説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 創世記1章1節〜4節

 

聖書は神の存在の議論ではなく、「はじめに神が」でスタートする。
神がこの世界を造られた。偶然ではない。
神は愛をもって、情熱をもって、この世界を造られた。
1)喜びをもって世界を造られた神
2節:世界が始まる前、混沌の時から神の霊が、世界を覆っていた。
そして、神は「光あれ!」という言葉から、世界を造られた。
一つ一つ「これはよかった」「ああ、これは素晴らしい!」と感嘆の声をあげながら、造られた。
ちゃちゃっと造られたのではない。一つ一つゆっくりと造られた。
2)ご自身のかたちに私たちを造られた神
26節:自分に似せて造る・・・自分に似た存在は嬉しい。
「神のかたち」・・・霊的な部分・・・神との交わりに生きる。
神を愛したり、礼拝したり、祈ったり、従ったりできる存在。
外側ではない、内側の問題。
関先生・・・「神のかたちは『人格』」・・・人格的に生きるのは人が幸せになること。傷つくのは人格が支配されること。
その神のかたちが神と共に歩んでいく時に、一番満たされるように造られている。強制ではなく、無理やりではなく、自分の決断で、自分の判断で、「あなたを愛します。崇めます。従います」と歩む時に、私たちの心は一番満たされる。
そのために、神は私たちと歩むために、イエスを与えた。
それが神の情熱。イザヤ9:7
<テイクアウトQuestions>
1)はじめに神が天地を創造された、という聖書の最初の主張は、あなたにどんなことを語りかけてきますか?
2)神のかたちが「霊的な部分」「人格」というときに、それが誰かに支配されるときに深い傷を受けるということは感じたことがありますか?どんなときですか?
3)神がこの世界に対してもっておられる情熱はどのようなものでしょうか?あなたはそれにどのように応えますか?