3歳の頃から3つ上の姉に連れられ町内の土曜学校に献金の5円を握りしめ行ったのがキリスト教との出会いです。
途切れとぎれの記憶ですが時々頂く小さなカードがとっても嬉しく宝物だったのを思い出します。斎藤という同じお名前のふたりの牧師がおられて、楽しく、子供讃美歌も沢山教わり、今でも時々口ずさみます。
小学低学年の頃「放蕩息子」のお話を聴いた時は心が熱くなり、それが私の「初恋」でした。
毎日、押し入れに電気スタンドを引き入れ本を読んで、親の言う事も聞かない、弟息子の様であった私を、あの様に迎えて下さる主、その様なお方は子供ながら辺りを見廻しても見た事も聞いた事も無い世界でした。
15歳の高校受験に入るまでは斎藤牧師のいらっしゃる堀切教会に通いました。
その主を知った私が、その後は高校、デザイン学校と、成績はともかく生活は主とかけ離れてしまいましたが、「主の祈り」だけは私の身から離れませんでした。
1989年にアメリカに渡り、ノースカロライナ州のチャペルヒルに住んでいました。
今、手術しないと2週間の命と言われた60歳の時、同じ乳がんを経験した台湾の方にお話を伺いに行った所、日本人の大学教授の乳がん経験者が近くに居るので紹介しましょうかと言われましたが、その時はお断りしました。
幸いに手術で全ての癌は取り去られました。
2年後の1月に連れ合いに肺がんが見つかり7月に亡くなり独りになった時に、先程の台湾の方にお話頂いた方の紹介をお願いしました。
連絡を取り翌日山内先生にお目にかかれたのも主のお計らいであったと思います。
その晩は1ヶ月に1度の山内家でのバイブルスタディの日でした。約20名の日本の方が集まり、リーダーは山内先生のご主人で、そこにはラーリーの日本人教会の横井牧師もいらっしゃいました。2年後横井牧師から洗礼を受けました。
64歳の「放蕩息子」です。
ノースカロライナからNYに来て約10年、NJの教会の礼拝に参加させて頂いてから5年程、毎週の教会が喜びです。
讃美歌も沢山覚えました。
若い方々とご一緒出来るのも嬉しいです。
私に何が出来るのかを探すのも楽しみのひとつになって来ています。
あの小学低学年の子供が恋をしたと思っていたのは思い上がりだったと今はっきりと判ります。私が恋をしたのではなく、主に愛された時だったのです。