「私にはトモミチという名の友達がいました。…」

私にはトモミチという名の友達がいました。私が初めて幼稚園に行った日に出会った友人の名です。父の転勤の都合のため、他の皆より多分2ヶ月くらい遅れて入園した私にとって、彼の存在は励ましであり、大きな助けでした。「トモミチ君、しんじ君の面倒見てあげてね」と云う先生の言葉に私達の出会いがあったように記憶しています。当時の私の写真を見ると、私の書いた絵がまるで彼の作品のコピーのように似ていることが分かります。私はいつも彼の作るものを真似していたのですから当然のことでしょう。その関係は、卒園するまで、それぞれが違う小学校に通うようになるまで続きました。
そのトモミチ君が亡くなったという知らせを聞いたのは、小学校に入って間もない5月頃のことだったと思います。ある日、母から虫垂炎(当時は盲腸って呼んでました)の手術でお腹を開いたら、腹膜炎を併発していて手遅れだったということを教わりました。小学一年生だった私がその出来事を理解し、その説明が深く心に刻まれたのは、彼が本当に大切な友達だったからに他ならず、死というものが何であれ、もうトモミチ君に会えない!ということは分かったのでした。

それから30年以上もたったある日のこと、私は車を運転しながら「トモミチ!」と突然頭の中で叫んでいました。その2ヶ月くらい前に妻が妊娠したことがわかっていました。初めてのことでしたから、ドクターからの指示の全てが新しく、新鮮なものでした。ところが、ある日の検診の時に血液検査があり、その結果が私達に大きな不安を与えることになりました。「お子さんに何か問題がある可能性があります。でも、血液検査の結果は完璧ではないことが多いので、羊水検査をしましょう」と云った内容の説明があったのです。妻はドクターに云われるがまま羊水検査を受けることになりました。トモミチ君の名前が頭をよぎったのは、その検査結果を待っているある日のことだったのです。結婚した頃から、私には女の子が与えられたらこの名前というアイディアがあったのですが、もし男の子だったらどうするかなぁ?と考えていたからです。そして、何故だか分かりませんが、彼の名前が浮かんだその瞬間、検査結果は思わしくないに違いないという不思議な確信まで得てしまったのです。

私は家に帰ってから妻にその次第を伝えました。そして、男の子だったら「トモミチ」という命名案が私達の間に生まれました。その数日後、私が家に一人でいた時にドクターからの電話がありました。「結果が出ました。ダウン症です。あとはお二人で考えてください。詳しくは次の検診日に、、、」という短い内容の電話でした。血液検査は正しくないことが多いと云って気休めを云っておられたドクターの声は低く、力の無い感情を殺したものでした。その検査結果を妻にその日のうちに伝えたかどうかは覚えていません。でも、伝えた時のことは覚えています。私からの言葉を聞いた時、妻は「やっぱなぁ。そうじゃないかって思ってたんだ。」と云い、多分涙を流していたと思います。多分というのは、私が妻の顔を見る事が出来なかったので見ていないからです。次の検診日にドクターから説明を受けたのですが、なぜか「あとはお二人で考えて決めてください。」というあの同じ一言が加えられました。どういう意味?と思いつつも、私にはその意味を尋ねる勇気がありませんでした。ただ、その日から私の中で葛藤の日々が続くことになりました。考えてって何を考えるんだ? 何を決めるんだ? それって要するにこの子を諦めろってこと? 諦めても良いってこと? その場合、何が起こるんだ? そんなことして良いのか? 医者が良いってんだから良いんだろ? 人殺しじゃない! じゃぁ、普段教会で「命は何によっても取り戻せない。」と聞いているイエス様の言葉は無視して良いのか? 私の心の中は、ぐちゃぐちゃに乱れました。

多くの人が聖書を読むようになって、心に刻まれる言葉はいくつもあります。たとえば、エレミヤ書というところには、「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。��主の御告げ。��それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」と書いてあり、ローマ書には、「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」とあります。私も既に聖書から何度も、また牧師のメッセージから、いくつかの信仰書からもそれらの事を心に焼き付けられていましたし、時には友人などにその恵みを語ることがある程でした。しかし、このお腹の中に居る子供の存在によって、これらの聖書の言葉に持っていた確信が揺るがされたのです。まるで「あなたがこれまで証ししたそれらの言葉は本当であるか、あなたは本当にこれを信じるか?」と誰かに問い質されているような気がしました。そして、私はなんとかして、聖書が別のことを教えてくれないか、聖書の中をくまなく探したりしたのです。

その数日後のことでした。家に帰ると玄関に奇麗なブーケが届けられていました。「は、なんだぁ?」と思って部屋に持って入ると、小さなカードが挟んであるのが目に止まりました。そして、そこに手書きされていた短い言葉を見た私の目からは止めどなく涙が溢れ出て、私の心は神様のご計画をしっかりと受け止めることになりました。こう書いてありました。「わたしのエンジェルをよろしくおねがいします。天使ガブリエル」 (注:ガブリエルとは、天使の中でリーダーとされている存在で、イエスが生まれる前、母マリアに話しかけたのもガブリエルでした)

私たちは多くの場合、子供を“授かる”と云います。聖書にもそのような表現がありますので、間違えでは全くありません。でも、子供を“預かる”と受け止めるならば、その存在は恐らく“自分の”子供よりもずっと大事な存在になるのではないでしょうか? 私には妻のお腹の中にいる子供を神様から預かっているのだということがよく分かりました。その任務は大変なものかも知れませんが、神様があなたに任せたいと云われるのであれば、お受けしないわけにはいかないのでした。不思議なことに責務を受け取ったその日から、私はこの子供の誕生が待ち遠しくなりました。そして、少しでも元気な状態でお預けくださいと願い、祈る毎日となったのです。聖書のコリント人への第一の手紙にはこうも書いてあります。「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます」 私は聖書の言葉を自分自身の考えで解釈するのではなく、更にそれを信じることを選びました。

いよいよ生まれるというその日は、あっという間にやって来ました。どこまで慌てて良いかも分からず、カメラさえ持たずに分娩室に付き添った私でした。9時間くらいの分娩で生まれて来たその子は、「ホ~」という口をしながら、その目ではっきりと私を見つめてくれました。神様から預かったトモミチ君(知道と漢字を付けました。道であるイエス様を知っている、また知らせる人という意味です)との初対面の瞬間でした。その子が私達夫婦の目にどれだけ可愛く映ったかは、親バカの域をはるかに超えて言葉では到底表現出来ません。数日後に家を訪問してくださった錦織先生がこのように祈ってくださいました。「神様、知道君にこのパパとママを与えてくださってありがとうございます。」 まさに“授かる”ではなく、“預かる”を肯定していただいた瞬間でした。

生まれて数ヶ月たったある日の土曜日、私は知道と二人で留守番をしていました。すやすやと眠る子の顔を見つめながら、そっとギターを弾いていた私は幻を見たのです。どこかの広い青空の下にある大きな宮殿のようなところの庭で、この子が楽しそうに走り回っている姿でした。私は白い柵のようなところに座って、ギターを弾きながらその姿を追っていたのです。「あぁ、ぼくはこの子といつまでも一緒に生きていこう。永遠に。何も急ぐことはない。神様から受ける永遠は果てしない。」その幻を見た私の心はとても平安でした。神様から受けた約束からしか得られない平安です。

知道と共に初めて日本に訪れたのは、2003年のことです。彼の祖父母、私達の両親に知道のことを紹介するためでした。彼らにとってもショックな宣告であると分かっていましたので、電話やメールでは伝えられないでいたのです。会ってもどのように伝えることが出来るか悩みましたが、共にクリスチャンである両親は、その孫をそのままに受け入れてくれました。クリスチャンであることがこれほど有り難いことであるかを覚えるひと時でした。

健康上はこれまで、心臓に穴が見つかったり、甲状腺に問題が見つかったりもしましたが、皆様の祈りと励ましによりここまで守られて来ました。何人かの専門医に見ていただいた心臓の穴は、素人の目には分からないほど、自然に塞がってしまいましたし、甲状腺は毎日ご飯粒2つ分ほどの大きさの薬を飲むだけで守られています。イエス様が地上を歩まれた時、多くの病人を癒されたと聖書にあります。しかし、もしイエス様が今、知道の目の前に現れたとしても、イエス様は彼を癒すことはされないと思います。また、私達もそのようなことを願わないはずです。この子が“普通”になってしまったら、それは別人であって、私達が今愛して大切にしている“預かりもの”ではなくなってしまうからです。これまで共にこの子をサポートしてくださった何人ものドクターやナース、セラピスト、デイケアのおばさん、学校の先生、教会の皆さん達にどれだけ感謝しても到底足りません。ある先生は「トモがこのクラスにいてくれて良かった。子供達はトモと一緒に過ごして、人を助けること、人に優しくすることを学ぶことが出来た。」と云ってくださいました。知道が生まれる前に妻に示された聖書の箇所、ヨハネの福音書には「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」という盲目に生まれた人について語られたイエス様の約束の言葉があります。沢山の方々と共に、この子を通して現される神様の栄光を見させていただきたいと願っています。

2歳年下の弟に最近身長が抜かされてしまった小さい7歳です。色々なことが少しずつ他の子達よりも遅れているようですが、誰からも好かれ、友達になってしまうところ、純粋さ、オリジナリティ、頑固さやこだわり、我が道を行く姿、誰にでも世話好き等は私達もかなわない桁外れのものを持っています。かつて幼稚園の時のトモミチ君がそうであったように、私は自分の子として生まれたトモミチ君から沢山のことをこれからも学んで行くことになりそうです。私達夫婦が神様に知道の良き理解者、友達のような弟をと願って生まれた子、真友(まさとも)が成長して行く中で、“知道を受け入れる”という試練が待っていることも想像しています。これもまた神様の栄光が現されるために必要なことと理解しています。教会の皆さんや子供達、これから出会う方々が、知道との関わり合いの中で得るものが沢山あることを願っています。どうか特別視しつつ、でも偏見は持たず、甘やかすことなく、そのままの知道とおつきあいいただけますように。それこそまさに神様が私達一人一人に対して、してくださっていることです。この2009年のクリスマスの時期、永遠におられる方、恵み深い愛そのものであるイエス様の父なる神様のお名前が崇められますように。

月報2010年1月号より

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