「備え給う主の道を」

今、私は20年11ヶ月のアメリカ生活に別れを告げようとしています。
過去40年薬学と製薬企業の中で働いてきましたが、良い薬は病気の原因を作っている仕組みを攻撃するけれども、正常な身体の仕組みには悪さをしないで、その使命を果たしたら速やかに体の外に出るべきものなのです。ここ10年余の私の専門は、薬が人の体に入ってから排泄されるまでの経路を追いながら、有害反応の可能性を臨床試験に入る前に見つけ出すということでした。かつてはあまり省みられていなかった領域でしたが、今では新しい薬の開発にとってかなり重要な事柄とみなされるようになりました。特にこの10年余、情報と技術の急激な進歩によって、製薬の研究開発過程で行われる試験の質も量も圧倒的に増加しました。それにつれて良い薬の標準は高まり、かつては死を待つばかりだった人々が新しい医薬のおかげで職場復帰できることがまれではなくなりました。一方、いまやどんな業界でもそうであるように、企業の生き残りをかけた競争のために、大手製薬企業の合併とその後に来る過酷なリストラが当たり前のように行われるようになりました。何と激しい時代に生かされてきたことかとしばしば思います。
あの国際多発テロは、この地での衝撃の体験でした。一人でも多くの命を救おうとする努力が医薬開発でなされている一方で、理不尽な大量殺人が行なわれたのでした。人権擁護思想が進歩して、これこそ人類の成長の証しかと思わせられる一方で、武力行使によって国際正義を打ち立てようとする旧約聖書の時代と変わらない戦術がとられています。平和共存にむけての人類の英知の進歩というものはないのかと心底問わずにはいられません。

女が海外で一人こんな時代を生き抜いてきたことを知って、尋常ならざるものが私の中にあると感じた方が、「ひょっとしてあの人はかつて全共闘の女闘士だったのでは?」と憶測されたと聞いていますが、それはかなりの見当違いです。
アメリカでの仕事の体験を学生に話して欲しいと言われてお話させて頂いたことがありますが、お招き下さった大学教授との昼食の折「私は本当に愚直としか言いようの無い融通の利かない生き方をしてきたのです。」と申しあげたところ、この方は我が意を得たりと言わんばかりに膝を打って 「そういえば、成功の秘訣は『運』『鈍』『根』といいますね!」とおっしゃいました。私が成功者かどうかは多いに疑問がありますが、その方の感のよさに感心したことでした。
私の場合、「運」とは信仰を与えられていたことにほかなりません。「鈍」は正真正銘文字どおり自分に優れた能力の無いことを自覚していましたから、神様の導きにすがって一歩一歩進むしかありませんでした。「根」とはそれに値しない者に神様から与えられた許しと恩恵に対する感謝の応答に他ならないのです。他から観たら馬鹿かと思われるほど、ある意味で私は「根」の続く人間です。

すなわち、聖書に、「わたしは知者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしいものにする」と書いてある。(コリント第一1:19)

神様は確かに信じてより頼む者を担ってくださるのだとつくづく思うこの頃です。私の帰国の目的は老母を最善に介護するためでした。そのために昨夏以来、日本にいる妹達と知恵の限りを尽くして段取りをしてきました。しかし神様は2月28日満90歳の誕生日に母を召されました。それは私のこちらの住まいが売れた翌日でした。「人は心に自分の道を考える。しかしその歩みを導くものは主である」 (箴言 16:9)。私は今すべてを神様の導きに委ね、期待して日本での生活に向けて発ちたいと思っております。

月報2003年4月号より

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