2018年11月25日 『我らを持ち運ぶ神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: イザヤ書46章1節〜9節

 

アブラハムの伝説。「こんなのに、そんなことできるわけない」
人々に運ばれる神と、私たちを運ぶ神。神はあなたを背負われる。
1)あなたをここまで運んだ神
自分の力で生きてきたと思っている私たち・・・違う。私が運んだ。
イスラエルの民・・・アブラハム、ヨセフ、モーセ「出エジプト」
あなた自身・・・子供の時から、一つ一つの出会い、神のところに導かれた。今日ここにいるのも、神があなたを運ばれた。
JCCNJの歩み・・・30年の歩みを支えられたのは神。必要を満たし続けてくださった神。私たちが神を支えているのではなく、神が私たちを支えてきた。
私たちは偶像礼拝をすることはないかもしれない。
しかし、自分が神を支えている、自分が神のために頑張ってきた、と思っているならば、それは偶像礼拝をしているのと同じ。
2)あなたをこれからも運ぶ神
「聞け」(3節)→神に聞くこと。55章「神の思いは人の思いと全然違うよ、だから、神の言葉に聞け!」
私はあなたを造ったから、あなたをここまで導いたから、ずっとあなたを負っていくよ、年老いても、白髪になっても。
「介護が必要な、自分では身の回りのことができなくなっても」私があなたを運ぶから。
Footprintsの詩
イエスは私たちの罪を負われた。死をも打ち破って、私たちを迎えてくださる。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたが神様に運ばれたと感じることはありますか?神様はあなたをどのようにここまで運ばれたでしょうか?
2)これからのあなたの歩みについて、心にかかることはどんなことがありますか?それについて、神はどのように約束をしておられるでしょうか?

 

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