「何故またこのような時なのだろうか?」

何故またこのような時なのだろう か?

仕事や出張続きで忙しく、時間が 無い訳では無いのですが、物事が思ったように進まず「神様何故?」と思っている時に限ってこ のような原稿の依頼を受けました。 このまま忙しいのを理由に断ろうか、とも思いましたが、信仰が揺らいでいる(?)からこそ、神様が 「もう一度信じようと思った時の事 を思い出してごらん」とまだ地盤が緩い私に手を差し伸べてくれたのかも知れません。

私は生まれたのはスペイン・バルセロナ、育ったのはアルゼンチン・ブエノスアイレスと18 歳までずっとカトリックの国に住んでいたので、キリスト教は非常に身近なものでした。憧れのサッカー選手もピッチに入る時には十字を切っていました し、タクシーの運転手も教会の前を通る度に十字を切るのを 目にしていました。当時は「なんか格好良いなぁ」と思いながらも、自分以外の事に目を向ける事ができず結局キリストを 信じるには至りませんでしたが、健全な学生生活を日本で過ごし、社会人になりアメリカに赴任した頃に、妻と出会い、その時に再びキリスト教に出会いました。
ただ今回は憧れではありませんでした。
結婚当初、妻と意見が合わなかったりで色々と喧嘩が絶えな かった時期があったのですが、その際に妻が教会に連れて行ってくれと私に言ったのです。運転に自信が無かった彼女が喧嘩している相手である私にそこまでお願いするという事は相当に切羽詰まっているに違いない、と嫌々ながらもメイ ウッドの教会に来た事を覚えています。当時は、「中に入って しまったら二度と出して貰えなくなるのではないか?」「中に 入ったら全員が妻の味方で私は敵としてやっつけられてしま うのではないか?」と恐れ、一人駐車場で本を読みながら礼拝が終わるのを待っていた事を思い出します。

雪解けのきっかけは教会メンバー主催のバーベキューでした。 まさに花より団子なのですが、美味しいお肉につられて参加 してみると、とても面白い方々と知り合う事ができました。お 酒が進むにつれ色々な話になり、有名大学の卒業生や某宇 宙研究所の元研究員といった聡明な方々と「いかに神様は 存在せず、聖書は律法のために作られただけの書物である か」を熱く議論したりしました。酒宴は遅くまで続く事もありま したが、議論は尽きず、更には次回の議論のネタのために、 あえて聖書を開いてみたりするしまつでした。「神はわれらの 避け処 また力である。詩篇 46:1」の「さけどころ」って「酒処」 としか見えていなかった時代です。今となっては酒のツマミの 為に聖書を読んでいた、と非常に申し訳ないのですが。。。 そのような私でしたが、次第に変化が起こってきました。
クリスチャンの方々と深く関わるにつれ、非常に辛い(?)大 変(?)な思いをするようになりました。それは聖書に書かれている「生き方」を知れば知るほど、いかに自分が理想から 遠い、「なっていない人間」という事を突きつけられる事です。 もし聖書やキリスト教と出会っていなければ、神様はおろか、 隣人を愛そうともしないだろうし、まして自分を嫌う人の為に祈ろうなんて考えつきもしないと思います。しかし、それを知 ってしまったがために、自分がどれほど「嫌な奴」なのかが事 あるごとに突きつけられるようになってしまったのです。一方 で、私の身近にいるクリスチャンの方々と接していると、羨み、 憧れのような感情が出てきたのです。どのようにしたら、あの ように強く、優しく、愛に溢れて生きていけるのだろうか?答えはわかっていたのかと思いますが、それでも目を逸らし続けていました。心のどこかで、クリスチャンになったほうが大変、ならない方が良いのではないかと思っていました。
しかし、やはり私は弱い人間ですし、突っ張りながらも神様に頼り、祈らずにはいられない時が多くありました。切羽詰まっ ている時には、「この祈りが通じれば信じます」と禁断の取引 までしていました。しかも、何度もです。もちろん全ての祈り は通りませんでしたが(特に飛行機のアップグレード)、それでも多くの祈りは神様に届き、祝福を得る事ができたように思います。ただ、私はズルく、それでも色々と「言い訳」をして 約束を反故にしていました。

「門を叩けば開かれる」と聖書に書かれていますが、毎回神様へのピンポンダッシュをしていた訳です。
それでも神様は機会あるごとに、私に「勇気を出す」、つまり「信仰告白」のきっかけを与えて下さいました。
中でも最も大きなのは、妻ですが(そう書けと言われた訳で はありません)、2 番目は NJ に戻って来た事です。「それで もやっぱり神様を信じない言い訳シリーズ」の中に、まさかまた NJに仕事で戻る事は無いだろうと思って、「僕は洗礼を受 けるなら錦織先生からしか受けない」と公言していました。誤解なきよう改めて書きますが、もちろん、先生から授かりたか ったのですが、ただ、状況的には不可能なのだから洗礼は 受けれない、という言い訳でした。でも実際神様はそんな難しいと思った状況も簡単に覆されました。そして、自分が最も慣れ親しんだ教会に戻ってきて、素直に皆さんと色々な会話 をする事ができて、疑問をぶつけられたり、色々と後押しをし て頂いたり。修養会に参加するキッカケを作って頂いた妻や友人も、参加がキッカケで色々と会話・考えた事も、帰ってか ら夢で神様から直々に「さぁ、そろそろなるか!」と言われた事も。今考えれば、全て「勇気を出しなさい」「そろそろ突っ張るのはやめなさい」という優しい後押しだったのです。
今まで散々突っ張って来ましたが、それでも見放さず、愛を持って色々と与えて下さった事にしっかりと目を向けて感謝し、 自分一人の力では何一つできていなかったと、降参!と思わされました。
こうして私は「ただの罪人から、目指すべき姿を見つけてしまった罪人」に、「ただの迷い人から、行くべき場所を見つけて しまった迷い人」になったのです。

クリスチャンになってみて

すっきりしました(笑)。やっと聖餐式でまわってきていたあの 白い物体と赤い液体を味わう事ができました。初回は不謹慎ながら、乾杯までしたくらい待ち望んだ瞬間でした。また、今まではコソコソとお祈りしていましたが、堂々とお祈りできるようになりましたし、もごもごと「ァメン」と呟いていたのも、「アー メン」と言えるようになりました。
しかし、人間的にはどうなのでしょうか。変われている実感、 自信はまだ無いのが本音です。「前より輝いている」と仰ってくれる方もいらっしゃいますが、あれ?前頭部が後退?はた また脂ぎっしゅになってる?と傷つきますし、「柔らかくなって る」とか言われても、ん?顔が太ったから?お腹??とへこ みます(お腹とは裏腹に)。毎朝通勤時にアプリで聖書朗読を聴いているのですが、その後にある短いメッセージを聞きながら、歩きスマホをしている人に舌打ちしたり、タイミング的に譲れば良いのにあえて自分の歩調を緩めなかったりして、 やった瞬間に後悔しています。折角の有難いメッセージも効 果 0.1 秒しかもたない嫌な奴です。

しかし先日の上海出張の最終日の事です。朝 3 時まで仲間 と飲んでしまったのに早朝ランニングに出たのですが、そこで初めて「あーなんて素晴らしいんだろう!神様に感謝!」と 自然に出て来たのです。PM2.5 の中を前日 3 時まで飲んで走った身体の細胞が勝手にそんな事思うはずがないと思いませんか?
こういう幸せな体験が起こったり、常に拠り所(さけどころ)が ある事で思考に余裕が出て来ました。感謝できるようになりました。また、例えば仕事で偉くなりたい、もっとお金を貰いたい、みんなに誉められたい!とかしか考えられずに他人の せいにしていた事も、今はこれがご計画で、このご計画には意図がある。この中にある私の使命・役割は何なのか?と考えられるようになりました。これが出来る事で、怒る事が大分少なくなりました。もちろん稀に、怒る事が私の使命だ!と怒って後悔する事もありますが、私がどう喜ぶか、上司が喜ぶか、という単純な尺度では無く、神様が喜んでくれる私の役割は何か?を基準に動けるようになりました。これはすごく大 切な事だと思うのです。自分が与えられるものを与える。言葉にするとすごく簡単ですがとても難しい事です。しかも、人類のためにとか、地球のために、とかそんな小さな次元じゃ ありません。宇宙をも超えた、神様のためにです。

そしていつかは、かつて自分が感じたように、「あの人は何故あんな素敵なんだろう?」と、私を引きずりこんで(導いて)くださった皆様のように、神様を信じて生きていく事の素晴らし さを言葉ではなく生き様で伝えていく事ができたらと思ってい ます。

妻、そして皆様との出会いと神様の導きに感謝します。

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