昨年11月、洗礼を受けさせていただきました。
どのようにして、私が信仰に導かれたか、今の気持ちを証したいと思います。
2013年夏、突然、主人がアメリカへ転勤となり、その三ヶ月後主人が先に渡米しました。当時2歳の息子と共に、アメリカで生活することは不安でしたが、どうにかなるだろうと思っていました。
私の人生は今まで希望通りに進む事はほとんどありませんでした。大学進学、就職活動も第一希望ではありませんでした。結婚、出産も遅く、自分の望むように人生は進みませんが、与えられた環境、状況の中で、どうにか過ごしていました。そのため、アメリカ駐在もどうにかなるだろうと考えていました。
2014年3月、家族三人のアメリカ生活がスタートしました。
あれ?何か違うぞ? 思い描いていたアメリカ生活では、ありませんでした。
日本では、一人でできていた自分。しかし、このアメリカでは、主人の協力無しではできないことが多すぎました。何でもできるような器用な人間ではないとわかっているのに、自分の無力さ、弱さに直面し、悩み、もがいていました。主人も新しい職場で多忙な毎日、また出張も多く、私が不安である日々を過ごしていることを主人に伝えることができません。日本にいる体調の悪い父、その看病をしている母や姉にも心配をかけられず、私が大変だと言うことは出来ませんでした。
子供の健康状態も私を悩ませました。日本にいる時から花粉症、アトピー性皮膚炎の息子はこちらに来てから一気に症状がひどくなってしまいました。花粉の季節はアレルギーの症状がひどいため十分なケアが必要でした。なかなか良くならないため、検査したところ、春、夏、秋のほとんどの季節に反応するアレルゲンと食物アレルギーも見つかり、とうとう喘息にもなりました。ほぼ毎月発作を起こすため、子供の健康を第一に考える生活を送ることになりました。まだ幼かった息子の辛そうな姿を見るたびに、この地で生活を続ける必要があるのか、なぜNJに来てしまったのか、主人が出張の時に息子の症状がひどくなったらどうしよう、ドクターに英語で上手く伝えることができるだろうか…全てのことに思い悩む日々でした。
アメリカへ来て一年半ほど経ち、私達家族は引っ越しをすることになりました。まさかアメリカで引っ越しするとは…、まだまだアメリカ生活に慣れない私はまた苦労することが増えたと正直思いました。
引っ越しをしてしばらく経ち、家族で庭にいたところ、突然、「日本人の方ですか?」
と車の運転席で大きく手を振りながら日本語で尋ねてくる女性の方がいらっしゃいました。その方は近くに住んでおられる錦織牧師の奥様、範子さんでした。今思うと、この家への引っ越しは神様のご計画だったのです。
範子さんから『Joy Joy キッズクラブ』を教えていただき、参加した子供は「楽しかったよ!また行きたいよ!」と笑顔で言ってきました。アメリカに来てから、子供の喘息や皮膚炎が悪くならないように、私は色々な所に子供を連れていくのをためらうことが多かったのですが、『Joy Joy キッズクラブ』は子供の希望通り、参加させてあげたいと思いました。これが教会へ行くキッカケになりました。
また、子育て中のお母さんたちのスモールグループ『JOY JOY 奥様会』に声を掛けていただきました。クリスチャンでない私が参加してもいいのかと思いながらも、皆さんと共に子育てや家族、夫婦について分かち合いました。私は妻である自分、母親としての自分がこれでいいのだろうか?子供の健康管理も十分に出来ない私、忙しい主人となかなか分かり合えない私に嫌になっていました。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書 43:4)
この御言葉を知り、こんな私に、神様は高価で尊い、愛していると言っているのか…本当なの?一体神様とは何だろう、神様は御言葉を通して、私達人間に何を語っているのだろう。私は知りたくなり、『Ridgewood 聖書を読む会』に参加しました。
神様は少しずつ少しずつ、私を導いてくださいました。
ミッション系大学に進学したので、一年生、三年生とキリスト教概論など必修で、聖書も持っていました。が、記憶にあるのは、パンとぶどう酒、最前列でクリスチャンの男子学生が一人、熱心に牧師先生に質問している姿です。
聖書をしっかり読むのはほぼ初めてでした。
全く初心者の私が参加しても大丈夫かと不安でしたが、毎回とても楽しい学びでした。そして、この年齢でも新しいことを学べることは喜びでした。イエス様は素晴らしい方であるのはわかるけど、なかなか罪や十字架、聖霊などを理解するのは難しく、錦織先生から聖書を学ぶ基礎コースを提案してくださいました。神様は、聖書を学ぶ機会、そして、一緒に学ぶ友もご用意してくださいました。
錦織先生は丁寧に私達に神様の愛を語り、そして、どんな質問にも真剣に答えてくださいました。学びを通して、神とは、罪とは、十字架とは、復活とは…今までぼんやりしていたものが少しずつ少しずつクリアになります。聖書のメッセージが心に響き、御言葉に励まされ、癒される自分がいました。私の中で素晴らしい神様のことをもっと知りたいと、どんどん神様の存在が大きくなっていきました。神様を求めている私に、このままではクリスチャンになるのでは…喜びよりも不安でした。なぜ不安だったのか?自分がイメージするクリスチャンと私は掛け離れていたからです。こんな今まで適当に生きてきた私でもいいのだろうか?
「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」(ヨハネによる福音書 15:16 )
神様がまず私を選んでくださったなら、私は悩む必要などないのです。
私たちの罪のためにイエス様は十字架にかかってくださった、それほどまでに神様は私たちを愛してくれる方。私たちの存在自体を神様は愛してくれている、無条件に私たちを愛してくださっている神様とこれから共に歩みたい…
2019年2月、信仰告白に導かれました。
これからの信仰生活を歩むにあたり、主人の理解は私には必須でした。今までの結婚生活において、私の決断に主人はいつも理解を示してくれました。主人は私が礼拝に行き、聖書の学びやスモールグループに参加していることを知っていたので、私は今までのように、私の決断に賛成してくれると思っていました。しかし、主人から理解を得ることは出来ませんでした。お互い、眠れない日々を過ごすことになりました。神様、私があなたを求めること、それは、私たち家族の祝福にもつながるのではないですか?私はどのように歩めば良いのかわからなくなりました。
「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。 そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」(ピリピ人への手紙 4:6-7)
主人の理解が得られるようにと祈りました。ある日、子供に一緒に礼拝へ行こうと声をかけました。子供の答えば「パパが行ったら行くよ」主人は一度も礼拝に参加したことはなく、まだ理解も得てなかったので、私一人で教会へ行く準備をしてました。すると突然、主人が子供に「パパも行くから出かける準備して。」家族で礼拝に参加することを祈っていた私でしたが、突然の出来事でした。それから主人は何回か礼拝や教会で行われる子供向けのイベントにも顔を出すようになりました。しばらく経ち、もう一度主人と私の信仰について話す機会を神様は与えてくださいました。また反対されるのではと不安な気持ちでしたが、主人からもう少し時間が欲しいと言われました。今回、主人はしっかり私の話をきいてくれました。少しずつ変わっていく主人の姿に、私は神様に感謝をもって祈る日々が続きました。
10月の礼拝、錦織牧師から、秋の季節になり、今まで蒔いてきた種が実になり収穫する季節になりましたねというお話がありました。思わずその話を聞いて、私の信仰の実が収穫される時だと強く感じました。その後主人は賛成してくれました。祈りが聞かれた瞬間でした。
2019年11月24日、洗礼式を迎えることができました。主人、子供も立ち会ってくれました。息子から何度も「ママ洗礼おめでとう。」とハグされ、主人から「今日は幸せな一日だったね。」と。まさか主人からこの言葉を聞くとは…。
「神のなされることはすべてその時にかなって美しい。」(伝道者の書 3:11)
神様は、時間をかけて、私自身を変えてくださいました。私が神様を求めたあの日から、あなたは御言葉をとおして力強く私を導いてくださいました。神様、あなたと共に歩めること本当に感謝します。あなたを見上げ、どんな時もあなたを信頼し、感謝する歩みができるよう私を導いてください。