私にとって皆さんと過ごすことのできた一年間はあっという間でしたがとっても実りの多い一年でした。お一人お一人にお会いできたこと、祈りあえたこと、礼拝を共に守れたこと、行事に参加できたこと、挙げても挙げてもつきないほど私の中で神様に感謝でいっぱいになります。
昨年の10月末、まだ半袖で過ごしていたヒューストンから念願のニューヨークにとりあえず3ヶ月、仕事のため一人でやって来ました。アパートにスーツケースとかばんひとつで着いた時、アメリカに初めて来た時を思い出しました。夜になってももちろん夫は帰ってこないし、夜寝るときも一人だし、寝てるときもいびきは聞こえてこないし、なんだか慣れない生活が始まるんだという実感が沸いてきました(次の日主人は週末を使って来たのですが)。
仕事初日の前日、ニュージャージー日本語教会に初めて夫婦で行きました。ニュージャージーの教会に行こうと思った理由は10年前のサマーキャンプで、イエス様は私の罪のために十字架に架かってくださったと私の心に力強いメッセージをされたのが錦織先生でしたので、もう一度お会いできることを楽しみにしていたからでした。礼拝中の挨拶の時間やお茶の時間に本当にいろんな方に声をかけていただき、とっても歓迎された気持ちになり、次の週も来たいと思いでいっぱいになりました。仕事も、同僚も、生活も慣れないこと続きで不満がたまっていた次の週、やはり礼拝中の挨拶の時間に「今週もお目にかかれてうれしいわ。」とか「お元気でしたか?」という簡単な挨拶からでも神様の愛が伝わってきて胸がいっぱいになりました。次の週もまた来たいと思い、次もそのまた次もと結局一年お世話になりました。
仕事にも生活にも慣れていくうちに色々ハッと気付かされました。JCCNJでは受難週の集会、地域の集会、修養会、集まる毎に小さいグループに分かれ祈ることが多く、それほど親しい仲ではない私にも祈りの課題を分かち合って、ただおしゃべりをするだけではなくて、私のためにも祈ってくれるという関係が私には新鮮で、これって兄弟愛だなーと思わされました。一人ひとり課題があり、大変な中を通ってはいるのですがそれも分かち合い、共に今与えられている自分の役割に忠実に歩んでらっしゃる集まりで、すばらしいと思います。
もうひとつはヒューストンでは、いつから夫と一緒に教会にいかなくなったのか覚えていないくらいで、私にとってそれは優先順位の低いことだったことにも気づかされました。夫にとってもJCCNJは男の人もいて話ができる人がいるまた行きたくなる場所だったのだと思います。大好きだった仕事ですが優先順位が変わり、妻であることも神様の召しであることを喜んで受け入れられるように私も変えられていきました。

聖書の中でパウロが皆さんを訪ねたいと何回も出てくる気持ちが今はもっと理解できます。皆さんと交われ、教えられた一年私たち夫婦には宝物です。またお会いできる日を楽しみにしています。

月報2011年12月号より