2017年のイースターに82歳で洗礼を受けた私の母は、戦時中に子ども時代を送り、教師になり、結婚してからも3人の子供を育てながら、退職するまでずっと、元気で頑張りよく働きました。”神様が本当なら世の中に病気や戦争や不幸なことはないわ“とよく言っていました。
私たちがニュージャージーに住み始めたころには退職しており、父も亡くなっていたので、一人で何度も来てくれました。私と娘はクリスチャンでJCCNJに通っていたので、日曜日には私たちと一緒に教会に来て、教会の皆さんとも仲良くなり、こちらに来るたび教会に行くのを楽しみにしていました。
あるとき自転車で出かけた母は、教会の前を通りがかり、教会の扉が開いていて中に牧師先生が立っていらしたので、中に入ってお話をした。これが母が自分で教会に行き始めたきっかけです。NJの教会がとても楽しくて、自分も教会に行きたくなったそうです。毎週自転車でまじめに通い、教会であったことなどよく電話で話してくれました。
そのうち自転車で通うのが難しくなってきたので、もっと近くにある教会に行くようになりました。そこは、母が子供のころに近所の子供たちと行ったことがある教会でした。昔はアメリカ人の牧師さんがいて、子供たちが行くとお菓子をもらえたそうです。その教会に昔の同級生夫妻が他県から転入して来たりして、再会を喜んでいました。
そんな中、80歳の夏に突然片目が見えなくなり手術を受けました。81歳の秋には、年の近い叔母を病気で亡くしショックを受け、自分も転倒で骨折、手術、入院と辛いことが続きました。牧師先生や教会の方たちが祈り励ましお見舞いしてくださいました。それまで、教会に行くけれど洗礼は受けないと言っていた母でしたが、クリスチャンの同級生夫妻にも勧められて、洗礼を受けることを決めました。洗礼を受けてからも、病気や手術、ケガなどいくどもありましたが、そのつど皆さんに祈られて守られてきました。昨秋介護施設に入りましたが、その少し前まで、母は毎週教会に通っていました。自力で教会に通えなくなってからは近所の教会員の方が車に乗せてくださいました。
86歳になった母は、つい最近も誤嚥性肺炎で病院に運ばれましたが、回復して退院しました。今はコロナ禍で介護施設も面会ができませんが、母がこうして守られているのも、神様が母をご計画の中に入れてくださっているからだと思います。
もう50年以上前のことですが、東京でクリスチャンとなっていた父方の伯父から、九州のミッションスクールに赴任するので、東京から九州に引っ越す途中で私たちと会いたい、と連絡があり、家族5人で名古屋まで会いに行ったことがあります。
伯父の勧めで、父は私と妹をカトリックの日曜学校に通わせました。小学校時代の1年半あまりの教会の思い出が、20年以上たって私を洗礼に導いてくれました。その9年後に娘、19年後に夫、そして23年後に私の母が、クリスチャンになりました。神様のなさることは私の考えや時間を超えて実現するのだと知りました。
伯父には一度会ったきりです。自分のまいた種がこうしていくつもの実を結んだことを知らないまま、伯父ももう天に召されているかもしれないと思いますが、私のイエス様との出会いの出発点は伯父です。
私の周りには、妹弟をはじめまだイエス様を知らない人たちがたくさんいます。その人たちに神様がどんなご計画を持っていらっしゃるか、私にはわかりませんが、一人でも多くの人がイエス様に出会い、重荷を下ろして平安をいただき、神の家族になるように、私も種をまいていきたいと思います。
“私は、あなた方のために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。”(エレミヤ書29:11)
“神を愛する者たち、つまりご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。”(ローマの信徒への手紙8:28)