「ラザロよ。出て来なさい。」

アメリカに来て初めての大雪。青空の中、キラキラ輝いて美しい。 1月23日。 日曜日。 大雪のため外出禁止令が出され、いつもの午後からの日本人教会の礼拝も思いがけなく「お休み」となった。 へぇぇ。 こんなこともあるものだ・・・。
前夜、三人の子供たちに雪かきをしてもらっていたので、その朝はとても楽だった。 良い天気だったこともあり、雪の中でキャッキャッ。子供と共にワイワイ楽しく雪かきを続けた。
初めて海外に出た12年前。みんなあんなに小さくて、三人の年が続いていたこともあって、それはそれは大変だった。 多くの方々に助けていただいたなぁ。 それが今、こんなに大きく成長して、力仕事では戦力にもなり頼もしく、多くの面で支えられている・・・。 何とも言えない深い感謝に包まれて、祝福も真っ白な雪の中にあふれていた。
そして、昼過ぎ。その朝の連絡で「今日はそれぞれの家庭で礼拝を・・・」 ということでもあったので、母はその提案をした。 意外にも素直に応じた息子たち。 早速 一番日当たりの良い暖かい寝室に集合。 ベッドに入り込んだり腰を掛けたりしてそれぞれの姿勢で臨む。
「礼拝が雪で休み」ということに少々興奮気味の末っ子六年生が急に「僕が司会。 今日は大スケ牧師がメッセージ。賛美のリードはショウ平さん。 証はいとうナルミさんにお願いします。」と一人で勝手に仕切り出す。 夫は別室での仕事を片付けて、遅刻出席。
毎週の礼拝の流れを参考に、懐かしい聖歌をそれぞれ手に選曲。 この教会で良く歌われている乗りの良い「今風の賛美歌」は歌詞もなく、うろ覚えなので、残念ながらパス。 無茶苦茶元気良く、数曲賛美。
「使徒信条」も「主の祈り」もある。 そして、聖書朗読。 賛美しながら、今日はどこを読むべきかと思い巡らす。 そうだ。教会学校の今日の箇所「ラザロの復活」にしよう。 それがいい。 ヨハネの福音書11章の1節から44節までを一人一節ずつ家族五人で順に読む。 長い箇所である
イエスが愛しておられたマルタとマリヤの兄弟ラザロが病んでいた。 助けを求めたけれど、イエスには考えがあって、すぐに駆けつけることはされなかった。 死んで四日も経ったとき、弟子たちをつれて悲しみの姉妹のもとにやって来られた。 イエスは涙を流された。 多くの人たちがあれこれ言ったり思ったりしている中、父なる神に祈った後、大声で「ラザロよ。出て来なさい。」と叫ばれた。 すると、死んでいたラザロが長い布で巻かれたまま出て来た。 という有名な箇所である。
多くの奥義で満ちている。 一つ一つの隠された深い部分をみんなで一緒に考えてみようと思った。 「わたしは、よみがえりです。 いのちです。 わたしを信じるものは、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じるものは、決して死ぬことがありません。」
この部分からリョウ太に迫ってみた。 もし、事故か何かでリョウ太が急に死んでしまうことがあったとしたら、リョウ太は必ずイエス様のもとにいるという確信があるのか・・・と。 お母さんは、リョウ太がイエス様のところにいるのかな、どこにいるのかな、と思いながら悲しみ過ごすのはいやだ、と以前にも何度か聞いたようなことを質問してみた。
すると、少し照れて「うぅぅぅん。80%ぐらいかな。」とはにかむ。 「えぇぇぇ。80%の確信か・・・。」「じゃぁ。うぅぅん。90%・・・。」「・・95%・・・。」母の顔を見ながら、少しずつ少しずつ数字を上げてきた。 そうか。でも、お母さんは100%イエス様のところにいるから心配しないでね。 お葬式も盛大に教会で伝道葬式にしてね。 といつものように結んだ。 祈っているよ。早い時期に(最終的には)100%の確信の三人でありますように。
そして、司会者が大スケ牧師にメッセージを振ってきた。 すると、何を思ったのか、この牧師。 何の熟慮も感じさせない思いつきの口調で、「ラザロよ。出て来なさい。」というこの言葉は、ラザロだけに言っているのではありません。 リョウ太くん、あなたのことでもあるのです。 「リョウ太よ。出て来なさい。」という意味でもあるのです。 と、急に初めからおかしなことを言い出した。 何言っているの。 これはラザロに言ったんだよ。と一笑した母はその後しばらくして「はっ」とした。 本当にそうかもしれない。 そういうメッセージでもあるのだ、と神様から語られた気がしてうなった。 そうだ。みんな一人ひとり、名前を呼ばれて、深くて暗い墓の中から今の状態から「出て来なさい。」と声をかけられているのだ、と思った。 違う方向から光が差した気がした。
そして、牧師は「声を聞いたら、出て行きましょう。」と締めくくった。 長い布にグルグル巻かれたそのままの状態で出て行ったらいいのだ、と教えられた。 父はすぐに「そうだな。そういうことだな。」と自分の状況を重ねて同意していた。
母の証は「主よ。あなたの愛しておられる者が病気です。」この箇所から。 夫のために結婚前に一度。 今、再びここから切に祈らされていることを話した。 子供たちを前にして深い部分は省略したが「あなたの愛している者が病んでいます。」 「主よ。来てご覧ください。」 「その石を取りのけてください。」と必死に祈っていることを伝えた。 この姉妹たちのあの時の祈りはそのまま今の私の祈りである。イエス様は考えがあって「なお二日とどまられた。」 「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものである。」 この言葉に信頼している母の祈り心を語った。 母は子供たちにも父親のために具体的に祈るように、課題も問題も出している。 よく理解して応援している息子たち。欠けの多い父だけれど、みんな父のことが大好きで、とても尊敬していて、いつもやさしく接している。 母の鋭い言葉も子供たちの「弁護の盾」は見事にポンとはね返す。 時にはこの盾、鋭い矢もきれいに吸収して飲みみ、細かく砕いてしまうこともある。
「Jesus wept.」この小さな家族にも主は心をおいてくださり、痛みを共有してくださっている。 父もこの日、思春期の子供たちの前で、自分の弱さや現状を抵抗なく出しながら、多くの慰めを得ていた。
最後の祈りはショウ平くん。 この子は真ん中でまた丁度難しい14歳。 今、?マークが付くことも多い子だが、この子のこの日の祈りは琴線に触れた。 まぁ。 何と素直で従順なストレートの祈りか・・・。 心に響いた。 今のこの子からこんなにすっきりした祈りが出るとは思わなかった。
新たな発見と驚きの家庭礼拝。 いつもだと誰かに逃げられそうだけれど、また時々しようね。 君たちから声がかかることを大いに期待して・・・
「主があなたを呼んでおられます。」
「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」
「はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。」

ハレルヤ アーメン

月報2005年3月号より

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