「私の証」

現在、私はスペインのジローナという地中海に面したところに住んでいます。アメリカのニュージャージーに2007年から5年半住んでいました間は、ニュージャージー日本語キリスト教会に参列させていただきました。
アメリカ勤務時代は、日本の大企業の北アメリカ拠点経営責任者をしていました。その私が、2013年4月にアメリカでの荷物をまとめ、全てを捨ててスペインに渡り、現在は、こちらのバプテスト教会の教会員です。そしてJTJ(Jesus To Japan)宣教神学校の2年生です。

一体何が私にこの変化をもたらしたのか、私の決断に至るまでの経緯、今の私の人生の目標は何かについて少しお話しさせていただきます。
アメリカでは、コンシューマ部門の経営責任者でした。日本との時差が13時間ありましたので、いつも2台のパソコン、そしてスマホ、タブレットも使い、いつでも、どこでも24時間、365日、日本の事業場、本社、そして北米のお客様とコンタクト出来るようにしていました。

ご存知のように、アメリカ、カナダは広大な面積の国ですので、アメリカにいる時は国中を飛び回り、そして日本へは5年半で50回ほどニューヨークと大阪の間を飛びました。毎朝、目を覚まして最初に考えるのは「今どこで寝ているのだろう?ホテル?飛行機の中?それとも家?」でした。

このように私の生活は、超多忙で、かつ一見すると華やかに見えましたが、華やかな外見とは別に実際心の中はかなりかけ離れてすさんでいました。数ヶ月先までスケジュールが埋まっており、毎日毎日それをこなすので精一杯で、抜け出すことができない螺旋階段を登っているようでした。

そしていつも頭の中では、同じ疑問がどこに行っても、誰と会っていてもつきまとってきました。

「神様から与えられた人生で一体私は何をしているのだろうか?」「私は誰に仕えているのだろうか?」「いつまでこのような生活を続けるのだろうか?」そして「私の人生の意味は何なのか、この世での人生の後には何が来るのか?」そして大きな目に見えない「空しさ」に何もできない自分に気づくのです。

私たちはこのような状態になることがわかっていても、人生の中で立ち止まって自分の価値が誰に対してあるのかを考えることもしません。人生の意味を考えることなどをタブー視するからです。ですからどうして良いかわからない時、空しさを覚えるのだと思います。私たちは、自分では一人で生きている、自分の考えで生きていると思いがちですが本当は自分の人生の意味を考えることを避け、みんなと同じように生きようとします。何故なら、信仰のない人にはこれらの質問には答えがなく、真っ暗な空しさは結果として不幸せを呼ぶような気がするからです。しかし、年と共に必ず、私が持ったような質問はその姿を現します。そしてその空しさはドンドン大きくなるのです。

私が学んでいる神学校の先生はいつも、「その空しさは神様だけが豊かに満たしてくれます」と言われます。

これを読まれている皆様の中にもこの「空しさ」を感じ、同じような質問、体験を持たれた方がおられると思います。もしそうであれば、それはとても良い体験をされていると思います。何故なら、皆さんも気づかないうちに神様を求めておられるからです。私は、心からお勧め致します。一回立ち止まって、「神様から与えられた人生で一体私は何をしているのだろうか?」「私は誰に仕えているのだろうか?」「いつまでこのような生活を続けるのだろうか?」「私の人生の意味は何なのか、この世での人生の後には何が来るのか?」を考えて見ることをお勧め致します。

さて、私の体験に戻ります。

忙しい生活を続けている内に、私は健康の問題がおき、生検の結果、手術を受けるべく入院することになりました。先生によると手術はとても簡単で、一日入院でよいとのことでした。ところが、実際は、全く予想と違いました。血圧が急激に下がり、めまいがしてついには気を失ってしまいました。また、体が急速に冷たくなるのが分かりました。頭の中では「もしかしたら」と思いました。特別看護室に妻と一緒に入れられました。看護師がひっきりなしに部屋に来て血圧を測っていました。ところが、周りの緊張した雰囲気とは別に私は落ち着いていました。「久しぶりにこんなに寝たなあ。これも悪くないなあ。」などとトンチンカンなことを思っていました。しかし、だんだん頭の中で、「これから私はどうなるのだろう?」と考えていました。

その時です。身動きできない私に何か声がしたような気がしました。「もういい加減にしないか、いつまで自分の力で生きていると思っているのか?なぜ私を無視するのか?」という内容でした。意識朦朧の中でこれは夢かしら、それとも・・・・と考えました。と同時に、ヨハネによる福音書21章1ー15節に出てくるペテロの話の光景が浮かんできました。

ペテロは、キリストのために一旦は、網を捨てた人でした。彼は献身していました。そして彼は多くの弟子が離れ去っても、従い通してきました。ところが、キリストが十字架にかかるために囚われたと分かると、彼はキリストを捨てたわけです。そして、キリストの処刑前に「キリストを知らない」と3度も否定するのです。そして元の生活に戻っていたのです。彼はイエス様に対する言葉を裏切ったのです。それでも、イエス様はペテロを受け入れ、赦されたのです。そして信頼されたのです。そして、彼に福音宣教を委ねようとされたのです。「火を起こして、朝食を取りなさい」と言われた時に、ペテロは、神様の絶対的な愛、裏切り者をも愛する愛が分かったのです。

私は、会社生活の中で、洗礼を受けていながら、何回も、何回も「キリストを知らない」と言ってきました。本当に後悔し、悔い改めるべきことです。「もうそろそろ私の声を聞きなさい」と言われた時に、私も本当にイエス様の愛が分かりました。

私たちの生活では様々なことがおきます。たとえこれまで何の問題もなく生きてきた人でも、誘惑、交通事故、突然の病気、家族の不幸、失業、麻薬、依存症などがいつ起きてもおかしくないと思います。そして最後に登場するのが「死」です。
ところが、この世の中で、唯一死に打ち勝ったお方がおられます。主イエス・キリストです。そしてその方を自分の救い主として受け入れた時にこの世での死はキリストと共に天国いる永遠の命を与えてくださると聖書は言っています。

さて、退院してからも私はずっとあの時の「声」のことを考えていました。「あれは、夢だったのかしら?」「意識朦朧の中だったので明確にはわからないなあ」と思っていました。退院後、1ヶ月が過ぎ、日本の本社から電話がありました。それは、私に現在の仕事を全て退き、顧問になってほしいという内容でした。この時、私ははっきりとあの病室での「声」の主がわかったのです。主がベッドで動きの取れない、最悪の状況の私に現れたのです。私のそれまでの過去は全く意味をなさず、主が私に新しい人生のチャンスを与えてくださったのです。

神様により近づき、たとえこれから大きな試練が来ても主は私を満たしてくださる、ここに私の人生の意味があると確信しました。私は主の召命を受け入れ、献身の決意をしました。早速、私の思うところを家内、息子、そして母親に説明しました。驚いたことに彼らは、安心したように私の思いを支持してくれました。

入院から2ヶ月後には神学生になるべく申請書を提出しました。どうしても主のことをもっと学び、真理を学びたいと思ったのです。そして主を近くに感じながら、主のために働きたいと思いました。

ほぼ同タイミングで、アメリカからスペイン(私の家内の国)に荷物を送り、入院して2カ月半後にはスペインでの生活が始まりました。今は、Rosesというところにある教会に参列し、教会のために奉仕しています。また、毎日、神学校の勉強も楽しみながら励んでいます。現在の私はとても充実しています。主がいつも一緒におられることを実感しながら信仰生活を送っています。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」

ヨハネ3章16節

月報2015年1~2月号より

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