「助け手と共に逃れの道をも備えて下さる神様」

私が聖書を読み始めたのは、IL州に留学している大学時代のことです。日本から遊びに来ていたクリスチャン女性との出会いが大きく影響しています。彼女は、それまでに出会ったクリスチャンとは違い、とても活発で魅力的な人でした。ちょうど彼女と私は、好きな人が出来たところで意気投合し、仲良くなりました。彼女が、「私は何も心配していないんだ~。彼なのか彼じゃないのか、神様に聞くだけだから。」と言ったのです。私も運命の人を信じていたので、そのことを話すと、「だったら、その人が神様からの人なのかどうか、神様に聞いてみたら?」と言われ、彼女から聖書をもらい、読み始め、神様からの答えを求めて祈るようになりました。彼女と共に礼拝にも出るようになり、彼女が日本に帰る前には、日本人の宣教師夫婦も紹介してもらいました。このご夫婦も、とても素敵で、あ~、こういうクリスチャンだったら、なっても良いな~と思ったことを覚えています。そこでの交わりが楽しくて、私はバイブルスタディに通い、聖書とは、クリスチャンとは、ということを学んでいきました。卒業後、日本に帰ってからも神様を求め続けることが出来たのは、心に触れられる御言葉があったからです。

わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。-主の御告げ-それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。(エレミヤ書29章11節)

この御言葉を読んだ時、神様は私にどんな計画を持っておられるんだろうとワクワクして、私はいつか必ず神様に出会うんだと思わされました。卒業後もバイブルスタディのメンバーと手紙のやり取りを続け、その中に、神様がこう語られた、神様がこうされた、と書いてあり、私は、そのような経験をしたことがなかったので、「神様、もし本当にあなたがおられ、私を知っていて下さるのなら、私に体験させて下さい。」と祈りました。

その数ヶ月後に、シンガポールでの仕事の話があり、シンガポールに行きました。それは、新しく立ち上げた現地の会社の社長の秘書兼経理の仕事で、社長が使いこんでいたお金を整理することがメインの仕事でした。最初、彼は私も取り込もうとしていたようですが、そういうことが大嫌いな私は、彼を追及し、結果、別の人を雇われ、仕事を取り上げられました。それでも日本側にはレポートを提出しなくてはいけないので、取り上げられたファイルをコピーさせてもらい、自分の仕事をしました。人生初のいじめに遭い、シンガポールの気候にも慣れず、辛い時期を送っていました。毎週教会に通い祈り、眠れない夜、神様に「助けて下さい。次の仕事を与えて下さい。」と祈る日々でした。

そんな中、友達の教会で集会があり、オーストラリアから預言の賜物がある姉妹が来るということで参加しました。その時に、仕事についても語られました。「仕事… 大変ね~。あなたを監視している人がいるけど、大丈夫。神様が、その人の更に上からあなたを見守っていて下さるから。もうしばらく我慢しなさい。時が来たら、あることが起こってあなたはそこから動くから。」預言は吟味する必要がありますが、仕事が大変で助けを神様にいつも祈っていた私にとって、この言葉は大きな励ましとなりました。そして、その言葉通り、その2ヶ月後に、仕事を辞めることになりました。辞めることを告げた次の日に、教会から連絡があり、家庭集会に誘われました。その集会のホストの女性は日本語ができる人で、私の現状を伝えると、彼女はとても驚いていました。というのも、彼女はご主人の都合で、会社を辞めるところだったのです。彼女の会社はドイツのメーカーで、ちょうど日本の企業との取引が始まり、きちんと日本語で対応できる人を後任として入れたいということで、すぐにレジュメを作り、彼女に出してもらいました。そして、面接に行き、あっという間に仕事が決まりました。この一連の出来事を通して、私は、神様が本当におられ、私を知っていて下さることを確信しました。

その確信を頂いてからの神様と歩む人生は、祝福を多く頂きながらも、試練もたくさんありました。でも試練は永遠に続くことはなく、いつも神様は助け手を送って下さり、逃れの道もその都度備えて下さいました。

あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。(Iコリント10:13)

JCCNJに導かれたのも、試練の中にあり、更なる試練が訪れる前のことでした。VA州で大学院を卒業し、仕事でNYに来ましたが、家と会社の往復だけの忙しい生活で、日曜日に礼拝を守るのが精一杯の日々でした。私は日本人クリスチャンの集まりに対して恐れがあったので、ローカルの教会に通いつつも、NYには共に祈り合える姉妹もおらず寂しい思いをしていました。そんな中、ある人との会話の中で、はっと思わされました。アメリカ人のその人は、中国人伝道に重荷があるような気がするけれども、本当にそれが神様からの召しなのかどうか分からない状況の中にいました。その人との会話の中で、私は、日本人に対して重荷があることを話し、「はっきりと自分の召しが分かっていることは、神様からの祝福だね。」と彼に言われた時に、私は言っている事とやっている事が全く逆であることに気付かされたのです。あ~、私は日本語の教会に行かなくちゃいけなんだなぁと思わされ、主に祈り、私の行くべき教会へと導いて下さいとお祈りしました。

日本語の教会を探し始めた時、VA州で通っていた日本語のバイブルスタディのリーダーが、JCCNJで礼拝を守ったことがあり、良かったよ~と薦めてくれたのですが、NJまで通うのは無理だと思っていたのでJCCNJは全く考えていませんでした。でも その話を別の姉妹にしたところ、彼女がウェブサイトをチェックしてくれて、マンハッタンから送迎があることを教えてくれました。私は、毎日帰りが遅く、なかなか調べられない中、神様は、姉妹方を通して私をJCCNJに導いて下さいました。初めて教会に来た日は、不安な思いがありましたが、皆さんが気さくに話しかけて下さって、私は居心地が良く、それから通い始めました。その数ヶ月後に、会社からノルマを超えられなかったらレイオフもあり得るという話が出たのですが、その前にJCCNJに導かれた事は、神様の憐れみであり、助けだったと思います。次の道について神様に祈る中、会社をレイオフされる数週間前の10年目の受洗記念日に、永住権当選の書類が届き、神様は次の道をも開いて下さいました。

無事に永住権を取得しアメリカに戻ってきましたが 今も試練はあります。仕事はまだ与えられていませんし、長い間祈っている結婚も、家族の救いもまだです。でもこれらの試練も必ず終わる時が来ると信じています。これからも神様が立てて下さっている将来と希望を与える為の計画を期待して待ち望み、体験させて頂きたいと思います。

※教会では、「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。」とのイエスの言葉から、互いを「兄弟」「姉妹」と呼ぶことがあります。

月報2012年3月号より

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です