「母を天に送って」

母は3月4日に90歳の誕生日を迎え、3月20日に天国へと旅立ちました。
73歳の時にこちらに来たのが最後でしたが、高校生の姪と来たので、美術館へ行ったり、五番街やモールを歩き回ったりしながら、自分の歩く力が弱っているのをとても気にしていました。
それから少しずつ、少しずつ歩けなくなり、何度も家の中で転んでは入退院を繰り返していました。その頃はショートステイの施設でリハビリをしてはまた家に戻って来て、をしていました。そして週三回デイケアサービスでそこに通っていました。
毎年、母に会うために一時帰国をしていましたが、自分で靴を履いていたのが履かせてもらわなければいけないとできなくなり、最後は車いすの生活になりました。
それでも、車いすを自分の足で漕いで動いていたそうですが、ショートステイの施設はいつまでも置いてくれません。自分から有料老人ホームを探してほしいと弟に伝えたそうです。弟は何十箇所と見て回ったそうです。
家から近く、環境の良いそうして、払える料金のところ、そこは清潔で施設も整い部屋からは若草山が見えました。スタッフの方々も良さそうな方でした。
でも、個室で車いすの生活だと、人と接する機会も減り、去年入居したばかりの頃に会った時には、いろいろ話もしていましたのに、今回は本当にびっくりするほど喜怒哀楽がなく、会話も短いものしかできませんでした。
今回はただいつものように顔を見に帰っただけでしたのに、園に会いに行った次の日、急に具合が悪くなり、入院となりました。体中が痛い痛いと訴え、座薬を入れてもらい、眠り、また痛みのために目を覚まし、また薬、その繰り返しでした。
目を覚ました時、早く死にたいと頼みました。そこで、私はもう一度、私自身がクリスチャンになったことを母に話して、そんなに辛いなら、神様にお願いしようかと聞きました。母はうなずき、私は神様に早く楽になれるように、天国に連れて行ってくださるように、お願いしました。
次の日、うそのように痛みが取れました。
今回、帰る前から、長い間会っていない友達と会う約束をしていて、もちろん、キャンセルするつもりでしたが、弟や義妹が、病院に入っているから、一応安心だし、出かけたら、と言ってくれたので、出かけました。
毎日、様子を聞くために電話をしていたのですが、髪を洗ってもらった、体を拭いてもらった、飲み込む力をつけるため、
リハビリを始めた、と快方に向かっているようでした。予定どおり帰って来て、病院に行き、私のことわかる?と話しかけると、「典子」と言い、長男のことも洋介だとわかると言いました。先生からも一週間ほどしたら退院です、と説明されました。
長男は6年ぶりに母に会ったので、何か話してあげなよ、と言ったのに、あまりの変わりように、ショックを受け、泣いてしまって、何も言えませんでした。
抱き寄せて、ほほにキスしてあげたのが精一杯でした。明日、また来るから、と帰りました。
次の日、明日帰るからね、と病院への向かう途中、先生から電話が入り、早朝から容態が急変したと言われました。病院に着いた時はまだ意識はありました。その日は祭日で先生たちも少なく、説明しますと言われたとたん、急患が入り、そばについていましたが、私たちのことがわかっていたかどうか。
そんな中、心臓が止まり、一時は蘇生しましたが、元気な頃から延命行為はしないと決めていましたので、そのまま午後2時10分永眠しました。
今から思いますと、私を行かせてくれるために、一時的に回復し、そのおかげで、ちょうど同じ頃に天に召された高橋さんとも最後のお別れができました。
髪を洗ってもらい、体を拭いてもらい、旅立ちの準備をしていたのですね。

「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。」            (ヨハネ第一の手紙4:14)

痛みからも解放され、息子と孫と娘に付き添われ、お願いした通り、神様に天国へ連れて行っていただいたのと、確信しています。
私たちのことを待っていてくれたのでしょうか。
遠く離れて住んでいますのに、幸いにも最後に会わせてくださった神様に感謝いたします。
本当にすべてこれで良かったと思っています。
そうだよね、お母さん。

月報2013年5~6月号より

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