2018年8月12日 『いのちをこえたいのち』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章23節〜33節

 

 

 

パリサイ派・・・復活を信じる。庶民。熱心に戒めを守る。
サドカイ派・・・復活を信じない。特権階級。
レビラート婚・・・子どもが生まれないで亡くなった夫のためにはその弟が、未亡人を妻として、子孫を後世に残す。
この制度で7人兄弟全員一人の女性を妻としたら、復活の時には誰の妻に?
→イエスの答えは2段階。
1)復活の命はレベルが違ういのち
この世の基準で復活の命の話をしてもしょうがない。レベルが違う。
来たるべき世がどんなものか、この世の言葉で表すと、
黙示録21:3-4、23, 22:1-3
「天国で何するの?退屈じゃないの?」なんて話も聞く。
でも、この世の基準で理解しようとすると無理がある。
今と全く違うレベルで神とともにある世界。
2)死は終わりではない
アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である・・・「神であった」ではない。
アブラハム、イサク、ヤコブが生きている証拠。
イエスの言葉。ヨハネ11:25-26
サドカイ派はこの世が全てだと思って、この世の特権にしがみついた。
⇔ほとんどの人々は、この世の不条理の中で苦しむ。マラキ3:14-15
アブラハム、イサク、ヤコブの神・・・彼らは天の故郷を見上げて、歩み続けた。・・・この世で誠実に、真実に歩んだ。
死に対する見方が変わると、今の生き方も変わる。
テイクアウトQuestions
1)あなたは「死んだら終わり」と思いますか?それとも、その先があると思いますか?どうしてそう思うのでしょうか?
2)イエスの約束された復活の命は、どのようなものでしょうか?そこにどんな喜びがあると思いますか?
3)「この世が全て」と思うのと、「死は終わりではない」と思うのとではどのように生き方が変わってくるでしょうか?

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