2018年2月11日 『神の子として』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書17章22節〜27節

  • 2015年から読んで来たマタイによる福音書の続きに戻る。
  • 今年のみ言葉「わたしたちが神の子と呼ばれるためには・・・」
  • 「子は納めなくても良い」・・・元々「子は自由なのである」
  • しかしイエスは宮の納入金を納めた。人々を躓かせないため。
  • 私たちも神の子として自由。でも、その自由をどう使うか。
  1. イエスの自由
  • 出エジプト記に出てくる「神殿の納入金」
  • 王はその子から税金や貢物を集めない。では、神の子であるイエスは神殿の納入金は払わなくていいのでは・・・でもイエスは納めた。
  • 自由な神の子イエスが、私たちのために全てを捨ててくださった。
    ピリピ2:6-8
    十字架にまで行ってくださった。全世界の人々の罪を負って、罪の塊となって、父なる神に捨てられてくださった。
    →私たちの救いの喜びのために。私たちの平安のために。
  1. 私たちの自由
  • イエスの言葉「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)
    でも、人々はそれで怒ってしまう。「私たちは元々自由だ!」
  • 自分が縛られていることを自覚するところから自由への道が始まる。
  • イエスによって与えられた自由を何のために使うのか?
    ガラテヤ5:13
    愛をもって互いに仕え合う。
  • 自由の中で、主を愛し、人に仕えよう。

テイクアウトQuestions

  1. あなたは自由ですか?
  2. あなたは神の子としてどんな特権を持っていると思いますか?どんな喜びを知っていますか?
  3. 聖書は私たちが与えられた自由をどのように使うように招いていますか?どのように使おうと思いますか?

 

 

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