- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : ルカによる福音書18章15節-17節
投稿者: jccnj
「主の御名を賛美いたします。…」
主の御名を賛美いたします。
3年前の私の病気に際して戴いた教会の皆様のお祈りにあらためて心から感謝します。
2006年2月の末、私は東京の自宅から徒歩3分の所に新設された順天堂大学医学部付属病院で総合的に身体検査を受けました。今後この病院にお世話になろうと思ったからです。
その結果、大腸の上行結腸に3CMくらいのガンが発見されました。私の友人には大腸ガンを切り取って元気に暮らしている人が何人もいるので「あなたはガンです」と言われても「ああそうか、切ればいいんだ」と思っただけでした。しかし「あなたは糖尿があるし、心筋梗塞もしているので、手術にはかなりのリスクが伴います」というので「どんなリスクで確率はどれくらい?」と聞くと、「5分5分の確率で手術の最中または直後に心筋梗塞や脳梗塞を起こす恐れがあります。病院としては、もしそうなってもすぐ対応する準備はしますが」とのことです。これにはちょっと暗い気持ちになりました。
私自身は本来体が弱く60歳くらいまで生きられればいい方だと言われていたのに、もう75歳だから今死んでも十二分に元は取れている。今目標としている日本人男性の平均寿命78歳だってもう目と鼻の先だ。だから死ぬのはそれほど怖くありません。それでこのままにしていて残された寿命はどれくらいでしょうか?と聞くと「2年間は何も起きないでしょう、3年目も大丈夫かもしれない、4~5年目には必ず腸閉塞になって苦しんで死ぬでしょう」とのこと。最後に苦しむのは困るけど、それだけ時間があるなら手術は受けまいと決めました。
その後いろんな方とお会いする機会がありましたが、みんな私も家内も元気そうで明るい顔をしていると驚かれたそうです。とてもガンの「宣告」を受けた人とは思えないと言うのです。それは私にはとても不思議に思えました。しかし私たちが平安を保てたのは私たちがクリスチャンであることにあると気付かされました。勿論、年齢的なことも大きかったと思いますが、私たちには既に天に永遠の命が用意されているのだということが無意識のうちに死を恐れない安心感を戴いていたのだと思います。
ただ私は何もしなかったわけではなく、3月初めに帰ってくる予定を5月初旬まで延ばし、かねてよりガン治療に著効があると聞き知っていた温熱療法に丸2ヶ月通いました。また、この間、気功治療も受けました。その後、6月に新谷先生の内視鏡検査と転移の有無を調べるCT検査を受けたところ、「ガンは治っていません。今なら転移はないようだからリスクはあっても取ってしまった方がいいですよ」と言われました。ここでも私は手術を拒否、そこで、新谷先生は「では10月にもう一度診ましょう。その時治っていなかったら切る他はありませんよ」と言い残して日本に行かれました。
10月に受けた再検査で私のガンが快方に向かっていないことが確かめられ、新谷先生は私に有無を言わせず、その場で手術担当医のアポイントをとり、アレヨアレヨと言う間に、11月1日の入院手術が決まってしまいました。そして手術。私は麻酔にsensitiveだから気をつけてと言っておいたにもかかわらず、2日の朝まで覚醒せず、その間に心筋梗塞を起こしてしまいました。でも、私は目が覚めて神さまに感謝しました。ガンは取れた、そして、心配していたside effectは心筋梗塞でよかった。
実は私は入院の前にお祈りしたのです。「神さま、私に何か起きるのでしたら、脳梗塞だけはならないようにお願いします。もし脳梗塞になるのでしたら、すかさず天に召してください」と。弟を脳梗塞で亡くした私は、脳梗塞のつらさと家族にかける負担の大きさを身にしみてわかっていましたから。こうして2週間後、私は晴れて退院しました。
この経験を通して私は神様に守られていることを実感しました。第一に初期の段階でガンが見つかったこと。第二にガンと聞いても平安を保つことができたこと。第三に代替治療もトライしてうまくいかないことを納得した上で新谷先生が背中を押して手術に向かわせてくださり、ガンの恐れを取り去ることができたこと。第四に脳梗塞を回避できたこと。そしてもう一つ、子供たちが誰か一人付き添いに来ることを相談し、日頃余りコミュニケーションのない一番下の娘が飛んできて、私と家内のサポートをしてくれ、また、ゆっくり話をする貴重な時間を持てたこと、これらはすべて神さまのみ恵みによるものと言う他ありません。本当にクリスチャンであることの喜びを感じて感謝しております。
月報2009年2月号より
「アメリカ滞在も思いがけなく長くなりました。…」
アメリカ滞在も思いがけなく長くなりました。初めての駐在でNew Yorkに来ましたが、その後、2度目はHouston、3度目は又、New Yorkでした。3度目の駐在の話が持ち上がった時は、子供たちと日本に残る積もりでした。長女は高校生、長男は中学生になっていて、日本の生活にやっと慣れて、もうアメリカには行きたくなかったこと、主人のお酒の問題があったことでした。主人は一人で行く積もりでいたところ、2つの条件が出されました。それは 「お酒を止める事」と「家族同伴」ということでした。これまでの2度の駐在で、お酒の上での問題が多々あり、上司がこの条件を出したのでした。
結婚してから、主人がずいぶんお酒飲みだということを知りました。最初のNY駐在時は多くのお酒の上での武勇伝を残し、帰国時には、「加藤はピアノバーを一軒持つほど飲んだ。」と言われ、Houston駐在の時はますますひどく、連日泥酔状態で車を運転して帰ってくるので、心配で眠れずにいても、「酔ってなんかいない。うるさく言うな。寝ていろ。」と、取り合わず、いつも喧嘩になってしまいます。子供たちは海外転勤の度にとけこむまでの苦労、ようやく慣れて楽しくなった頃に帰国、の繰り返しの中で、家庭を顧みない主人への怒りと不満がいっぱいで、どこにこの思いをぶつければよいのか分からない毎日に、子供たちに怒りをぶつけてしまうような日々でした。主人を憎むようになり、離婚を考えましたが、子供が学校を出るまで、と言い聞かせて過ごす毎日で、家庭は崩壊をたどる一方でした。そして帰国。子供たちは帰国子女の受ける様々な悩みを体験しながら、それでも3年経ってだんだん日本の生活にも馴染み始めた頃に3度目の転勤の話でした。長女は大学受験の準備も始め、秋の修学旅行を楽しみにしていて、長男は中学で得意の水泳で力を現し始めた頃でした。主人は日本に帰ってからも相変わらずの深酒で、真夜中に酔って意識をなくすほどになってタクシーの運転手に担ぎこまれるような毎日で、お酒とタクシー代に家計費も消えてしまうような経済的にも苦しい生活で、3度目の転勤には全く一緒に行く積もりはありませんでした。
その頃、テレビで「くれない族の・・」というドラマがあり、くれない族というのは、ああしてくれない、こうしてくれない、と言う主婦たちのことだと知り、私もそうだなあ、と思わされていました。分かってくれない、家族のことを考えてくれない、子供たちのことも協力もしてくれない・・と、不満ばかりで、では、私は主人のことを理解してあげようとしただろうか、何をしてあげてきただろうか、と考えるようになりました。お酒を止めるという条件を受けるのなら、家族同伴という条件も受けて、もう一度なんとかやり直すことが出来るかもしれないと思い、子供たちを説得して、1986年9月、3度目のアメリカにやってきました。
しばらくは主人はお酒を飲まずにいましたが、又、飲み始め、連日、酔っ払って朝帰りをするようになりました。子供たちも暗い表情で学校に通い、長女は日本の高校生活、友達を思って、落ち込んで頭痛や腹痛で学校を休み、泣いて過ごす日々で、どうしたらいいのか途方にくれる毎日でした。日本を発つ前にクリスチャンの友人が聖書を下さって、ピリピ書4章6節を開いて示してくれました。「何事も思い煩ってはならない。ただ、事々に、感謝をもって祈りと願いをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るであろう。」とありました。神の平安とはどういうものだろうか、と思いました。子供の頃、家の裏に教会があって、礼拝にも出ていたことがあったのですが、その頃には聖書を持っていたことすら忘れているほどでした。けれど、そのすっかり忘れていた学生時分の聖書が持ってきた荷物の中にありました。又、その頃読み始めていた三浦綾子さんの本を読んでいるうちに、聖書を読みたい、知りたい、と思うようになりました。そんな時に聖書を読むという家庭集会に誘われました。当時Philadelphiaにおられた島田牧師が近くに来られたその集会の日は長女が頭痛で学校を休んでいたのですが、先生とみなさんが手をつないで祈って下さって、帰ってみると娘はさっぱりとした顔つきで本を読んでいました。祈りがきかれた?・・・と不思議な気持ちがしました。次の集会の時に、誘ってくれた友人と12月のクリスマス礼拝の時に洗礼を受けることになってしまいました。なんの準備もなく突然、洗礼ということになり、戸惑いを覚えましたが、娘も一緒に受けたい、と言います。ふと思い出しことは、Houston時代に近所の教会のサマーキャンプに娘を入れた時、帰ってきた娘は「私、イエス様を信じて神様の子供になったの」と言っていたことでした。そして1987年クリスマスに、友人と娘と一緒に洗礼を受けました。自分の中にこれ程の涙があったのか、と思うほど涙があふれて止まりませんでした。心の中の怒り、悲しみ、憎しみなどが涙で洗い流されるようでした。
洗礼を受けた後は、全てが輝いて見え、嬉しくて仕方がなく、神様が下さる平安というのが分かりました。でも主人はと言えば、相変わらずの深酒で、やめたいと思ってもやめられないでいるみじめな姿に心が痛みました。断食して祈ろう、と思い始め、4月のある早朝から、「神様、主人を捕らえているお酒から解放して下さい。哀れんでください。」と外を歩きながら涙で祈りました。祈り始めて3日目くらいでしょうか。朝帰りの主人が、お酒を止められない、と絶望している時に、島田牧師と会う機会が与えられました。話の後で、先生の後をついて信仰告白の祈りをしたそうです。その日からお酒を口にしなくなりました。飲まなくなったのではなく、飲めなくなったのです。お酒から解放されたのです。本当に不思議なことでした。そして、私達から半年後の6月に洗礼を受けました。その後、日に3箱も吸っていたタバコからも解放されて、神様の圧倒的な御業には、主人も全面降伏という感じで、それからの主人の変わりようは驚くばかりでした。これまでの苦しみは神様に出会うためであったと分かりました。全てが感謝に変わりました。
「苦しみにあったことは、私にとって良いことです。これによって私はあなたの掟を学ぶことが出来ました。」 詩篇119篇71節
信仰を持ったら全ての苦しみがなくなるのではない。でもどんな状況の中でも主がともにいてくださり、全てを益としてくださる、ということは本当に素晴らしいことです。
1989年に乳がんの診断を受け、手術をすることになりました。手術がまじかに迫っていた8月9日の朝、眠りの中で声を聞きました。「そればかりではなく、艱難をも喜んでいる。なぜなら、艱難は忍耐を生み出し、忍耐は練達を生み出し、練達は希望を生み出すことを知っているからである。そして希望は失望に終わることがない。なぜなら、私達に賜っている聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからである。」飛び起きました。すぐに聖書を開いてみて、ロマ書5章3~5節の御言葉を見つけました。神様の御声を聞いたのです。もう病気も手術も怖くなくなりました。手術後、病院の中で私ほど喜びに満たされていた患者はなかったと思います。点滴のポールを持って病院の廊下を歩きながら賛美があふれました。神様がともにいて下さる喜びでいっぱいでした。
それからも色んなことがありましたし、これからも試練が来ることでしょうがどんな時も神様に信頼することを学んでいます。神様は早すぎることなく、遅すぎることなく、最善の時に最善を成して下さることを知りました。信仰を持ったばかりの時には、20年も経てばもっともっと信仰も成長して、と思っていたのに、相変わらず弱く欠けだらけの足りない者です。それでも、神様の約束は変わることなく、一方的な愛を注いで下さっていることに感謝でいっぱいになります。
「山は移り、丘は動いても、わがいつくしみはあなたから移ることなく、平安を与えるわが契約は動くことがない。」とあなたをあわれまれる主は言われる。(イザヤ書54章10節)
この主に信頼して、生涯、従って行きたい、と願っています。
月報2009年1月号より
