「母の受洗」

今年84歳になった母は、小柄な身体で、田舎道をどこへでも自転車で出かけるほど元気でした。ところが3月に心不全で救急車で運ばれ、緊急入院、その後の検査で、2つの心臓の弁が狭窄、閉鎖不全による心肥大に加え、肺水腫の診断を受けました。

知らせを聞いても、直ぐに飛んでいけず、涙と心騒ぐ私に、神さまは「あなたは私のために嘆きを踊りに変え、荒布を解き、喜びを私の帯とされました。」〈詩編30篇2節〉と、み言葉を示してくださり、私の心も支えて下さいました。

母は、神さまに守られ、やがて酸素も点滴も取れ、1ヶ月後に自宅に戻ることが出来ました。近くに住む姉夫婦が、毎日のように、母が食べられそうな食事を作り、仕事の合間に届けに行っては、共に祈り、励ましてくれていました。

私が5月末に母のサポートのために一時帰国した時、母は、長い間の咳と痰に悩まされ、食欲、体力が落ち、食事と排泄以外、布団に伏す姿は、今まで見たこともなく小さく、弱く見えました。そのような中でも、私の出産の時のことを語っては、「範子を産んでよかった。」と涙ながらに語ってくれ、「ありがとう!」の言葉を交わす時が与えられたのは、感謝なことでした。
以前から、イエス様を信じて祈りに手を合わせる母でしたが、今回、水郷めぐみ教会の平山先生ご夫妻のお導きを頂いて、5月29日に自宅で病床洗礼に導かれました。

「神我らと共にいます」(マタイ1:23)
「我が国籍は天にあり」(ピリピ3:20)

そして、その数日後、しばらく会えず、祈っていた兄が帰ってきた時の母の喜び様は、まるで病気を吹き飛ばすような笑顔でした。私にはまるで幼子のような母が、大きな母に見えました。兄は早朝から玄関を履き、自ら「教会に行かなきゃ・・・」と語るのでした。私にとっても、神様の力以外に考えられない、神さまのみ言葉のお約束の出来事を見せて頂きました。兄は教会の祈りの時に、涙を流していたそうです。

それから、「お母さん受洗おめでとう」「祈っています。」のお言葉をたくさんいただき、母が、なんと多くの方に支えられ、愛されているかを知らされる、幸いな時でした。
母も、「ああ、ありがたいね。」とお祈りのサポートに感謝の言葉が続きました。

私の帰米後間もなく、再入院となった母ですが、身体の弱さの中にも、神様の守りと、祈りの使命が母を支えてくれています。この世で多くの苦労がありましたが、今、幼子のように天国の希望を握ることが出来たのは、何と大きな恵みでしょうか。

主に、そして皆さまのお祈りに心から感謝致します。

月報2013年7~8月号より

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