- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : ルカによる福音書17章7節-10節
投稿者: jccnj
「私は3人きょうだいの長女で…」
私は3人きょうだいの長女で、両親や祖父母に大事にされて育ちました。小学校5年生の時、父親の兄に会いました。東京の音大を出た伯父はクリスチャンで、九州のミッションスクールに転任になるのでお別れにと、父が私たちを連れて会いに行きました。「それでは元気で、さようなら。」と別れたことを覚えていますが、その後一度も会ったことはありません。その伯父の勧めで父は私と妹をカトリックの日曜学校に通わせ、自分も聖書を読むようになったようです。その頃よく訪ねてきたエホバの証人の人たちと議論をしていましたが、自分が教会に行くことはありませんでした。私と妹は2年ほど教会に通いましたが、中学生になると足が遠のき、いつか行かなくなりました。でもその教会での思い出はいつも懐かしく、時々こっそり前を通ったりしていました。
結婚してコロラドに住んでいたとき、夫の同僚から、自分の行っている教会のクワイヤーが伴奏者を募集しているのでやってみたら、と勧められて、オーディションを受けたのですが、「私はクリスチャンではありません、家は仏教です。」と言いました。後日採用の知らせがあった時も、「クリスチャンではないけど良いのですか?」とたずねたところ、「良いです。」と言われて、「へえ~」と思いました。お金をいただいて、週一度の練習と礼拝に出ているうちに、子供の頃通った教会で聞いたお話を思い出して、「ああ、そうだそうだ。こんなこと聞いた。」と懐かしく思いながら、毎週の礼拝を楽しみにしていました。皆に温かく接してもらい、女性の祈りのグループや教会のいろいろな行事に出席するうち、私もこの教会の一員になりたいと思うようになりました。居心地がとてもよかったのです。私に子供が与えられるようにと祈ってくれた友達のことも忘れられません。9年間子供がなかったのに与えられ、皆にお祝いしてもらいました。教会での幼児洗礼式を見て、自分の子にも洗礼を受けさせたいと思い、牧師先生に相談したら、「あなたも一緒に洗礼をうけたら?」と言われました。夫に言うと、「いいよ。」とあっさり承諾してくれたので、驚きました。でも、少し不安があったので、「私に従いたいと願うなら家族を捨てて云々・・・とあるけれど、私には捨てられません。」と牧師先生に言うと、癒されてイエスについていきたいと言った男に、家族のところに帰るように、とイエスが言われた、ということを話してくださいました。そして、私を通して家族が救われる、と言われたのです。とにかくその時はまだ聖書の学びもしておらず断片的な知識しかなかったので、「救い」の意味も良く分からず、友人が「I am so happy! You will be saved!!」と言ったのを聞いて、「Saved? Yeahノ,I think soノ」と答えたのを思い出します。
夫の仕事で日本に戻る日が近づいていたので、ろくに受洗前の学びもせずに洗礼式となりました。教会のたくさんの人に祝福されて、夫もその日は教会に来てくれて、喜びの中で洗礼を受けましたが、次の週には、「クリスチャンが1%しかいないという日本に直子を送り出します。直子のために皆で祈りましょう。」と言ってみんなに送られて日本に戻りました。
アメリカから移り住んだ山形には親戚知人が誰もいなくて、6ヶ月の子供を抱え、心細い思いをしていました。その頃モルモン教の人たちがいつも自転車で街を走り家々を訪問しており、うちにも若いアメリカ人や日本人が伝道に来ました。彼らと話しているうちに「やっぱり教会に行かなくちゃ。」と思ったのです。私が導かれたのはウェスレアンホーリネス山形南部教会、ちょうど同じような年代の子供を持つ人たちが何人かいて居心地が良く、娘とふたりで13年間お世話になりました。そこで受洗後の学びをし、勉強会や祈祷会などを通してイエス・キリストのことが少しずつ分かるようになりました。あまり熱心に学んだわけでもなく、ゆっくり少しずつ、時には抵抗も感じたり疑問を持ったり、ほかの事を優先したくなったり、本当にのろのろとした歩みではありますが、背中を押されたり手を引かれたりしながらここまで来ました。
山形での13年間は、子どもを通しての恵みと自分の音楽の仕事での恵みがたくさんありました。自宅でピアノを教えるほか、娘の通ったキリスト教の幼稚園のお母さんコーラスの指導や伴奏、教会での奏楽の奉仕と特別伝道集会でのコンサート、そのほかいろいろなところで音楽を通しての奉仕をさせていただけたのがとても祝福でした。もうひとつ私が10年間続けた活動がありますが、いくつもの国の紛争や内戦を生き抜いている人たちを映像と音楽で紹介するというNGOグループのコンサートでした。初めは山形近辺、東北地方、そして関東に足を伸ばし、もっと遠くの地域まで活動範囲を広げていきました。学校やPTA、公民館や県の国際交流課などの企画で呼ばれ、いろいろなところでコンサートをしました。とても良い内容でやりがいのあることのように思え、楽しくてやっていたのですが、その活動がだんだん忙しくなり、遠くまで出かけて泊まりになったり帰りが夜中になったり、仕事が日曜日にまで入るようになって、礼拝に出るのが難しいときもありました。礼拝に出ても後奏を弾き終えるとすぐ飛びだして行ったり、奏楽が義務のように感じられてきました。毎日忙しく活躍してすごいね、とひとに言われてそれが嬉しい反面、忙しさで気持ちががさがさしていました。そんな時、牧師先生に、「日曜日は礼拝に出る、仕事は入れない、ということにしたらいいですよ。はっきりそう決めたらかえってうまくいきますよ。」と言われました。いつの間にか高慢になって、神様より自己満足のための活動を優先しようとしていた自分の心を示されて、「そうか。そうしてみよう。」と思い、「日曜日は教会に行くので仕事は入れられません。」と言うことができました。するとすんなりとそれは認められて、何も心配することはなかったようにうまくいきました。ところが今度は別の、人間関係の難しい問題が出てきました。良い目的でやっているはずなのに、世の中何が正しいのか何が普通なのか、私がおかしいのか、と信じられなくなってしまうことがいくつかあり、神経の磨り減る思いをするようになりました。それでも続けていたのは、ステージに立つ楽しさと、自分がここまで作り上げてきたのに、という執着でした。もういよいよ耐えられないと思うようになった頃、NGO団体の内部の問題が表面化してごたごたが起こり、何人かがやめ、私もやめる決心ができました。いくら良いことのように見えても、人間の思いによるものでは限界があると思い知らされた出来事です。それからはピアノ教室も心を込めて教える余裕ができ、幼稚園のお母さんコーラスで賛美歌を教えるのが本当に楽しく、教会の奏楽も感謝してできるようになり、さらに牧師先生たちの宣教グループの事務の仕事までいただいて、精神的にも経済的にも恵まれました。クリスチャンになるにもドンと背中を押されるようにして洗礼を受けてスタートを切ったようなものだし、自分の信仰にも自信のない私が教会にずっとつながっていられたのは奏楽の奉仕と教会学校に行きたがった娘のおかげですが、それによっていただいた祝福は計り知れません。そして牧師先生方や教会の人たちによる祈りに支えられてきたことを思い、本当に感謝です。
ニュージャージーに来て一年間、教会を離れて心が弱ってくる思いを経験しましたが、この時期があったからこそ、今の教会に集えることの喜びが大きいのかもしれません。今も辛いことや祈りの課題はいろいろあるし、これからもあるでしょうが、神様が最善をなしてくださると信じ、「あなたが私を選んだのではない。私があなたを選んだ。」という御言葉を信じ、神様が私にどんなご計画をお持ちか楽しみにしています。教会につながり、聖書を学んで、恵みとエネルギーをいただきつつ、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」との希望を持って、祈りつつ歩んでいきたいと思います。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:6-7) 心強い御言葉に感謝です。
月報2008年10月号より
「恐れを恵みに変える一歩」
「しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」第二コリント12:9
私がキリストを受け入れ、クリスチャンとして生まれ変わるよう導かれたのは、私の家族の弱さのためでした。私の両親は、年若くして結婚し、またともに家族の愛というものをあまり知らずに育ってきたこともあり、心のすれ違いの多い夫婦でした。私自身も実家にいる頃は、これが普通だと信じてきた面がありますが、その頃は言葉にならない、心の渇きを感じていたのでした。
実家を出てから大学進学、ニューヨークで就職と次々と自分のしたいことや行きたいところで頭がいっぱいで、自分が何に渇いているのか、どこに向かっているのか、全くわからないまま進んで来た感があります。「まず地図を見て行き先を決めるべきなのに、それをせずに、自転車から車へ、車から飛行機へと進むスピードばかりを気にしている」という例えを聞いたことがありますが、まさにその通りで、人が聞いたらニューヨークで大手企業に勤めていると言えば、サクセス・ストーリーのように聞こえなくも無いですが、何の「サクセス」なのか、自分で自分に説明がつかないのです。お金のため?優越感?日本からの逃避?責任回避?
そんな疑問に蓋をして生きていた2006年に、会社の知人が日米合同教会でキリスト教のベーシック講座が毎週水曜日あるから来てみないかと勧めてくれました。それは「アルファコース」というノンクリスチャン向けに作られたプログラムで、教会とは何か、聖書とは何か、祈りの大切さやイエスの救いなどのトピックを毎回ビデオで見てから、スモールグループに分かれて感じたことを話し合うということが行われていました。知れば知るほど、すごい、これは私にはできそうに無い、と思う反面、もっと知りたいという気持ちが沸き出て、昔の青汁のコマーシャルの「まずい~!もう一杯!」状態でした。
そんな中、両親の問題がどんどん深刻化していきました。このままだと大変なことになってしまう、何とかしなければ、という焦りと苦しみばかりが膨らんでいきました。クリスチャンのカウンセラーに両親のことを相談したり、インターネットで「離婚弁護士」のことを調べたり、ニュースで事件があればうちの両親じゃないかと確かめたり、本当に苦しくて悲しい時期でした。しかし、自分の力ではどうにもならず、なんとなくキリストの教えの中に答えがあることを漠然と感じていたのも事実です。
ある時、アルファコースで知り合った人から錦織先生のゼロの会やニューヨーク面談日のことを教えてもらいました。実はNJ日本語キリスト教会へは2000年に一度サンクスギビングか何かの時にお邪魔したことがあり、その時に錦織先生ご夫婦にとても良くして頂いた事があったため、初対面でなかったことから、またまた気軽に足を運ぶようになりました。先生は子供やユース向けの説教に長けていることから、 堅苦しい話の苦手な私には新鮮で、子供のような心で楽しめたのです。一番印象深かったのが、クリスマスの劇に参加した知恵遅れの子供の話で、涙がこぼれそうなほどの暖かさを感じたのでした。
その後、2007年の寒いある日、先生との面談の後、いつものように祈って頂いた時、涙が止まらなくなってしまいました。そしてその日、イエス・キリストを自分の救い主として受け入れることを告白したのでした。その時から神との対話が始まりました。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」とピリピ人への手紙4:6にありますが、実際、何も思い煩わずに信仰の道を歩める人は、恵まれた人だと思います。私の場合、この1年近く、どこの教会でいつ洗礼を受けるか、悩む日々となりました。
その年の暮れにクリスチャンの友人に勧められて、JCFN(ジャパニーズ・クリスチャン・フェローシップ・ネットワーク)の修養会「Equipper Conference」(EC)に参加することになりました。これは全米から若い日本人クリスチャンがLAに集まる修養会なのですが、彼らのエネルギーと純粋な信仰を目の当たりにして、私も「恐れ」を「恵み」に変える一歩を踏み出すよう強く示されたのです。それは、洗礼にむけて具体的に動き始めなさいということと、家族に伝道しなさい、ということでした。
LAを出発して、1月2日に東京に到着、3日に祖父を見舞った後、夜の便で北海道に飛びました。この時はECでかなりequipされていたので、これまでの帰国時とはかなり様子が違いました。特にECで購入した「日本の宗教行事にどう対応するか」という本から知恵を得ていたので、クリスチャンとして何をして良く、何をしてはいけないか、それがなぜなのかを理解していたので、家族の前ではっきりと自分の立場をあかしすることができたのが、今考えても本当に恵みでした。仏教や神道と対立するのではなく、聖書に反することは皆にきちんと説明して行わないようにし(聖書に反しない事柄に関しては受け入れる)、そのことをも証しや伝道として用いることができるクリスチャンの形を目指すべきであることを示されました。以下は実際にあった私と母のやりとりです。
母「お土産を仏壇に置いて、仏さんを拝みなさい」
私「・・・・・・・」
母「どうしたの?早く拝みなさい」
私「・・・・・・・」
隣の部屋にいた妹が様子を察して「お姉ちゃんまさかクリスチャンになったの?」
母「クリスチャンになったとしても、家族は家族なんだから、仏さんを拝みなさい」
私「お母さんが代わりに拝んで・・・・」
母「・・・・・わかった。でも本当の宗教ってのは他のどんな宗教でも受け入れるものだと思うけどね、仏教みたいに」
私「・・・・・」
私が実家をでてから十数年も続けてきた習慣をはっきりと断ち切るのには、かなり勇気が入りました。正直、父と母に怒鳴られることを覚悟していましたが、そのときは意外とすんなり受け止めてくれました。父も隣の部屋にいて全て聞いていたはずなのに、何も言いませんでした。しかしこのやりとりは母の心にしっかりと刻まれたようです。
その後、母と父との現状について、母と二人きりで話す機会があったときに、母の苦しい立場を聞いてあげていたのですが、今しかないと思い、「お母さん、これからいつも私がしているように祈るから、お母さんは何もしなくていいけど私の祈りに 心を合わせるようにしてて」というと、分かったと言うので、神様に対して父と母のことを声に出して祈りました。
「神様、父はまだ自分の罪に気づいていません、あなたの愛を知りません。どうか私を使って父が、神様あなたの望む人間本来の生き方を求めるように、示してください。神様、母が父の過去の罪も、現在の罪も、将来の罪も赦すことができるように助けてください。そして母が背負っている傷をあなたが癒してください・・・・・」祈り終わって母を見ると、涙ぐんでいました。「ありがとうね・・・・」
その後、ECで知り合った同郷の女性に教えてもらった私一人で教会に行き、牧師先生と話しをしました。アメリカ生活の長い先生なので、とても話しやすく、また純粋な信仰をもっておられる先生でした。母のことを話すと、「教会の婦人会が行っている家庭集会があるから、タイミングが良い時にお母さんにも来てもらったらどうだろう」という話しになりました。
その家庭集会のことを実家に戻ってから母に話すと興味を示し 「教会がメールしてくるって?電話してくるって?」と聞いてくるのです。数ヶ月前に電話口で洗礼だけは絶対にやめてくれと言った母がここまで砕かれたことは、正直びっくりしました。私が出発する日の朝、母が私に「この間のように、お父さんの前でも祈ってくれない?」 「いいよ」 この時は信じられない思いでした。
朝食の前に、両親と一緒に祈りの時間を持ったのですが、父は初めてのことでとまどったようです。そのときの父の一言は「日本にいるときは日本式でやれ」でした。
その後、米国に戻ってから、教会を変え、洗礼を意識するようになりました。またニュージャージーの新しい教会に通うようになった直後に、錦織先生が日本伝道の旅に出発すること、先生のスケジュールが許す限りは日本にいる家族への伝道もお願いできることを知りました。
私「先生!北海道まで母のためだけに、伝道に行くのは難しいですよね?」
先生「うーん、ちょっとまだわかんないなー。祈ってみようね」
私「はい、もし無理だったら、電話だけでもしてもらえませんか?」
先生「電話なら、いつでも喜んでするよ!」
その数日後、先生に青森で面接することになり、函館までその足で行けることを知らされた時は、神様が実際におられ、私達家族の救いへの道を開いてくださっていることを、目の当たりにしたのです。
母と先生が2月4日に面接した時に、先生はヨハネの4章を用いて、神の水を飲む者は誰でも心に泉を持つようになり、決して渇くことがなくなることを母にわかりやすいように、話してくださいました。母は、その話にたいそう興味を持ち、また心に何かを感じたようでした。そして手紙をくれていた地元の教会のメンバーに自分から電話をかけ、婦人会の家庭集会に進んで足を運ぶようになったのです。
そこで母は、クリスチャンの生き方、聖書の持つ知恵やパワー、本当の愛、自分の罪と父の罪、自分が幼い頃から飢えていたこと、様々なことに目が開かれ、スポンジが水を吸収するどころじゃない、
紙おむつが抜群の吸収力で横からもらしませんとテレビで宣伝しているけど、例えるとあんな感じで、学んだこと、感じたこと、一つも漏らさず一字一句覚えていったのです。私など比べ物にならない真剣さと真摯さでした。
「婦人会の家庭集会」と字で書くとぼやーっとした印象しかありませんが、これも神様が母に用意してくれたものでした。母が導かれたグループは、40代から70代くらいの主婦の集まりで、恵まれていたことに彼女らは本当に成熟したクリスチャンたちでした。傷ついている母を心から受け止め、愛で包み、また聖書の言葉を一口一口母の口にスプーンで食べさせるように、伝えてくれたのです。
さらに、私達が今でも驚いているのが、グループの名前が「泉」だったことです。母が錦織先生の話で最も深い印象を受けた「心の泉」という言葉がその会の名前だったことに、グループのメンバーも母も偶然を超えた「導き」を感じたようです。
今、私は母と、過去の傷や父のこと、家族のあり方などを聖書や神様の視点で話すことができることに深い恵みと癒しを感じています。無数の心の傷を受け、自分たちの弱さに打ちのめされていた私達母娘は、この弱さゆえに一段と深い絆で結ばれることができました。今、日本人の家族の多くは、弱さの中でもがき苦しんでいるように見えます。これは、神様の救いが広がる前段階なのかもしれません。私も同じような苦しみを味わっている方に一人でも多く、神様の救いの業を伝えたいとの思いが与えられています。
月報2008年9月号より
