「クリスチャンホームに生まれた者の遠回り」

私はクリスチャンホームに生まれました。
私が生まれた時, 父はもう牧師を辞めてジャーナリストになっていましたが、大学は神学部を卒業、戦前は牧師だったと聞いています。母は父が神学生時代に教師をしていた教会学校の生徒だったと言う関係でした。

そういう事で教会と言う所は物心がついた時にはすでに生活の一部でしたので、 教会を遊び場として、礼拝堂の裏を走り回ったりして我がもの顔で遊んでいましたし、又、教会学校では話を最後まで聞かず、聖書の大切な箇所を先生が語られる前に結末を先に言って邪魔をしたりしていました。

しかし、反抗期に入るに従い、教会に集まる信徒の方々の言動・行動が偽善者のように感じたり、父の後輩にあたる牧師先生の裏表を見て幻滅を感じる様になって行きました。いつからか自分の教会には行かず別の教会に行ったりしていた時もありはしましたが次第に足は遠のいて教会にはクリスマスとイースター位しか行かない状態になっていました。

ただ、神様の存在は漠然とは信じていました。そしてイエス様は十字架に掛かって我々の罪の身代わりとして死んでくださった事は「知識」としては知ってはいましたが、自分とは関係がない話の様で、 聖書の内容もおとぎ話の様にただ記憶として入っているだけで、それが全部関連付けられて一つになることはありませんでした。

大学を卒業してからある小さな商社に就職しました。大変な就職難で大きな会社には入れませんでしたし、 大学の時にグリークラブ(男声合唱)の演奏旅行で行ったアメリカに住みたくて、その会社なら早く、駐在の可能性があるかも知れないと言う理由で決めた様なものでした。

会社に入って2年めで早くもチャンスは来ました。上司から、海外出張に行ってみないかとのチャレンジを与えられたのです。

同じ会社に居た、高校からの親友と二人でどちらが初海外出張の最年少記録を塗り替えるかと競争しようと話し合っていた矢先だったので、もちろん、その申し出を受けて準備を始めました。

出張先は、パキスタンでした。私は単純に、「選ばれた」という様な変な「錯覚」にとらわれて、有頂天になって一生懸命準備に取りかかりました。そして、出発の数日前に当時、営業責任者であった常務に上司とも一緒に呼ばれ出張の打ち合わせをしたのですが、その常務が打ち合わせの中で「何もまだわからない、経験も無いこんな者を出張に行かせるなんて何を考えているのだ。」 と上司に向かって突如、怒り出しました。それから私をそっちのけで上司と延々と議論を始め、喧嘩寸前の言い合いにまで発展し、自分が行くのは大変なことで 「失敗したら会社には居れない!」とまで追い込まれ、一転、プレッシャーのかかった気の重い結末となってしまいました。

単純な男ですので、それまでの「選ばれた」なんて思っていた「変な自信」はあっけなく砕かれてしまいました。 上司は新人を育ててやろうと思ってチャンスを下さったと思います。しかし、それまで新入社員を厳しい指導で辞めさせていたと言う「新人殺し」としてのうわさが思い出させられて、その上司が私を早く辞めさせる為の罠だったのではないかと疑いだしたりしました。今さら止めるとも言い出せず、会議の終わりには出張がうまく行かなければ責任を取って会社を辞めなければならないと悲壮な思いになっていました。

いよいよその日が来て、 まだ海外出張の珍しい時代(1977年)でしたので会社の社員と家族に見送られて出発しました。大阪伊丹空港、フィリピンのマニラ、バンコク、カルカッタを経て真夜中にやっと現地に着いてみると、航空会社でチェックインしたトランクはパキスタンには届いておらず、パリに行ってしまっていました。着いてから、英語も大してわからないのに、夜が明ける頃まであちこちたらいまわしにされて、やっとクレームのフォームを記入して、着のみ着のままで、仕事の書類のぎっしり詰まった書類鞄だけでその出張が始まりました。

食事は、どこへ行っても不潔きわまりない薄汚れた食器で出てきて、すさまじい匂いと、何を頼んでも質の悪そうな油の中に浮いていて、なんとか食べようと思っても喉がきゅっと締まって拒絶状態に陥り、全くのどを通らず、一昼夜何も食べられない状態でした。猛烈な暑さと湿気と匂いの中でお客を廻り、食事も食べれない状態で、いったいこれからの20日間、たった一人でどうなるのかと不安になったのを覚えています。もっとも人間とは良く作られたものでそのような状態が一昼夜続くと、その翌日から少しずつ食べる事が出来る様になりました。

しかし、今度は為替が大きく円高に変わり、本社からはいままで受けていた注文の残り(注残)を全部値上げせよとの命令が来て、全ての注文の残りの値上げが出来るまでは帰ってくるなとのテレックスが入ってきました。

受注どころの話ではありません。毎日、延々と時間をかけて値上げ交渉、そして、新規注文交渉と顧客を廻るのですが、 交渉は難航して疲れきってホテルに戻るという毎日で、ただ、むなしく日だけが過ぎて行きました。

とうとう、2週間程経ったある日、心身共に疲れきって、登校拒否の子供の様な状態になって、仕事に行く気がせず、ベットでやけになって大の字になって寝そべって、 「もう駄目だ、もう駄目だ」、「会社も辞めさせられる・・・、」 「自殺した方が・・・」 とつぶやいていました。 暗い穴の様な所に落ちて行く自分を見て居る様でした。 長い間、 同じ事をぶつぶつ言っていたと思うのですが、言い疲れて、放心状態になって居た様ですが、しばらくして、 ふと別の思いが出て来ました。

自分の出張の是非を巡る上司同士の言い争い、荷物が紛失し、食事が食べられず、為替の急騰、等々あまりにも偶然に悪い事がこんなに一度に重なるのは誰かが特別の思いをもって、意志を持って、自分にぶつけて来ているのではと、急に思わされ、最終的に、これは自分を「だめ」にするのではなく、「試され」ているのでは? という思いに変えられていきました。

そして次に思いついた事は「 ひょっとしたら、神様がなさっているのかも知れない」でした。そう思い始めると、どんどんその思いが強くなり、暗かった心の中に突然、光がさして照らされるような、何とも言えない熱い喜びが沸いてきているのを感じました。それまでは悪態の限りをつぶやいていたのに今度は一転、何年もしていなかった祈りの気持ちが溢れてきました。「神様、自分はこんな方法で試されるほどに、あなたから愛されていたのですね。・・・ありがとうございます。」と言う様な祈りだったと思いますが、その感謝の「祈り」とも「つぶやき」ともわからない事を何度も繰り返し、していたのを覚えています。

最終的に、この出張がもし神様ご自身が仕掛けられたのだったら、たとえ失敗に終わっても何か別の道が絶対用意されているのだと強く思わされました。そうすると絶望的だった心がすっと軽くなるのを感じました。

それから不思議な事が起こり初めました。翌日からは苦労していた値上げの交渉が進むようになり、注文も少しずつではありますが取れる様になりました。最終的に、1週間の滞在延長を申請して、値上げが出来たばかりかその地域での新記録の売上になる注文を持って帰ることが出来ました。仕事の方法が変わった訳でも特別な能力が与えられた訳でも無く、明らかに何かの意思で物事が変わって行く今までに無い体験でした。

その時から、「神様は絶対に居られる事、そしてこんな取るに足らない者でも特別扱いして愛してくださり、 訓練をして下さる。」との確かな思いが与えられました。その後、あちらこちらと中近東を一人で出張して、 いろんな目にも会い、問題に突き当たる事も多々ありましたが、その都度、訓練の時と信じて進む時 いつも、 守られ、回答が与えられて来ました。

そんな経験をしてから数年後、 父が脳血栓で倒れ、 2年半闘病の後、 亡くなった事も、 全てが家族一人一人への意味のある、 訓練の時であり、 自分達を愛するゆえに神様ご自身が許されてそれが起こっていると心から思わされましたし、 その様になりました。
又、体が動かせず、 失語症になった父が、他の患者とは違ってその苦しさを表にはださず、周りの者ばかりを気遣う姿を見ることができ、クリスチャンとは凄いものだと思わされました。

その頃の私は、信仰は自分と神様の個人的な関係なので自分さえ信じて神様につながっていれば洗礼を受けなくても良いと思っていました。しかし、父の死をきっかけに、子供時代、偽善者だと思っていた教会員の方々のさりげない配慮のある行動を見て、自分には出来ない、他の人に対する愛を感じ感謝しました。そして、一人よがりの信仰では何も成長出来ない自分の弱さを知らされ、教会に繋がって神様に仕えて行くことが、これらの信仰の先輩方のように成長していく秘訣だと信じ、イースターに洗礼を受けました。28才とずいぶん遠回りをした洗礼式で、教会員の方々の涙を見て、自分の知らない所で多くの方の祈りが積み上げられて来た事を知り、 心から感謝をしました。

洗礼を受けてから、教会生活を始めて、自分がいかに強欲で汚い、罪深いものであるかがだんだん心からわかる様になり、その為にイエス様が十字架で死ななければならなかった事も実感として思わされ、それまでのばらばらでただの知識だった聖書の箇所がだんだんがひとつになり、イエス様の十字架の意味が実感として判るようにさせていただきました。

色々な方が色々な形でイエス様に出会い、クリスチャンになられますが、私は「本当に凄い方に愛されている」と言う暖かい、心の中に日が差して行くと言う実感で始まりました。 神様が個性の違う人それそれぞれの為にご用意下さっている特注の愛に感謝します。

歳を取るに従って、益々自分の汚さが自分自身に明らかにされて、何も変わっていない罪深い者である事を思い知らされる事が多いのですが、その時、そのような者をそのままご自身の命とひきかえに、許そうとされたイエス様の愛の大きさに感謝します。そして仕事においても、個人の事においても家族の事においても、全ての辛いことを通して何かを与えようとしてくださっている神様の愛を思うとき大きな喜びと信頼感を持つことを得させてくださっています。

ヘブル12章6節~10
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」。
あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。(中略)肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。」

ヘブル10:章35~36「 だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。 神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。」

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『イエス様と歩む喜び』

イエス様は、僕の罪のために十字架にかかって死んでくださり、それ程までに、僕を愛してくださった。罪の全てを消し去って希望を与えて下さったその十字架の愛に答えたい。イエス様からいただいた希望を力にして仕えていきたいと思うようになっている。
この希望を実感する場になったのが、英語を学ぶために行っていた語学学校だ。僕が通った語学学校では、 様々な国の人がいて、皆英語を学ぶ目的で来ている。
その語学学校では、月曜日になると必ず聞くことがある。「週末は何をしましたか。」
実は、僕は日本人学校にいるときから、他人に「日曜日に教会に行った。」と言ったことがなかった。もしかすると言いたくなかったのかもしれない。だからその時もあいまいに答えた。しかし、ある何人かの韓国人が、 「教会に行った。」 と口々に言った。彼らの言葉が、僕に希望を与えた。人に、自分はクリスチャンであると言うことに抵抗があった僕にとって、心が開かれた瞬間であった。
またさらに別の日、ある韓国人はこう言った。
「アフリカに行って、ゴスペルがしたい。」このような言葉は、僕に勇気と希望を与えてくれた。彼は、本当にイエス様だけを信じて従っているから、そのようなことが言えるのだと思った。イエス様の光を信じて歩んでいる姿を見ていると僕も心から喜びがあふれてきた。彼を尊敬すると同時にイエス様の素晴らしさを知った。英語を学びに行った僕は、同時にイエス様のことを学んでいた。また、そこにはクリスチャンの先生もいらっしゃった。 その先生との個人的な会話で先生は言われた。「It is important for us to know the God in our life.」 同感だった。そのままそう感じた。そして、その時クリスチャンであるということの特権に感謝し、喜びが満ちあふれてきた。
ビリーグラハム大会で、僕は、日本語のプラカードを持つ係になった。横にも「カミール」と書いてあるプラカードを持っている中学生ぐらいの男の子がいた。その彼と話す機会があった。彼は、インドのクリスチャン。僕は、正直、驚いた。クリスチャンが決して多くないインド。クリスチャンが全世界にいて、全世界でイエス・キリストを賛美している。文化、国民性が全く異なる場所でもイエス様によってつながっている喜びを感じ嬉しくなった。
世界中で賛美されるほどイエス様は偉大な方。世界中どこを見てもクリスチャンはいる。これは他ではない唯一の神様であるという証拠だと言える。ビリーグラハム大会で痛感した。
もう一つ僕にとって喜びを感じることがある。それは友情である。教会の友達はやはり特別なものだと改めて思う。どんなときでも受け入れてくれる。どんなときでも頼れる。どんなときでも祈ってくれる。そのような友達が周りにいるということが喜びをくれる。イエス様を通して兄弟であるクリスチャンの仲間がいることに感謝したい。
これから僕は、イエス様の御名だけを信じてこの心から湧き上がる喜びを世界中に伝えていきたい。それがイエス様の十字架の愛に対しての答えであると信じて。
「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ」 マルコ16章15節
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝を持って祈と願いとをささげ、 あなたの求めるところを神に申しあげるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いをキリストイエスにあって、守るだろう。」ピリピ人への手紙4章6節7節
全世界に出て、福音を伝えていく。試練のときには神様に祈って生きていきたい。
韓国語では神様のことを「ハナニム」という。これは、三位一体である神様だから、「一」と言う意味の「ハナ」を含めた「ハナニム」と言うようだ。世界で唯一の「ハナニム」に委ねていきたい。
これからも神様の恵みを全て受けることができますように。

月報2005年8月号より

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