母が日本で洗礼を受け、家族で教会へ導かれ、中学2年のクリスマスに父、双子の妹と共にこの教会で正木牧師より洗礼を授かりました。
洗礼を受けた次の夏、日本へ本帰国となり、千葉の松戸へ引っ越しました。反抗期だったのか、家族とけんかするたびに{イエス様は・・・}と促されるのをうざいと思うようになり、日曜日は昼過ぎまで寝て、いつのまにか教会へ行かなくなりました。でも、両親がまた海外転勤となり、一家で暮らしていたアパートでひとり暮らしを始めたとき、寂しさを感じて、教会に戻りました。
放蕩息子は父の元を離れて遊びに明け暮れた後、無一文になり、父親のもとへ戻りました。が、私の歩みは一回離れて戻るに限らず、洗礼を受けたときから5年前まで行ったり来たりでした。それは都合よく、自分勝手に離れたり戻ったりの繰り返しでした。今考えてみれば、サタンの働きだったのでしょうか。洗礼のときにまかれた信仰の種は地面にしっかりと根を張ることができなく、鳥につっつかれたりされていたんですね。
クリスチャンカレッジへ進学して、最初は必須のキリスト教教義やチャペルにも積極的に参加していました。でも、授業やバイブルスタディで信仰を問われたとき、または聖書の話をするときは優等生かのように期待されている答えを口にしていました。週末になれば、大学の近くのクラブやバーへ出かけ、朝早くまで遊んで、その足で教会へ行ったりもしていました。物事がうまくいっていると、自分で何でも出来ると信じるようになっていました。大学3年生の春、ワシントンDCに引っ越して、インターンシップしながら、全米のクリスチャンカレッジから集まった学生ら40名と過ごす機会が与えられました。その一学期の終わりにプログラムの友達らとお祝いに飲みに出掛けました。しかし、そのことがプログラムにばれて、学期終了2週間前にして、停学の危機に陥りました。責任とは、自分の行動の結果を受け入れること。そのときは本当に砕かれ、プログラムの教授、クラスメートの前に罪を告白し、赦されて、プログラムを終了できました。このときのような逆境に遭うと、必死に主を求めていました。でも、それもいずれか冷めていたような気がします。
このパターンは大学を卒業して、大学院のためにニューヨークへ戻ったときも一緒でした。どころか、ニューヨークへ戻ってからは、教会にも全く行かず、以前よりもさらに神様が喜ばれない生活を送るようになりました。子供たちに罪の話をするときに「心がちくっと痛むこと」とか話したりしますね。チクチクする感覚がいつのまにか感じられなくなるんですね。心が麻痺していました。でも、そんな生活はいつまでも続きませんでした。大学院を始めたのは2002年で、それからの2年間、自分で頑張ればどうにかなる、自分さえ頑張ればと自分に言い続け、神様には喜ばれない生活を続けていました。さらに、大学院生助手になり、授業料タダになり、心配されていた就労ビザも就職も、とんとん拍子で決まり、頑張れば自分でなんでもできると思うようにもなりました。でも、疲れが出てきます。体にも心にもよいはずがありません。満たされない思いで、なにか寂しく思うと、いつのまにか賛美歌を口にすることも何度もありました。けど、そのときの私には、教会へ行くことはできませんでした。教会は罪人のためにあるといいますが、自分のしたことを考えると恥ずかしくて、足が進みませんでした。偽善者を装うのもできないほど心が疲れていました。
2004年10月にワシントンDCへ遊びに行きました。日曜日、友達の教会のWashington Community Fellowshipへ行ったところ、ユースの牧師先生のPastor Faithのメッセージは神様はあなたに変化を起こしたい、変えたい、Bring Changes into Your life.とお話していて、もしあなたが主に変えられたいのであれば、そのChangesのひとつひとつのステップに主は確信を持って、あなたを支えてくださるというメッセージでした。このChangeは今までになく難しいとも忠告していました。でも、第一コリント10章13節を引用し、約束しました。神様は真実な方で、私を待っていることを。
「あなたがた会った試練はみな人の知れないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることの出来ないような試練にあわせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」 (第1コリント10:13)
その間自分のしらないところで、家族は祈っていました。大学時代からの友達何名かも私のために祈ってくれていました。私も祈りました。
そして、2004年12月にやっとブルックリンへ引越し、今までの生活を見直す機会が与えられました。今までの生活は自分が頑張ればという生活、物事がうまくいっていると、何でも出来る、自分中心でした。でも、見直していく中、私には神様が必要、いや、神様なしで生活するのは出来ないと思うようになりました。でも、教会には素直にいけませんでした。周りにどう思われるか、と人の目を気にしていました。神さまが自分を受け入れてくれるか、私は清くない、罪人。私のことをよいクリスチャンと思っていただろう教会の兄弟姉妹に顔が合わせられない。教会に行くことは主を賛美し、礼拝することなのに、自分のことで頭がいっぱいで、躊躇していました。
でも、不思議に同じDCの友達の実家でクリスマスを過ごした後の日曜日、小雪が降る中、JCCNJへ向かいました。ルート78からルート80と知らないはずの道を車は自然に教会へ向かったように思えます。この放蕩娘を両手を広げて迎えてくださったのは、他ならず、主イエスでした。
第2コリント5章17節に「古いものは過ぎ去り新しいものが生じた」とありますが、私にもそのような変化があったのです。。それは、自分だけではどうにもできない。主はぶどうの木にたとえて、「わたしを離れては、あなたがたは何もできないからです。(ヨハネ15章5節)」とおっしゃいました。実がなるにはイエス様につながっていないければいけない、ということを確信しました。 そして、心から私にとって欠けることができない神様の存在を確信しました。
あれから、5年も経ち、みなさんの祈りに支えられ、アンディと結婚し、昨年にははな(Hanna)を授かりました。今までのような信仰の上下はないものの、忙しさの中で自分だけで頑張りすぎていることを発見するたびに本当に学んでいない自分に落ち込むばかりです。今後も課題ばかりの信仰生活ではありますが、主に大いに期待し、自然に自分を主にゆだねてついていけるようにと祈るばかりです。

月報2010年4月号より