ぶイエス
    ザアカイ・・・取税人をも弟子とするイエスを見てみたい。
上から下を見下ろす。
    イエスは立ち止まり、声をかけた。
    神はあなたの名を呼ぶ方。あなたに目を留めて、声をかけられる。
    ヨハネ10:2-3
  2. あなたの家に泊まるイエス
    「あなたの家に泊まることにしているから」
    英語でも、”must”
    「片付けますから待っていてください」などと言わないで降りてくる。
    「財産の半分を貧しい人に。騙し取ったものは4倍にして返します」
→ザアカイが先ではなく、イエスが先。
    いつも神様の愛が先、私たちの信仰は応答。第一ヨハネ4:10
    イエスは後ろ指を指される。しかし、イエスはそのことを覚悟で断固たる思いでザアカイのところに行った。
    存在をかけて、命をかけて、あなたを愛してくださっている。
  • テイクアウトQuestion
    1)神様のあなたへの招きはどのような時に感じましたか?どのようなところで見ることができますか?
    2)イエスが、「あなたの心に入りたい」と行ったら、あなたは「もうちょっと片付けますから」と言いますか?すぐにイエスを迎えますか?片付けるとしたらどの部分でしょうか?
    3)神はあなたをどのように愛しておられるでしょうか?

 

 

2017年12月31日「主の御手を信頼して」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書6章33節

  • 序)
    今年のみ言葉がマタイ6:33
    神を信頼して歩むように招かれた1年を振り返りつつ味わう。
  1. 地上での神の国
    空の鳥を、野の花をごらんなさい。神様は大切にしてくださる。
    あなたはもっと大切な存在・・・だから信頼していこう。
    神の国→神の支配→神の愛の支配→神の愛に満たされること
・・・神の愛に満たされて歩む。成果主義ではなく。
    神の義・・・神とのまっすぐな関係。神の前にありのままの自分で出る
    神の愛の中に抱かれる。
    神の国の生き方は・・・恵みに感謝して生きる。
⇔成果主義、頑張って認められる生き方
マタイ20:1-16
  2. 死を突き抜ける神の国
    多くの方々を天に送ったこの1年。
    聖書の約束
・・・イエスと共に、神と共に永遠に。悲しみも、痛みもない世界。
ヨハネ14:1-3
黙示録21:3-4
ピリピ1:20, 23
    私たちは希望を持って歩める。ローマ8:38-39
    イエスの死に対する勝利・・・ヨハネ11:1-44
  • テイクアウトQuestion
    1)この一年、あなたの歩みはどのような歩みでしたか?感謝したいことは何でしょうか?
    2)この地上で神の愛の支配に生きることは、どんなことでしょうか?
    3)死を突き抜ける神の愛の支配はどのようなものでしょうか?それを信じることは、私たちの地上の生涯にどんな力があるでしょうか?

 

2017年12月17日「我らとともにいる神」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書1章18節〜25節

  • 序)
    クリスマスの登場人物の中で、一番大きな役割・・・マリヤとヨセフ
    大きな使命、困難な使命・・・神が共にいるということが支えだった。
  1. マリヤと共におられた神
    ルカ1:26-38・・・マリヤへのお告げ
「恵まれた女よおめでとう。主があなたと共におられます」
    信じられない・・・「どうしてそんなことがありましょうか?」
    自分の身に起こってくる困難。
    使命を支えられる神
  2. ヨセフと共におられた神
    マリヤが身ごもっている。マリヤを信じられないでいるヨセフ。
ヨセフが訴えるとマリヤは石打ちの件
→密かに離縁しようと決心した。
    マリヤにとっては一番サポートが必要な時。
でも、ヨセフの判断は無理はない。
    無理なことを無理じゃなくす神の臨在。ヨセフはすぐに妻に迎えた。
  3. インマヌエルなるイエス
    イン=共に、マヌー=私たち、エル=神 イザヤ7章の預言
この方の中に神が共にいてくださる。
    イエスの生涯・・・人々と共に歩んだ。底辺を歩んだ。痛みの中にいる人と共に歩んだ。病の人に触れて癒された。
    イエスの存在・・・神と人が共にいる。
    十字架にまで共にいてくださった。どこまでも共にいる。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたはどんな時に神様が共にいてくださると思いますか?
    2)神様が共にいてくださるのはあなたにとってどんな意味があるでしょうか?
    3)神はあなたと共にいるためにどんなことをしてくださいましたか?

 

 

2017年12月10日「イエスのもたらす平和」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : イザヤ書9章1〜7節

  • 序)
    救い主は暗闇に輝く光。
    ゼブルン、ナフタリ、ガリラヤ・・・イスラエルの北部
・・・周辺からの攻撃を受ける。そこに光が、平和が与えられる。
    暗闇のようなところを歩む私たちに光を、平和を与える救い主。
  1.  イエスが与える平和
    戦いがなくなる。武器は必要なくなる、という預言。
↔︎「わたしは平和ではなく、剣を投げ込むために来た」(マタイ10:34)
→表面的な平和、見せかけの平和を打ち壊し、本当の平和をもたらす。
    神との平和(ローマ5:6−11)
神に背いていた私たちのために、神は和解の手を差し伸べられた。
イエスの十字架によって罪が清算される。
    キリストの与える平安(ヨハネ14:27)
  2. あなたから始まる平和
    聖書はいつも「内側→外側」の方向性。
↔︎状況によって、平和が変わる。周りがガタガタしていると心も不安。
    軍事的リーダー、強いリーダーを期待していたユダヤの民。
↔︎イエスは私たちの心を照らして、私たちの心に平安を与え、世の光へ。
    「光によって、明らかにされて、それが光に変えられる」エペソ5:13-14
    アッシジのフランチェスコの祈り
・・・私を平和の道具にしてください。
・・・理解されるよりも、理解することを。
・・・愛されることよりも、愛することを。
  • テイクアウトQuestion
    1)どんな時に平和が実現すると思いますか?
    2)イエスはどのような意味で、救い主なのでしょうか?
    3)あなたはあなたの周りに平和を生み出すために、どんなことができるでしょうか?

 

 

2017年12月3日「慰めよ、我が民を慰めよ」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : イザヤ書40章1〜11節

  • 序)
    紀元前500年代のバビロン捕囚の中での解放の預言。
    もうダメだという民。70年間の捕囚。
    そんな絶望の中にいた民に慰めを語る神。救い主を待ち望む民への慰め
  1.  罪の赦しの慰め
    ・神が言われる。人の言葉ではなく、神が言われる。
    ・「我が民」と呼んでくださる。私のものだと、呼んでくださる。
    ・ここでは、十分に苦しんだから、あなた方は赦されると書かれているが、これが救い主の預言となる時、苦しむのは、私たちではなくて、イエス様、救い主。
    ・赦される=神とともに歩む。神に受け入れられる。私たちが立派になったら受け入れてくださるのではなく、そのままで受け入れられる。
  2.  御言葉による慰め
    ・御言葉によって慰められる。
    ・諸行無常・・・全ては変わっていく。⇔御言葉はいつも変わらない。
    ・御言葉が与えられる経験。御言葉が自分のものになる経験。
    ・神様の慰めをいただく。人に慰めを運ぶ。・・・第2コリント1章。
  3. 羊飼いの慰め
    ・私たちを抱きしめてくださる。受け入れてくださる。懐に入れてくださる。包んでくださる。
    ・神様の慰めは結局のところ、共にいてくださること。臨在。
    ・言葉で表しきれないもの。音楽や絵を通しても。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたが慰めを受けた経験はどんな経験がありますか?
    2)聖書の言葉によって慰めを受けた経験はありますか?
    3)神からの慰めを受けるために、あなたはどんなことをすればいいでしょうか?

 

2017年11月26日「我らは恐れない」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : 詩篇46篇

  • 序)
    神が共にいてくださる。今ここに。
遠くではなく、困難の中でも。
    詩篇46篇の背景・・・紀元前700年ヒゼキヤ王のユダ王国。
大国アッシリア帝国に包囲される。18万5000人の兵。
列王紀下18-19章、イザヤ36-37章
  1. 神がその中におられるので、都はゆるがない。
    普通は「砦がしっかりしている」「城壁が堅固だから」「負けない位たくさんの兵士がいるから」
個人「老後の蓄えがあるから」「保険に入っているから」
教会「会計が満たされているから」「能力のある方がおられるから」
    そうではなく、「神がここにおられるから、私たちは揺るがない」
    「一つの川がある」・・・命の水を与えられたイエス。聖霊の満たし。
  2. 静まって、わたしこそ神であることを知れ。
    口語訳「静まって」、新改訳「やめよ」、新共同訳「力を捨てよ」
NIV “Be still”, The Message “Step out of the traffic!”
流れに身を任せて、振り回されて、ではなく、一歩退いて。外に出て。
    アッシリアに攻められたユダの国。エジプトと同盟、バビロンと同盟。
あっちの国と同盟、こっちの国に助けを求める、そんなバタバタしている民に対して、「静まりなさい、神の主権を認めなさい」と言われた神。
    忙しくて、そんな時間はない?・・・だからこそ、神の前に静まる。静まって神を神とすること。神を見つめること。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは何を頼りにしているでしょうか?「これがあるから大丈夫」と思っているものは何でしょうか?それが取り去られたら、どうなるでしょうか?
    2)今、自分がstep outしなければならない状況は何でしょうか?
    3)神を神とするとはどういうことだと思いますか?あなたの現実の生活の中で、具体的にどんなことをすればいいでしょうか?

 

 

2017年11月19日「私たちを養ってくださる方」

説教者 : 錦織学牧師
聖書箇所 : 詩篇23篇

詩篇23篇は多くの人々に愛されている詩。
「羊飼い」といえばどんな場面を想像する?
緑の牧場、憩いのみぎわ、どのような場面?

この詩の背景は乾燥地帯。
ダビデの詩・・・ベツレヘム、エルサレム周辺。⇔ガリラヤ湖周辺。

死の陰の谷を行くときも
1)困難なときにも
2)本当に肉体の死の瞬間にも
・・・恐れない。なぜ?・・・主が共におられるから。
生きているときにも神と共にある平安
死に直面して、更に近く神とともにある平安

2013年11月の後藤兄の証しの2つの御言葉。
伝道の書3:1-11・・・すべてのことには時がある。
第一ペテロ4:12-14・・・試練にも驚き怪しむな。

敵の前で・・・祝宴が持たれる、油が注がれる、杯が溢れる。

  • テイクアウトQuestion
    1)神様がおられるなら、どうしてこんなことが起こるのだろうかということはありますか?どんなことを感じますか?
    2)神様が私たちの羊飼いであってくださることを感じるのはどんな時でしょうか?
    3)神様があなたに油を注いでくださっている、あなたの杯を溢れさせていると感じることはありますか?どんなときですか?

 

2017年11月12日「からしだね一粒」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書17章9〜21節

  • 山を降りたイエス。
山の上では栄光に輝く姿。
    しかし、山の下に降りて人々に仕えたイエス
山の下では、混乱が、困惑が、不信仰が、待っていた。
  • 悪霊に憑かれた子供が連れられてきた。
弟子たちは癒せなかった。
    イエスにはできるけど、人間には無理?
でも、弟子たちも「悪霊を追い出す権威」を与えられていた。
    「どうして私たちにはできなかったのでしょうか?」
「信仰が足りないからだ」「からしだね一粒ほどの信仰があれば・・・」どういうことか?
  • 「信仰が足りない」という言葉
    1)ペテロが水の上を歩いた時に、風を見て、恐れた時。
    2)何を着ようか、何を食べようかと心配している人々に。
    →神の国と神の義とをまず求めなさい。そうすれば全ては添えて。
    →数量的な多さとか、少なさとか、小ささではなく、
 神を見ないで他を見ている人々。
  • 信仰って何?
使徒行伝3:12, 16「信心ではない」「信仰だ」
    ローマ4:5「不信心な者を義とする方を信じる信仰」
自分の信仰の姿勢に注目するのではなく、
イエスに注目する。神の愛に注目する。
  • からしだね一粒ほどの信仰・・・そこにはいのちがある。
    ヨハネ12:24「一粒の種も死ななければ・・・」
自分ではなく、自分に死ぬ時に、命を得る。
  • テイクアウトQuestion
    1)もしも、あなたの周りに「悪霊に憑かれた人」がいたとしたら、あなたはどうしますか?
    2)「信仰」と「信心」との違いは何でしょうか?「山を動かす信仰」とはどのようなものでしょうか?
    3)「山が動いた」経験はありますか?どんなことだったでしょうか?

 

2017年11月5日「貧しくなられた神の子」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書17章1〜8節

  • 序)
    イエスの栄光の姿・・・この1回だけ。3人だけ。復活まで黙っている。
    ・・・隠されていた。→この神の子がへりくだられた意味。
  1. 栄光を隠されたイエス
    モーセとエリヤ・・・OTを代表する2人。
    神と語る人・・・モーセは神と語ったあと、顔が輝いていた。
    イエスが輝いていたのは、本来の輝きだった。顔は太陽の輝きのように、衣は真っ白に。第2ペテロ1:16-17
    神様の栄光の輝き・・・本来、私たちは耐えられない。
イザヤ書6:1-5・・・「わたしは滅びるばかりだ」・・・畏れ。awe
    イエスは本来の輝きを隠していた。ピリピ2:6-11
    ・私たちの痛みや悩みや闘いをご自分のものとして経験。ヘブル4:14-16
  2. 山を降りられるイエス
    ペテロはこの光景を前に「ずっとここにいたい」と言い出した。
「小屋を3つ建てましょう」
    天からの声、「これにきけ!」と言われた。あなたが神に指図をするのではなく、あなたが聞くのだ。
    モーセもエリヤも人々に拒否された預言者。イエスも人々に拒否される。山にいたほうが楽だっただろう。山にいて栄光に輝く姿で、モーセやエリヤや弟子たちと一緒に。
    しかし、イエスは山を降りていった。降りたら何が待っていたか?
病の人々、弟子たちの不信仰。
    そして、十字架に向かっていく。ピリピ2:6-11
    私たちも山から降りるように招かれる。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスはどうして「これを誰にも言うな」と言われたのでしょうか?
    2)「小屋を3つ建てます」というペテロの提案の背後にはどんな思いがあったでしょうか?それに対して神はどう言われますか?
    3)私たちが「山を降りる」ということはどんなことを意味しているでしょうか?具体的に考えて、実行してみましょう。

 

 

2017年10月29日「神のことと人のこと」

説教者 : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書16章21〜28節

  • 序)23節のイエスの言葉:「神のことを思わないで人のことを思っている」
    この言葉は私たちすべての者へのチャレンジ。
    「神のこと-人のこと」
    神の視点−人の視点(New Living Translation)
    神の方法−人の方法(The Message)
    神のことを気にしている−人のことを気にしている(ESV, NIV)
  1. 人のこと
    イエスの受難予告・・・ペテロの信仰告白から始まる。
「イエスは神の子キリスト」という信仰
→それはどんな意味か明らかにされる。・・・受難と復活。
    22節のペテロの言葉:新改訳は「神の恵みがありますように」
原語のニュアンス・・・ペテロは神を利用した。
    人の方法・・・自分を守り、自分の夢、自分の願いのために神を利用
自分の夢、自分たちの国の独立、ローマに対する勝利、
  2. 神のこと
    「神のこと」なんかわからない?
イザヤ書55章8−9節・・・わからないことを前提に出発。
    続く10−11節。・・・御言葉に聞く。
神の方法・・・自分を与えることによって命を得る。十字架を負う・・・死刑宣告を受けた者・・・自分の夢、自分のこだわりを捨てる。
神様の大きなピクチャーの中で、私は生かされている。
損に見えるかもしれない・・・神様はそこに命を与える。
    まずそのために、イエスがご自身を与えてくださった。
私たちもその足跡を従うようにと招かれている。イザヤ55:12-23
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスがこのタイミングで受難と復活の話をされたのはどうしてでしょうか?
    2)イエスはどうしてペテロに厳しいことを言われたのでしょうか?
    3)人のことではなく、神のことを考えて生きるということはどうすればいいのでしょうか?

2017年10月22日「何が土台か」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書16章1〜20節

序)
建物の中で、外観よりも、玄関よりも、内装よりも土台が大切。
あなたの人生の土台は何か?教会の土台は何か?

  1. 他の土台
    2つの誤った土台
    1)しるし(奇跡)
    イエスに「しるしを見せてください」という人々。
    イエスの答え「この時代にはヨナのしるし以外にはない」
ヨナのしるし・・・イエスの十字架と復活を指す。
    十字架の下でも、「降りてきてみろ、そうしたら信じよう」の声。
    私達の信仰は「にも関わらず」「たとえそうでなくても」の信仰。
ダニエル書3章の3人。「たとえそうでなくても」
    2)行い(律法)
    パリサイ派・サドカイ派のパン種。・・・彼らの教え。
律法を守ることによって救われる。
    「パン種」は少しでも大きな影響を与える。
    宗教改革500年。ルターが回復したのは行いではなく信仰。
    ⇔「こんなに頑張っているのだから、愛される、認められる。」
  2. 信仰を土台とする
    弟子たちへの質問・・・人々は?<あなたは何と言うか?
    ペテロの答え「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」
    この信仰の上に教会を立てる。
ペテロの信仰・・・自分の力を頼った、弱い信仰。
    →自分の弱さを思い知らされた神の力を頼る信仰。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの人生の土台は何でしょうか?
    2)「しるし」や「行い」が土台にならないのはどうしてでしょうか?
    3)ペテロの信仰はどのような信仰だったでしょうか?それが教会の土台になったとはどんな意味でしょうか?

 

2017年10月15日「イエスに満たされる」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章29節〜39節

  • 序)
    「人はパンだけで生きるものではない」・・・これに続く言葉は?
    人はものだけがあればそれで十分という存在ではない。心の満たし。
    人々の癒し、解放、満腹も、イエスが私達の魂を癒し、解放し、満たしてくださることを示している。
  1. 私達の魂を解放するイエス
    イエスのもとに連れてこられた方々、手や足、口や目が不自由だった。彼らを癒された。
→イエスは魂の手を、足を、口を、目を解放し、癒やしてくださる。
    水野源三さんの証し。
    あなたの口は?あなたの目は?あなたの手はあなたの足は?
  2. 私達の心を満たすイエス
    7つのパンと少しの魚で4000人の人々を満腹に。
→「人はパンだけで生きるものではない」を前提に読む。
    宝くじに当たった人のその後・・・必ずしも幸せではない。
    心を満たすパンが必要。・・・命のパンであるイエス。
→最後の晩餐。→十字架のイエス。
    十字架のイエスこそ、私達の心を満たす方。
    状況は変わらない。でも内側が変えられる→状況にインパクトを与える。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの心の状態はどのような状態でしょうか?
    2)あなたの心の内側の状態は、あなたの生活にどのような影響があるでしょうか?
    3)イエスはどのように私達の心を満たしてくださるのでしょうか?

 

2017年10月8日「小犬の信仰」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章21節〜28節

  • 序)
    イエス「あなたの信仰は立派だ」・・・どんな信仰?
    1節からのパリサイ派の人々とは対照的。
    「小犬のような信仰」・・・あまりかっこよくない。そこがまた大切。
  1. 資格がないという自覚
    自分は小犬だ、ということを受け入れた。
    「小犬」・・・今は家族の一員⇔この時代はかなり侮辱的。
    私達の信仰のじゃまになるもの・・・「プライド」
    放蕩息子・・・「あなたの息子と呼ばれる資格はない」
    マタイ5:3「心の貧しい人は幸い」
  2. 神の豊かさへの信頼
    神の恵み・・・パンくずでも十分だ・・・それほど豊かで大きい。
    詩篇81:10「あなたの口を広く開けよ。私はそれを満たそう」
    5つのパンと2匹の魚で人々が満腹になった。パンくずが12かご一杯。
    ダビデがゴリアテを打ち倒した時ダビデの袋の中には石が4個残ってた。
    勝ち得て余りある。ローマ8章37節
  3. 神のなさることへの信頼
    イエスは沈黙された。
    イエスは「ユダヤ人に遣わされている」と言われた。・・・神の救いの計画。十字架まではユダヤ人を通して、世界の人々に祝福を。イエスの十字架によって、全世界の人々に祝福を与える。
    神様の思いは私達の思いを超え、理解し難いことがある。
→それでも、神を信頼する。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスの沈黙にはどんな意味があると思いますか?
    2)イエスに「小犬」と言われた時に、この女の人はどんなふうに感じたと思いますか?
    3)この女の人の信仰と、あなたの信仰はどこが似ていますか?どこが違いますか?

 

 

2017年10月1日「外からではなく」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章1〜20節

  • イエスと当時の宗教家たちとの対立。外側ばかりを気にしていた人々。
彼らを「嫌な奴ら」と片付けるだけでは不十分。
聖書は「あなたはどうですか?」と問いかける。
  1. 外側を気にする私達
    「どうしてあなたの弟子たちは手を洗わないで食べる?」
・・・「汚い!」とかそういうことではなく、儀式として手を清める。
    イエスの反論「あなたがたは言い伝えによって神の言葉を無にしている
「父と母とを敬え」⇔「これは神にささげます」(言葉だけ)
    口に入れるものが人を汚すのではなく、口から出るものが汚す。
内側から溢れてくるものが問題。
    あなたの内側には何がありますか?あなたの内側はどうですか?
    オートバーグ「あなたがずっと求めていた人生」
外的な基準・・・何章聖書を読む、何時間祈るとか。
本来の基準・・・「自分は神と人とをますます愛することができるようになっているか?」
  2. 内側に住んでくださる聖霊様
    外側ではなくて内側が問題だとイエスが言われた・・・私たちは困る。
外側はコントロールできても内側はどうにもならないから。
→聖霊様に満たしていただく。聖霊様にきよめていただく。
    使徒行伝1章6-8節。14節・・・祈り待ち望む。
    使徒行伝2章1-4節・・・キリストの証人となる。涌き上がる。
十字架と赦しを証ししないでいられなくなる。
    ガラテヤ5章22-23節・・・品性を整えてくださる。実を結ばせる。
    ルカ11章13節・・・求めること。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは自分の外側が気になる方ですか?内側が気になる方ですか?オートバーグが言っていることはわかりますか?
    2)内側の問題のためにはどのようにすればいいでしょうか?
    3)聖霊に満たされる時に、聖霊様に働いていただく時にどんなことが起こるでしょうか?

 

 

2017年9月24日「わたしだ、恐れるな」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書14章22〜36節

 

奇跡・・・「こんなことあったわけがない!」「あったんだ!」を議論することよりも、奇跡に込められたメッセージを聞くこと。

  1. 逆風の中で近づくイエス
    イエスは無理やり弟子たちを向こう岸に送った。
イエスに従うなら、順調に行くだろう・・・と期待する。
でも、そこに逆風が吹いてきた。
    イエスの訓練・・・イエスを信頼する訓練。
弟子たちはイエスを肉眼では見なくなる。→しかし、イエスは共におられる、ということを経験する訓練。
    私達も神が共におられることを感じられない、思えない時にも、共にいてくださることを信頼すること。
    「わたしだ、恐れることはない」と語ってくださるイエス。
  2. 溺れかけたペテロを引き上げるイエス
    喜んだ弟子たち、その中でペテロが「水の上を歩かせて下さい」。
    イエスの招き・・・おいでなさい。
    ペテロは踏み出した・・・信仰は冒険。イエスに従って踏み出す冒険。
    でも、ペテロは途中で風を見た。自分を取り巻く状況を見た。
    イエスを見ていた時は大丈夫。状況に気を取られて恐れるとダメ。
私達もイエスから目を離さないで歩こう。状況に振り回されないで、イエスを見つめて歩こう。イエスの言葉を信頼しよう。
    でも、失敗したペテロをイエスは見捨てなかった。引き上げた。
    チャレンジ・・・ペテロが踏み出した時に、他の弟子たちが経験できなかったことを経験した。水の上を歩くこと。イエスの力。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスに従っていく時に、どうしてこううまくいかないのだろうという経験はありましたか?どうしてでしょうか?
    2)イエスはどうして、弟子たちを先に行かせたのでしょうか?
    3)ペテロは水の上を歩いてよかったのでしょうか?そんなことしなかったほうが良かったのでしょうか?

 

 

2017年9月17日「それをここに持ってきなさい」

・聖書箇所 : マタイによる福音書14章13節〜21節

・説教者 : 錦織学 牧師

  • 5000人の給食・・・奇跡にはいつもメッセージがある。そのメッセージを聞く。「それをここに持ってきなさい」これはあなたのストーリー。
  1. 主はあなたを用いられるから
    問題の大きさ。男だけで5000人の人々だから全部で1万人以上。
    できない。不可能。問題の大きさに圧倒される。
    「あなたがたの手で」と言われた時に、本当に弟子たちは途方に暮れた
    自分の手の中に「5つのパンと2匹の魚しかない」。
    「そんなの役に立たない」という声。ヨハネによる福音書のアンデレの言葉。
    私たちは自分の手の中のものを見て、「これしかない」という。
    でも、イエスは「それを私のところにもってきなさい」と言われる。
  2. 主が奇跡をなさるから
    イエスのもとに持っていった時に、イエスはそれを喜んで、祝福された。
    「あなたがたの手で」と言われたイエスであるが、結局、イエスがこの奇跡をされた。
    イエスが私達を用いてくださるとき、「関知しない」「成功を祈る」ではなく、イエスは私達のすべてに責任をもってくださる。私が一緒に行くから。私が私のわざをするから。
    私達の訓練は、イエスを信頼する訓練。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの手の中には何があるでしょうか?神様はあなたに何を託されたでしょうか?
    2)私達が「こんなの役に立たない」と思うのはどうしてでしょうか?
    3)あなたが主に仕えていく時に、主はどこにおられますか?何をしてくださるでしょうか?
    4)私達が神様に仕えていく時に、孤独を感じることはありますか?それはどうしてでしょうか?

 

 

2017年9月10日「恐れを追い出すもの」

・説教者 : 錦織学 牧師

・聖書箇所 : マタイによる福音書14章1節〜12節

  • 恐れ。・・・私達にとって大切なもの
・・・危険、避けるべきことの察知、
    しかし、恐れるべきものではないものを恐れ、恐れるべきものを恐れない・・・罪の結果。創世記3章。
  • ヘロデ・・・人を恐れて、人の反応に振り回された人。
自分の兄弟と恋に落ち、自分も妻を離縁し、相手も離婚させて自分の妻とした・・・ヨハネはそれを「間違っている」と責めた。
ヨハネを捕らえて、投獄。群衆を恐れて、またヨハネの話を聞きながら、「こいつは間違っていないぞ」とヨハネの正しさも恐れていた。
でも、最終的には自分が人前で誓ったことを引っ込めると人々はどう思うかと、恐れて、ヨハネの首を切ってしまった。
  • 恐れに支配されない人・・・ヨハネ、イエス。
  • 恐れに支配されないために、恐れを追い出すもの2つ。
  1. 神を恐れること
    バプテスマのヨハネは神を恐れ、神の命じられることを語った。命を奪われることを恐れず、大胆に語った。
    牢に入れられたあとも、相手が王(領主)であってもひるまなかった。
    イエスの言葉「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。からだも魂も滅ぼすことのできる方を恐れよ」マタイ10:24-33
  2. 愛に満たされること
    神を恐れるとともに、神に愛されて、受け入れられているその愛に満たされること。神の子として受け入れられている。
    第一ヨハネ4:18−19「完全な愛は恐れを取り除く」
    神の愛は十字架に表わされている。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは何を恐れていますか?それは本当に恐れるべきものでしょうか?
    2)恐れから解放されるために何が必要でしょうか?それはどのように与えられるでしょうか?

 

 

2017年JCCNJ修養会 9月2日〜9月4日

全体テーマ : 「神の国マインドで生きる」

講師 : 内村伸之師(ミラノ賛美教会牧師)


9月2日 開会礼拝

 


9月2日 バイブルアワー① 「神の国の価値観で生きる」
聖書箇所 : ルカの福音書15章8〜10節

 


9月3日 聖日礼拝 「キリストの十字架を誇る」
聖書箇所 : ガラテヤ人への手紙6章14節

 

 


9月3日 バイブルアワー② 「私があなたに何をしたか、わかりますか」
聖書箇所 : ヨハネの福音書13章1〜15節

 


9月4日 バイブルアワー③ 「神の視点で共同体を見る」
聖書箇所 :マルコの福音書10章42〜45節

 


9月4日 閉会礼拝

 


 

2017年8月27日「賛美の力」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : 歴代誌下20章1節~30節

教会と音楽はずっと一緒だった。
旧約聖書の時代から、いろんな楽器や歌で賛美をしていた。
今日の聖書箇所:戦いの場面での賛美。

内側にあふれてくるもの→賛美・・・これが大切。
でも・・・溢れてくるまで賛美はできないのか、すべきでないのか?

ユダヤの国の国難・・・モアブ・アンモン・エドムの民が攻めてくる。
自分の力の無さを痛感する。太刀打ちできない!それを認める王。
→神に祈る。神に目を向ける。
→預言者の言葉。神が戦われる!
状況は変わらない中での賛美・・・そこに奇跡が起こる。

使徒行伝16章25-34節
パウロとシラス・・・濡れ衣を着せられた中での賛美。
囚人たちは聞き入っていた。
地震で牢の戸が開いてしまっても、誰も逃げようとしない。
獄吏が「わたしは救われるために何をすれば・・・」
賛美は自分を支え、周りの人々に影響を与えていく。

納得行かなくても、賛美をする時に開かれる恵み。
どんな状況の中でも賛美しよう。

  • テイクアウトQuestion
    1)あなたが賛美したくなる時はどんなときですか?賛美できない時はどんな時でしょうか?
    2)心にしっくり来る賛美、しっくり来ない賛美、ありますか?それはどのように受け止めればいいでしょうか?
    3)賛美によって力を頂いた経験はありますか?どんな経験でしょうか?

2017年8月20日「つまずいて立ち上がる」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章53節~58節

  • 序)
    つまずくのはどうして?・・・期待と違うから。
    イエスにつまずいた・・・イエスに対する自分の期待と、イエスがどんな方かが違うから・・・昔話ではない。私達の問題。
    つまずくこともある。しかし、そこから立ち上がらせていただける!
  1. 人々のつまずき
    自分が幼いときから知っているイエス。
    自分の常識の範囲、自分の理解できる範囲は受け入れられる。しかしそれを超えるものは受け入れることができなかった。
    ペテロ・・・「夜通し働いてもなにも獲れない」
・・・今更、沖に出ても無駄・漁師の常識⇔お言葉だから網を下ろそう
→イエスの奇跡を見る
    イエスに期待しなかった・・・御業を見れなかった。
詩篇81:10・・・あなたの口を広く開けよ!
  2. つまずきを超えて
    つまずいても立ち上がることができる。神との更に深い関係へと。
    不要なつまずき・・・マタイ18:1-6
    本当のイエスに出会うためのつまずき・・・私達のイエスへの期待・・・それを超えるイエスに出会う。
    多くのユダヤ人たちはイエスに軍事的、政治的メシヤを期待していた。
    「神がおられるならば・・・」という期待。しかし、イエスは完全な敗北に見える十字架の中に神の救いを表わされた。
  • テイクアウトQuestion
    1)私たちはどうしてつまずくのだと思いますか?
    2)自分の常識を超えてイエスに期待していますか?それを難しくさせてしまうものは何でしょうか?
    3)つまずきを越えて私達が立ち上がるために必要なのは何でしょうか?

ビデオは最初の11分が子供のためのメッセージ、その後に礼拝説教が続きます。

2017年8月13日「ハーモニーを作ろう」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : ローマ人への手紙12章3節~21節

  • 序)
    JOYJOYキャンプのテーマ「凸凹おんがくたい」
    ハーモニー・・・16節の「心を一つに」という言葉の英語訳。
    人生の指揮者は神様。一人ひとりが与えられたものを用いて、神様に従っていく時に、ハーモニーが生まれる。
  1.  ひとりひとり違うものが与えられている
    一人ひとりが違うものとしてつくられた。
    自分の使命に生きることの大切さ。(6-8節)トランペットはトランペットの役割、トロンボーンはトロンボーンの役割。シンバルはシンバルの役割を果たすことが大切。
    ちょうどからだのようなもの。
    特に教会はキリストのからだ。・・・手には手の役割、足には足の役割。相手を否定しない。自分の役割を超えないで、そこに生きる。
  2. ハーモニーを作るために
    9節からのところはハーモニーを作るために必要なことが幾つか出て来る
    愛と尊敬。⇔高慢。
    赦し・・・迫害するものを祝福する。善をもって悪に勝つ。
    そのために必要なのは、神の愛を知ること。神の愛に満たされること。
    第1ヨハネ4章11-12節・・・神の愛に動かされて、愛し合って歩んでいく時に、神が人々に伝わっていく。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたに与えられているものは何でしょうか?
    2)ハーモニーを作るために、あなたはなにができるでしょうか?
    3)自分の中に愛がないなあと感じた時には、どうすればいいでしょうか?

2017年8月6日「宝物の詰まった倉」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章51節~52節

  • 序)
    宝物の詰まった倉。・・・聖書・・・新約と旧約。
    あなたにも宝物の詰まった倉が与えられている。
  1. みことばの力
    13章の最初のたとえ・・・種には命があるから、芽を出して、育って、実を結ぶ。・・・みことばには命があり、力がある。
    人の励ましの言葉よりも、御言葉の力を知った人。
イザヤ43:19
    使徒行伝20:32・・・みことばには力がある。
    この宝物の詰まった倉を与えられていることを感謝して、この倉から宝物を出して使おう。
  2. 旧約と新約
    古いものと新しいものを取り出す。・・・古いものは古いものとして、新しいものは新しいものとして。
    旧約・・・人間の罪の現実と神の愛。救い主の預言。
新約・・・イエスにおいて、神は救いを表わされた。
    例:創世記3章
6−7節:アダムとエバが腰に巻いたのはいちじくの葉。
→自分で隠そうとしても隠すことはできない。
21節:神がアダムとエバに備えられたのは「皮の衣」
→動物が犠牲になって、人間の恥が覆われた。
→イエスが十字架によって、私達の罪を覆ってくださることの預言。
    聖書を通して、神の愛と救いが語られている。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは聖書の御言葉によって教えられ、力が与えられたことはありますか?それはどんな御言葉でしょうか?
    2)この宝物の詰まった倉をあなたはどのように生かしているでしょうか?これからどのように生かしていこうと思いますか?

 

 

2017年7月30日「網を下ろそう」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章47節~50節

  • 序)
    2014年からの3年間の任期。第一コリント16:8
    新しい任期のためにもその言葉が与えられている。それと共にダニエル書3章17節の「たとえそうでなくても」という御言葉が与えられた。
    困難があっても、目に見える成果がなくても、神に従っていく。
  1. とにかく網を下ろそう
    世の終わりには天使たちが仕分けをするのだから、わたしたちはただ、とにかく網を下ろそう。→どんな人にもどんな時にも伝道していこう。
    第2コリント4章4−5節。先走って裁いてはならない。裁かれるのは神だから、私たちはただ網を下ろしていく。
    放蕩息子・・・父親は帰ってきた息子を無条件で迎えた。テストとか、悔い改めが本当かとか、しないで、また同じ失敗をするリスクを含めて受け入れた。
  2. あきらめないで網を下ろそう
    十二弟子のうち最低4人は漁師出身。このたとえがよくわかった。
    彼らが思い出したであろう出来事。ルカ5章。
    ペテロたちが夜通し働いたのに何も取れなかった朝、イエスは「沖へ出て、網を下ろしなさい」と言われた。
    ペテロたちは漁師、イエスは大工出身。漁師の方が魚のことはよく知っていた。「夜通し働いたのに何も取れなかったのです。でも、お言葉ですから・・・」と網を下ろした。→沢山の魚が獲れた。
    私達も伝道師ても伝道しても誰も救われない、導かれない。そんな時があってもあきらめないで網を下ろし続けよう。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたはこれまで何人の人にイエスのことを伝えてきたでしょうか?
    2)あなたが今心の中に「この人に伝えよう」という人はいますか?
    3)あなたが「この人は信じないだろう」と決めている人はないでしょうか?どうしてそう思うのですか?

2017年7月23日「見つけた!」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章44節~46節

  • 序)
    2つのたとえ。「畑の中の宝」「高価な真珠」
    「たまたま出会った」⇔「ずっと探してた」・・・いろんな道がある。
    共通するのは「見つけた喜び」「全財産を売り払って」ということ。
  1. 神の国を見つけた喜び
    持ち物を売り払う。
    チャールズ・スウィンドル著「仕える喜び」
    天国を手に入れるためにすべてを売り払う。それくらい価値がある。
「自分自身」をも・・・全ては神のもの。所有者は神ご自身。
「天国」→「神の国」→「神の愛に満たされること」
    喜びのあまり 嫌々ではない。喜びのあまりすべてを投げ出す。
    ピリピ3:4-9 パウロは自信があった。自分の生まれ、熱心さなど。
イエスのゆえに、それらのものが損と思うようになった。
キリスト共に歩む喜びのためなら邪魔になるほど。
  2. 私達への神の喜び
    もう一つの読み方・・・この宝物は、私達。
私達を見つけたイエス様は、私達を自分のものとするために、喜んで全てを投げ出して、ご自分を十字架で与えてくださった。
神様が私達を「見つけた!」と喜んでくださる。
    ルカ15:4-7 一匹の羊をさえ探して見つけ出してくださる。そして大喜びしてくださる。
「神の愛の支配」ってこういうもんなんだよ、ということ。
私達がすべてを捧げる前に、神様がすべてを与えてくださった。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスに出会った時にどんなことを感じましたか?
    2)今も自分のものにしているものはないでしょうか?
    3)イエスは私達のために何を手放してくださったでしょうか?

 

2017年7月16日「神の国の広がり」

説教者  : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書13章31節~35節

  • 序)
    2つのたとえ「からし種」「パン種」
    最初は小さい、気がつかない。⇒大きくなる。
    神の国=神の愛の支配=神の愛に満たされることは
小さく始まるけれども、大きく広がっていく。
  1. イエスから始まった神の国
    誰も気づかない、小さなものから始まる。
    イエスの働きはまさにそのようなものだった。
    ヨハネ12章・・・ギリシャの人々がイエスに会いたいと言ってきた。
弟子たち「これから先生の時代だ!」
イエス「わたしが栄光を受ける時が来た!」
⇒「一粒の麦が地に落ちて死ぬ時に多くの実を結ぶ」
    イエスは自分を捨てて、自分を与えることによって人々の魂をとらえる
    十字架・・・ローマ帝国の権力によってイエスは処刑された。
イエスの復活の後も、軍事力ではなく、イエスの愛によって、自分を与えて、私達を救う恵みによって、一人また一人と変えられていった。
⇒やがて、ローマ帝国はひっくり返されてしまった。イエスが主になる。
  2. あなたによって広がる神の国
    パン種は粉と混ぜられた時に、パン生地をふくらませる。
私達も世の中に出ていく時に影響をあたえることができる。
「全世界にでていってすべての造られたものに福音をのべ伝えよ。」
瓶詰めのイーストになっていないだろうか?
    私たちは土の器。大切なのは中にあるイエス・キリスト。
    神の祝福を持ち運ぶために、私たちは神に祝福された。
私達の存在を通して、周りの人々の祝福される。

 

  • テイクアウトQuestion
    1)イエスはどのようにして「神の国」を始めたのでしょうか?
    2)神の国はどのように広がっていくのでしょうか?
    3)私達が神の国をこの世界に広げていくために、私達のなすべきことは何でしょうか?