「神の見えざる手」

私は、米国に来て3年目の1993年5月に洗礼を受けました。いとこが30人以上いる大家族の出身で、初穂としてクリスチャンとなった者としては、大好きなイエス様を家族に伝えたいという思いをいつも持っていました。 たまに里帰りをすると、家族を教会に誘い、母は何回か来てくれましたが、説教中に居眠りしてしまう姿を見てはがっかりしていました。 錦織先生が日本に行く際は、『家族を訪問しますよ。』と言って下さっていましたが、母に勧めても、『今回はいい。』と言うのでした。 教会に来られた人や、同僚・友人などにイエス様を伝える機会は多くありましたが、私はまだ一番身近な家族に福音を伝え切れていない、という思いが常にありました。

それから時は流れ、70代半ばになった母に認知症の症状が現れ始めた、と弟から聞くことになりました。 アメリカから電話をすると、会話は極めて普通でしたので、まさかと思いましたが、里帰りし、実際会ってみると、5分間に同じ質問が何度も繰り返されました。 フレンチ・レストランでは、こどものように無邪気な笑顔で、ごはんとみそ汁が欲しいと駄々をこねる有様でした。 私はずっと親から庇護されてきた存在でしたが、今やそれが逆転し、これからは親をサポートしなければならない、そして時間は有限なのだと悟ったのでした。

主の慈しみは決して絶えない。 主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。(哀歌3:22)

時とともに母の認知症は進行し、家での世話が難しくなり、弟は母を実家近くの施設に入居させました。 COVIDで里帰りが難しい時期には、よく施設にいる母とビデオ通話をしました。 そんな中、私は2023年5月に失業しました。 私は、大きな喪失感の中にいましたが、急に時間が出来たので、その月に母に会いに日本へ行きました。 母は私と息子の来訪を喜んでくれました。 そして、心がとても柔らかく素直になっていました。 私は何かに促されるように、イエス様の十字架と復活や、罪からの救いが必要であることを話し、母の手を握って、『イエス様を信じようね。』と、勧めました。 母は、『とてもいいお話だね、そうするね。』と言い、一緒に罪が赦されたことを感謝するお祈りをしました。 失意の中にいた私に、神様は大きな慰めを与えて下さいました。 米国に戻り、錦織先生に母の信仰告白を報告すると喜んで下さり、どのように次(洗礼)に進めていくかを話をし始めました。

その後再就職し、2024年7月に日本に出張する機会がありました。 奇しくも(いえ神様のご計画で)錦織先生も日本への出張があり、先生の日程の最後と、私の日程の初めが一日だけ重なっていました。 そこで、私たちは一緒に母の施設に行き、信仰を確認出来れば、洗礼を授けようと計画したのです。 これこそ神様が備えてくれた千載一遇のチャンスだと思い、施設訪問の予約を行い、その日を数えて待っていました。 教会の友人は、サタンの邪魔が入らないように、そして高齢者施設でコロナが広まって訪問できなくなるような事態が発生しないようにと祈ってくれていました。

ところが、何と私の出発直前に錦織先生から、『コロナに感染した。申し訳ないが、その後の予定は全て中止せざるを得ない。』と連絡が入ったのです。 『えー。本当? こんな機会は二度と来ないでしょうに。神様、どうしてこのようなことになるのですか!?』 私は高齢の母の洗礼を心待ちにしていたので、大きなショックでした。 母がコロナにかからないようにとは祈っていましたが、錦織先生のコロナの為には祈っていなかったのです! このことを悔いました。

これを聞いた友人は、『錦織先生のご家族や、地元の牧師先生に施設に来てもらえないか相談してみれば?』と言ってくれました。具合が悪い先生に調整をお願いするのは気が引けて、すぐ行動できませんでした。が、2-3日後には考えを改め連絡すると、先生はすぐに動いてくれました。 錦織先生の日本のご家族は教会の修養会に参加され、そこでコロナになってしまった方が多かったようでしたが、感染を免れた兄上の錦織寛牧師が代わりに来て下さることになりました。

寛先生と施設に訪れ、再び母にイエス様の話をしました。 『お母さん、何も心配することはないよ。イエス様が私やお母さんの失敗や罪の為に死んでくれたから。 イエス様を信じれば神様の子どもとして、死んだあとも天国で永遠の命をいただくことができる。』 『このことを信じて 洗礼を受けますか?』との問いに、母ははっきり『はい。』と答えました。 そして、2024年7月25日に母の部屋で洗礼の恵みにあずかりました。 あれほど明確に答えられたことは驚きであり、心から神様に感謝しました。 その時、寛先生は『たとえお母さんが忘れたとしても、神様はお母さんが信じると言われたことを決して忘れませんよ。』と言ってくださり、私の目には高価でたっとい(イザヤ43:4)という聖書の言葉を書いて下さいました。

母はそれからすぐ要介護4となり、車椅子での生活になりました。昨年の6月には、食べられなくなったので、終わりが近いようだと連絡があり、すぐに日本へ飛びました。 施設に着くと、申し合わせていなかったのに、寛先生と奥様が母の部屋にいてお祈りをされていました。 暫くすると弟も到着し、寛先生を弟に紹介する機会となりました。  弟に、母はクリスチャンになったので、葬儀は教会でしたいと言うと、同意してくれました。

残りの日は短いと思っていましたが、神様はその後も半年ほど生かしてくださいました。12月に入ってから昏睡状態となり、弟はその頃から寛先生に連絡を取るようになり、葬儀のことなどを相談していたようです。そして、12/14に苦しむことなく、88才で老衰により召されていきました。

神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

私が12月に帰国できなかったので、1月に寛先生が牧会される東京中央教会でメモリアルをしていただくことになりました。 この為に里帰りし、打合せも兼ね、弟と共に東京中央教会に行きました。 弟にとっては教会デビューであり、初めて共に主日礼拝に出席することができました。

1/21のメモリアルでは、弟とその家族、父が他界して以来40年ぶりに会う、従兄弟、従姉妹たち、錦織先生のご両親など、約二十名が参列しました。 讃美歌が流れ、聖書の言葉が読まれる中、私は、母の人生を振り返りながら、どうして葬儀を教会で持つことになったのか、そして今は母が天国で永遠の命を生きていることを証ししました。

葬儀の後、弟は遺骨を父が入っている浅草の寺の墓に入れようと考えていたようです。 ところが、住職に依頼すると、『お経とお参りをしないといけません。戒名も必要。一番安いものは30万円ですが、一番安いものにする人は殆どいないんですよ。』と言われたのです。

それを錦織先生に伝えると、『教会にお墓があるのではないですか?教会員なのだから、聞いてみたら?』とのこと。 『えっ、教会員?』考えもしなかった言葉でした。 教会に行ったこともない母でしたが、寛先生に洗礼を授けていただいたがゆえに、東京中央教会の教会員になっていた母。 お伺いしてみると、教団のお墓があり、入れていただくことが出来るとのこと。 弟は、母の納骨手続きをしていただく中で、教会は拝金主義ではなく、イエス様を伝える為に全てのことを行っていると理解したようでした。

母に洗礼をと計画していたあの時、錦織先生がコロナに感染してしまい、落胆しました。 しかし、神様は私の思いを遥かに超えて働かれていました。 代わりに寛先生を備えて下さり、母の受洗から始まり、日本にいる家族や親族が福音を聴く機会が何回も備えられてきました。

弟夫婦は、教会の合同納骨式にも参加します。 納骨式は4/4(土)でイースターの前日ですから、永遠の天国の希望が高らかに語られることと思います。

弟は、かつては母のように、教会に行くように勧めても、耳が閉じられていた者でした。 しかし、今や彼にとって教会の敷居は高いものではなく、いつでも行くことが出来ます。 いつでも牧師先生に連絡することが出来るのです。 母を救った神様は、ほかの家族をも神様の時に神様の方法で救ってくださるのです。 そのことを今、先取りしてイエス様に感謝します。 アーメン。

信じるなら、神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。(ヨハネ11:40)

「20年後の今」

私は2006年にNJのある教会で洗礼を受けております。この文章製作により、今年2026年1月にしていただいた会員入会式がちょうど20週年目の年だと気付きましたが、これも証しの一つかもしれません。

はじめて自分の経験を文章にする機会に、いままでの20年間を振り返って考えてみました。イエス様に見つけられ、以前の自分ではなくなった事、その後のさまざまな経験は、最初から導かれ何かにデザインされていたのかな、と思います。その過去の長い間にしてきた、どんなに苦しい時でも心の落ち着きと平安をくださる「祈り」とは、おまじないでも、直ぐに何か状況を変える(事もありますが)ようなものでもありません。物事は偶然かのように、とても自然に長い期間でもの事が動くため説明にも掴みどころもありません。また、その長い期間の中で、それぞれ自分にだけ心当たりのあるインダイレクトに知らされるメッセージやふとした不思議な思い付き、きっかけなどは、とてもパーソナルな事で、自分でも何かよくわかりません。でも、その時点では祈った結果が反対でも、自分の器量に合って結果ふさわしく収まることが多いです。不思議に思えば思うほど、更なる祈りへと連ねられ、あまり苦しまなくてもよい程度の状態へといったん落ち着かされ、そして又、新たな神様にすがらなければならない問題とともに毎日を現在進行して今があります。目に見えない霊的な働きを今でも不思議に思うわたしを、更なる信仰へと導き、祈りと忍耐を持続させるための状況を与え、操り、働かれるのが、神様こその御業なのだな、と、いつも思います。「愛する者に試練を与え」、それは、「耐えられないほどの試練に遭わせることはない」、そして 「思い煩ってはならない」とも聖書で数回教えられていますが、神様への信頼と不安定な自分の信仰との模索の毎日です。そして祈ることから離れていると、気分が淀んでくるのがわかります。今は、主日(日曜日)の礼拝だけは第一に守るように、と訓練中です。以前、毎週日曜日の仕事の予定をことわった後すぐ、その仕事が倍になったことがあります。その逆の経験もありまして、主日(日曜日)を選ばずにした企画がみな大失敗に終わったこともあります。

去年のイースターからJCCNJの礼拝に行き始めて以来、神様が明らかに私を助けてくださいました。教会へ行きはじめたのは、働いている学校や、移動、変わり目などの影響で、実は、その時期は本当に経済的に落ちこんだ時期でした。心配と不安な毎日でしたが、それでも半年ちかく、まわりの方々のたくさんの証し、協力、励ましとともに教会へ行き続けてゆくうち、ある時期に入って突然思ってもみなかった人や、昔の知り合いの家族など、全く予想外の人たちから同時に連絡が来るようになりました。ある知らないクリスチャンの学生からは、「祈っていたら私のところに繋がった」と言われましたが、それには驚きました。自分の祈りも自分で信用できない時もありますが、そのクリスチャンの学生を通して、私の全てについては全く神様に知られていることを再び納得しました。そして、これらの出来事はすべて経済回復につながる結果となり、しかも全く無理を必要としない環境へと導いてくださいました。神様はわたしを試されたあと、明確にその時期の経済状況を変えて下さったのです。

最近の事では、長いあいだ絶対に欠かせなかったサプリメントを飲んでいましたが、気がつくと何故か全く問題がないので購入の必要がなくなりました。とても感謝しています。

再びですが、神様が恵みを与えて下さる前には、試練と新たな信仰ステップの時期が必要ということも今まで以上に学びました。その試練を乗り越えられるまではとても落ち込む事もありますが、今では、「又次のテストが来た」、と、はっきり思えるようになりました。良いことがあって浮かれていると、又、悩みや苦労が訪れます。その厳しい状況の中でもイエス様は、「どうしても必要な事は一つだけ」(ルカ10:42)であり、どんな時にも、まず神様をほめたたえる事が私達の使命だと教えられています。「栄華を極めたソロモン」(マタイ6:29)でさえも、幸せを追求し、いつの時代でも日の下で繰り返される人間の虚しさを語った最後で、「結局のところ・・・神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである。」(伝道者の書12:13)と、ありますが、私にもその結論しかありません。しかし、イエス様は、「主よ、主よ、という者ばかりが・・・」 御心に叶うわけではない、とも指摘されました。自分の解釈に走り、自分のことだけで精一杯な今現代の生活の中で、神の声に見聞き、従う、御心を行う、というのは実のところどういう事なのかな、とよく思います。

どうか、私の全てを見通されている神様御本人、イエス様の御旨にすこしでも近づくことができますように、Amen。

出会いの中で神の愛は実を結ぶ

JCCNJに来て初めての証となります。どの様にして私が神様、イエス・キリストの救いに導かれたか、初心に帰る気持ちを込めて証ししたいと思います。

私は2004年のクリスマスに洗礼を受けました。
当時アリゾナ州ツーソンの大学に留学しており、神様を通して多くの出会いが与えられました。今振り返ると、そのすべてが神様の導きだったのだと確信しています。

留学先で日本語を勉強しているアメリカ人の友人と出会いました。
彼は長身でたくましく、革ジャンを着たワイルドなタイプで、私が思い浮かべる「ザ・アメリカン」な学生でした。でも彼は信仰によって人生を大きく変えられたクリスチャンでした。最初の私はキリスト教や「宗教」という言葉に苦手意識がありましたが、彼の人柄には惹かれるものがありました。

やがてその友人を通して日本語教会の牧師さんと出会い、教会に足を運ぶようになり、断れず(笑)バイブルスタディーにも参加するようになりました。正直最初は気が進まなかったものの、聖書を読み進めるうちに、創造主なる神の存在と、イエス・キリストの愛を少しずつ感じはじめました。

それでもなかなか信仰告白には至りませんでしたが、アメリカ人の友人、牧師さんは神様の愛について語り、私のために祈り続けてくださいました。

牧師さんがいつも語っていた言葉があります。

「人は行いではなく、信仰によって救われる。」

すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。
ローマ人への手紙 322

自分が何かを良い行いを行ったからではなく、「ただイエス・キリストだけを信じるだけで良い」のだということを教えていただきました。

ある日のバイブルスタディーの後、牧師さんに「神様は耕太郎君のことを心から愛しておられます。イエス・キリストがあなたの罪のために十字架で死んでくださった耕太郎君はその愛を受け入れますか?」と尋ねられました。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
ヨハネの福音書 31617

いつもであれば、「いえ、もう少し考えます」とか、「いや、まだ大丈夫です」とか言っていたはずですが、

そのとき私は、「愛されているなら、それをわざわざそれ拒む理由もない」と感じ、素直に「はい」と答えることができました。それが私の信仰告白、そして信仰によって救われた瞬間でした。

“なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」”
ローマ人への手紙 10章9~11節

その後すぐ、心がスーッと軽くなり、「自分は神様に愛されている」という平安に満たされました。信じるという行為は思っていたよりもずっと単純で、そして深いものでした。その時、神の聖霊の力が働いていたということは後から知ることになりました。

“ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。”
コリント人への手紙 第一 12章3節

クリスチャンになってからも帰国後に教会から離れた時期や、霊的弱さを感じる時期もありましたが、でもイエス様は私を引き戻してくださりました。イエス様を信じることで、私は少しずつイエス・キリストに似た者へと変えられていることを感じています。

私は「君は愛されるために生まれた」という賛美の歌が好きです。その曲の中にある「永遠の神の愛は、われらの出会いの中で実を結ぶ」という歌詞が今の私の思いをよく表しています。神様の愛を知ることができたのは、すべて神様が用意してくださった出会いがあったからです。

信じたからといってすぐに何かが劇的に変わったわけではありません。けれど「愛されている」という確かな安心感の中で歩むことで、少しずつ私が変えられてきたのだと思います。

あの時、神様の愛を受け入れ、信仰の一歩を踏み出せたことを心から感謝しています。

これからも信仰と愛をもって教会の兄弟姉妹、そして神様共に歩み、神様の愛を伝える出会いの一端を私も担えればと思っています。

聖霊様に従って歩む

私が単身でアメリカに来ることを決めた、神様の計画と導きを証したいとおもいます。

私が高校生のとき、ある預言の賜物をもつ先生に祈っていただく機会がありました。
そこで言われた2つのことがすごく心に残っています。
1つ目は、「あなたは将来色々な国に行くようになるでしょう」
2つ目は、「聖霊に従って歩みなさい。そうすればあなたは大きなものを動かすようになるでしょう」

これを言われた時は海外にも行ったことがほとんどなく、ただ神様は自分に計画を持っておられると知って嬉しかったことを覚えています。
そこから数年経って大学でフランス留学をし、その後就職した会社では海外マーケティングの部署に配属され、色々な国に出張する機会がありました。
そんな中で「アメリカ赴任」の話があがりました。

結婚してからも仕事の関係で遠距離をずっと送ってきた私たち夫婦は、その話が出る少し前に、ようやく一緒に暮らせるようになった最中だったので、私だけアメリカに渡るということに、最初はかなり後ろ向きな感情・不安が渦巻きました。
何の不安もなく安心できている場所から、一歩踏み出すということは本当に勇気のいることでした。また夫婦は一緒にいましょうという中、あえて離れる選択をするのは罪なのでは?と思い悩みました。

ただ、これがもし神様の計画だったら必ず祝福があると思い、道が開かれると思い、祈りました。そして、もしこれが御心ではないのであれば完全に道を塞いでください、と祈りました。

祈り始めてから多くの変化がありました。
・同期の仲の良い友達が同じタイミングで同じ場所に赴任することになりました。
・新入社員の時からずっと面倒を見てくれていた上司がアメリカ会社の社長として赴任することになりました。
・現地の上司が不在でかなり負担がかかると聞いていたところに、素敵なドミニカ人上司が入ってきました。
・知り合いがNJ日本語教会の人を紹介してくれました。

他にも私の背中を押すような、不安を和らげるような出来事がたくさん起こり、これは神様の計画なのでは?と思える環境が整えられ、行くことを決意しました。

そして赴任して1年半が経ちました。
夫婦関係は守られ、職場でもクリスチャンの上司が与えられ、祈り合う教会の仲間ができたことに心から感謝します。
ただ最近、自分の力で頑張って苦しんでしまう場面が増え、もっと神様に祈り委ねる、聖霊様に導いてもらう経験をしなければならないと感じています。
アメリカ生活残り半年、もっと神様を見上げて、神様の計画・御心を祈り求めて行きたいです。

最後に私が赴任を決めた際の聖書箇所をシェアします。
「パンをねだる子どもに、石ころを与える父親がいるでしょうか。魚を食べたいという子どもに、ヘビを与える父親がいるでしょうか。いるわけがありません。罪深いあなた方であっても、自分の子どもには良いものを与えたいと思うのです。それならなおさらのこと、あなたの天の父が、求める者に良いものを下さらないはずがあるでしょうか。」
マタイ 7:9-11

「神さまのなさること」

私は、来年70歳になりますが、これまでの人生で最も嬉しいこと、誇れることは、神様と出会いクリスチャンになったことです。

「しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである」(ヨハネによる福音書1章12節)

プチ証し1
23年前(2002年)に、このNJ日本語キリスト教会(JCCNJ)で洗礼を受け、クリスチャンとなりました。
そのころ、私は米国の会社に勤めており、ユダヤ人の同僚に、「今度洗礼を受けることにしたんだ」と言いましたところ、即座に「Congratulations!(おめでとう!)」と言われ、握手を求められました。
私は、「洗礼を受けることは、おめでたいことなんだ~」と、とても新鮮な発見をした気持ちでした。
それから数日後、実際に私の受洗の日、皆さんから「おめでとう」「おめでとう」と言われ、握手やハグの嵐。なるほど、日本人のクリスチャンも受洗した人には「おめでとう」というものなんだ、と、初めて思いました。
何ヵ月か後に、この教会で私の次の受洗者が与えられました。私は、この時とばかり、自分の時に教わった挨拶言葉「おめでとう」と言い、その受洗者にハグしました。
そうしましたら、どうしたことか、急に後から後から涙が出てきて、もう嗚咽が止まりませんでした。本当に嬉しかった!
それからは、毎回、洗礼式のたびに、牧師が受洗者の頭に手を置いて、右手を高々と上げ、
「我、父と子と聖霊の名によって汝にバプテスマを授ける。子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は許されたのだ」と言ったとたんに、涙が溢れ出て、カメラのファインダーを覗くふりをして隠すのに必死です。

プチ証し2
クリスチャンとなった後で、会社の米国人のクリスチャンの同僚と宗教の話題で話をしたことがありました。彼女は「ほとんどの日本人は仏教徒なのか」と尋ねました。私はちょっと考えて、「いや、ほとんどの日本人は、仏教徒とは言えない。宗教というものを持っていないと思う」と答えましたところ、彼女は目を丸くして驚き、「信じる神様(仏様)が無くて、どうやって生きてゆけるの?」と、ほとんど絶叫していました。
ある時、台湾に出張したときのこと、台北で1,2の大銀行の頭取と会う機会がありました。
その女性頭取は、約束の有名な寿司店に、見たこともないほど大きなロールスロイスでやってきました。「台北中の信号機は、この車が通るときは全て青信号になるように警察が調整するのだ」と、ドライバーが言っていました。
彼女は50代くらいの日本人で、クリスチャン。若いころピアノの先生として台湾に来て、先代の頭取と20代で結婚し、そのご主人を最近亡くされ、頭取となったのだそうです。
「それは、さぞご苦労されたのでしょうね」と言いましたら、「神様がいなかったら、これまで私は生きてこられなかった」とおっしゃいました。その淡々とした話しぶりが、本当にたくさんの辛い目に会われたであろうことを物語っていました。もう、私は涙でぐちゃぐちゃになり、高級なお寿司を涙と共に口に押し込んでいました。

プチ証し3
私は、前の妻を25年前に米国で亡くしました。それがきっかけでJCCNJに通うようになりました。
教会に通い始めて2年ほど経ち、牧師や周りの方々から、「そろそろ洗礼受ける?」などと囁かれ始めていました。
聖書の学びも行い、心を打たれる御言葉にも出会いました。しかし、神様を信じて、洗礼を受けることがどうしてもできない理由がありました。それは、イエス様が起こされた奇跡です。死者を蘇らせる奇跡、そしてイエス様ご自身も、十字架で死なれて3日目に蘇り、今も生きておられる。これらの奇跡が、自然科学を学んだ者としてはどうしても信じられませんでした。
「そこだけ目を瞑って受洗してしまえばいいじゃないか」とも少し思いましたが、そこは教会もしっかりしています。洗礼式で受洗者に尋ねられる唯一の質問は、「あなたはイエス様があなたの罪のために十字架につけられ、3日目に蘇られたことを信じますか?」
「あぁ、そこ訊くか?!」 こうはっきり訊かれたら、ま、ここだけは目を瞑って、、、とはいきません。そこでいつまでも決心できずに、時だけが経っていました。
2002年、妻が亡くなり2年もたつので、久しぶりに当時12歳の娘と、初めて2人で旅行に行きました。
娘と並んで歩いていると、誰か別の人の気配がします。周りをキョロキョロ見回してみても誰も居ません。しかし、歩いていると、確かに人の気配がするのです。
その人はついには話しかけてきて、「何をいつまでも迷っているの? 私はここに居ますよ。永遠の命を信じなさい」と。確かに妻の声でした。
私は、旅行から帰って、錦織先生のところに飛んで行きました。「先生、洗礼受けます!!」
それから一度も亡くなった妻の声を聴いていません。
私たちクリスチャンは、地上の生涯を終えると故郷である天国へ帰ってゆきます。決して亡くなった後に霊が地上をさまようことはありません。あの時の妻の声は、神様の声だったのだと今は確信しています、
神様は、本当に必要な時には、想像もつかない方法で、私たちを支え、導いてくださいます。

私は、この70年の半生で、最も誇れることは、神様を信じ、クリスチャンとされたことです。

「いばらに落ちた種」

聖書では「いつも喜んでいなさい。・・・すべての事について感謝しなさい。」(第1テサロニケ5:16~18)と書かれているが、自分は疲れて一人でいると、「人生厳しいな」「人生が俺を押しつぶしている」とつぶやく。
自分の親世代も自分もそうだったのに、子世代ももしかしたら大変な人生になるのでは・・・、こう考えると周りがさらにグレイに見えてくる。自分に対しても「失敗だらけだったが輝いていた青春時代も終わり、老いぼれた体だけ残ってしまった」と思うと、増々悲しくなってくる。
しかし、周りの状況や自分の人生を振り返ると、確かに主が共におられ祝福してくださっている。これを疑ってはいない。たまに感謝の言葉が自然に口からこぼれるくらい、祝福された人生だと確信している。
ただ自分という人間は単純でなく雑念が多いから、いつも喜ぶことはできない。これこそ、いばらの中に落ちた種の比喩その通りだと思う。率直に神様には感謝するが、不満も抱いている。(主に言いたいことは山ほどあるけど…)
自分なりに頑張っても生活が相変わらず厳しいのは、自分の能力不足や不信仰のせいだと認めざるを得ない。しかし長年頑張っても問題は解決しなかったり、解決するどころか出口さえ見えない時も多い。
それは親世代も一緒だった。父親は失われた子羊のような人生だったが、母親はシッカリした人で、いくら厳しい状況の中でも神様だけを握って歩んでいた人だった。「やり過ぎだ」という不満は家族の中にあったが、本当に死ぬほど頑張ってそれで亡くなった(悲)。
自分を含め三人兄弟だが、三人ともそれぞれ夢見ていた世界に入るため頑張ってきた。当時、社会の雰囲気かも知れないが、皆が明日は良くなるという希望を抱いて生き、ひたすら走ってきたと思う。できれば神様に頼らなくても人に自慢できるほどの人生、人の上に立つ人生になりたかった。自分も兄弟達も若かった時代と比べ、確かに金銭、地位、環境の面で良くなってきた。しかし人生はやっかいな奴で、新たな試練を次々と投げつけてきた。
親はすでに逝ってしまい、兄弟達も今は教会からは去っている。
親が死ぬ前や、子供達の不登校、兄のアル中、息子の自閉症等々助けてくださいと 大きな山に遭う度に神様にすがったが、特に答えがなかったように感じる。妻からは「神様から訓練されているから感謝しよう」「天に宝が積まれている」と言われるが、心に響くどころか「俺の人生、訓練で終わっちゃうなぁ」と反発の気持ちが浮き上がってくる。
主の答えを求め、ペンテコステ派の教会へ流れていき長年通った。妻の道代は満足していたが。そこで「自分の信仰が足りないから、積極的に求めてないから」答えが無いかなと感じた。周りで「解決された」「勝利した」 「悪霊に打ち勝った」と 毎週、喜びの声が上がる中、自分はその集団には入れない不信仰な者かなと感じ、増々心が重くなっていく日々だった。
アメリカに行けば何か変わるかもという漠然な期待を抱いて渡米したが、新たに様々な問題に溺れていた。
勝利の証を期待した方をがっかりさせてしまうかもしれないが、すべての問題はそのまま解決されず残っている。しかし最近、黙想する中で「神様から離れられない、神様無しでは何もできない、主のいない人生は考えられない」これこそが、神の真の祝福だと感じ始めた。
人生を振り返ると、自分の願いに答えが無いと不平不満だった。イスラエルの民のように、マナとウズラを、死なないくらい一日に少しずつしかくれないと不満だった。沢山くれれば自分は幸せになるのにと呟くばかり…。しかし黙想してわかったのは、もし自分は描いていた人生を手に入れたら、きっと教会から離れたと思う。
また殆どの場合、自分の願いが何なのか不明確で、自分も具体的には分からなかった。
奇蹟を描いていたある映画を観てから、自分の人生を振り返り、神様がどのように自分の人生を導かれたかを思い出してみた。自分が願っていた女性と共にいて、家に帰るとこんなに可愛い子供達がいる、幼い頃憧れていたアメリカで家族と一緒に住める、子供達も重大な問題は起こしてない ……… 何よりも自分は神様から離れては生きれない。神様から離れるという選択肢も無い。
若い時期、「クリスチャンは都合よい集団だ」と批判的に見たが、いつの間にか自分も都合のいいクリスチャンのおっさんになっていた。しかし考えてみれば、これこそ『一番の祝福』だと思う。
自分にとって都合がいい、弱い人間かもしれないが、神様から離れられない。これこそ本当に祝福された人生だというのを悟るのに、本当に長い時間がかかったと思い、ため息をつく今日この頃です。

ありのままを生きることの難しさと恵み

私は会社員をしています。特に学校で学んだとかいう事を役立てているとかではなく、仕事をゼロから始め、教えられ、身につけて来た事を築き上げて来て今があり、給料を得ています。その中で一つ、日々の仕事の中で大切にしてきた習慣があります。もうすぐリタイアかなぁと思う歳になって来ましたが、長年それをひたすら続けて来たのです。それは、「ありのままを正確に認識し、誠実に報告すること」です。

問題が発生したとき、何が起きたのか、原因は何か、どれほど緊急性があるか、どのような対処が可能か——そうしたことを隠さず、事実のままに上司にも部署全員にも報告するのです。特に自分のミスや判断の誤りが関係しているときは、つい脚色したり、言い訳をしたくなるものです。しかし、私の会社では、「誠実な報告こそが最善の解決への第一歩であり、同じ事を再発させない対策を見つけるための正しい判断を生み出す」と繰り返し教えられてきました。その義務を全員で果たさなければなりません。当たり前のようで、実はこれが出来る環境は、なかなか作れないのではないでしょうか? 

最近この習慣が、実は私の信仰とも深くつながっていることに、気づかされました。

私は両親がクリスチャンの家庭に生まれ、幼児洗礼を受け、教会附属の幼稚園や教会学校にも通って育ちました。ただ、幼い頃の私にとって信仰とは、「クリスマスは特別な日」といった程度のものでした。兄や妹は成長の中で信仰告白をしており、私は少し遅れて24歳でクリスチャンとなりました。

クリスチャンの両親を持ったクリスチャンを妻とし、周囲には信仰を持った家族や親族が増え、私は「神様の祝福とはこういうことなのか」と自然に思うようになっていました。けれどもあるとき、私は実家の家族に関して重大な見落としをしていたことに気づかされたのです。

最近、あるインターネットの記事で「裏」という漢字の一部に「表」という字が隠れていることを知りました。その瞬間、「自分はずっと家族の“表”だけを見てきて、その上にちょこっとついている“裏”の部分を見ないで来たのではないか」と、はっとさせられました。

実際、私の家族は長年にわたって大きな問題を抱えていました。しかし、私たちはお互いに「ありのままを伝える」ことをしてこなかったため、正しい判断も、適切な解決策も見出せないままでした。とても親しいようでしたが、本当の事はあまり口にしていなかったので、問題として認識するのが遅れ、家族での作戦会議を開くような事は無かったのです。

私がその問題の存在を知ったのは、時間の経過が立った後、しかもそのごく一部で、更にその内容には事実と異なる話が含まれていました。つまり虚偽の報告です。それゆえ、問題の深刻さにも、当初は気づけませんでした。

問題の発端は、父が信頼していた知人の連帯保証人になったことでした。その人はほどなくして夜逃げしてしまい、父に多額の借金返済義務が降りかかりました。この事は確かな事実で、大きな問題の始まりでした。父は借金返済のために奔走しましたが、借金が借金を呼ぶ悪循環に陥っていきました。定年後に始めていた事業も立ち行かなくなり、最終的には長年かけてローンを完済し、手に入れた自宅まで手放さざるを得ない状況に追い込まれて行きました。こうした事実を、私はずっと後になってから知らされたのです。

しかし、それだけでは終わらず、さらに驚くような話が親族から出てきました。それらは、私が幼い頃にまで昔にさかのぼるもので、信じがたいような「家族の裏の歴史」でした。人は誰かを悪く言い出すと、あまり関係の無い話まで持ち出して、その人を責め立てる事があります。ですので、それらの話は真偽を確かめる術すらなく、何が本当なのか分からないままです。そのような話を聞く私の心はとても痛みました。

父は晩年、老化が進み、会話がかみ合わなくなることが増えていきました。そして父が亡くなり、まもなく母もその後を追うように天に召されました。こうして、両親の口から真実を聞く機会は完全に失われてしまいました。

さらに、両親と長く近くにいたはずの兄や妹夫婦から語られる話は必ずしも一致しているわけではなく、私にはどうしても信用できない内容ばかりです。証拠となるものも何ひとつ示されず、私は何を信じていいか分からなくなりました。私にできることは、もはやほとんど残されていないように思えました。確かな手がかりがあるとすると、まだ元気だった頃、私に父が言った一言があります。「最近ヨブ記をいつも読んでいるんだ」と。(注: ヨブは、とても正しく信仰深い人で、家族も財産もあり、神に祝福された人生を送っていました。しかし、悪魔が「ヨブは祝福されているから神を信じているだけだ」と言い、神の許しを得て、ヨブを試すことになります。子供達や財産を失なわせ、彼自身病気に苦しみます) ちょうどその頃が家を失った頃と一致します。また、遺品の中に父が書き残していた書類がいくつかありました。それらの中には、会社の取引先の方からの手紙もありました。「私はあなたがクリスチャンであるという事で、ここまで信用してきたのです。あなたの誠意を信じて待ちます」という借金の請求で、クリスチャンを愚弄するような言葉が続けて書いてありました。また、私に宛ててしたためていた手紙や、私に金銭の工面を電話で依頼するための下書きも見つかりました。確かに何年も前、そのような話をした事を思い出して、あの時か、という感じです。その他に、神様への叫びのような言葉も記されていました。そして、私がその頃、何かよくわからないとはいえ、状況を察して書いた歌があり、譜面を送った事がありましたが、その歌詞まで手書きしてありました。こんなところに書いてないで、ちゃんと全てをそのまま分かるように話して欲しかったです。どんなにか苦しい思いをしていたかと、哀れな気持ちでいっぱいになります。

私は会社で「事実を正確に報告すること」の大切さを学び、それを実践してきました。しかし、自分の実家では、それが長年なされてこなかったことに、私は取り返しのつかない思いになります。クリスチャン家庭でしたからなおさらです。

聖書には、偽りや隠し事、不誠実、自分本位な言動のゆえに神様の祝福を失い、ひどい結末に至った人々の例が、聖書の最初から、いくつも記されています。私の家族も、もし神様の前に「ありのまま」を差し出すことを大切にし、その事について共に祈る事を第一として来ていたならば、歩んでいた道はまったく違うものになっていたでしょう。主イエスが、明らかな盲人に向かって、「私に何をしてほしいのか」とわざわざ尋ねられた意味がここにあると知りました。私の父が財産を失う出来事が起こる事を許された神様は、ご自分に真実の叫び声をあげるしもべ達を待っていて、そしてそれに応える準備もされていたと思います。

私の人生は残り何年あるのかわかりませんが、神様の前に忠実であり、ありのままでいる事を大事にして行きたいと願っています。自分の力でそれが出来るとは思えませんので、日々ただその事を祈り求める毎日です。主の祈りの最後、「我らをこころみにあわせず,悪より救い出したまえ」が、私の心からの主への願いとなっているのは、そのためです。これらのことを日々教え、証明し、勇気を与えてくださる方に信頼して歩む事以外に私が行く道はないのです。クリスマスしか大事でなかった幼い頃の私でしたが、主イエスの復活の出来事、イースターを喜び、そこから生きる勇気を受けていて、主が再び来られる日を待ち望む者です。いつの日か、天国で両親に再会して、全てが明らかになる事も分かっています。その時、どんな顔をして話してくれるのか、少し楽しみでです。

主イエスは言われました。

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」ヨハネの福音書 16章33節

証し

1、自己紹介

どうも、モレノ禱人(ときと)です。14歳で中学3年生です。ニュージャージーには3年も暮らしていて、その前は大阪に住んでいました。ニュージャージーには家族がいるので、前にも旅行で来たことがありました。でも今は、お母さんと一緒にテナフライという小さな町に住んでいます。

2、イエス様を信じたきっかけ

もともとお母さんがクリスチャンだったので、僕は家族の信仰に沿って、家族と一緒に教会に行っていました。兄と姉がいて、年はだいぶ離れているけど、いつも一緒に教会に行っていました。兄と姉が社会人になってからはもう一緒に住んではいませんが、その後もお母さんと一緒に教会に行っていました。

学校のために教会を変えないといけなかったけど、それでも毎週日曜日はお母さんと一緒に教会に行っていました。小学生の時、友達の教会に行きたいと言って、箕面にある教会に通い始めました。それから4年間同じ教会に通って、そこで洗礼を受けました。

3、イエス様を信じた後、どう変わったか

イエス様を信じた理由は、死んだときに天国に行きたかったからです。でも、イエス様を信じたときには、最初は「何も変わってないやん」と思っていました。でもその後、いろんな大変なことや困難があって、頼れる人が周りにいないと思ったときには、いつもそばにいてくれるイエス様のことを思い出しました。

「この人は絶対頼りになる」と思ったら、安心できるようになりました。今では、食べる前に感謝する時や、眠る前に今日の感謝と明日の祝福を祈ることを大切にするようになりました。

4、これからのイエス様との関係(将来のために)

これからも、いつも通り教会に来て、ちゃんと教会の手伝いをやっていけるように頑張りたいです。そして、家でもちゃんと祈りを続けて、もっとイエス様と過ごす時間を増やしたいです。

そして、もっと教会に人を誘いたいです。本当は、日曜日は家でゲームをしたいけれど、中高生がもっと教会にいたら、もっと楽しく来ることができます。だから、中高生を増やすために、いろんなイベントに協力して、ユースを増やしていきたいです。

「イエス様が一緒に」

私とイエス様との出会い、それは私から探したり生み出したものは微塵もありません、ただただ一方的に与えられたギフトでした。

私は新潟で生まれ、幼少期を過ごしました。両親は青年の時、それぞれが宣教師の集会に誘われ、信仰を持ってクリスチャンとなり、その後出会い結婚しました。真面目で信仰熱心な両親の元、私は兄妹とクリスチャンホームで育ちました。

朝早くから父は聖書を読み、私達のために祈っている。その後ろ姿を見ながら、目には見えないけれど神様は居られるんだと、私は神様の存在を特に疑うことはありませんでした。

また自営でいつも忙しくしていた母は、日曜日は教会に行くために店を閉めてこの日を分け、私達子どもも礼拝を第一にするよう教えられてきました。私が生まれた頃は教会のベビーブームで同世代の友達が沢山いたので、私は教会で遊び、教会で育ちましたし、教会学校では聖書のストーリーを聞き、御言葉を競っておぼえました。

教会生活をしながら、神様の中にいる平安を味わっていたのだと今思い返します。また、両親の信仰と祈りによって、神様は私の信仰生活を守ってくださったことがわかります。

小学生時代は毎夏、父が兄と私をバイブルキャンプに連れて行ってくれました。そこで子供達とアクティビティを楽しみ、子供達の信仰に触れ、またスタッフのお兄さんお姉さんが喜んで奉仕している姿に私は心動かされました。

本来、私はとても怖がりです。特に暗がりが苦手でした。夜に自分の部屋がある二階に上がるのもビクビクしていたのを思い出します。またお仕置きと称して、父に物置に入れられる時は本当に怖くて怖くて。(ちなみに父とは青年期に話し祈る機会が与えられました、感謝)

小2の時、キャンプで覚えて帰った曲「祈ってごらんよわかるから♪」は、沈みがちな私の心を灯してくれました。「きみは神様にね話したことあるかい心にあるままを打ち明けて。天の神様はね、きみの事なんでもわかっておられるんだ何でもね。だから空をあおいで、神様、とひとこと祈ってごらんよわかるから。小川のほとりでも人混みの中でも広い世界のどこにいても。本当の神様はいまも生きておられ、お祈りに答えてくださる」

賛美を口ずさんだり、簡単な祈りをしたり。その小さな祈りを神様は聞いてくださっていたのです。気づけばいつからか暗がりがそんなに怖くない。怖いと思う時に神様に祈ると、主の平安が私と共にあって、恐れに縛られることはなくなっていきました。

高学年の夏に行ったキャンプで、私は聖書のメッセージを聞いて信仰告白に導かれました。

当時クラスの中でいじめに合っていたクラスメートに対して、私は何もできずにいました。いじめをしていた加害者ではなく、一緒に無視をしていたわけでもありません。でもその友達に対して何もできなかったことに私は本当に苦しんでいたのです。何もしない事がまさに罪であると知りました。その私の罪のためにイエス様が十字架にかかり死んでくださった。お部屋のカウンセラーのお姉さんと一緒に神様に祈りながら、罪の告白とイエス・キリストの十字架を信じることにより罪から救われるという祈りをしたことを記憶しています。

わたし(本人訳イエス・キリスト)はぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたし(イエス)にとどまり、わたし(イエス)もその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたし(イエス)を離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
ヨハネ15:5

強烈におぼえていることがあります。私は風邪を引き高熱でうなされた時、その度に見ていた悪夢がありました。火の燃える巨大な池の周りを無我夢中で自分が走っている、後ろから何者かが追いかけてくる、今にも捕まりそう。その瞬間ハッと我に返り起き、汗びっしょりな私は夢うつつでトイレに行き、その後現実に戻りホッとする。その度に憂鬱になるのです。でも気が付けば、いつのまにかこの悪夢を見ることは無くなっていました。

大人になって聖書の黙示録を読み、これは地獄の様だったと知るのです。 神様がイエス様を通して私を永遠の滅び、死から引き上げてくださり、神様のものとしてくださったと信じます。

その後、教会の方々が背中を押してくださって、中学2年のクリスマスに、同級生2名と一緒に洗礼を受けるよう導かれ、公にクリスチャンとして信仰のスタートを切りました。

臆病な私は、友達と一緒だったから洗礼を受ける決心ができたのです。今思い返すと、私はこの時点では聖書の真理をよく知らず、神様に信頼して日々歩むことがどんな事かもわかりませんでした。ただ信じる一歩を踏み出しただけです。でもその一歩によって、私の今までの歩みがどんなに神様に支えられ守られてきたか、振り返ると心が熱くなり感謝でいっぱいになります。

 

さて、その後は進学、仕事、結婚、出産と子育て。ライフステージが変化することで、私ももちろん沢山の問題と葛藤を経験しました。引越しの数々、国際結婚、義家での同居、家族の病気と転職、不妊、流産、3度の帝王切開による高齢出産と不調、家族の課題、そしてアメリカでの移住生活。

自らの愚かさによる失敗、知恵がないために起こる困難も多々あります。基本、石橋を叩いて渡るタイプなので、神様に聞きながら神様の御手の中にあると信頼して進んできました。ですがもちろん自分の力量はすでに超えていて、重すぎます。弱すぎます、私は。

あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
ヨハネ15:7

イエス様を信じた人は、神様の子どもとされました。子どもの時に覚えた歌のように、イエス様の名前を通して神様に祈ることができます。何でも自分をさらけ出して、心にあるありのままを話すことができます。そして驚くべきことに神様はそれを聞いておられるということです。賛美したり御言葉を読む時、神様の愛が私を満たします。

また他人の言葉や状況を通して神様は語られる時もあります。私が求めるときに、そこに居て応えてくださるお方。これは信仰生活を送りながら知った神の子の特権です。そしてこの特権は、イエス様の死と復活によって完全なものとされた(完了)という真理は、本当の意味で私はまだ知らないと思います。

いいえ、環境や現状を見て恐れ、もうだめだと否定的になり、この事には救いはないのではと、信仰のかけらさえ奪われやすい者です。 なので今日も自分の思う方法を手放します。

また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
エペソ1:19

私は家族が与えられて、自分の愛の乏しさを嫌というほど思い知りました。ユニークな子ども達の子育てを通して、こうでなければという私の枠が引き延ばされ続けています。これは、私自身が小さい頃から刷り込まれてきた、クリスチャンはこうあるべきという概念にも影響を与えましたし、すべては神様の愛の広さ高さを知るに至るのではないか、とさえ思うのです。いまは課題のすべては理解できませんが、そこにも神様のご愛があると想像できます。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
ローマ8:28

神の子の特権は、私個人に与えられたもので終わらず、神の子達と共有することができます。

私は行く所行く所で、共に祈り合う仲間が与えられて来ました。教会の祈り場であったり、一緒に分かち合える信仰の友や先輩が備えられました。子育て中は子供を抱っこしながら。沢山の祈りの応答を見てきました。今は電話やメール、LINEでも分かち合い祈り合えます。御言葉と祈りによって癒されます。自分一人では祈れない時も、イエス様の名前で集まるところに神様が共にしてくださるので、祈りを通して働かれ、新しい力、出ていく力が与えられます。そして神様を信頼して行動することができます。

私が神様に聞くなら、神様は私に応えてくださる。私達が神様に聞くなら、神様は私達に応えてくださる。

神様、あなたは私に何をしてほしいですか。私達に何をしてほしいですか。あなたの御声を待ち望みます。

「赤い小さな聖書」

私は1995年の8月第1週からJCCNJの礼拝に出席するように導かれ、同年の12月17日に前任の池原牧師から洗礼を受けました。今年で30年になるとは、時の経つのはなんと早いのでしょうか。

その頃、JCCNJにはクラーク先生が協力牧師としてジェーン夫人と毎週のように礼拝に出席されていました、クラーク先生はhi-b.a.の宣教師として、1951年から長年にわたって日本で主に高校生を対象に伝道されてこられました。いつからNJにお住まいだったのかは分かりませんが、当時はジェーン夫人のご実家だったWestwoodにお住まいでした。

お二人は1996年にJCCNJでスタートした「子育てクラス」(主に子育て中のお母さん達を対象にしたプログラム)で、20分程の聖書の時間を担当してくださいました。お二人のお話は、聖書を読んだことがない参加者にも分かりやすく、その時間はいつもとても和やかなひと時でした。

その後一年くらい経ってからでしょうか、何人かの女性教会員からのリクエストに応えて、ご夫妻によるバイブルスタディがスタートしました。これは教会の主催するプログラムではなかったのですが、月に1回くらい金曜日の午前中にParamusやRidgewoodの教会員宅に3~5名くらいの女性が集まっていました。確か1度、クラークご夫妻のご自宅に招いていただいたこともありました。

ある時クラーク先生は、日本でのご奉仕時代に出会った一人の女子高校生のお話をされました。彼女は熱心な求道者で「イエス様を信じて歩みたい、教会の日曜礼拝に出席したい。でも両親がとても反対していて、どうしたらいいのか分からない。」と泣きながら先生に話したそうです。そこで先生は彼女に「これをポケットに入れてトイレに持って行って、そこで読みなさい。」と一冊の赤い小さな聖書を渡したそうです。余談になりますが、この女子高校生はその後教会に通い、受洗し、やがて牧師夫人となったそうです

この話をされた時にクラーク先生はこの聖書のことを、”当時多くの受験生が持っていた赤い表紙の英単語集くらいの大きさのもの”というように説明してくださったんだと思います。私はそれを聞いて「赤尾の豆単ですか?私の母が、外国人宣教師からそういう聖書をもらったことがあります!」と、興奮気味に先生に言ったことを今でも記憶しています。先生によると、当時hi-b.aの集会では参加した高校生にこの赤いポケット版の新約聖書を配っていて、その聖書を毎日読み、いつも携えることを決心した参加者は、内表紙に自分の名前と日付を書いて、聖書を配った宣教師が贈呈者として署名することになっていたのだそうです。私は母から「宣教師から”赤尾の豆単”みたいな聖書をもらったことがある」とは聞いていましたが、実際にその聖書を見せてもらったことはなかったので、その時先生から「私のサインはありましたか?」と聞かれても「見たことがないのでわかりません」としか答えられませんでした。

その晩、母に電話をして件の聖書のことを聞いてみました。母が貰った聖書はまだ存在していたのですが、母の所属する教会に展示コーナーが新設されたので、戦後の日本での宣教活動の記録品として寄贈したので、母の手元にはないという答えでした。

私の母は中学の頃から教会に通い、中学卒業前に洗礼を授かりました。高校生の時、教会の友人に誘われて渋谷で行われていた集会に参加して、宣教師から聖書をもらったそうです。母は集会の名前も宣教師の名前も覚えてはいませんでした。母に内表紙のサインについて聞いてみましたが、母はそのことも覚えていませんでした。今のように携帯電話で写真を撮ってメールで送ってもらうなど普及していない頃ですし、内表紙に宣教師(願わくばクラーク先生)のサインがあるかどうかを母に確認してもらうのは無理だと諦め、次回の一時帰国の時に自分の目で確認することに決めました。

夏の一時帰国中の最初の日曜日、娘達2人を伴って母と教会に出かけました。その前日から期待と不安で落ち着かず、教会に着くと牧師への挨拶もそこそこに、会堂地下にある展示コーナーへひとり急ぎました。ガラスケースの中には、数点の展示物と並んで赤い表紙の小さくて薄い本が飾られていました。ケースを開けて手に取ってみると、古びて折れ線が入った表紙には「新約聖書」とありました。そっと表紙を開けると、母の名前が見慣れた筆跡のローマ字で書かれているのが目に入って来ました。そしてその下には、きれいな筆記体でKenneth W Clarkと記されていました。それだけを確認して、聖書をガラスケースの中に戻して、「神様、ありがとうございます!」と一言祈って礼拝堂に向かいました。

礼拝後、牧師にそれまでの経緯を話して、この聖書を私が譲り受けることを承諾していただきました。こうして、この”赤尾の豆単みたいな赤い小さな聖書” (ポケット聖書連盟刊 新約聖書)は私の宝物となりました。

私は感謝します。
あなたは私に奇しいことをなさって
恐ろしいほどです。
私のたましいは それをよく知っています。
私が隠れた所で造られ
地の深い所で織り上げられたとき
私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。
あなたの目は胎児の私を見られ
あなたの書物にすべてが記されました。
私のために作られた日々が
しかも その一日もないうちに。 (詩篇139: 14-16)

聖書の内表紙には、クラーク先生の字でその日の日付 2/24/52 そして I Cor. 2:2と記されています。母はその年の3月に高校を卒業していますので、恐らくこの時が母にとっては最初で最後のhi-b.a.集会であったのでしょう。受洗して数年、ほぼ毎週のように教会に通っていた母にとっては、その日受け取った聖書はそれほど意味があるものではなかったのかもしれません。それが45年を超える年月を経て、次の世代の宝物となる。神様だからこんなことができる、しかもこの私の琴線に触れるようなストーリーで。

今回この証を書くように導かれ、準備のためにhi-b.a.の歴史と働きについて、また、戦後の連合軍占領下にあった日本におけるキリスト教宣教についてなど、いろいろと知ることができました。また、2021年にオンラインでもたれたhi-b.a. 70周年記念本大会のビデオで、クラーク先生のスピーチを聞くことができたのも感謝でした。

イエス・キリスト及びその十字架に釘けられ給ひし事のほかは、汝らの中にありて何をも知るまじと心を定めたればなり。(コリント前書2:2文語訳)