「御手の中で」

こうして、ここに書けるような事柄をあまり持ち合わせない私ですが、忘れられない思い出を2つ程お話しさせていただこうと思います。

1つは、去年の春先のことなのですが、5月頃のある日、アパートの非常階段の隣家の建物側の片隅に鳥の巣をみつけました。小枝を寄せ集めてそれは5,6mも離れた私の窓からは無関心でいたら気付かない程でした。オペラグラスで見ると孵ったヒナの小さな頭が2つ動いていました。朝な夕な見ているうちに忙しなくエサを運んでいる親鳥をみました。この辺りには珍しい山鳩でした。彼等を見ている私に気付いた親は一瞬ドキッとした風で暫くキョトンと私をみていました。その頃の気候はまだ定まらず、かなりまだ寒い日あり,強風あり、なんと強風を伴う大雨の続く日ありで、西側のL字型の踊り場の突端に危なかしくもある巣と中の子供達に随分気をもんだものでした。冷え込む晩には親は子供達といっしょだろうか(暗くて見えないが)、風の強い日には、巣ごと飛ばされないだろうか、嵐の日には、子供達はずぶぬれで大丈夫だろうかとか、野生に対して私が手を出すことがいけないのを承知しているので、ただただ窓から気をもむ日々でした。そして親が戻ってきて子供達のせわしげな食事風景を見る度ごとに、“君達元気でよかったね、神様に感謝しようね”と語っていました。ある時その日がきて、小鳥達は巣から這い出てヨチヨチ歩き始め、なにしろそこはファイアエスケープで、表面はスノコ状で、鋼鉄の板と板の間は3センチ位の板と同じ巾の隙間がありますから、そこに足をとられないかと又々気をもんだものでした。そうしてある日、大きい方の子が一人立ちして私が見た時、チビちゃんひとりが、残っていました。その土曜日の朝、チョコチョコするチビの周りを親鳥が行きつ戻りつしているのを見ました。“サア、貴方はもう飛べるのヨ、ソラ飛んでごらん”と言っていたのでしょう。2羽とも形は勿論、色も同じようで、なんとその時私は初めてエサをやっていたのはこの2羽で交代でやっていたのだと知りました。いつも同じのがやっているみたいなので、これはてっきり母鳥で父鳥は、責任放棄かなと思っていました。そうではなかったのです。感動でした。その美しい朝のうちにチビは一番近い木まで2,30メートルをちょっと戸惑って、でもどうやら飛んで彼等のドラマを見事に完結させました。こうして私が観察できる時間は限られていたのにほぼ全行程を見せてもらったこと、あたかも私が見られるように仕組まれていたかのように......なんと最上階のまるで屋根のない片隅に巣を作り、あの吹き付ける嵐を見事くぐりぬけた小さな命達を守るのには、神様の御手があったとしか考えられません。私はあの初夏の晴れた土曜日の朝、チビの初飛行を決して忘れないでしょう。

2つ目は随分昔の事なのですが、いつもつい昨日の事のように新鮮な想い出です。“今は昔”ある夏の日、私は初めてルーブル美術館のミレーの“晩鐘”の前に立っていました。足が釘付けになったように動けませんでした。ご存じのように“晩鐘”は思うより小さな、夕日に包まれてはいつつも、全体には暗い色彩の絵で農民夫婦が畑の真中で敬虔な祈りを捧げている図です。ルーブルには宗教画が数多くあり、ある一角は宗教画のみといったスペースがあり、当時教会にほとんど行ったことのない私にとっては意味がまるでわからず、素通りしたものでした。それが“晩鐘”の前でピタッと止められたのです。絵の中になにか深い精神性を感じたのです。神の存在を感じたと言ってもいいと思います。周りのほの暗い実りの畑、一日の労働の終わりを象徴する風景のせいでしょうか、祈る農民の姿があまりに自然だからか、あの絵に込められ滲みでる深みはどこからくるのでしょうか。つらい一日の終わり、鐘の音と共に、神に身を委ねて感謝の祈りを捧げる農夫、それは古代から延々と続く人間の日々の営みの基本です。ミレーは19世紀を生きたバビルゾン派の画家で、農民と彼等の生活を数多くテーマにしています。

日本人が子供の頃に教わる画家の一人です。彼の有名な絵の中でこの“晩鐘”は私にとって“超”特別です。私から絵に入って行ったのではなく、絵の方から私に飛び込んできたと言えると思います。大よそ本当に良質のものは、芸術作品とか発明発見でもこっちから探りを入れる前に向こうの方から(芸術作品の方から)語り掛けてくるものだろうと思います。少なくとも私にとってそういうことが多く、こうした所にも神様の御手を感じないではおられません。

さて私自身の信仰ですが、友人に誘われるままに教会に行き始め、錦織牧師や諸先輩の暖かい熱心な励ましをいただいて2年前に洗礼を受けました。今まで私が見、感じてきた神様の色々な御技の確信を私の中にも大きく見せていただけるよう、心から祈っていきたいと思います。
これからもいいものをたくさん観て、感じて、毎日の無事を感謝しつつ神様と共にある実感を味わい、主を見上げて歩んでいきたいと思います。

(なお、ミレー、コロー等、バビルゾン派の作品は貸出し出張中でない限り、今はパリ、オルセー美術館にあります。)

月報2004年12月号より

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