「最善をなさる神様 ― 9年を振り返って」

私の母が天に召されてから、7月30日で丸9年になります。この時期になると、母とのことや、母が亡くなるまでの出来事をいろいろと思い出します。今回、9年前の8月末に書いた「証」(神様を信じる中で、自分が経験したことや感じたことをお話しすること)を読み返してみました。まず、その文章の一部を紹介させてください。

「この3カ月間を振り返り、全てが神様の御手の中に置かれていたこと、神様の完璧な“とき”があったことを改めて思い、その御業の素晴らしさに圧倒されています。

母・岡崎久江が最期の2カ月間を過ごした千葉は、北海道出身で仙台に長く住んでいた母と私にとって、全く初めての知らない土地でした。母の病気の検査と治療を千葉市内にある病院でやって頂こうと決め、千葉県南部の君津市に住む叔母(母のすぐ下の妹)だけを頼りに、5月末に緊急帰国(*)しました。それから出会った数えきれないほどの人達、例えば、様々な役所関係の方々、病院の先生、看護師さん、スタッフの方々、どこへ行っても皆さんにとても良くして頂きました。また、君津に滞在していた時に集わせて頂いた木更津にある畑沢キリスト教会の皆さんも、私達を温かく迎えて下さり、数回しか礼拝に出席することができなかった母の癒しのために、熱い祈りを捧げて下さっていました。そして、その祈りのサポートはニュージャージーはもちろんのこと、仙台、日本・アメリカの各地、世界のあちこちに広がっていきました。色々なことが本当に不思議なように、そして絶好の良いタイミングで一つ一つ開かれていく経験を目の当たりにし、多くの方々の祈りの力を背後に感じずにはいられませんでした。」

* 母は2012年11月から2017年5月まで、私たち家族と一緒にアメリカで暮らしていました。

9年前に「色々なことが本当に不思議なように、そして絶好の良いタイミングで一つ一つ開かれていく経験を目の当たりにし」と書きましたが、それは決して、その時の状況が最初から順調だったという意味ではありません。むしろ、そこに至るまでには、たくさんの悩みや葛藤がありました。

母の病気は癌で、すでにいくつもの場所に転移していました。まず、癌が最初にどこにできたのか、その「原発」を調べるための検査を受けることになりました。原発が分からなければ治療方針を決めることができないとのことで、母は何度も、さまざまな検査を受けました。しかし、なかなか原発が分からず、治療を始めることもできないまま、何週間も過ぎていきました。

「この先、どうなるのだろう?」

その時の不安と焦りは、それまで経験したことがないほど大きなものでした。「途方に暮れる」というのは、こういうことなのかと思ったほどです。アメリカに残してきた子どもたちのこと、学校のこと、学校が終わった後に子どもたちを預かってもらう場所のこと、自分の仕事のことなど、心配は尽きることがありませんでした。

日本では、父はすでに亡くなっており、私は一人っ子ですので、頼れるのは千葉に住む叔母だけでした。母の他の姉妹たちは北海道に住んでいたからです。叔母の家に住まわせてもらい、母の検査のために大学病院へ通うには、高速道路を使って、かなりの距離を叔母に運転してもらう必要がありました。叔母には叔母の生活がありますし、ずっと頼り続けるわけにはいきません。どうにか母が病院の近くで生活できる場所を早く探さなければ、と焦りました。治療が始まったとしても、それがどのくらい続くのだろう?私はこれから何度、日本とアメリカを行き来することになるのだろう…?先が全く見えない不安に押し潰されそうになりながら、私は神様に祈り、助けを求め続けました。

そんな時、聖書のこの言葉に励まされました。

『私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。』コリント人への手紙 第二 4章8節

私はこの言葉から、こんなことを思いました。

「どんなに八方塞がりになって、もうどうにもならないと思っても、上(天)は空いている。困難の中にあっても、完全に追い詰められたように感じる時でも、神様は耐える力や逃れる道を用意し、一歩一歩ともに歩んで導いてくださる。」

それまでは、「自分の力で何とかしなければ」と頑張っていたと思います。でも、その時は苦しくて仕方がありませんでした。そして、「もう神様にすべてをお任せしよう。神様は必ず道を開いてくださる。それを信じていこう。」と思うようになりました。もちろん、母の病気が癒やされることを願い、祈りました。しかし、それと同時に、「私の願い通りになること」よりも、「神様が私たちにとって最善のことをしてくださいますように」と祈るようになりました。だからといって、すぐに不安がなくなり、心が楽になったわけではありません。それでも、少しずつ、周りの状況が動き始めていったように感じました。

そうこうしているうちに、一カ月が経ちました。病院の先生も「癌が最初にできた場所はまだ分からないけれど、とりあえず治療を始めていきましょう」と言ってくださり、7月初旬から抗がん剤治療が始まりました。その時点では、母の治療がどのくらい続くのか、これからどのような状況になるのか、全く分かりませんでした。そこで、長期間にわたって日本とアメリカを行き来する可能性も考え、会社の上司や人事の方に相談しました。すると、特別に許可をいただき、日本からでもリモートで仕事ができるようにしてくださいました。

また、母が病院へ通いやすいように、千葉市内で高齢者向けの住まいを探しました。何カ所も見学した末、最後に訪れた場所で、「ここだ」と思えるような素晴らしいホームに出会うことができました。叔母の住む君津を離れ、母が全く知らない土地で一人で新しい生活を始めることには、大きな不安がありました。それでも、「ここなら母を安心してお任せできる」と思える場所でした。そのホームを選ぶ大きな理由の一つになったのが、千葉栄光教会の存在でした。そこでは、以前から錦織先生がご存知だった大前先生ご夫妻が奉仕をされていました。そして驚いたことに、教会と母が住むことになったホームは同じ町にあり、歩いて6~7分ほどの距離でした。そのことが分かった時、私は鳥肌が立つほど驚きました。「ここにも神様の導きがある」と強く感じた瞬間でした。

母に寄り添い、手厚くお世話をしてくださったホームのスタッフの皆さんには、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。ホームで暮らしていた方々や、食事を作ってくださるスタッフの方々も、母のことを気遣い、優しく助けてくださいました。残念なことに、母がそのホームで暮らすことができたのは、たった3週間でした。

人間的な気持ちからすれば、「なぜこんなに早く?」「神様、どうして病気を癒やしてくださらなかったのですか?」と思う方々もおられたことでしょう。私たちには、神様のご計画のすべてを理解することはできません。それでも私は、「神様がなさることには必ず意味があり、私たちには今は分からなくても、最善のことをしてくださっている」と信じることができました。母が亡くなった時も、私たちには分からない神様の愛と配慮があったのだと思います。そのように信じることができたことを、私は本当に感謝しています。

そして今、私自身もある願いを持って祈っていることがあります。それが神様のご計画なのか、自分自身の勝手な思いなのかは分かりません。だからこそ、「もし神様が望んでおられることでないのなら、その道を閉ざし、私にも分かるように教えてください」と祈っています。たとえ神様が私の願いとは違う道へ導かれたとしても、神様は私たちにとって何が最善なのかを知っておられるお方だと信じています。

聖書には、このような言葉があります。

『神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。』ピリピ人への手紙 2章13節

また、こんな言葉もあります。

『人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。』箴言 19章21節

『神のなさることは、すべて時にかなって美しい。』伝道者の書3章11節

9年前、母の病気を通して、私は「自分の力だけではどうにもならないことがある」ということを身をもって経験しました。先が見えない中で神様に助けを求め、すべてをお任せすることで、少しずつ心に平安が与えられていきました。今も、これから先も、思い通りにならないことや、理解できないことがあると思います。それでも、9年前の経験を思い返しながら、「神様はそれぞれに最善の道を準備してくださる」と信じて、神様にすべてを委ねて歩んでいきたいと思います。

皆さんの上にも、神様の豊かな祝福と、神様が備えてくださっている素晴らしいご計画がありますように。

<牧師室より>2026年8月号「電気がなくても」

今年の7月は嵐が多かったですね。私たちの住んでいる牧師館は2回の停電に見舞われました。

1回目は4日。独立記念日の祝日の夜8時ごろ。土曜日だったので、日曜日の準備も途中だったのですが、ここらでNYの花火のテレビ中継を見ようかな、と思って、テレビをつけたら、バチッと切れて、近所一帯停電。外に出てみると、3軒隣の木が倒れていました。その夜は蒸し暑い夜だったので、たまらず停電していない教会に避難。道の途中あちらこちらに木が倒れていて、何度も迂回しながら、何とか教会に到着。日曜日の準備の続きに取り組んでも、なかなか電気は復旧せず、でも、さすがにそこで寝るのも・・・と夜中の12時を回った頃、準備を終えて、家に帰り休みました。幸い8時間ほどで電気は復旧したのですが、後でわかったのは、その日の嵐はかなりひどくて、同じ町の中でも、木が何本も倒れた通りもありました。

2回目は、21日。火曜日の午後でした。2時45分頃、突然、携帯のアラームが鳴り、「竜巻が発生して、そちらに向かっています」との竜巻警報の知らせです。慌てて地下の部屋にこもっていましたが、何事もなく、30分後に警報は解除され、ほっとしていたところ、3時半頃に、ドドンと大きな雷の落ちる音と共に電気が消えました。ちょうど、取りかかろうとしていた用事にはPCとネット環境が必要。今度も停電していなかった教会に行って、仕事をしていたら、4時間ほどで電気が戻ったという知らせが入り、8時頃には家に戻ることができました。

今回、停電が短い時間で終わって、ほっとしたのですが(14年前のHurricane Sandyのときは1週間停電しました)、それと共に、昔は「停電でもできることがある」「停電だからこそ、できることがある」と思っていたのですが、今回は、今まで以上に電気に頼り、ネット環境に頼る生活をしてしまって、何としてでも電気のあるところに行かなければ、という感覚になっていることに気がつきました。

私が牧師としての歩みを始めた時はまだインターネットは普及していなくて、何でも電話で連絡をして、会って話をして、手紙を自筆で書いて、切手を貼って送っていました。電気は大切なものではありましたが、牧師の働きのためになくてならぬものではなかったです。今、書いているようなニュースレターの原稿も、その頃はまだ手書きが主流だったと思います。Eメールもテキストメッセージも一瞬で相手に届く、遠くにいてもビデオ通話で話ができる、便利な時代になりましたが、その中で、見失っているものもあるのでは、と思わされます。

この8月から私のニュージャージー日本語キリスト教会での新しい3年任期が始まります。この任期の始まりにあたって、改めて、電気やネットの助けを借りながら、それに振り回されない働きを大切にしようと思わされています。具体的には神様との時間を大切にして、聖書を読み、祈ること、そして、人との時間を大切にして、お話しすること、共に祈ることを心がけていこうと思います。

新しい3年間も、皆さん、どうぞよろしくお願いします。

“イエスは答えられた。「第一の戒めはこれです。『聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』第二の戒めはこれです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。』これらよりも重要な命令は、ほかにありません。」”(マルコの福音書12章28-31節)

「神のみわざに目を留めよ。これもあれも神のなさること。」

もう20年前のことになります。2006年11月にガンと診断され、手術を受けました。当時も、詳細はあまり多くの方々にお話しませんでしたが、私の病の癒しのために陰でお祈りくださったすべての方にお礼を申し上げることもせずに20年の月日が過ぎてしまったかも知れません。この場をお借りして、当時お祈りくださった皆さまに、心からお礼を申し上げます。

2006年10月に多くの検査が始まりました。正式に診断は下されていませんでしたが、多分ガンだろうと思いました。ですので、当時、まだ続く検査・診断・手術・治療を進んで行くために、神様に二つのものを求めました。一つは「平安」、どのような結果が出て、これからどのような病との闘いになるのだとしても、いつも平安をいただいて検査や手術・治療に臨むことができるようにということ、そしてもう一つは支えとなる聖書のみ言葉でした。

私たちクリスチャンは皆、イエス様に似るようにと召されていて、それぞれ、このようなイエス様の姿に近づきたいというイメージがあるかと思いますが、私が近づきたいイエス様像というのは、マタイ8章に書かれているイエス様の姿です。
弟子達が怯える程の嵐の中でも、眠っておられたイエス様が持っていた平安、それは、神様の権威に信頼するがゆえに与えられている平安だと思います。私もそのように、どんなことが起こっても、全てのことを支配しておられる神様の権威に信頼して、周りの状況に動じることのない平安・強さをいただいて、この病に対処していくことができますようにと祈りました。

またもう一つ祈り求めた聖書の言葉ですが、その時に与えられたみ言葉は、

神のみわざに目を留めよ。神が曲げたものをだれがまっすぐにできようか。
順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである。 (伝道者の書7章13-14節)

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
なぜなら、だれが主のみこころを知ったのですか。また、だれが主のご計画にあずかったのですか。また、だれが、まず主に与えて報いを受けるのですか。
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。
(ローマ人への手紙11章33-36節)

でした。

ローマ人への手紙の方は、このあかしの準備をする中で、当時のメールなどを読み返して、あ~、そうだったと思い出したのですが、当時、日々私の頭の中にあった言葉は、「神のみわざに目を留めよ。」「これもあれも神のなさること。」でした。

この病との闘いの初めにこのみ言葉が与えられたこと、祈り求めた平安が与えられたことは、本当に感謝なことでした。

実は(今の私からは想像できないかも知れませんが!)私はこどもの頃からとても臆病でした。しかも、精神的はともかく、肉体的に「痛い」とか「苦しい」ことがとても苦手です。にもかかわらず、多くの検査や手術を平安のうちに終えられたことは、本当に神様が支え、助けてくださったと思います。
また、心の平安だけでなく、それをサポートすべく、色々な状況が最善に整えられていて、日々神様に感謝をせざるを得ませんでした。以前同じく乳がんの手術をされた信仰の大先輩のお証の中に「病院の中で私ほど喜びに満たされていた患者はなかったと思います。」ということが書かれていたことを読んだ記憶がありました。その時には「ガンになって本当に喜びに満たされるのだろうか?」と思ったことを覚えていますが、もちろんガンになったことは喜ばしいことではありません。それでもそのような状況の中で感謝せずにはいられない多くの恵みがあちらこちらに用意されていて、感謝の中に喜びが与えられるという経験を私もさせていただきました。これは本当にクリスチャンの特権だと思います。

ガンが見つかったのが、2006年の10月、正確に言うと、初めに胸のしこりを見つけたのは9月の中旬頃だったと思います。その3ヶ月前、6月に転職をしたばかりでした。3ヶ月の試用期間が過ぎて、ちょうど自分の健康保険が9月末から始まり、保険の書類を見ると莫大な医療費がかかっていたことがわかるのですが、たくさんの検査や手術を受けながらも、医療費の心配もすることがありませんでした。

またもともとHackensackの病院で検査などを受けていたのですが、ニューヨークのおばにガンだと診断されたと連絡したところ、おば自身もその20数年前に乳がんの手術をしているのですが、その時手術をしてくださった先生にすぐに連絡をしてくれ、先生もすぐに診察をしてくださいました。結局このウェストチェスターの病院の先生に手術していただくことになったのですが、治療に対するアプローチなど、Hackensackの先生よりも、私にとっては相性が良く、安心して手術をお任せしようと思える先生でした。手術の前の日もぐっすり眠って手術に備えることができたほどです。

手術の結果、病理検査の結果もよく、手術の10日後には仕事に戻ることができました。

また、この手術の後、週5日、6週間半の放射線治療を受けることにもなったのですが、放射線は、どの病院で受けても同じ、ということで、通院に便利なHackensackの病院でしていただくことにしました。これも先ほど少し触れたとおり、それまでのマンハッタンでの仕事から、Fort Leeにオフィスのある仕事に転職したばかりで、Fort Leeの職場から通院するにしても、車で15分で、夜も9時までやっていたので、仕事に大きな支障をきたすこともなく6週間半の放射線治療を受けることができました。もしもまだマンハッタンで働いていたら、この放射線治療の通院もどんなに大変だっただろうかと思い、あらかじめ転職の道を備えてくださっていた神様に心から感謝しました。

手術の病理検査の結果では、リンパ節への転移もなかったので、私が一番恐れていた抗がん剤治療もしなくてよいでしょうということになり、5年間の再発防止のための投薬で済んだことも感謝でした。

まだまだ他にも細かい具体的な神様のあわれみ・恵みはたくさんあったのですが、とにかく、このように全てのことがその状況の中での最善に導かれていて、日々感謝をせざるを得ませんでした。

「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。」
ヤコブの手紙5章15節

多くの方の篤い祈りに支えられ、また

「わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」イザヤ書41章10節
とのみ言葉どおり、神様が私を支えてくださって、治療・手術を乗り越えることができました。

「神のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。」と詩篇103篇にありますが、もうすぐ20年が経とうとしている今、改めて神様と皆様に感謝しつつ、おあかしさせていただきます。神様のみわざ、信仰を与えられていることのすばらしさをともに味わっていただけたなら幸いです。

<牧師室より>2026年7月号「イエスが歩まれたように」

 今月はアメリカ建国250年を迎えますね。私も7月6日にこの国にやってきてから34周年を迎えます。大英帝国の支配、特に代表者を送ることができない一方で、戦争に次ぐ戦争の負担故の重税を負わされることに反発して立ち上がり、勝ち取った独立から250年。今やこの国は世界最大の国になって、世界に大きな影響を与えるというか、世界を動かす国になりました。

 日本の教会で育った私にとって、アメリカは、日本に多くの宣教師を送ってくれて、日本のために多くの人が献金をささげ、祈ってくれている国でした。また、プール開きには神主が来てお祓いをする公立小学校を卒業した私は、大統領が就任するときには聖書に手を置いて誓約をする国に驚きと憧れを持っていました。そんな私のナイーブさは社会学部に入った大学生活で思いっきり打ち砕かれるのですが、それでも、今から34年前、アメリカの土を踏んだときには、新しくこの国に移ってきた私たちを、日系人の方々のみならず、多くの人々が歓迎してくれて、生活をサポートしてくれることに、その懐の深さを感じていました。

 大きな空気の変化を感じたのは、9-11の後です。街にはGood Bless Americaが流れ、「一つになろう」といいながら、イスラムの人たちを排斥したり、アフガニスタンへの空爆開始に拍手喝采を挙げる人々に心を痛めていました。また、イラク戦争に反対したフランスに反発して、人々がFrench fryをFreedom fryと呼び始めたのには、私が知っているアメリカはどこに行ってしまったんだろうと思いました(あれは一時的な現象で、今はFrench fryに戻って良かったです・・・)。もしかしたら、脳天気な私が知らなかっただけで、表面的にしか見ていなかった自分が気がつかなかっただけで、元々アメリカはそういう国だったのかもしれません。

 今から2000年前、イエスがこの地上を歩まれたときに、ロバに乗ってエルサレムに入られました。それは、ご自分が、力を誇示して、人々を支配するローマ帝国の指導者たちとは違う存在であり、仕えるしもべとして、人々の心に愛を満たし、平和をもたらす方として、この世界に来られたことを表すためでした。

 アメリカに住む者として、この国に守られ、支えられている者として、建国250年を迎えたこの国が、世界に仕えていく国として、歩んでいくことを祈ります。軍事力や経済力で周りを抑え込んで、平和をもたらしているような勘違いをするのではなく、世界に仕えていく中で、人々に平和を与えていく存在となっていくように祈ります。そして、まず、自分自身、イエスのしもべとして、イエスの愛をいただいた者として、人々に仕えていく、そのような歩みをさせていただきたいと思わされています。

「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。あなたがたの間では、そうであってはなりません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。」(マタイの福音書20章25~26節)

<牧師室より>2026年6月号「神様の大きな御手の中で」

 4月、5月と6週間半にわたって、サバティカル休暇をいただいて、ゆっくり休み、充電の時を持たせていただきました。その間、南カリフォルニアから元ロサンゼルスホーリネス教会牧師の溝口俊治先生がおいでくださり、6回の主日礼拝のメッセージを始め、多くの働きを担ってくださいました。また2回のNY礼拝はNYのEvery Nation Churchの飯沼一朋先生が取り次いでくださいました。また教会の皆さんが多くの尊いご奉仕をしてくださいました。心から感謝します。

 サバティカル休暇が始まる前に、何を期待するか、書き出していたときに、一番に思いついたのが「自然の中で神と共に過ごす」ということでした。自然の中で、神様が語ってくださることに耳を傾けたいと思ったのです。今年の4−5月は思いのほか寒い日が多かったので、願ったほどに自然の中で過ごすことはできなかったのですが、それでも、日本で訪問した宮城県の先生には桜咲く松島に連れて行っていただいたり、90代の両親と一緒に銚子に行って、犬吠埼灯台に登って遠くカリフォルニアを望み見たり、ノースカロライナの山では熊に遭遇したり、湖の畔で夜空の星を見上げたりしました。その中で思わされたのは、神様のなさることは自分の思いを超えている、ということでした。期待を遙かに超える大きさを感じることもあれば、期待を裏切られることもあり、この自然界のことも、また、神様のことも、想定の中に収めようとしてはいけないのだな、ということでした。

あなたは天の掟を知っているか。地にその法則を立てることができるか。
あなたの声を密雲にまであげ、みなぎる水にあなたをおおわせることができるか。
あなたは稲妻を向こうに行かせ、あなたに向かって「私たちはここです」と言わせることができるか。
(ヨブ記 38章33~35節)

 だんだん気候も良くなってきました。6月は最初の土曜日にはGeorge Washinton Bridgeのたもとでの野外での早朝祈祷会、また21日にはParamusのVan Saun Parkでの野外礼拝がもたれます。「空の鳥を見なさい」「野の花がどうして育つのか、よく考えなさい」(マタイ6章26節、28節)と言われたイエスの言葉に従って、この自然の中に表された神のみ思いに心を向けましょう。どちらも、皆さん、大歓迎です。

<集会紹介>「早天祈祷会」(2026年4月号)

 夏の間、私たちは月に1回、土曜日の午前6時半から、Fort Leeの川沿いの公園で「野外早天祈祷会」を持ってきました。それについてはこちらの集会紹介をご覧ください。そして、2025年は6月から9月の第一土曜日に「野外早天祈祷会」を持ちましたが、秋からも続けたい、という参加者の声もあり、11月から第1土曜日の午前8時半から教会で早天祈祷会を続けています。

 日本の文化の中で「祈る」ということは個人的なことと考えられています。初詣などで神社やお寺に参拝するときも、祈りは声に出さないで、心の中で祈る方々が多いと思います。しかし、教会では共に集まって祈ることがよくあります。それは、イエスが「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。二人か三人がわたしの名において集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」(マタイの福音書 18章19~20節)と言われたからです。

教会にとって、祈り会・祈祷会はその働きのための「原動力」とも言われます。何かイベントを考えたり、自分の力や、考えに頼るのではなく、神の導きを求め、神のなさることを期待して、祈って勇気をもって立ち上がります。また祈り会は「霊的なER」とも言われます。個人的な問題で行き詰まってしまったときにも、共に祈るときに、平安が与えられ、問題に取り組んでいく力が与えられます。

 共に聖書を開き、2-3人のグループに分かれて、教会の課題のために祈り、また個人的な課題を分かち合って祈り合います。ほぼ1時間のプログラム。

 そして、祈り終えた後は共に軽い朝食をとって、それぞれの用事に出かけていきます。

 2026年6月から9月は野外での早天祈祷会を持ちます。時間は朝6時半からです。是非お出かけください。夏季の開催場所など詳しくは6月号の月報でお知らせします。

「神の見えざる手」

私は、米国に来て3年目の1993年5月に洗礼を受けました。いとこが30人以上いる大家族の出身で、初穂としてクリスチャンとなった者としては、大好きなイエス様を家族に伝えたいという思いをいつも持っていました。 たまに里帰りをすると、家族を教会に誘い、母は何回か来てくれましたが、説教中に居眠りしてしまう姿を見てはがっかりしていました。 錦織先生が日本に行く際は、『家族を訪問しますよ。』と言って下さっていましたが、母に勧めても、『今回はいい。』と言うのでした。 教会に来られた人や、同僚・友人などにイエス様を伝える機会は多くありましたが、私はまだ一番身近な家族に福音を伝え切れていない、という思いが常にありました。

それから時は流れ、70代半ばになった母に認知症の症状が現れ始めた、と弟から聞くことになりました。 アメリカから電話をすると、会話は極めて普通でしたので、まさかと思いましたが、里帰りし、実際会ってみると、5分間に同じ質問が何度も繰り返されました。 フレンチ・レストランでは、こどものように無邪気な笑顔で、ごはんとみそ汁が欲しいと駄々をこねる有様でした。 私はずっと親から庇護されてきた存在でしたが、今やそれが逆転し、これからは親をサポートしなければならない、そして時間は有限なのだと悟ったのでした。

主の慈しみは決して絶えない。 主の憐れみは決して尽きない。 それは朝ごとに新たになる。(哀歌3:22)

時とともに母の認知症は進行し、家での世話が難しくなり、弟は母を実家近くの施設に入居させました。 COVIDで里帰りが難しい時期には、よく施設にいる母とビデオ通話をしました。 そんな中、私は2023年5月に失業しました。 私は、大きな喪失感の中にいましたが、急に時間が出来たので、その月に母に会いに日本へ行きました。 母は私と息子の来訪を喜んでくれました。 そして、心がとても柔らかく素直になっていました。 私は何かに促されるように、イエス様の十字架と復活や、罪からの救いが必要であることを話し、母の手を握って、『イエス様を信じようね。』と、勧めました。 母は、『とてもいいお話だね、そうするね。』と言い、一緒に罪が赦されたことを感謝するお祈りをしました。 失意の中にいた私に、神様は大きな慰めを与えて下さいました。 米国に戻り、錦織先生に母の信仰告白を報告すると喜んで下さり、どのように次(洗礼)に進めていくかを話をし始めました。

その後再就職し、2024年7月に日本に出張する機会がありました。 奇しくも(いえ神様のご計画で)錦織先生も日本への出張があり、先生の日程の最後と、私の日程の初めが一日だけ重なっていました。 そこで、私たちは一緒に母の施設に行き、信仰を確認出来れば、洗礼を授けようと計画したのです。 これこそ神様が備えてくれた千載一遇のチャンスだと思い、施設訪問の予約を行い、その日を数えて待っていました。 教会の友人は、サタンの邪魔が入らないように、そして高齢者施設でコロナが広まって訪問できなくなるような事態が発生しないようにと祈ってくれていました。

ところが、何と私の出発直前に錦織先生から、『コロナに感染した。申し訳ないが、その後の予定は全て中止せざるを得ない。』と連絡が入ったのです。 『えー。本当? こんな機会は二度と来ないでしょうに。神様、どうしてこのようなことになるのですか!?』 私は高齢の母の洗礼を心待ちにしていたので、大きなショックでした。 母がコロナにかからないようにとは祈っていましたが、錦織先生のコロナの為には祈っていなかったのです! このことを悔いました。

これを聞いた友人は、『錦織先生のご家族や、地元の牧師先生に施設に来てもらえないか相談してみれば?』と言ってくれました。具合が悪い先生に調整をお願いするのは気が引けて、すぐ行動できませんでした。が、2-3日後には考えを改め連絡すると、先生はすぐに動いてくれました。 錦織先生の日本のご家族は教会の修養会に参加され、そこでコロナになってしまった方が多かったようでしたが、感染を免れた兄上の錦織寛牧師が代わりに来て下さることになりました。

寛先生と施設に訪れ、再び母にイエス様の話をしました。 『お母さん、何も心配することはないよ。イエス様が私やお母さんの失敗や罪の為に死んでくれたから。 イエス様を信じれば神様の子どもとして、死んだあとも天国で永遠の命をいただくことができる。』 『このことを信じて 洗礼を受けますか?』との問いに、母ははっきり『はい。』と答えました。 そして、2024年7月25日に母の部屋で洗礼の恵みにあずかりました。 あれほど明確に答えられたことは驚きであり、心から神様に感謝しました。 その時、寛先生は『たとえお母さんが忘れたとしても、神様はお母さんが信じると言われたことを決して忘れませんよ。』と言ってくださり、私の目には高価でたっとい(イザヤ43:4)という聖書の言葉を書いて下さいました。

母はそれからすぐ要介護4となり、車椅子での生活になりました。昨年の6月には、食べられなくなったので、終わりが近いようだと連絡があり、すぐに日本へ飛びました。 施設に着くと、申し合わせていなかったのに、寛先生と奥様が母の部屋にいてお祈りをされていました。 暫くすると弟も到着し、寛先生を弟に紹介する機会となりました。  弟に、母はクリスチャンになったので、葬儀は教会でしたいと言うと、同意してくれました。

残りの日は短いと思っていましたが、神様はその後も半年ほど生かしてくださいました。12月に入ってから昏睡状態となり、弟はその頃から寛先生に連絡を取るようになり、葬儀のことなどを相談していたようです。そして、12/14に苦しむことなく、88才で老衰により召されていきました。

神を愛する人たち、すなわち神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)

私が12月に帰国できなかったので、1月に寛先生が牧会される東京中央教会でメモリアルをしていただくことになりました。 この為に里帰りし、打合せも兼ね、弟と共に東京中央教会に行きました。 弟にとっては教会デビューであり、初めて共に主日礼拝に出席することができました。

1/21のメモリアルでは、弟とその家族、父が他界して以来40年ぶりに会う、従兄弟、従姉妹たち、錦織先生のご両親など、約二十名が参列しました。 讃美歌が流れ、聖書の言葉が読まれる中、私は、母の人生を振り返りながら、どうして葬儀を教会で持つことになったのか、そして今は母が天国で永遠の命を生きていることを証ししました。

葬儀の後、弟は遺骨を父が入っている浅草の寺の墓に入れようと考えていたようです。 ところが、住職に依頼すると、『お経とお参りをしないといけません。戒名も必要。一番安いものは30万円ですが、一番安いものにする人は殆どいないんですよ。』と言われたのです。

それを錦織先生に伝えると、『教会にお墓があるのではないですか?教会員なのだから、聞いてみたら?』とのこと。 『えっ、教会員?』考えもしなかった言葉でした。 教会に行ったこともない母でしたが、寛先生に洗礼を授けていただいたがゆえに、東京中央教会の教会員になっていた母。 お伺いしてみると、教団のお墓があり、入れていただくことが出来るとのこと。 弟は、母の納骨手続きをしていただく中で、教会は拝金主義ではなく、イエス様を伝える為に全てのことを行っていると理解したようでした。

母に洗礼をと計画していたあの時、錦織先生がコロナに感染してしまい、落胆しました。 しかし、神様は私の思いを遥かに超えて働かれていました。 代わりに寛先生を備えて下さり、母の受洗から始まり、日本にいる家族や親族が福音を聴く機会が何回も備えられてきました。

弟夫婦は、教会の合同納骨式にも参加します。 納骨式は4/4(土)でイースターの前日ですから、永遠の天国の希望が高らかに語られることと思います。

弟は、かつては母のように、教会に行くように勧めても、耳が閉じられていた者でした。 しかし、今や彼にとって教会の敷居は高いものではなく、いつでも行くことが出来ます。 いつでも牧師先生に連絡することが出来るのです。 母を救った神様は、ほかの家族をも神様の時に神様の方法で救ってくださるのです。 そのことを今、先取りしてイエス様に感謝します。 アーメン。

信じるなら、神の栄光を見る、とあなたに言ったではありませんか。(ヨハネ11:40)

<牧師室より>「 2026年4月号とんでもない出来事」

Happy Easter!

春の訪れを告げるイースター、自然界も長かった冬の眠りから覚めて、木々も芽吹いて、花が咲いて、命の力を感じさせる時ですね。

しかし、このイースターは元々自然界の命の復活を祝う日ではなく、もっと大きな歴史上の出来事であるイエスの復活をお祝いするときです。イエスは十字架にかけられ、死んで葬られました。それもただ葬られたというのではなく、洞穴を利用して作られた墓の入り口は大きな石が転がされ、遺体が盗まれないようにと、当時の地中海世界を支配していたローマ帝国の封印がされました。そして、ローマ軍の兵士たちが番兵として墓を見張っていたのです。しかし、それらはイエスの復活の力の前には全く無力でした。イエスはそれらすべてを打ち破ってよみがえられました。死を打ち破り、ローマ帝国の封印にも、番兵の見張りにも勝利されたのです。それは歴史をひっくり返してしまう出来事でした。実際に、それまで人々を恐れて逃げていたイエスの弟子たちも、復活のイエスに出会って、命をかけてイエスのことを伝える者に変えられました。逃げも隠れもしないで、大胆にイエスの復活を証言していったのです。そして、300年という時間をかけて、イエスの教えは人々の間に広がっていき、それに従う人々が社会をひっくり返し、ついにはローマ皇帝自身が「イエスを救い主として信じなさい」と勅令を出すようになったのです。

そして、それは今から2000年前にそんな出来事があったのだ、というだけではありません。今も、そのイエスをよみがえらせた神の力が、私たちのうちに注がれているのです。聖書には以下のような言葉があります。

「神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。」

エペソ人への手紙 1章19~21節

私たちが神を信じるときに、2000年前にイエスを復活させた神の力が、今も、私たちのうちに働くのです。この力を経験しませんか?

今年のイースターは4月5日です。教会では午後1時半からイースター礼拝、そして、礼拝の後にはお食事会(愛さん会)があります。是非お出かけください。

<牧師室より>2026年2月号「教会を建て上げる」

2026年は皆さんはどんな思いでスタートしましたか?

私はここ数年、毎年のように「健康に気を付けなければいけないな」とか、「からだを動かさないといけないな」と思います。今も、机の前には「燃」という漢字が2枚も貼ってあります。きっと「心燃やされて、脂肪も燃やす」という思いだったのでしょう。今年も、「最近、ほぼ同じテーマだけど、今年もそうだな・・・」と思いつつ、寒さに震えながら、余り動けないまま2月を迎えています。

個人としてはそんな感じですが、私たちの教会は、今年この御言葉をいただいてスタートしました。

「キリストによって、からだ全体は、あらゆる節々を支えとして組み合わされ、つなぎ合わされ、それぞれの部分がその分に応じて働くことにより成長して、愛のうちに建てられることになります。」

エペソ人への手紙 4章16節

聖書は教会を「キリストのからだ」と語っています。これには何重もの意味があります。

    1. 「からだ」だから、手と足は違う、目と耳は違う、その違いを認める。
    2. 一つの「からだ」だから、それぞれの部分、手と足、目と耳が繋がっている。
    3. 生きている「からだ」だから、そこに血が流れている。喜びも涙も共有する。
    4. 「キリストの」からだとして、一人一人がキリストに従う。
    5. 「キリストの」からだとして、教会全体がキリストの生き方を表していく。

このキリストのからだを建て上げていくことを今年の課題として、歩んでいこうと思います。そして、このための鍵になるものは「愛のうちに」ということでしょう。聖書は他のところでも、「キリストのからだのそれぞれの部分にはいろいろな働きがあるけれども、そのからだに属するすべての人が求めるべきものがある、それが『愛』だ」と語ります。愛があるから互いの違いを認められるし、愛があるから、互いに思いを寄せ合い、喜びも悲しみも共有できる、そして、愛があるから、イエスが生きたように、私たちも生きることができるのですよね。

でも、そもそも、私たちは愛に生きるためには、まず自分自身が愛されないとダメですよね。心が渇いているときに、心がすさんでいるときに、「愛しなさい」と言われても、そんなことできるわけがありません。だから、もっともっと、私たちは神に愛されていることを知っていこうと思います。私たちのために、十字架にかかって、私たちの罪を身代わりに負ってくださったイエスの愛を、その中に表された神の愛をもっともっと知っていこうと思います。そして、神に愛されている喜びの中で、感謝して、キリストのからだである教会を建て上げることができますように!

<牧師室より>2026年3月号「仕えることとは」

 私たちは今、イエスの十字架への道をたどり、その御苦しみに心を向けて過ごすレントの期間を過ごしています。レントの期間、いろいろな過ごし方があると思うのですが、その一つは教会の外の方々への奉仕を考えるということです。

 ちょうど去年の今頃、毎週のように訪問するホームレスの方がおられました。Harrisonの高速道路の下に日本人のホームレスの方がいるから、なんとかヘルプができないか、と教会に連絡があったのがきっかけでした。彼はパスポートもない、自分の名前も経歴も覚えていない、英語でのコミュニケーションは難しい、ということでした。早速、電話をくださった方と訪問して、それから、しばしば時間を見つけては、コーヒーやホットチョコレートをポットに入れて、彼を訪問し、あるときは一緒に座って彼のニーズを聞いて、何ができるかと模索していました。暖かくなって彼の活動範囲が広がるにつれて、訪問しても行き違いになることが続いているうちに、ほかのルートからのヘルプが入って、身元がわかり、彼は日本の家族のもとに帰って行きました。そのヘルプをされた方々は、彼を自分の車に乗せて病院のERに運び、身元探しに奔走されました。それに対して、自分のしてきたことは何だったんだろうかと思います。彼は今はどうしておられることでしょうか。家族のもとで必要なサポートが入り、元気にしておられるといいのですが・・・。

 ちょうど15年前、東日本大震災の被災地支援のために日本に行っていた妻が、北九州でホームレスの方々の支援をされている牧師の講演会に行く機会がありました。講演の後、妻がその牧師に「支援を長くされていると、裏切られることもありますよね・・・」と語りかけたときに、その先生の返事は「そうだな・・・でも、俺もたくさん裏切ってきたからな・・・」というものだったそうです。

 東京の下町で牧師をしていた父の元には、よくお金を無心に来る人々がいました。あるとき、身の上話をじっくり聞いて、「仕事の面接に行くための交通費が必要なんです。必ず返しに来ますから・・・」との言葉に、お金を渡す父の姿を見ながら、「ああ、あのおじさん、仕事が見つかって立ち直ってほしいな」と思っていました。でも、その後にやってきたのは面接の報告をするおじさんではなく、次々とお金を無心に来る人々。どうやら「あそこに行くとお金がもらえる」という話が広がっただけだったようです。その経験から、私はお金を無心しに来る人がいても、「自分もそんなに余裕があるわけじゃないのに、これがお酒やドラッグになるのは嫌だから・・・」とあまり関わらないようにしていました。

 ですから、この北九州の牧師の言葉と、昨年のホームレスの方との関わりの経験は、今も大きなチャレンジとして心に突きつけられています。裏切られたから、もうやめた、じゃない、裏切られても仕え続けることの大切さを思わされます。イエスが十字架にかかったときに、弟子たちは皆イエスを捨てて逃げ去りました。それでも、弟子たちを赦し、弟子たちを諦めなかったイエスに目を向けて、私たちも、たとえ裏切られることがあっても、仕え続ける者とならせていただきたいと思わされています。

「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」(マタイの福音書 25章40節)