キャンプから早1ヶ月が過ぎ、もう秋が駆け足で忍び寄る今日この頃です。今回は8月30日から9月1日の3日間、いつもの広大なNew York upstateにある美しい山間のホテルにて行なわれました。「まことの豊かさを求めて」というタイトルで、著名な川崎の招待キリスト教会主任牧師の趙南洙牧師から4度のメッセージをいただき、賛美は透明感と力強い声の持ち主、向日かおりさんをお招きしての至福の時間でした。
全体集会の始めの賛美は、今年は各教会の担当、大勢が主にあって心をひとつにして、賛美するのはキャンプならではの恵みです。中では2日目夜のNew York の日米合同教会によるゴスペルは聞かせる賛美で、さすがでした。
集会の合間々々には、あちこちでなつかしい他教会の仲間との再会、無事を喜び合う嬉しい会話と笑顔が飛び交いました。こんな恵みって、合同ファミリーキャンプ以外にありましょうか。
ここで私は充実したプログラムの中から、特に趙先生の説教を主に書きたいと願っています。

1.サムエル上1:17~18

初日の説教で内容に入る前に趙牧師は20代始めに韓国で苦労のうちに奥様と牧会を始められたこと、自宅のアパートで礼拝を始めたもののだれも来ず、3ヶ月たって主に“もう止めます”と泣いて訴えたら、お婆さんがひとり見えたこと。その後序々に受けた数々の大きな恵みのこと、そしてこの日の説教の締めくくりに30代で日本に宣教に行くようにとの神から召命を受け来日、今日があると締めくくられた。
祭司達によって預言書が書かれたずっと以前に、エフラムという所に住んでいたエルカナの妻、ハンナは子がないことで2番目の妻に苛められつらい日々を過ごしていたが、そのことで必死に主に男の子を授けて下さるように、授かったらその子の髪に決してカミソリを当てません、そして一生その子を主に捧げます、と祈った。傍らでハンナのこの必死の祈りを聞いていた祭司エリは、「イスラエルの神があなたの願いを聞き入れられますように。 安心して行きなさい。」と声をかけた。 その後ハンナはみるみる元気になり、やがてサムエルを授かり、彼が乳離れするのを待って、「主は私の願いを聞いて下さったので、私もこの子を神に捧げます。」と夫と共に宮に行き、主を礼拝した。
このたった2節の聖書箇所に、それまでの苦しいハンナの物語がこめられていて、サムエル記の見事なスタートになっている。 ハンナほど必死になって主に祈ることが出来るだろうか。これまでなにかを主に祈って大きな恵みをいただいた人々は,どれ程必死の祈りを捧げたのだろうか。 主に頼み祈る大切さをまざまざと見せ付けられる箇所である。

2. サムエル上 2:25~35

祭司エリが、主に罪を犯す息子たちに“何故か”と問いただすが、一向に直らない息子たち。それは確かに私達の姿。(こういう私達の為にイエスは自らを犠牲になさった。)神は我々に何度も礼拝のメッセージや、聖霊を通して必要なことを気付かせて下さろうとしている。 その神の時を見過ごしてはならない。
不良の息子達の故に決してよくはないエリの環境の中でも、サムエルは立派に神にも人にも愛される若者に成長した。 必ずしも人は環境によって左右されない。 罪のある者は今ここで神に悔い改めることが必要だ、と趙牧師は述べられる。

3.サムエル上 3:1~10

目の前に情景がはっきり浮かんでくるような、私も大好きな個所である。 わらべサムエルが神の契約の箱のある主の神殿で休んでいた時、「サムエルよ、サムエルよ」と呼ばれ、サムエルはエリが呼んだと思って行くと呼んでない、と言う。 それが3度繰り返された時、エリはそれが神と悟り、サムエルに「今度呼ばれたら、ハイ、ここにおります、とお答えするように」と諭す。 主がサムエルに語られたことは11節以下に書かれているのだが、主のみ声を聞く、聞こえる、ということは最高の祝福である。 その後もサムエルは、神さまに見守られてすくすく成長し、やがてイスラエルの全ての人々にサムエルが主の預言者と定められたことを知らしめた。
人は上からの大きな神の助けによって恵みを受け、霊的に成長できる。大きな大きな神と小さな少年との出会い、それがイスラエルの歴史をここに変えようとしている。私達は日々全身全霊で主に祈り、聞き仕えていくことを、ここから気付かされる。

4. サムエル上 16:13~14

修養会最後の説教は、これまでから下がって16章から。 13節は、主の命によってサウルの次の指導者を求めに出たサムエルが、ベツレヘムで羊飼いをしていたダビデを探し当てた所。14節は主の霊が離れたサウルに悪霊がとりつき、苦しむサウルにダビデが得意の竪琴を聞かせて、悪霊を追い払うシーンに続く。聖霊に満ちていたサウル王が何故変わってしまったのか。それは彼自身が神に十分聞かなくなってしまった。そして祭司の役までやるようになってしまった事が原因。 一方ダビデ王も周知のように、たくさんの悪いことをしては後悔し悩み多い人生を送ったが、そんな時でも今我々が多くの詩篇にみるように、主の前に即必死で詫び、狂おしくも神に救いを求めている。
主から語られる人になるには、このダビデのように失敗したら、言い訳をせずにすぐに神に悔い改めること、そして“私からどうぞ、離れないでください”とお願いすること。 聖霊に満たされて日々生活すること、それがまことの豊かさだ、と趙牧師は纏められた。
さて新旧2巻の聖書は、全て聖霊によって書かれたものです。 だからこの膨大な神の物語は、全てが真実であり、一貫してイエス・キリストの誕生の予言と言われています。旧約は神々や英雄たちの物語、あるいは預言者達の話が主なので、どうしても筋だけを追って楽しんで終わってしまうことが多いのですが、本当の中味を理解するには聖書全般からの引用と、解き明かし、リードがどうしても必要です。
旧約からのメッセージが少ないとの意見がある中で、今回趙先生からじっくりサムエル記からの解き明かしをお聞きできて、参加者は最高の恵みをいただいて、各々帰宅できたことと確信しています。 特に趙先生のユーモアを交えたにこやかな語り口は、私達の気を削がずに引き止めておくのにも最高でした。
5,6年前までの私は、旧約をそれこそ物語として読んでいたものですが、最近は旧約の凄さを実感し、自分だけでは読めないもどかしさを感じています。そしてこれに気付いたのをわずかでも成長したと言えるならば、この私達の教会で長年に渡って、熱心に聖書の通読、勉強を指導してくださっている錦織牧師のお蔭と言わざるを得ません。 その土台が私にあって、今回の趙牧師のメッセージからより多くの恵みを受けられたのだと思います。聖霊に満たされて生活することは、常に祈り求めることから始まると思いますが、教会にいる時以外は常にこの世的な目まぐるしい状況の中にいて、時には周りとの調和に気を遣いつつ、過ごしているのが私達です。日々時間を取り分けて、静かなときを必ず持つことの必要性をしみじみ思います。 神様の御用をなさる聖霊さまの力なしには、なにもできないことを私も知っていますから。
今回この大きな群れを導くために、企画・準備からこれら修養会のすべてを導いてくださった主と牧師先生方に、心から感謝いたします。 ありがとうございました。
「神よ、私のために清い心を作り、わたしのうちに新しい正しい霊を与えてください。」
詩篇 51:10
「主よ、私のくちびるを開い「神よ、私のために清い心を作り、わたしのうちに新しい正しい霊を与えてください。」
詩篇 51:15
キリストに近ずき、探り求めた者達は皆等しく、豊かさと完全さと究極の満足とを間違いなくキリストの内に見出したのである。
(Dr. D. M. ロイドジョンズ、1947年)

月報2014年11~12月号より