牧師室より 2019年8月号 「ほんとうに大切なもの」

「今度の土曜日、こちらの公園の南口で、うちの息子がお話をするから、ぜひ、来てくださいよ」

それは、20年以上お会いしていなかった友人の誘いでした。私がサバティカル休暇期間中、5月に日本に3週間ほど帰ることを人づてに聞いた彼は、日本に着いたばかりの私に声をかけてくれました。それは、東京の大きな公園のホームレスの人たちのための集まり。社会的にはある程度認められる地位にある彼が、毎週土曜日の朝、そんなに一生懸命ホームレスの方々のためにご奉仕しているのはどうしてなんだろう、という気持ちと、その息子さん、小さい時からちょっと天才肌だったなあ、どんな青年になっているのかなあ、という気持ちとで、幸い、時差ぼけで朝早く目が覚めたこともあり、出かけてみました。

最初に賛美歌を歌って、お話があって、そこまでは想像通りだったのですが、そのあと「さあ、食べ物や援助物資を配って解散かな」と思ったら、なんと、そこから15人くらいずつのグループに分かれて、今聞いた聖書の話の感想や、自分がどうしてここにいるのか、という話を始めたのです。それが、みなさんなんだか、生き生きと話をされるのです。「興味はあるんだけれども、まだ信じられないんだよねえ」という方が、一生懸命質問をしたり、すでにこの働きを通してクリスチャンになった方が、「僕も本当に惨めだったけど、イエス様に出会って、変わったんだよねえ」と自分の体験を話されたり、みなさんが心を開いて、本音で話をされているのです。「ああ、なんだかいいなあ」と思いました。モノや肩書きを失って、プライドも奪われた人々(「いや、自分はプライドがあったから、ホームレスだったんだなあ」と今は援助を受けて、家も仕事も得た人が言っておられて、それはそれで、また考えさせられましたが・・・)が、一人の人間として、神様を求めて、互いに向き合って、話をしている、住むところや仕事を見つけた人たちも、やはり、同じところに立って、話している。いや、この世では立派な肩書きを持っているような人も、そんなことはどうでもいいこと、として、一人の人として、向き合っている。それは美しくもエキサイティングなひと時でした。

それがあまりに魅力的な集まりだったので、私もそれから毎週土曜日の朝、その公園に通いました。

私たちはいつの間にかいろいろなものを身にまとって、身につけて、持ち物を増やして、でも、それによって失ってしまっていることもあるんじゃないかなあ、と思います。そういうものを一度全部おろして、一人の人間として互いに向き合ったり、神の前に出たりすることができればいいのに、と思います。

今年のJOYJOYキャンプのテーマは「わくわくタウン2」。お金じゃ買えないものあるんだよ、神様は、それをみんなにくださるんだよ、ということを子どもたちに伝えることができたら、と、また日々の教会の歩みの中で、そのことが自然と伝わっていくような働きができればいいなと思っています。

「わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠につづくのである。」コリント人への第二の手紙4章18節

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