人物クロッキー、先生モデルお願いします!

人物を描くのは、難しいと思いますが、
まずは丸い顔と四角い身体でバランスを考えてみましょう。


スーツ姿が素敵ですね。


皆様、ハンサム描いてくれて、ありがとうございます。


皆で作品を見せ合うのも楽しいですね。
日常から離れて集中できる時間って本当に大切だなって思います。

モデル終わって錦織先生、聖書のお話をお願いいたします。

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今回はモデルをさせていただきながら、自分の今までの歩みについてお話をさせていただきましたが、自分にとって転機となった出来事はこの聖書の言葉に表されています。

キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。(ヨハネの手紙 第一 3章16節)

親からの愛を受けてきました。周りの人々の愛も受けてきました。しかし、本当に愛されていることを実感したのは、自分のような者のためにいのちを捨ててくださった方がおられたのだ、ということが分かった時でした。

3色の絵の具、水彩画で雲を描こう!

皆で、今年最後のクロッキー教室 を楽しみました。
絵の具と戯れアーティストになって、この1年に感謝しました。


色の3原色、赤青黄色の絵の具でだけで、たくさんの色が出来ますね。


白い絵の具を使わないで、雲って描けるのですね。


自分の心に広がる空のイメージを、思いっきり描いてみました。

アーティストになった後は、錦織先生から聖書のお話です。


もうすぐ、クリスマスですよね。

世界で初めてのクリスマス。2000年前にイエスがお生まれになったとき、天使が羊飼いに告げました。

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」
ルカの福音書 2章11~12節

この「しるし」というのは、目印である以上に「シンボル」です。
「イエスは飼い葉桶をシンボルとするような救い主だ」という意味です。
普通、「救い主」というと力のあるヒーローのような存在だと思います。当時のイスラエルの人々も、自分たちを支配しているローマ帝国をやっつけてくれる救い主を待ち望んでいました。でも、イエスはそのような人々の期待を裏切り、低く歩まれた方です。弱い小さな者たちと共に歩まれ、世の中で軽んじられている人々に目を留められました。

イエスはそのような方です。今も、私たち、小さき者たちと共に歩み、落ち込んでいる者たちや悲しんでいる者たち、自己嫌悪に苛まれている者たちに目を留めて、共に歩もうと招かれています。

この救い主の招きに応えて、感謝して、イエスと共に歩んでいきましょう。

オリジナルキャラクター、模写しよう!

絵の模写をする時には、画面をタイルのように区切ってから
位置を確認しながら描いてみましょう。
リラックスしてゆっくりひとつづつ楽しみましょう。


四角の中に線を移してていると、キャラクターのコピーが出来ますね。


頭を柔らかく、輪ゴムのように柔軟性をもって、
形を描いてから〜それぞれのキャラクターも出来ましたね!


個性的なアート作品を見せ合いっこも楽しい!


個性的な文字で〜今日の聖書の箇所

錦織先生からの聖書の聖書のお話です。

今日の聖書箇所は啓茶さんが芸術的な文字で上に書いてくださいました。

もうすぐ、Thanksgivingがやってきますね。Thanksgivingは日本語では「感謝祭」です。「感謝」するときです。

今日は感謝の2つのレベルについてお話ししましょう。

第一段階は「感謝すべきことを数える」です。私たちは感謝すべきことを忘れがちです。「ありがとう」という日本語は「有り難う」で、「あまりないこと」ですから、反対語は「当たり前」です。私たちが自分の周りに起こっていることを当たり前だと思っていると感謝できないですね。与えられているもの、状況、一つ一つ感謝しましょう。

第二段階は「感謝できないことも感謝する」です。聖書にあるように「すべてのことに感謝する」のです。自然に感謝できないことも、「感謝できるようにしてください」と神に求め、神さまの導きを信頼して、敢えて感謝するのです。

名画の作者は誰?3つに分けて模写しましょう!

9月はアートの季節の始まりです。NYの美術館も画廊も展覧会が始まります。
メイウッドの教会からも熱い情熱!
どっちの絵がゴッホ?セザンヌ?ゲームを楽しみました。

有名画の人物カードの絵合わせをしました。

好きな絵を模写してみましょう。


3つに区切って頭、胴体、足〜、バランスどうですか?
夏休み何してた〜?久しぶりの人達ともおしゃべりできました。

絵に集中した後は、錦織先生による聖書のお話です。

今日はマタイの福音書25章31−40節を読みます。
人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、羊を自分の右に、やぎを左に置きます。それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』(聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会)

イエスは世の終わりに、人々を二つに分け、一方の人々に語られます。「あなたは私が苦しんでいる時に手を差し伸べてくれたね,ありがとう」と。でも、その人々はポカンとして、「いえ、私はそんなことをした覚えはないです」と答えます。それに対して、イエスは言われるのです。「これらの最も小さい者のひとりにしたのは、私にしたのと同じだよ」と。

クロッキー教室がお休みだった8月、私たちはこのクラスに来られていた1人の方を天に送りました。突然のことで本当に驚きでしたし、またとても悲しい別れでした。しかし,今、その方は神さまの御許で安らいでおられる事でしょう。

その方はまさに、この聖書に出てくる人々のような方でした。弱い方、世の中では人の目になかなかつかない人々に心配り、声をかけ、支えてこられました。イエスはその彼女のあゆみに目を留めて、喜んでくださっておられるでしょう。

私たちも、周りにいるお互いのために、世の中では見逃されてしまうような人々のために、心を配り、愛を注いでいきましょう。

お絵かきゲームして、瓢箪を持つサマーガール!

夏っぽく帽子姿で達ポーズのモデルさん、
お父様の作品の瓢箪などをご披露いただきました。
瓢箪の栽培をしてから、こんな素敵な作品を作り、
子供達やお友達へのプレゼントだそうです。


ご実家は手作り作品に囲まれて、博物館のようですねっ!


タイトルは「瓢箪を持つサマーガール」
片手に瓢箪を持っています。


描く人だけがお題を見て、即興で描き、
お題を当てるお絵かきゲームも盛り上がりました。

ーーー錦織先生の聖書のお話ーーー

私は7月上旬に、西海岸やハワイの10くらいの教会が集まる集会に招かれて久しぶりにカリフォルニアに行ってきました。今から31年前のちょうど今頃、アメリカにやってきたとき、最初に住んだのがサンディエゴで、赤茶けた山々を見ながら、大変なところに来てしまった・・・と思ったものです。

しかし、このカリフォルニアの天候、実は聖書の書かれたイスラエル・パレスチナ地方とよく似ているのです。夏は乾燥して、草も枯れてしまい、冬から春にかけて、それほど冷えずに雨も降り、花が咲くのです。

聖書のいろいろな記述の中で、その地理的背景を知ると意味が変わってくることが時々あります。その一つが詩篇の23篇です。

主は私の羊飼い。
私は乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ
いこいのみぎわに伴われます。

私達はこのような聖書の箇所を読むと、なだらかな緑の丘で草を静かに草を食べている羊の群れ、そして、その羊たちをのんびり世話している羊飼いたちを思い浮かべます。しかし、聖書の書かれた地域の羊飼いは夏に草が枯れるような過酷な状況の中で、羊たちを養い、オオカミたちから守っていたのです。

神が私達を守り、養ってくださるということも、そういうことです。困難がない、安穏とした日々を与えてくれる、というのではなく、困難の中でも、私達を守り、支えてくださるのです。

タイトルは「三線を弾く女」・紙の立体

今日のモデルさんは、三線を持参してくれました。
三線の音と楽しいおしゃべりもそのままクロッキーしたいですね。


描き出す前に、人物の半分は、どこか?
全体のプロポーションを良く観察しましょう。


正面は難しいけど、膝をしっかり描いてみましょう。


紙とテープ作った立体を描いてみましょう。


自分だけの形、ユニーク大賞は誰ですか?

絵を描いた後は、錦織牧師から聖書のお話です。
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今月は誕生日が来て、次の大台に乗りました。
ここまでの歩みを振り返って、神さまが守り導いてくださったことを感じています。

聖書にはこんな言葉があります。

あなたの目は胎児の私を見られ
あなたの書物にすべてが記されました。
私のために作られた日々が
しかもその一日もないうちに。

詩篇139:16

アメリカに来たこと、道が閉ざされて、半ば失意の中で、NJに来たこと。でも、NJに来て、この教会に出会って、ここで歩ませていただいていること、それも神さまの導きの中にあったことを感じています。

そして、ここまで導いてくださった神さまは、これからの歩みも導いてくださると信じています。

積み木を描き立体を意識してから人物画

積み木を描いてみましょう。
見えない部分も描いてください、形がつながりますか?
手前の線が長くて奥の線の方が短いという遠近法の法則も意識してみましょうね。

タイトルつけるのも頭の体操になります。
人物の体も積み木のように考えると、首が安定しますね。


まず、頭の位置と大きさを決めましょう。
そして、エアードローイングしてからリラックして描きましょう。


「美人に描いてくださいね」モデルさんからのリクエスト、
個性豊かな作品ができました。

絵を描いた後は、錦織牧師から聖書のお話です。

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卒業式シーズンで新しい道を踏み出した方々もおられることでしょう。
そして、私自身もこれからの道を考えるときにきていると思います。
どのような道を選ぶとしても、すべての人が歩んで欲しいと神が求めておられる道があります。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6)

イエスは「私が道を教えよう」ではなく、「私が道である」と言われました。それはイエスが十字架によって、私たちの罪を負い、神への道を開いてくださったからです。私たちもこの道を選び取って、歩んでいきましょう。

クロッキー的発想で……「April」を絵に!

「April」、意味は4月で春のイメージ。でもよく見れば5つのアルファベットがいろんな線や形を描いてならんでる。それをよーく見ていると何かに見えてきませんか。今日の最初の課題は、「このアルファベットに自由に線や形を加えて、自分の思う絵を描いてみましょう。」

 

時間をかけずに思いつくまま手をうごかしてみましょう。こんな楽しい世界が生まれましたよ。生徒さんの作品。

2つ目の課題は人物画のクロッキー。時間は10分くらいで、ダーマトグラフという濃い色の鉛筆で描きます。そして、一枚の紙の中に上手く収めるためには、何よりバランスが大事。鉛筆を使ったり、デザインスケールをつかって位置を決めてから描き始めます。

啓茶先生の的確な指導で、いつのまにかみんなコツを覚えていってるようです。最後に、みんなで作品を見せ合うのも楽しい時間となっています。

 

絵を描いた後は、錦織牧師から聖書のお話です。

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私は教会で育ちましたが、高校生の時に「本当に神はおられるのだろうか?」と悩んだこともありました。その時に、私は自然界の中に神の存在を感じました。木の葉の葉脈を見ながら、これを神が造られたのだと、受け取ることができました。

 

聖書の中にはこのような言葉があります。

 

なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。(マタイ6:28-30)

 

神はこの自然界を造られただけではなくて、今も、自然界に心を向けて、野の花を着飾らせてくださる、それ以上に、あなたのことも心にかけておられるんだよ、だから、心配しないで大丈夫だよ、というのです。

 

神様は私たちのことを心にかけておられます。ですから食べるもの、着るもの、心配しないで、神様を信頼していきましょう。何よりも、神様に愛されていることを感謝して歩んでいきましょう。

 

錦織牧師

 

🍌バナナアート、やって楽しく食べても美味しい芸術🍌

日本のテレビ番組「プレバト」をご存知ですか。俳句を中心に、水彩画、消しゴムハンコ画、シャッター、絵手紙、盛り付け、生花、貼り絵・・・など芸能人が素晴らしい才能を見せてくれる番組です。今日はMさんが、その中から家族みんなですぐに楽しめるバナナを使ったアートを紹介してくれました。

色鉛筆画も素晴らしいアート‼︎  プレバトの作品を見ながら、 色鉛筆の選び方で絵の具の3原色とは違う発色のおもしろさも説明してくれました。

バナナにいきなり針や爪楊枝でチクチク描き始めます。バナナの使い方は自由、縦、横…。色の濃さは、針を刺す数や深さ、時間によって変化します。

可愛い動物たちが現れました。・・・「才能アリ‼︎💕」・・・

今度はバナナとお皿を見ながら、発想を自由に飛ばしてクロッキー画!

啓茶先生とみんなの作品を鑑賞しコメントをいただきました。

誰にでも簡単にできるバナナアートは、五感でアート能を刺激してくれると思います。是非一度お試しあれ!!

続いて錦織先生の聖書のお話です。

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最近、家族から「テレビの音が大きい」と言われることが増えてきました。ずっと「単なる好みの問題だろ・・・」と思っていたのですが、昨日、他の集まりで「ん?右の耳で聞くときと、左の耳で聞くときで聞こえ方が違う・・・」と気がついたのです。

それで、今朝アプリで「聴力検査」を探して、試してみたら、なんと「高度難聴」!お医者さん行かねば・・・と思っているとこです。(その後、静かなところで落ち着いてテストしたら、そこまでは悪くないようですが、ちゃんと調べないといけないですね・・・)耳を大切にしないといけないですね。

そこで、今日はこの聖書の箇所を紹介したいと思いました。

マルコの福音書 7章31~37節

イエスは再びツロの地方を出て、シドンを通り、デカポリス地方を通り抜けて、ガリラヤ湖に来られた。人々は、耳が聞こえず口のきけない人を連れて来て、彼の上に手を置いてくださいと懇願した。そこで、イエスはその人だけを群衆の中から連れ出し、ご自分の指を彼の両耳に入れ、それから唾を付けてその舌にさわられた。そして天を見上げ、深く息をして、その人に「エパタ」、すなわち「開け」と言われた。すると、すぐに彼の耳が開き、舌のもつれが解け、はっきりと話せるようになった。イエスは、このことをだれにも言ってはならないと人々に命じられた。しかし、彼らは口止めされればされるほど、かえってますます言い広めた。人々は非常に驚いて言った。「この方のなさったことは、みなすばらしい。耳の聞こえない人たちを聞こえるようにし、口のきけない人たちを話せるようにされた。」

この人は耳が開かれたときに舌のもつれも解けた、のです。

この順番が大切です。

何を聞くか、ちゃんと聞いているかによって、語る言葉が変わります。どんなインプットがあるかによって、どんなアウトプットが生まれるかが変わるのです。

積極的な励まされる言葉を聞いていれば、そのような言葉が自分の口からも出てくるのです。神様からの愛の言葉、励ましの言葉をいつも聞いて、人を励まし生かす言葉を出す者とならせていただきたいですね。

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NYCのアート: エドワード ホッパーの愛するニューヨーク

今月は、アメリカNJ出身のアーティスト、エドワード ホッパーを啓茶先生が紹介して下さいました。現在NYCホイットニー美術館でEdward Hopper’s New York 展が開催中。先週啓茶先生が見てこられ、そのデッサン力にあらためて魅了されたそうです。光と影、空間の使い方、人物や建物….。確かなデッサン力に裏打ちされた画集の作品群は、彼の穏やかな性格が現れ、見る人々を20世紀初期のニューヨークの世界に優しく誘ってくれるようでした。

今日のクロッキーは、エドワード ホッパーの妻のデッサンを参考に、人物の上半身を描く練習です。

人物画のモデルは、本当のモデル8頭身のKさん。上半身だけなのは画面に入りきらないから?

まずはバランスをよく見てから書き始めましょう。

Zoomで参加の皆さんも、特徴をよくとらえて素晴らしい!!

 

クロッキー教室で右脳を使った後は、錦織先生の聖書のお話です。

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年末になると清水寺で1年を振り返って「今年の漢字」って発表されますが、わたしも2023年を始めるに当たって、「今年の漢字」を考えてみました。

それが・・・

「浸」

ちょっと、なんで?と思うかもしれませんが・・・

まだ日本にいたときに、とてもお世話になった牧師さんがこんなことを言われていました。

「自分が穴あきバケツみたいに感じることはないか?汲んでも汲んでも水が漏れてしまう、役に立たない穴あきバケツみたいだなあ、と思うこと。でも、そんな穴あきバケツに水をいっぱいにする方法があるんだ。分かるか?」

・・・・うーん、穴を塞ぐ?

「それって、なかなか難しいよな、もっと簡単な方法がある、それはその穴あきバケツを水がいっぱい入ったもっと大きな水槽にドボンとつけてしまうことだよ」と。

なんかだまされたような気がしましたが、牧師さんは続けました。

「その大きな水槽の水は神様の大きな愛、そこにドボンと浸かってしまうことで、私たちの心も満たされるんだよ」と。

そんなことを思い出して、今年は「浸」でいこうと思いました。

心が渇いてしまったときには、神様の愛にどっぷりと浸かって、満たして頂きましょう。

マタイによる福音書11章28-30節

<新改訳2017>
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心が柔和でへりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば、たましいに安らぎを得ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

<The Message訳>
Are you tired? Worn out? Burned out on religion? Come to me. Get away with me and you’ll recover your life. I’ll show you how to take a real rest. Walk with me and work with me—watch how I do it. Learn the unforced rhythms of grace. I won’t lay anything heavy or ill-fitting on you. Keep company with me and you’ll learn to live freely and lightly.