5月は3年ぶりに牧師館での集会を再開しました。初めて来られた方や、久しぶりの方々も加えて、聖書をじっくり味わいながら、とても楽しい集まりとなりました。いいですね。本当にいろんな事が次々と平常に戻りつつあります。
昭和の日本の牧師の家庭に生まれ育った私にとっては、教会の2階だったり、教会の隣だったりした自分の家に教会の皆さんにおいでいただくのは、ごくあたりまえのことでした。日曜日の朝はいつもよりも早く起きて、簡単に朝食を済ませて、家の片付け。弟の部屋一つと、風呂場の脱衣所だけは「荷物置き場」にとっておいて、他の部屋の片付かない荷物を全部そこに押し込んで、自分の部屋も「教会学校」の部屋として使っていただいていました。同じような経験をした牧師の子ども仲間の中には「自分の部屋に入られるのがすごく嫌だった」という子たちもいましたが、私はそういうことを感じたことはありませんでした。逆に来てもらっていることが、うれしかったことを思い出します。
今でも、同じです。多分、自分のスペースに来てくれるのは、自分のことを信頼してくれているから、自分のことを受け入れてくれているから、と感じるからなのかな、と思います。それがコロナ禍で互いに距離を取るようになり(「6フィートのソーシャルディスタンス」!この言葉にも懐かしささえ感じます)、お互いの家に招き合ったりすることがとても難しくなりました。そして、それが単なる物理的な距離ではなくて、いつの間にか、心理的な距離、お互いの心の距離にもなってしまっていたのでは、と思います。
互いの心の距離、急に詰めようと思っても難しいですよね。少しずつ、信頼関係を築いていくのだと思います。これからですね。
神様もそうです。私たちをご自分の家に招いて、ずっと一緒にいて欲しいと思っておられるのです。
「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。・・・わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」(ヨハネの福音書 14章2~3節)
この言葉は最後の晩餐の時にイエスが弟子たちに言われた言葉です。神様は私たちを喜んで、その家に迎えてくださいます。私たちが、神様を信頼して、神様のところに行くことを喜んでくださるのです。これは究極的にはこの地上の歩みを終えて神様のところにいく「天国」のことを語っています。でも、この地上の歩みの中でも、私たちを喜んで迎え、共に歩もうとされているのです。
今月も牧師館での集まりが続きます。また、他にご家庭を開放してくださる方もおられます。これらの集まりを通して、更に神様の愛が多くの人々に届きますように。