- 説教者 : Randy Hongo 牧師
- 聖書箇所 : マタイによる福音書28章18節-20節
投稿者: jccnj
「私には3人の小さな息子がおり…」
私には3人の小さな息子がおり、2009年の Joy Joy Camp にその当時6歳だった長男を参加させました。一週間のそのキャンプが楽しくてたまらなかったようです。それ以来家族を連れて時間があれば教会に通うような生活が始まりました。
今年の夏は、次男と三男が通っているプレスクールも一足早く夏休みに入り、3ヶ月の長い休みを忙しく過ごすことになりました。どういう訳か、今年は夏休みに入る前から自分の気持ちが何に対しても消極的になっていました。今までの人生の中でそんな風に思った事はなかったのですが、自分でも何故かなと思いつつ過ごしていました。小さな下の二人は何処に連れて行っても時間がかかる事ばかりで、育児に対する精神面では、自分自身もかなり一杯一杯のところでがんばっていたように思います。自分自身をどこかで発散出来る時間を持っていた訳でもなく、友達と普段のように話をする時間を持っていた訳でもなく、その上、長男の学校が夏休みに入ると最初の一ヶ月はタウンのキャンプ、次の一ヶ月はアイスホッケーのキャンプと、本当にどういう訳か自分の気がめいっていきました。そんなある日、自分自身に異変を感じました。ご飯を作ることも出来なかったどころか、気持ちが下に下に向いていき、そして、時にはいきなり精神異常者のような行動さえも取ってしまいそうになりました。何かに呪われたかのように短い距離を行ったり来たり、頭が混乱して自分がつぶれそうになったり、いきなり大声を出しそうになったりしました。私はついにおかしくなってしまったと思いました。でも、頭の中にあるほんの少しの正常な気持ちが、そんな自分の姿を子供に見られたくはないと思い、必死で自分の行動を止めました。
そんななか、まだ長男のホッケーキャンプが後3日程残っていました。主人が朝連れて行ってくれたので私はピックアップするだけだったのですが、その日アイスホッケーリンクの小さな更衣室で息子を見るといきなりパニックに陥り、その時も母親である私は必死になって自分の姿を息子に見られないようにと、かすかな自分の正常心に頼って、自分をがんばって抑えました。あとの残り2回のピックアップは到底この精神状態では無理だと思い、どうしようかと悩みに悩みました。
次の日のピックアップの1時間前頃、私はある一つのセンテンスを思い出しました。教会で錦織牧師の説教を聴いている時にあった、“もし神様がいるのなら祈ってみようと、その人達は思いました。”でした。神様の事も聖書の事もまったく知らなかった私ですが、不思議とその言葉が強烈に印象に残っていました。そこで私は、もうこれしかないと思いました。もし神様がおられるのなら祈ってみようと。私は心を静め、ひざまづき、全身全霊で祈りました。“神様、本当にあなたが居られるのなら私を助けて下さい。今の私では息子を迎えに行くことすら出来ません。どうすればいいのでしょうか?助けて下さい。御願いします。”すると、出発しなければならない時間の少し前に友人から電話があり、事情を聞くなりすぐに飛んで来てくれて、私の代わりに行ってくれました。有難い事に、次の日も行ってくれて本当に助かりました。実は、その人なら頼んでみようかなと思ってた相手からの電話だったので、少しびっくりしました。
そんなある日、体力的にも精神的にも限界を感じ、子供を友達の家に預けて主人に緊急病院に連れて行ってもらいました。何にも悲しいことがないはずなのに、涙が止まらずずっと泣いていました。悲しくて悲しくてたまりませんでした。私は、今まで自分が強い人間だと思って生きて来ていたので、とてもショックでした。強く生きてきたはずだった私が、3人の子供すらもまともに育てられない人間だったのかと。なんて弱い人間だったんだと自分であきれてしまいました。病院では精神科医と話をし、その後もフォローアップが必要との事でした。血液検査の結果は正常だったので、しばらくして家に戻されました。その時以来うつ病解消の薬を飲み続けていますが、薬は直ぐに効き始め快適でした。ただやはり最初のうちは、誰かと何時もいないと不安で不安でたまりませんでした。
主人には以前から予定していた10日間程の日本出張がすぐにひかえており、一人で子供と一緒にいるには本当に心配で、と言うよりは無理だと思いました。その時、友人から9月の東海岸合同ファミリーキャンプに誘われ、周りの人達の協力もあり、息子3人と私とで参加出来る事になりました。とても有難いことでした。何かあっても一人じゃないという安心感で、夜もよく寝れました。キャンプ1日目は、普段の疲れもあり、一人でゆっくりと部屋で休養を取りました。2日目は、岩淵まことさんの“God Bless You” を聴き感動しました。歌声もさることながら、あの歌詞が自分の心境にぴったりとはまっており、そこに加えて神様の存在が入っていました。神様の存在に興味がある私ではなかったのですが、その歌詞によって、“もしかしたら、神様と私の関係とはこのような関係なのかな?”とか、“神様はこんな風に私を祝福してくれたり、守ってくれたりするのかな?”などと少し気になり始めました。不思議と、この曲は、クリスチャンではなかった私が一生聴いていく曲だと思いました。
3日目、キャンプも終盤に入ってきました。それでも、まだまだ私の心は神様に向いていませんでした。最後に岩淵まことさんが、また“God Bless You”を歌われ、ついに心が込み上げてきて大泣きしてしまいました。歌が終わるとすぐに、特に私を支えてくれた友人2人と大きなハグを交わしました。その間、人間というのはこんなにも心の底から果てしなく力強い感謝の気持ちが湧いてくるのかと思うぐらい、今までに初めての感謝の湧き出る力に驚きました。本当に驚くぐらいのパワーで、自分には無い何かの力が加わったような感じでした。ようやく涙も止まり、すべてのものが身体から出でしまったかのような感じになり、ぼーっとしていた時に奇跡が起こりました。太い空気のつつの様な物が喉の真ん中の方からゆっくりと喉の下の方に降りてきて、もしその縦のつつのラインが全ての正常を意味するならば、私の精神面と体力面はそのラインから遥かかけ離れた所にあり、まるでその2つの面がそのつつに引き寄せられてバシッとパズルのようにはめ込まれた様な感覚を感じました。ガシャッ、ガシャッとはめ込まれた音が聞こえたようにも感じました。すると男の人の声で、“あなたは、もう守られたので安心して下さい。”と聞こえてきました。その次に、胸の辺り一帯が暖かくなってとても心地よい気持ちよさを感じました。それが終わると、頭の先から爪の先まで全身がやさしさに包まれました。そのやさしさは、人間の力では出せない心地良さであって、何かに包まれたような感じというか、身体の全てが入れ替えられていた感じというか、何ともどういう風に伝えたらいいのか、とにかくとてもやさしく身体が宙に浮いたような気持ちの良い感覚を感じました。30秒ぐらいの体験だったと思います。一体あれは何だったんだろうと不思議に思いながらキャンプから帰りました。その数日後、その体験をクリスチャン夫婦に話したところ、その話に驚かれて、“それは聖霊様の働きです。”と言われ驚きました。正直に言って、聖霊様と言われてもあまり判らなかったのですが、それからその事について一日中考える毎日を過ごしました。考えて考えたあげくに、あれは神様だったのかと疑いなく認めることが出来、そして、またあの時の事を思い出しました。思い起こせば、あの時の一瞬にて、私は神様から最大の愛を頂き、強さ、やさしさ、友情、光、勇気など、人間が生きていく上で必要なもの全てを捧げて頂いたと確信しました。どんなにすばらしい人でもこんな事は出来る訳がありません。私は今までの人生の中で、この人は尊敬できる人だとか、こんな人に憧れるとか、あまり思ったことは無かったのですが、神様の存在は別格でした。神様は人ではありませんが、人だとするならば、こんなにすばらしい人が居るなら全身全霊を賭けて着いて行こうと思いました。着いて行かないと損をすると思ったり、いや、一歩も離れたくないとも思いました。そして、こんなに弱い人間の私が神様をいつも胸に持つことで、以前よりも楽な気持ちで、神様を通す事によって自分自身が強くなれている事を実感し、それに加え、平安と豊かさをも与えられている自分に驚かされます。
確かに以前の私は、一人で踏ん張っていたどころか、豊かさなど全く持っていませんでした。神様の力はこんなにも凄いものかと、想像を遥かに超え、何もかもが驚きでなりません。神様に出会ってから、今まで心の底から感じることの出来なかった“豊か”と言う言葉が大好きになりました。
最近いつも思うことですが、普段の生活の中で“偶然”はなく、神様が居るからこそそれが起こったんだと考えると、小さな事にも神様の存在を感じ、胸が高鳴る思いの感動を与えられます。神様は目に見えるものよりも目に見えないものを信じると言う事を教えてくれました。それは決して目の前から消え去る事がなく、いつも自分の中に存在してくれるからです。私は、いつでもどんな時でも神様と一緒です。そして、そこには暗闇も無ければ不安もありません。私にはすばらしい家族がいますが、神様はわたしの全てであり、私の救い主でもあります。今日に至るまで、神様はたくさんの人達を通して私を支えて下さり、いつも愛と恵みを注いでくれています。私は、これからの人生を神様と共に過ごせる事を喜びに思い、神様に向かって私はいつも心を全開にし、お祈りを捧げ、賛美していきます。
全てを主に感謝して。
月報2011年1月号より
「主に信頼する者は祝福される」
元メンバーで今は横浜にお住まいの中上祐子姉のお母様が、今年の10月3日に天に召されました。お母様はNJに住んでおられた中上姉のご一家を訪ねて、JCCNJにおいでになったこともあります。今回、お願いして中上姉のお母様の召天に際してのお証を頂きましたので、ここに掲載させていただきます。
「主に信頼する者は祝福される」
「主に信頼する者は祝福される」 これは母が最期に残したメッセージです。
去る10月3日、母が天に召されました。
「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」_テモテ4:6,7
この御言葉を思い浮かべることのできるような天への凱旋でした。私が10歳のときに父が天に召されてから女手一つで育ててくれた母は、私にとって最愛の人であり頼りにしていた存在であったと今さらながら気付かされます。
母は父と結婚してまもなく岐阜県瑞浪市で開拓伝道をスタートさせました。牧師夫人として陰で支えていましたが、父が召されて後、今から13年前に母が牧師として仕えるように導かれました。2005年からは名古屋にあるホープチャーチの牧師として仕え始め、今年でちょうど5年目に入るところでした。
今年の初めに母はこの1年の主への決心として「信頼」という言葉を掲げました。「今年は何があっても主に信頼します」そのような決意でいました。
今年、主が自分に何をしてくださるのだろう、という期待をもって歩み始めた1月の半ばに突然の腹痛で病院に行きました。検査の結果、末期の大腸がんで転移もしている、即入院となりました。原発となっている大腸がんの手術がすぐに行われましたが、この手術は成功し、比較的早く退院することができました。
体力が回復してきた頃から、次はリンパに転移しているがんの進行をおさえるための抗がん剤治療が始まりました。それは同時に母の信仰の戦いの始まりでもありました。
苦しい副作用で寝たきりの状態が続くなか、母は主の前に祈り求めていました。
この治療を受けることは本当に主の御心でしょうか?
たくさん、たくさん祈ったことでしょう、今年の初めに主に決心した「信頼」という言葉を通して主からの語りかけをいただき、主と母のあいだで母は抗がん剤治療を受けない、という決心をしました。これは他の人にはなかなか理解されにくいことであったかもしれませんが、私は母自身が祈ってそのように導かれたことだとなぜか容易に受け入れる事ができ、不思議な平安がありました。主が母のその決心をサポートするようにと私の心までも準備していてくださったと信じます。
そして母はその後の抗がん剤治療をやめました。めきめきと体力も回復し、母は牧師としての働きに戻りました。メッセージを語らせていただけること、学びの準備をすること、また平日に教会に行って仕事をすること、また食事ができること、すべてにおいて喜んでいました。
余命は医師から宣告されていたようです。でも自分のいのちは主の御手のなかにあり、主が良し、とされたときには主のもとに行くし、主がまだ、と言われるならばこの地上で主のために働かせてください、というのが母の祈りでした。
母が抗がん剤の治療で苦しいときに、少しでも母の励ましになれば、と思って、今示されていることなど何でもいいから形にしてCDに残してみない?と提案したことがありました。「今はとてもそんな気になれない」、当然ながらそんな断りの返事でしたが、抗がん剤治療を止めてしばらくしたったある日「やっぱりあかしを録音してもらいたいな」、と言ってくれて4月に横浜での録音が実現しました。これが本当に末期のがん患者かと思うほど元気で顔色も良く、何より喜びと活力に満ちていて、娘ながら圧倒されるほどでしたが、心のどこかでこれが最期の録音になるかもしれない、と思いつつ臨みました。
6月には母の念願であった父の召天30周年記念礼拝をすることができ、大きな役割を終えたとホッとしていました。その会は祖父である父のことを全く知らない孫たちに、信仰者としての祖父の姿を知ってほしいという母の祈りに満ちていました。
一つ一つ身のまわりの整理をし、準備して行く母。最期はホスピスで過ごしたいと、こちらも自分で準備していたおかげで、希望通り最期のときをホスピスで過ごしました。
そのホスピスは2009年3月に開院するにあたってボランティアを募集したことがあったのですが、実は母はそのボランティアになるべく研修をしばらく受けていたことがありました。母はもし導きならばこのボランティアの働きを通して、人生の最期を迎える方に福音を少しでも語る機会が与えられれば、という願いもあって研修を受けていたのです。しかし研修を受けて行く毎に、ボランティアの身では語ることは許されない、ということがわかりその研修はやめました。そんなことがあったので、母にとってこのホスピスに入ることはとても不思議な導きであったでしょう。ボランティアの身では語ることが許されなくとも自分が病人としてこのホスピスに入った今、自分には他の病室の方やお見舞いに来てくださる方に自由に語る事が許されている、私は何と幸いなんだろう、と母は喜んでいました。
ホスピスに入ったのは9月の初め。7月頃に「4月に録音したあかしとは違うあかしになっているからまた録り直したい、9月には横浜にまた行くから」と言っていましたが、実現することはありませんでした。その代わりに病室で母のあかしを録音しました。転移したがんのために喉の詰まりがひどく水はもちろん唾も飲み込めないほどでしたが、一度語り始めたら聖霊に油注がれて言葉が溢れ出し、主に導かれるように語りだしました。今でもそのときの姿は目に焼き付いています。母のリクエスト通り告別式にお渡しする物としていつ来るのか分からない、けれど確実に近づいている最期のときのために準備していきました。
9月も終わりに近づこうとしていたある日、いつものようにホスピスにいる母に電話をかけたら、「あと一つだけあかしに付け加えて欲しいことがあるから代読してほしい」と頼まれました。その内容を聞いたとき、私は涙が溢れ出ました。なぜならば、その一言には母が最期に主からいただいた大事な大事なメッセージが詰まっていたからです。次に会いに行くときにわかるようにメモしておいてね、と涙ながら伝えましたが、その次に母に会ったのは母の意識がなくなったという知らせを受けてからでした。メモはちゃんとありました。手に力が入らなくなったような字で最期のメッセージが書かれていました。
「私は今まで高慢な自分であることに気付かなかった。ホスピスに入ってなおも、自分を用いていただきたい、イエス様の働きをもっとさせていただきたいと思っていた。でも主が私にさせたいことは、私が何もできない者であることを教えるためであった。」
このような病になってもなおホスピスでも用いていただけるのなら用いていただきたい、と願っていた母でしたが、現実は日々倦怠感のため病室から出ることさえもできなかった。痛みは緩和されても体力的に談話室に行く事もできなかった。自分が思い描いていた姿とはほど遠かったこの現実に、母はきっと落胆の思いで涙の谷を通ったことでしょう。自分のいのちが尽きるその時まで私を用いてください、そのような祈りが決して間違っているとは思いません。しかし、過酷な幼少時代を過ごした母にとっては、自分ががんばれば何でもできると今まで人一倍がんばって生きてきた、いや、そのように生きるしかなかった母に、主はこのようなところを通してでも最期の最期にどうしても伝えたい大きな大きなメッセージがあったのだとわかりました。
「私の恵みはあなたに十分だよ、何もできなくてもあなたの存在自体を愛している、それで良いのだ」
この主からの語りかけに母は本当の意味で初めて主のみつばさのもとで身を休めたことでしょう。それを現すかのように、丸2日意識がなくなって深い眠りに入っていたときの母は、痛みも全くない状態で実に安らかな顔をしていました。まるで今までの眠りを取り戻すかのように深い息で呼吸し、病室内は何とも言えぬ主の平安で満ちていました。そしてついにこの地上での最期のときには、主からのこの愛のメッセージをにぎりしめながら主の御腕に抱かれ主のもとに行ったことと思います。
決して平坦ではなかった闘病生活、信仰も毎日毎日が戦いであったことが後に母が記した日記からわかりました。それでも「私は後悔は一つもないのよ、大丈夫、主が最善をなしてくださるから」と言っていた母。何もできなくとも母のその信仰の姿こそが多くの人を励まし力づけました。そして何よりも、母が最期に主から受け取ったメッセージは、後に連なる私たちの信仰に大きな祝福と励ましを与えてくれました。たとえ思い描く姿が自分が願っていたようではなくても、なお主の語りかけに耳を傾け続けた、そのような母の主に対する信仰を少しでも受け継げたら、そのように思います。
「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」_テモテ4:8
私たちは皆、いつしかその時を迎えます。その時が来るまで、主に信頼し、勇敢に戦い、走るべき道のりを走り、信仰を守り通すことができるように、互いに祈り合い、愛し合い、励まし合う者とされたいと願います。
堪え難い現実から逃れたいような時があったとしても「あなたの存在自体を愛している」と語ってくださる主がおられるなら、私たちはきっと走るべき道のりを勇敢に走り終えることができる。主を見上げて歩んで行きたいと思います。
全てを主に感謝して。
月報2010年12月号より
