「二年前のちょうど今ごろのことです。…」

はじめに、今回の大震災でさまざまな思いの中を通られている方々に向け平安をお祈りします。

二年前のちょうど今ごろのことです。主人が失業を宣告されました。まさしく寝耳に水でした。主人はアメリカ的な考えというのでしょうか、自分のキャリア・アップを求めて何回か転職してきましたが、年齢を考えて「これが最後の職場」と決めた会社がありました。ところが皮肉なことに、その会社で失業を言い渡されたのです。会社側の計らいで主人には六月末までの猶予が与えられました。仕事をしながら求職活動をして良いという配慮でしたが、アメリカも日本も不況の真っ只中。すぐに仕事が見つかる保証などどこにもありません。果たせるかな、主人はその後、丸一年の失業生活を味わうこととなりました。

苦しみに遭ったことは私にとって幸いでした。私はあなたの掟を学びました。   (詩篇119編71篇 )

私は決してあなたを離れず、またあなたを捨てない。
(ヘブル書13章5節 )

主人が失業の知らせを私にくれた時、心に浮かんだ聖書の言葉です。主人は宣告を受けた直後、会社の会議室からこっそり家に電話してきました。どんな心境だったことでしょう。どんな顔をして自分のデスクに戻れるのでしょう。私はその日に残された会社での時間を思い、六月末までの期間を思い、普通でしたらやる気を失くしてもおかしくない状況の中で、主人がクリスチャンとして最後まで与えられた仕事を忠実にこなせるようにと電話口で祈りました。

ちょうど主人との電話を終えた後に電話がかかってきました。「あれ、また主人かな?」と出ると、教会でよく一緒に祈って下さる方からでした。その方からの電話は日ごろ頻繁ではありません。それなのに、このタイミングでかかってきたのは「まさしく神様の計らい」と、私は主人のことを打ち明けて祈ってもらいました。

あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。(マタイ18章19節)

主人はまだ誰にも話して貰いたくなかったかもしれません。でも、私は自分ひとりで抱えるよりも、聖書の言葉どおりに、分かち合って祈ったほうが神様が聴いて下さると信じました。そして、主人の口からも早く公表して、心ある方々に祈っていただけるように願いました。

数日後、一番最初に祈って下さった方が近付いてきて仰いました。「今回のことは神様に愛されている証拠ですよ」。何と奥深い言葉でしょう。なんと慈しみに溢れた言葉でしょう。使い方によっては相手を刺すような場面です。ところが、私の中には温かい気持ちが広がりました。その方は聖書の言葉も引用してくださったのですが、まさしく私の心に浮かんだ最初の言葉と同じで、私ははっきりと「ああ、これは神様のご計画だ。大丈夫。」と安心したのでした。

数ヶ月の後に主人は解職され“浪人生活”が始まりました。ちょうど、二人の子供たちが夏休みに入るタイミングでしたので、父親と存分に楽しめる夏を喜びました。私の両親の訪問も加わると更に家中が賑やかになり、食事時など狭いダイニングキッチンで押し合いへし合いになりました。普段は親子三人で囲むことの多かった食卓です。人数が倍増し、食事の品数も会話も増えて幸いなひとときとなりました。

順調に始まった失業生活ですが、もちろん苦悩の時もありました。主人が就職活動をする中で、トントン拍子で進んだ会社に最後で断られたり、仕事の内容としては申し分なく、すぐに採用してくれるという提案ながら、子供の教育や住まいの安全を考えて諦めたり・・・。どの話も現れては消え・・・を繰り返しました。「神様が一番よいものを与えてくださる」と信じていましたが、具体的にどの仕事なのか、いつなのか・・・。先が見えない中で、ひたすら忍耐の日々でした。でも、この時ほど主人に信仰があることを感謝した時はありません。世の中は失業者で溢れています。自殺大国・日本のニュースを耳にしながら、主人だって信じるものがなければ、神様の約束がなければ、自分で命を落とす選択をしてもおかしくない、と思いました。

二人で一緒に聖書を読み、祈る時間を過ごすようになったことも感謝でした。それまで、自分のスケジュールに合わせて別々にやっていた私たちでしたが、ふと気付くと同じ時間帯に異なる場所でしていました。そこで、子供たちの夏休みが終わり学校へ戻るようになってから、朝食後のひとときを聖書と祈りの時間にあてました。一人だけで聖書を読む時には得られない新鮮さと深い味わいがありました。祈りも一人で捧げるより数倍、神様に心を向けることができました。子供や家のことなどをじっくり話し、同じ思いの上に立って祈っている連帯感がありました。主人が仕事に忙殺されていた頃は普段の会話が乏しく、たまに時間が出来るとかえって話題に困った私でした。「こんなことでは老後が思いやられる・・・。」と案じていたのですが、聖書を媒介にして豊かな時間を過ごせることを経験しました。

一年の間に主人はもっと深いレベルで苦悩を味わったことを後から知り(2010年10月号に証しが掲載されています。『我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか』)気付かないでいたことを申し訳なく思いましたが、私にとっては穏やかで淡々とした日々が続き、「これが神様の語られた“苦しみ”なのかな?」と首をかしげるほどでした。

こうして時が経ち、主人は晴れて新しい仕事に就くことができました。職探しの間、ほかの町や他の州、あるいは日本への引越しまで覚悟した私たちです。経済的な負担を減らすために、同じ町内で小さな家へ引越そうと考えたこともありました。それが結局、前の職場からさほど離れていない会社へ通うことになり、住んでいる家も維持できることになりました。主人が初めて出勤する日の朝、一年前と変わらず、同じ家から同じ時間に同じ電車で出勤する主人を見送りながら、神様に深く感謝しました。神様は聖書の言葉のとおり、私たちを捨てることがなかったのです。そして、傍から見たら以前とまったく同じ生活に戻った私たちですが、主人の失業というフィルターを通して、与えられているものすべての持つ意味が、価値が、大きく変わりました。それは、まさしく、神様の「掟」を知る経験でした。

今、手元に手紙の束があります。主人の仕事が決まった時にeメールでやり取りした皆さんからのメッセージを印刷したものです。すべて大切にフォルダーにしまい、表紙に聖書の言葉をシールにして貼りました。

喜ぶものとともに喜び、泣くものとともに泣きなさい。 (ローマ人への手紙12章15節)

沢山の方々が一緒に喜んでくださった証しです。主人の失業を知らせた時には、共に涙してくださいました。仕事が見つかるまでの間は、温かい言葉や差し入れ、祈りによって支え励ましてくださいました。

私たちから決して離れず、いつでも一番心の動きを知ってくださったのはイエス様です。人間の姿となって地上に降りてきてくださった故に、人の苦悩も弱さもご存知で慈しみ深く、しかし神様であられる故に、変わらぬ愛で寄り添うことのできるキリスト・イエスです。でも、神様は私たちの周りにいる方々を通して、さらに豊かに、更に彩りを添えて神様のご計画を成し遂げてくださいました。御手を伸ばしてくださいました。

宝物がぎっしり詰まった一年間でした。主にハレルヤ。感謝します。

月報2011年4月号より

「「二年前のちょうど今ごろのことです。…」」への1件のフィードバック

  1. 前略
    初めまして。横浜市在住の渡邊広行と申します。
    私も40代半ばにして去年の春失業してしまいました。育ち盛りの息子を抱え応募しても応募しても不採用通知ばかりで、心も体も弱っていました。
    聖書の言葉も神様の計画も信じられず、祈りの言葉もなかなか出て来ない日々が続いておりました。たまたまこの投稿を拝読させて頂き励みになりました。
    あまりに苦しくて時に人生を投げ出したい想いにかられる事もありますが、神様の計画を信じながらまた新たに頑張ろうと思います。
    有難うございました。
    草々

    渡邊広行

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