2018年4月15日 『何を頼るか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章16節〜30節

 

 

イエスのところに来た青年
「永遠の生命を受けるためには・・・」
永遠の生命・・・いつまでも生きる・・・量の問題?
それだけではなく質の問題も大切。・・・神と共に生きる。
→結局「天国」→「神の国」→「神の愛に満たされること」
16節では「永遠の生命」23節「天国」
 →死を超えて神の愛の中で生きること。
「お金と信仰」というよりも、「何を頼りにするか?」という問い。

財産ではなく神を頼る
「何でも守って来ました」というこの青年に「財産を売り払って、貧しい人々に施して、わたしに従って来なさい」と言われた。
もう一つのしなければならないこと、というよりも「神を頼りますか?お金、財産を頼りますか?」という問い。
持っている人はそれを頼りに生きてしまう。持っていない人は神を頼りにして生きることができる。・・・富む人が天国に入るのが難しい。
でも、「人にはできないが神にはできる!」

自分の功績ではなく、神の恵みを頼る
ペテロ「ごらんなさい!私たちは全てを捨てて従いました!」
残念ながらペテロも勘違い。
「捨てる」という行動ではなく、神ご自身を信頼して歩むということが大切。
神の愛、神の恵みを感謝して歩むのか、自分がこれだけやったということを誇って、
報いを求めて生きるのか?・・・天国はどっち?
→20章に続く。

テイクアウトQuestions
1)この青年は悲しみながら去って行きましたが、いったい何が問題だったのだと思いますか?
2)ペテロはどうしてこのようなことを言ったのでしょうか?イエスはどのように答えられましたか?
3)私たちは永遠の生命を受けるために、どうすればいいのでしょうか?

 

 

2018年4月8日 『幼子のように』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章13節〜15節

子ども達を連れて来た母親たち。
→弟子たちは諌める。
→イエスはその弟子たちに対して憤られる。
「子どもたちが私のところに来るままにさせなさい」

マルコ10:15「あなたがたも幼子のようにならなければ」!!?
でも、聖書には「考え方では大人になれ」とある。
1コリント14:20, ヘブル5:11-14
イエスの「幼子のようになりなさい」はどんな意味か?

「天国」の先入観を取り除く。
「天国」→「神の国」→「神の支配」→「神の愛の支配」
→「神の愛に満たされること」「神の愛に満たされた生き方」

「幼子のようになる」とは?
「主の祈り」のよびかけ。・・・私たちの父よ。
「アッバ」・・・父親を信頼して呼びかける言葉。もともと幼児語。
マルコ14:36,
当時の人々はそのように神に呼びかけることは考えられなかった。
ローマ8:15, ガラテヤ4:6
奴隷の霊ではなく、神の子としての霊を受けている。
→イエスを信じる人々は神のご機嫌をとってビクビクする生き方ではなく、
神の子として、神を信頼して、その胸に飛び込む生き方へ招かれている。
⇔放蕩息子の兄のように「私はこれだけやったのに・・・」
この続きのペテロの言葉「私は全てを捨ててあなたに従いました・・・」

テイクアウトQuestions
1)「天国」「神の国」はどんなところだと思いますか?
2)あなたは大人になって、何か失ったものはありますか?子どもから学ぶことはあるでしょうか?
3)「幼子のようになる」ことはどういうことでしょうか?あなたにとって、そのために難しいことはありますか?

2018年4月1日 『信じるものになりなさい』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書第20章19節〜31節

イエスの復活は信じられる?
昔だから信じられたのではない、イエスの時代の人も信じられなかった
→トマス「十字架の釘の跡に指を入れて、脇腹に手を入れてみないと」
そのトマスが信じられた・・・私たちも信じる者への招かれている。

トマスはどうしてこんなことを言ったのか?
取り残されたような?
どうして私がいない時に?
信じさせてくれ!
信じたいけど信じられない!

イエスはトマスにも現れた「さあ、あなたの指を、あなたの手を」
トマスは「我が主よ、我が神よ」と。
イエスを信じられなくて、仲間を信じられなくて、申し訳なさ。
神を神としないで、自分の考えにこだわって生きる・・・罪。
それを悔い改めた。
1週間前の自分の言葉「指をいれて、手を入れてみないと」を
イエスは聞いておられた。
見えない時にも、イエスは確かにそこにおられて、聞いておられた

トマスは私たちの代表。トマスがいてくれてよかった。
トマスへのメッセージは、私たちへのメッセージ。
トマスの信仰告白は、私たちの信仰告白。
カラバッジョや他の画家たちの絵・・・本当に入れたのか!?
そ
の手を引っ張っている手・・・イエスが信じなさいと招かれる。

テイクアウトQuestions
1)イエスの復活を信じてますか?どうして信じることができましたか?どうして信じることができないのですか?
2)トマスはどうしてこんなことを言ったのだと思いますか?
3)「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」とのイエスのメッセージは私たちにどのような意味を持っているでしょうか?

2018年3月25日 『イエスよ、どこまで』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マルコによる福音書第15章16節〜41節

 

十字架は飾りではなく、アクセサリーではなく、私たちの生き方。
ただ、十字架を掲げるだけではなく、十字架を生きる。

1)イエスよ、どこまで人は罪深いのですか?
①王なる方を徹底的に侮辱するまで。
「王様万歳」「つばをかける」「十字架から降りてこい」
②自分の罪を自覚できないほどに
マルコ15:10ピラトは妬みのためであるとわかっていた
自分はわからない、でも、他人から見たら、妬み。
③私はここまでひどくないと思うまで。
私たちはこの箇所を読んで、ここまでひどくないと思う。
メル・ギブソンの「パッション」の撮影エピソード。
この人々の姿は私たちの姿。

2)イエスよ、どこまであなたは人を愛するのですか?
①徹底的な侮辱を耐えられるまで。
1)-①の侮辱をイエスは耐えられた。
「救い主ならそこから降りてみろ」
・・・イエスは降りることができた
・・・でも降りなかった。私たちの救いのため。
②父なる神に捨てられるまで。
「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」
イエスは罪を負って罪の塊になって捨てられた。
③神殿の幕が二つに裂けるまで
聖なる神と罪をもつ人との間を隔てる幕
神が「これはもう必要ない」と真っ二つに裂かれた

<テイクアウトQuestions>
1)人はどこまで罪深いでしょうか?あなたはどこまで罪深いのでしょうか?
2)イエスはどこまであなたを愛していると思いますか?
3)あなたはこのイエスの愛に、どのように応えるでしょうか?

 

 

2018年3月18日 『夫婦についてのイエスの教え』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第19章1節〜12節

 

マタイ19:1–12
「夫婦についてのイエスの教え」

パリサイ派の生き方・・・線を引く
どこまで許されるのか?
→離婚は許されるのか?どんな理由ならOKか?
イエスの教え・・・中心を示す
「夫婦は一体である」
「神が合わせられたものである」

創世記2章の夫婦の始まり。
第1コリント6:16の「遊女につく者はそれと一体になる」
→夫婦は霊的に、魂のレベルで一つになっている。

「私と相手は違う」というところからの出発。
結婚の誓い・・・どうして必要か?自然とできるわけではないから。
「私とあなたとは違う二人の人なんだけれども、神によって一体とされたのだ」ということころから出発する。

エペソ5:33
Emerson Eggerichesの”Love and Respect”
夫が受けるのが必要なのは尊敬であり、妻が受けるのが必要なのは愛である。

自分から始める。愛するためのエネルギーは神からくる。
神はひとり子を与えるほどに私たちを愛してくださった。
愛された喜びをもって愛する。

<テイクアウトQuestions>
1. あなたは線を引く生き方で満足していることはないでしょうか?例えばどんなことがあるでしょうか?
2. 夫婦の間での互いの違いを認めることと、夫婦として一体だということはどのように両立するでしょうか?
3. あなたが夫を妻を(または一般的に隣人を)愛するために具体的にすべきことは何だと思いますか?

2018年3月11日 『共に歩む喜び』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ピリピ人への手紙2章1節から11節

 

ピリピ2:1–11
「共に歩む喜び」

7年前に思わされたこと。
支援する人々を支援する
長く覚え続ける

宮古の教会の歩み
教会存続の危機の中での震災
教会堂は被害を免れた。
「救援物資あります」「携帯の充電できます」の貼り紙
→誰も来ない。
避難所に出て行く。耳を傾けて行く。仕えていく。
→信頼を築いて行く。

高く掲げられる十字架
・・・しかし、私たちはそのように生きているだろうか?
イエスは私たちのために低くなられた。

・・・私たちと共に歩むために。
・・・その低くなられたことの極致が十字架。
→そこに私たちも招かれている。


テイクアウトQuestions
東日本大震災で被害にあった方々、痛みの中にいる方々のために、私たちは何ができるでしょうか?
あなたは十字架を見るときにどんなことを感じますか?イエスの十字架はどんな意味があるでしょうか?
あなたの隣人は誰ですか?

2018年3月4日 『赦し合う教会』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章21節〜36節

 

18 章のテーマ・・・教会はどんなところか。
1-14・・・一人一人が神の宝として受け入れられているところ。
15-20・・・罪と悔い改め
21−35・・・赦し合い

罪が軽んじられるのではない。悔い改めに招かれている。
そして、どこまでも赦し合う。

  1. 神の豊かな赦し
    1万タラントの赦し・・・5000回の人生=自分では返せないもの。
    「あわれに思って」・・・原語では「ハラワタが痛む」
神は、私たちの痛みをご自身の痛みとして受けてくださった。
    赦されたことが事実。豊かに赦されたことが事実。
  2. 赦し合うために
    ペテロの「7回までですか?」・・・普通は3回だった。
イエスの答え・・・7を70倍するほどに・・・どこまでも。
    100デナリ・・・100日分の稼ぎ。・・・赦せない。
・・・それはお互いの関係だけで見ているから。
全体が見えていない・・・主人から1万タラント赦されている
    私たちも豊かに赦されていることを忘れていないか?
    私たちの人間関係は神のもとになければならない。
    「愛の正三角形」神とあなたとわたし
  • テイクアウトQuestions
    1)私たちは人が赦せない時、どういう理由で赦せないのでしょうか?
    2)互いに赦し合うために必要なことはなんでしょうか?
    3)神様との関係が変わった時に、人との関係も変わったということがありますか?それはどんなことだったでしょうか?

2018年2月25日 『教会のしるし』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章15節〜20節

18 章のテーマ・・・教会はどんなところか。
1-14・・・一人一人が神の宝として受け入れられているところ。
何が教会のしるしか?・・・マタイの2箇所の「教会」から。
①信仰告白(16:13-19)
②罪と悔い改め(18:15-20)

1)罪を罪として忠告すること
罪が軽く扱われてはならない。
噂話にしてはならない。皆の前で避難するもの違う。
まず一対一で→2−3人で→教会に訴える。

2)悔い改めに導くこと
一対一で語る時にも悔い改めが期待されて入る・・・兄弟を得る。
2−3人で語る時にも、教会に訴える時にも、悔い改めへの招き。
教会がその人を「異邦人や取税人のように扱う」時も、
悔い改めへの招き。・・・マタイ自身が「取税人」出身。

3)祈りによって支える
罪の忠告と悔い改めへの招きは祈りによってなされなければならない。
心を合わせて祈る祈り。
そこにある主の臨在
マタイ全体を通して貫くメッセージ。1:23→18:20→28:20

テイクアウトQuestions
1)自分の罪を示されたことがありますか?その時は、どんなことを思いましたか。どんなことを罪として感じたでしょうか?
2)誰かが罪を犯しているのを見た時に、あなたはどうするでしょうか?聖書が勧めていることを実行するのが難しいなと思うことはありますか?
3)先週のメッセージにあった「一人一人が神の宝として受け入れられているところ」ということと、今日のメッセージはどのようにつながるでしょうか?

 

 

2018年2月18日 『神の宝物』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書18章1節〜14節

18 章のテーマ・・・教会はどんなところか。
あなたは誰?「私は~である」という文章を20書く。何が出てくる?
「私は神の宝物」「この人も神の宝物」というアイデンティティー。

  1. あなたも神の宝物
    弟子たちの質問「天国では誰が一番偉いのか」・・・比較の世界の質問
    この質問は私たちの質問でもある。このイエスの答えは、私たちへの答えでもある。
    イエスの答え「この幼子のように自分を低くする者が・・・」「自分はどこまで自分を低くできたかな・・・」とを考えることではない。
    天国→神の国→神の支配→神の愛の支配→神の愛に満たされること
    神の愛を信頼してそこに身を委ねること、それが神の国の生き方。
    あなたは神の宝であるというメッセージを幼子のようにそのまま受け入れること。比べる必要はない、比べる意味はない。
  2. 彼も神の宝物
    自分を神の宝物として受け入れる時に、隣にいる誰かも神の宝。
    小さな者を受け入れる、小さな者も躓かせない。
    教会の功利主義、成果主義の危険。役に立つ人が大切にされる。
    →イエスがご自身の血を持って買い取ってくださった教会と違う。
    役に立つかどうか、それが教会にとっての大切さではない。
    神様に愛されなければいけない人々の集まり。
    第一コリント12:21-25・・・弱く見える肢体が必要。

テイクアウトQuestions
「私は~である」というものを20個考えてみてください。その中で一番大切なのは何でしょうか?
周りの人と自分を比べることはありますか?そんな時どんな気持ちになりますか?それに対して神様はどのように言ってくださいますか?
教会が功利主義になったり、成果主義になったりすることの危険はなんでしょうか?教会で一番大切にされるべきことはなんですか?

 

 

2018年2月11日 『神の子として』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所:マタイによる福音書17章22節〜27節

  • 2015年から読んで来たマタイによる福音書の続きに戻る。
  • 今年のみ言葉「わたしたちが神の子と呼ばれるためには・・・」
  • 「子は納めなくても良い」・・・元々「子は自由なのである」
  • しかしイエスは宮の納入金を納めた。人々を躓かせないため。
  • 私たちも神の子として自由。でも、その自由をどう使うか。
  1. イエスの自由
  • 出エジプト記に出てくる「神殿の納入金」
  • 王はその子から税金や貢物を集めない。では、神の子であるイエスは神殿の納入金は払わなくていいのでは・・・でもイエスは納めた。
  • 自由な神の子イエスが、私たちのために全てを捨ててくださった。
    ピリピ2:6-8
    十字架にまで行ってくださった。全世界の人々の罪を負って、罪の塊となって、父なる神に捨てられてくださった。
    →私たちの救いの喜びのために。私たちの平安のために。
  1. 私たちの自由
  • イエスの言葉「真理はあなたがたを自由にします」(ヨハネ8:32)
    でも、人々はそれで怒ってしまう。「私たちは元々自由だ!」
  • 自分が縛られていることを自覚するところから自由への道が始まる。
  • イエスによって与えられた自由を何のために使うのか?
    ガラテヤ5:13
    愛をもって互いに仕え合う。
  • 自由の中で、主を愛し、人に仕えよう。

テイクアウトQuestions

  1. あなたは自由ですか?
  2. あなたは神の子としてどんな特権を持っていると思いますか?どんな喜びを知っていますか?
  3. 聖書は私たちが与えられた自由をどのように使うように招いていますか?どのように使おうと思いますか?