「数えてみよ 主の恵み」

♪数えよ ひとつづつ 数えてみよ 主の恵み♪

これは幼い頃から教会でよく歌った聖歌ですが、最近よく頭に浮かんできます。 私は熱心なクリスチャンホームに生まれ、幼い時から教会に通い聖書に触れて育ちました。その頃はただ友達と“遊ぶ”のが目的で教会に通っていましたが、小学5年の秋に映画伝道会『塩狩峠』(三浦綾子作)を通して、自分の罪と神様の大きな愛を知り信仰を持ちました。それまで何気なく覚えていた聖書の言葉が少しずつ理解できるようになりとても嬉しかった事を覚えています。

しかし高校に入学した頃、教会には義務感から出席はしていましたが全くのスランプ状態に陥りました。“自分ももっと劇的な体験がしたい!そうすればもっと神様を信じれるのに”なんて思ったりして...そんな状態を見兼ねてか?両親より“高校生の集まりに参加したら?”と言われhi-b.a.(高校生聖書伝道教会)に参加するようになりました。「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません」(ヨハネ3:3)という聖書の言葉より、“あなたは本当に新しくされていますか?クリスチャンホームだからとか昔から教会に通っているからとか全然関係ないんですよ!”と言われ、甘えていた自分に気づき目が覚めた思いでした。その後、高校・大学生活を通して様々な集会・キャンプ等に参加し、み言葉を学び・多くの信仰の友と出会えたことは私にとって今でも“宝物”です。

就職してからは今まで自由に使えていた時間が減り、日曜日の礼拝の時間ですらだんだん惜しく思うようになりました。“今週は仕事で大変だったから...”色々な言い訳が頭に浮かんできて、第2のスランプの始まりです。仕事の方も“どうして会社はもっと私に良いポジションを与えてくれないのか?もっと良い仕事があるはずだ!”と不平を言いながら全ての面で天狗状態でした。しかしその後、結婚そして離婚という苦しい経験を通して人生に絶望し完全に自分を見失った状態になりました。“こんなはずじゃ。なかったはずだ”と思う毎日が続きました。

ある日、突然上司に呼ばれ“NJの会社に行かないか?”と言われビックリ!入社時より海外勤務の希望を出していましたが、まさか15年目に叶うとは夢にも思っていませんでしたし、NJの会社は今までの仕事と全く別の分野の会社で会社名すら良く知らず、NJがどこにあるのかも知りませんでした。(NJはジャージー牛乳のイメージからアメリカ中部の田舎だと思っていました。ごめんなさい)“人生の再起をかけて、アメリカに行こう”と決意したのでした。

複雑な気持ちを持ちつつも新しい生活に期待してJFK空港に降り立ちました。アメリカでの最初の日曜日に“そうだ。新しい生活のスタートだから教会にも行こう!説教がしっかり理解できる日本語の礼拝がいいなぁ。”と思い、インターネットで調べていたところ高校時代にお世話になったhi-b.aの宣教師(クラーク先生)が協力牧師を務めるこの教会を見つけました。残念ながらクラーク先生はすでにリタイアしてお会いできませんでしたが、教会の皆さんに支えられ励まされ“我が家”に戻ってきた感じがしました。“放蕩息子帰還”です。

NJでの新しい生活も2年が経過しました。昨年は妻と教会で出会い結婚し来月には子供が生まれる予定です。本当に感謝です。

今振り返ってみると、数え切れない神様の恵みを受けて歩んできたと思います。また、多くの方々の励ましと祈りに支えられてきました。神様に感謝すると共にこれからも全てを委ねて歩んでいきたいと思います。

『あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。』 (コリント? 10.13)

月報2004年7月号より

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