「この度、ニュージャージー日本語キリスト教会に…」

この度、ニュージャージー日本語キリスト教会に転入会しました。NJに1年前に引越して来た際、通える教会があるなら行ってみよう、と思い、インターネットで調べたら、家から遠くない所に日本人教会があることを知りました。洗礼を受けて9年、母教会のある日本を離れて8年経って、今この教会に出会えたのは、神様が導いて下さったのだと確信しています。メンバーとして受け入れられたこと、奉仕できること、嬉しく思います。私がどうやってキリストと出会い、今日まで至ったかを証しさせて頂きます。

私は、18歳で故郷の石川県から上京し、東京女子大学へ入学しました。プロテスタント系のキリスト教大学で、そこでキリスト教と再会しました。実は幼い頃、教会付属の幼稚園に通い、神様や聖書のお話には触れていましたが、ほとんど忘れていました。キャンパスでは、キリスト教や文化に触れられるクラスや行事が多くありましたが、関心がありませんでした。それどころか、当時日本の大学生は、大学の授業は出ずに、バイトやインターンで社会勉強をするのが主流で、私も、あまり重要じゃないと思っていた聖書のクラスを丸2年間サボって、バイトに明け暮れていました。ところが、大学2年も終わる頃、キャンパスの掲示板であるポスターを見て価値観が変わりました。

「NGOスタディーツアー バングラデシュに寺子屋を贈ろう」と書かれポスターでした。国際ボランティアのようなものだろう、と思い、興味があったので参加することにしました。そのツアーの準備会で、主催者のアジア基督教教育基金(ACEFエイセフ)の事務局長がおっしゃったことで、私はただのボランティア活動ではないことを知りました。「私たちの目的は、【援助】や【与える】ことでなく、共に祈り、働くことによって、初等教育の普及に【協力】することです」。

協力するために祈るとはどういう意味か、よくわからないまま出発しました。バングラ滞在中、色んなことが初めてで新鮮でしたが、「共に祈る」のも初めての経験でした。毎日共に祈る時間があり、意外と心地よいものでした。目を閉じて、時には手をつないで、祈りたい人から順番に祈る。どれも感謝に溢れていて、また謙虚でした。今日1日無事に過ごせるよう、現地の人達との交わりがスムーズにできるよう、今日の働きに皆が感謝を持って取り組めるよう、というように、祈りって具体的だな、と思いました。また、祈りとは、神様にお願いばかりするものではなく、全てに感謝を示すこと、また全ての心配やわざわいを神に委ねることだ、とも知りました。振り返ると、電気も電話もなく、文化の全く異なったアジアの田舎で真に学ぶことは、祈りなしではできなかったと思います。

ツアーの後もエイセフの活動に積極的に参加し、また大学にあるキリスト教センターの常連になり、そこで初めてクリスチャンの大学生たちと出会いました。その頃、信仰を持つってどういうことだろう、と考え始めました。聖書を開いても難しそうで、イエスが私たちの罪のために死なれた、ということもピンときませんでした。それでは納得がいくまで調べようと思い、聖書や他の宗教についても分からないところを聞いて調査しました。そこで、旧約聖書と新約聖書の違い、ユダヤ教とイスラム教も聖書と繋がっていること、聖書に記されている預言が実際に起こったこと、など、驚くこと発見がたくさんありました。そして、もっと知るために日曜日の礼拝にも行ってみようと思いました。不思議と自然にそう導かれました。

バングラデシュと出会って9ヶ月経った1998年12月、私は、エイセフの友人が通っている国際基督教大学教会を、初めて訪れました。その日は、たまたまアドヴェント第1日曜日で、礼拝後、青年会の学生とリーダーのポール副牧師らに、夕方からキャロリングがあるからどう?と誘われ、キャンパス内を一緒に歌いました。この教会は大学内にあるので学生が多く、青年会にはキリスト教に興味のあるノンクリスチャンの学生も何人かいました。クリスチャンとノンクリスチャンが分かち合う話はとても刺激的で、ここで私の抱える疑問を解決できるかな、と期待し通い始めました。この頃、青年会の仲間を通して、初めて哲学の書物に出会い、様々な思想を知るのにとても役立ちました。

大学卒業後、1年間カナダに留学し、そこで見つけた小さな日本人教会に通いました。マタイにある、「求めなさい。そうすれば与えられる」を心に留めて、あなたが真理ならば私にも教えてください、と祈り続けました。そして、日本に帰国する直前、青年会の友人が私にこういったのです。「神様はいつでもようこの心の門を叩いておられるよ。でも、その門を開けるかどうかを決めるのはようこなんだよ」その時、ふっとこれまで問い続けてきた疑問や疑いがあまり気にならなくなりました。

イエス様、あなたを受け入れます、それだけでいいのだ、と分かりました。カナダでの教会最後の日曜日、私は特別賛美で、Change My Heart, O Godを賛美しました。You are the potter, I am the clay, so mold me and make me, this is what I prayと歌いながら祈りました。そして、その春の2001年ペンテコステの日に、国際基督教大学教会で、洗礼を受けました。

その1年後からは、仕事と勉学のためにアメリカで暮らし始め、移動も多かったので、教会探しをしませんでした。徐々に神様から遠く離れていきました。大学院を卒業した2006年の秋、念願の教員免許が取れて、公立高校で働き始めて1週間後、妊娠していることが分かりました。信仰を持っているならば、神様からの授かり物と喜ぶはずなのに、私は違いました。大変な過ちを犯してしまった、と思いました。その時、未婚で、結婚する予定もなかったからです。母教会に祈ってもらいましたが、私は素直に祈れませんでした。私達2人は大人げない態度で、産むか産まないか、結婚するかしないか、いや、結婚は絶対にしたくない、と言い争う日々が続きました。一度にいろんな決断をしなければならなかった、プライドも邪魔し、お互いに譲れないことがたくさんありました。

そして家族に状況を伝えたとき、どんなに叱られるだろうと思いました。ところが誰も叱りませんでした。それどころか、私の両親はノンクリスチャンで、彼の方はクリスチャンでしたが、皆私たちを喜んで受け入れてくれました。数ヶ月後、私は現在の夫と結婚しました。決して喜びに満たされたものではありませんでしたが、息子の真(まこと)が産まれる頃までには、私たち家族が出会えてよかった、思えるようになりました。人生最大の苦難でしたが、神様は、この失敗を、何と幸いに変えてくださった、信仰の小さかった私、これからはすべてを神に委ねよう、と悔い改めました。

その数年後、次は夫が突然失業しました。この時も家族、友人、教会が毎日祈ってくれ、どんどん転職への道が開かれ、このNJにたどり着きました。私は、妊娠・結婚・失業を経験して、私たちが自分で解決しようにもできない問題は無数にあるけれど、神様にその全ての重荷を委ねてよいこと、しかも最善の道を用意してくださる、というのはすばらしいめぐみだ、と心からそう思い、それは感謝のほかありません。

終わりに、私の信仰生活はこのように弱いものでしたが、これからは、知識だけでなく、主に信頼し、御言葉を実行できる者として、歩んでいきたいと願っています。

アーメン。

月報2010年8月号より

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