投稿者: jccnj
2025年9月号<牧師室より>「かみさまはぼくらにもうむちゅう」
先月号の月報では、JOYJOYキャンプにかける私自身の思いを書かせていただきましたが、今年のJOYJOYキャンプも皆さんのご協力とお祈りに支えられて、エキサイティングな5日間になりました。小さい子たちから、上級生の子たちまで、みんな楽しんでくれていたと思います。
今年のテーマは「デカいぞ!あおいぞ!ちきゅうにむちゅう!」。
教会のジムに地球の風景、そして、その裏にトンネル迷路を作って、毎日少しずつ、神さまが造ってくださった地球の不思議を探検しました。大きな宇宙の中での地球がいかに特別な星なのかとか、この地球の自然界の美しさや大きさ、そして、植物や動物の不思議、そして、自然界の環境を守っていくことの必要性、私たち人間のお互いの大切さ、など、伝えていきました。またみんなで毎日少しずつ作っていった地球の絵。なかなかの傑作ができました。毎日の工作やクッキング、ゲームやテーマソングなどの歌も盛り上がっていました。

でも、その中で、もう一つ、どうしても子どもたちに伝えたかったことは、今回のテーマソングの一番最後のフレーズ、
「かみさまは ぼくらに もう むちゅう」
ということです。
テーマソングはこちらから。
神さまは私たちの事を大切に思っていてくださって、私たちのために、神のひとり子イエスを与えてくださったのだ、ということです。私たちが地球の不思議を知れば知るほど、地球に夢中になっていく。それは素晴らしいこと。でも、それ以上に、神さまの方が、私たちに夢中になっていてくださる、その神さまの思いを伝えたいと思ったのです。
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(イザヤ書43章4節)
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節)
でも、このメッセージは子どもたちだけではなく、すべての人々に、JOYJOYキャンプの時だけではなく、いつも伝えていくべきメッセージだと思わされています。一人でも多くの方々に、神の愛のメッセージが届きますように!
<牧師室より>2025年8月号「瞳の輝く瞬間を求めて」
自分が子どもの頃、教会には子どもたちがたくさん来ていました。幼稚園とかやっていない、50人くらいの大人の通う普通の東京の教会でしたが、毎週日曜日の朝9時に、子どもたちだけで50人くらい集まっていたと思います。クリスマスとか、特別な子ども会になると100人くらい来て、小さな教会堂は子どもたちでいっぱいでした。今のように日曜日に、他にやることがたくさん、ということではなかったのだと思います。同じクラスの仲間たちの中にも、教会に来ている子たちが何人かいました。日本ですから、自分で歩いてくる、自転車で来るということもできる環境です。親が教会に来ていない友達もたくさんいました。
でも、小学校の高学年くらいから、だんだん教会に来る子たちが減ってきました。中学受験のために塾に行くとか、水泳教室に行くとかで来られなくなる友達もいましたが、それだけではありませんでした。一度、以前教会に来ていた友達に「また教会においでよ」と声をかけたときの、その友達の答えは忘れられません。「教会?行かないよ、つまらないから・・・」
正直なところ、自分も小学校高学年くらいになったときに、教会はガマンするところになっていました。「小さい子たちのためにぼくらはガマンしなければ・・・」「ガマンして静かにお話を聞かなければ・・・」と。もちろん、ガマンすることがすべて悪いとは思いません。教会に楽しさだけを求めるのも間違っているでしょう。また、自分はこの後、中学生になってからは、仲間とゲームをしたり、ギターで歌を歌ったりして楽しく過ごすだけでなく、共に祈ったり、語り合ったりすることに意味を見つけていきました。その中で、神様の愛を知っていきました。でも、この小学校高学年くらいの子たちの居場所も、なんとか教会の中に作ることができないかとずっと考えてきました。
今から、30年くらい前、この教会でJOYJOYキャンプを始めた頃から、私の願いはそこにありました。小学校高学年くらいの子たち、それも、エネルギーを持て余している子たちにとっても楽しいプログラム、そして、楽しいだけでは終わらない、心に届くプログラムを持ちたい、思いっきりエキサイティングなプログラムを持ちたいと思ってやってきました。子どもたちの瞳がキラッと輝く瞬間を求めてやって来ました。それがどこまでできたか分かりません。また、30年前はなんともなかったことが、今は「とても無理!」と思います。それでも、この思いはずっと持ち続けていたいと思います。
「子どもたちを、わたしのところに来させなさい」(マルコの福音書10章14節)
今年のJOYJOYキャンプ、「デカいぞ!あおいぞ!ちきゅうにむちゅう!」今年も、小さな子から、小学校高学年の子たちまで、みんな楽しめるキャンプ、そして、そこで楽しいだけではない、大切なことを知る機会になることを願っています。この世界への神さまの思いを伝えたいと思います。まだ今からでも、申し込みいただけます。詳しくはこちらの申し込み書から。
今年のJOYJOYキャンプ、今年も教会のジムに、子どもたちの歓声が溢れますように!
ありのままを生きることの難しさと恵み
私は会社員をしています。特に学校で学んだとかいう事を役立てているとかではなく、仕事をゼロから始め、教えられ、身につけて来た事を築き上げて来て今があり、給料を得ています。その中で一つ、日々の仕事の中で大切にしてきた習慣があります。もうすぐリタイアかなぁと思う歳になって来ましたが、長年それをひたすら続けて来たのです。それは、「ありのままを正確に認識し、誠実に報告すること」です。
問題が発生したとき、何が起きたのか、原因は何か、どれほど緊急性があるか、どのような対処が可能か——そうしたことを隠さず、事実のままに上司にも部署全員にも報告するのです。特に自分のミスや判断の誤りが関係しているときは、つい脚色したり、言い訳をしたくなるものです。しかし、私の会社では、「誠実な報告こそが最善の解決への第一歩であり、同じ事を再発させない対策を見つけるための正しい判断を生み出す」と繰り返し教えられてきました。その義務を全員で果たさなければなりません。当たり前のようで、実はこれが出来る環境は、なかなか作れないのではないでしょうか?
最近この習慣が、実は私の信仰とも深くつながっていることに、気づかされました。
私は両親がクリスチャンの家庭に生まれ、幼児洗礼を受け、教会附属の幼稚園や教会学校にも通って育ちました。ただ、幼い頃の私にとって信仰とは、「クリスマスは特別な日」といった程度のものでした。兄や妹は成長の中で信仰告白をしており、私は少し遅れて24歳でクリスチャンとなりました。
クリスチャンの両親を持ったクリスチャンを妻とし、周囲には信仰を持った家族や親族が増え、私は「神様の祝福とはこういうことなのか」と自然に思うようになっていました。けれどもあるとき、私は実家の家族に関して重大な見落としをしていたことに気づかされたのです。
最近、あるインターネットの記事で「裏」という漢字の一部に「表」という字が隠れていることを知りました。その瞬間、「自分はずっと家族の“表”だけを見てきて、その上にちょこっとついている“裏”の部分を見ないで来たのではないか」と、はっとさせられました。
実際、私の家族は長年にわたって大きな問題を抱えていました。しかし、私たちはお互いに「ありのままを伝える」ことをしてこなかったため、正しい判断も、適切な解決策も見出せないままでした。とても親しいようでしたが、本当の事はあまり口にしていなかったので、問題として認識するのが遅れ、家族での作戦会議を開くような事は無かったのです。
私がその問題の存在を知ったのは、時間の経過が立った後、しかもそのごく一部で、更にその内容には事実と異なる話が含まれていました。つまり虚偽の報告です。それゆえ、問題の深刻さにも、当初は気づけませんでした。
問題の発端は、父が信頼していた知人の連帯保証人になったことでした。その人はほどなくして夜逃げしてしまい、父に多額の借金返済義務が降りかかりました。この事は確かな事実で、大きな問題の始まりでした。父は借金返済のために奔走しましたが、借金が借金を呼ぶ悪循環に陥っていきました。定年後に始めていた事業も立ち行かなくなり、最終的には長年かけてローンを完済し、手に入れた自宅まで手放さざるを得ない状況に追い込まれて行きました。こうした事実を、私はずっと後になってから知らされたのです。
しかし、それだけでは終わらず、さらに驚くような話が親族から出てきました。それらは、私が幼い頃にまで昔にさかのぼるもので、信じがたいような「家族の裏の歴史」でした。人は誰かを悪く言い出すと、あまり関係の無い話まで持ち出して、その人を責め立てる事があります。ですので、それらの話は真偽を確かめる術すらなく、何が本当なのか分からないままです。そのような話を聞く私の心はとても痛みました。
父は晩年、老化が進み、会話がかみ合わなくなることが増えていきました。そして父が亡くなり、まもなく母もその後を追うように天に召されました。こうして、両親の口から真実を聞く機会は完全に失われてしまいました。
さらに、両親と長く近くにいたはずの兄や妹夫婦から語られる話は必ずしも一致しているわけではなく、私にはどうしても信用できない内容ばかりです。証拠となるものも何ひとつ示されず、私は何を信じていいか分からなくなりました。私にできることは、もはやほとんど残されていないように思えました。確かな手がかりがあるとすると、まだ元気だった頃、私に父が言った一言があります。「最近ヨブ記をいつも読んでいるんだ」と。(注: ヨブは、とても正しく信仰深い人で、家族も財産もあり、神に祝福された人生を送っていました。しかし、悪魔が「ヨブは祝福されているから神を信じているだけだ」と言い、神の許しを得て、ヨブを試すことになります。子供達や財産を失なわせ、彼自身病気に苦しみます) ちょうどその頃が家を失った頃と一致します。また、遺品の中に父が書き残していた書類がいくつかありました。それらの中には、会社の取引先の方からの手紙もありました。「私はあなたがクリスチャンであるという事で、ここまで信用してきたのです。あなたの誠意を信じて待ちます」という借金の請求で、クリスチャンを愚弄するような言葉が続けて書いてありました。また、私に宛ててしたためていた手紙や、私に金銭の工面を電話で依頼するための下書きも見つかりました。確かに何年も前、そのような話をした事を思い出して、あの時か、という感じです。その他に、神様への叫びのような言葉も記されていました。そして、私がその頃、何かよくわからないとはいえ、状況を察して書いた歌があり、譜面を送った事がありましたが、その歌詞まで手書きしてありました。こんなところに書いてないで、ちゃんと全てをそのまま分かるように話して欲しかったです。どんなにか苦しい思いをしていたかと、哀れな気持ちでいっぱいになります。
私は会社で「事実を正確に報告すること」の大切さを学び、それを実践してきました。しかし、自分の実家では、それが長年なされてこなかったことに、私は取り返しのつかない思いになります。クリスチャン家庭でしたからなおさらです。
聖書には、偽りや隠し事、不誠実、自分本位な言動のゆえに神様の祝福を失い、ひどい結末に至った人々の例が、聖書の最初から、いくつも記されています。私の家族も、もし神様の前に「ありのまま」を差し出すことを大切にし、その事について共に祈る事を第一として来ていたならば、歩んでいた道はまったく違うものになっていたでしょう。主イエスが、明らかな盲人に向かって、「私に何をしてほしいのか」とわざわざ尋ねられた意味がここにあると知りました。私の父が財産を失う出来事が起こる事を許された神様は、ご自分に真実の叫び声をあげるしもべ達を待っていて、そしてそれに応える準備もされていたと思います。
私の人生は残り何年あるのかわかりませんが、神様の前に忠実であり、ありのままでいる事を大事にして行きたいと願っています。自分の力でそれが出来るとは思えませんので、日々ただその事を祈り求める毎日です。主の祈りの最後、「我らをこころみにあわせず,悪より救い出したまえ」が、私の心からの主への願いとなっているのは、そのためです。これらのことを日々教え、証明し、勇気を与えてくださる方に信頼して歩む事以外に私が行く道はないのです。クリスマスしか大事でなかった幼い頃の私でしたが、主イエスの復活の出来事、イースターを喜び、そこから生きる勇気を受けていて、主が再び来られる日を待ち望む者です。いつの日か、天国で両親に再会して、全てが明らかになる事も分かっています。その時、どんな顔をして話してくれるのか、少し楽しみでです。
主イエスは言われました。
「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」ヨハネの福音書 16章33節
<集会紹介>「BIGクラス」(2025年7月)
BIGクラスでは、学校や放課後、週末に経験したことや、
みんな賛美が大好きで、”君は愛されるため生まれた” 、”強くあれ、雄々しくあれ”、を喜んで大きな声で賛美したり、
そして、最近のクラスでは、
この話をきいたこどもたちは、
これから、みんなが聖書の話を聞く時に、

注) 本人たち、保護者様より掲載許可をいただいています。
2025年7月号<牧師室より>「ここまで守られたから」
私が妻と1歳の長男を連れてアメリカに渡って来てこの7月で33年を迎えようとしています。思いがけず、こちらでの生活も長くなりました。渡米記念日を前にして、もう一度振り返って見て、一番自分にとって大きな出来事は、31年前、願っていた道が閉ざされて、何とか道が開かれて、NJにやって来たことでした。
「残念ながら、あなたを受け入れることはできません・・・」日本を出発する前から、繰り返し受け取ってきた不合格通知。今考えると、自分の考えの甘さゆえの当たり前の結果だったと思うのですが、その頃は、それなりに必死。ある時は郵便箱をチェックするのが怖くてできなくなることもあるほどでした。
そんな中で、唯一合格通知をくれたNJの大学の大学院。少し不本意ではありましたが、行くところがあるだけでも良かったと、レンタルの引越トラックに荷物を積んで、自分一人で運転して、アトランタからやって来ました(妻はちょうど2人目の出産直後で日本に滞在していました)。最初のサンディエゴ、次のアトランタには迎えてくれる知り合いがいたのですが、NJには知り合いもおらず、弟の知り合いのそのまた知り合いを頼って荷物を降ろすのを助けてもらって何とかアパートに入ることができました。でも、そのトラックを返したあとに大学まで帰ってくる方法がなくて(今のようにUberがあったら・・・と思います)、一緒に行ってくれる学生を何とか捜し出して、助けてもらったことも思い出します。
でも、頼る人がいないというのは、素晴らしいことでもありますね。一つ一つの新しい出会いに支えられてやって来ました。良い先生たち、仲間たちが与えられて楽しい学生生活を送りました。
特に、その大学院の2年目に、自分の研究テーマも見えてきた時に、それに光を当ててくれる先生が思いがけず移ってきたのは、本当にものすごい驚きでした。自分が最初に願っていた道が開かれていたらあり得なかった出会いでした。学位は取れずじまいでしたが、良い学びをさせていただきました。そして、この教会との出会いも、もちろん、特別な神さまの導きだったと思わされています。
まだ20代だった33年前の自分には、全く先が見えなかったけれども、そして、その頃願っていた道は閉ざされたのだけれども、一歩一歩神さまが導いてくださったのだな、と思わされます。
私も「老後のこと」とかをいろいろ聞かれる年代になってきました。自分でも考えなくもありません。無策でいいとも思いません。しかし、どんなに自分で準備をしていても、これからの歩みも思ったような道が開かれないこともあるでしょう。予定どおりに行かないこともあるでしょう。一年先だって、何があるか分かりません。でも、そんな中でも、神さまが共にいて導いてくださる。これまで導いてくださった神さまが、これからも導いてくださる。それを信頼して歩んでいこうと思います。
なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中にシオンへの大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも
そこを泉の湧く所とします。
初めの雨もそこを大いなる祝福でおおいます。
詩篇 84篇5~6節
錦織学
証し
1、自己紹介
どうも、モレノ禱人(ときと)です。14歳で中学3年生です。ニュージャージーには3年も暮らしていて、その前は大阪に住んでいました。ニュージャージーには家族がいるので、前にも旅行で来たことがありました。でも今は、お母さんと一緒にテナフライという小さな町に住んでいます。
2、イエス様を信じたきっかけ
もともとお母さんがクリスチャンだったので、僕は家族の信仰に沿って、家族と一緒に教会に行っていました。兄と姉がいて、年はだいぶ離れているけど、いつも一緒に教会に行っていました。兄と姉が社会人になってからはもう一緒に住んではいませんが、その後もお母さんと一緒に教会に行っていました。
学校のために教会を変えないといけなかったけど、それでも毎週日曜日はお母さんと一緒に教会に行っていました。小学生の時、友達の教会に行きたいと言って、箕面にある教会に通い始めました。それから4年間同じ教会に通って、そこで洗礼を受けました。
3、イエス様を信じた後、どう変わったか
イエス様を信じた理由は、死んだときに天国に行きたかったからです。でも、イエス様を信じたときには、最初は「何も変わってないやん」と思っていました。でもその後、いろんな大変なことや困難があって、頼れる人が周りにいないと思ったときには、いつもそばにいてくれるイエス様のことを思い出しました。
「この人は絶対頼りになる」と思ったら、安心できるようになりました。今では、食べる前に感謝する時や、眠る前に今日の感謝と明日の祝福を祈ることを大切にするようになりました。
4、これからのイエス様との関係(将来のために)
これからも、いつも通り教会に来て、ちゃんと教会の手伝いをやっていけるように頑張りたいです。そして、家でもちゃんと祈りを続けて、もっとイエス様と過ごす時間を増やしたいです。
そして、もっと教会に人を誘いたいです。本当は、日曜日は家でゲームをしたいけれど、中高生がもっと教会にいたら、もっと楽しく来ることができます。だから、中高生を増やすために、いろんなイベントに協力して、ユースを増やしていきたいです。
「イエス様が一緒に」
私とイエス様との出会い、それは私から探したり生み出したものは微塵もありません、ただただ一方的に与えられたギフトでした。
私は新潟で生まれ、幼少期を過ごしました。両親は青年の時、それぞれが宣教師の集会に誘われ、信仰を持ってクリスチャンとなり、その後出会い結婚しました。真面目で信仰熱心な両親の元、私は兄妹とクリスチャンホームで育ちました。
朝早くから父は聖書を読み、私達のために祈っている。その後ろ姿を見ながら、目には見えないけれど神様は居られるんだと、私は神様の存在を特に疑うことはありませんでした。
また自営でいつも忙しくしていた母は、日曜日は教会に行くために店を閉めてこの日を分け、私達子どもも礼拝を第一にするよう教えられてきました。私が生まれた頃は教会のベビーブームで同世代の友達が沢山いたので、私は教会で遊び、教会で育ちましたし、教会学校では聖書のストーリーを聞き、御言葉を競っておぼえました。
教会生活をしながら、神様の中にいる平安を味わっていたのだと今思い返します。また、両親の信仰と祈りによって、神様は私の信仰生活を守ってくださったことがわかります。
小学生時代は毎夏、父が兄と私をバイブルキャンプに連れて行ってくれました。そこで子供達とアクティビティを楽しみ、子供達の信仰に触れ、またスタッフのお兄さんお姉さんが喜んで奉仕している姿に私は心動かされました。
本来、私はとても怖がりです。特に暗がりが苦手でした。夜に自分の部屋がある二階に上がるのもビクビクしていたのを思い出します。またお仕置きと称して、父に物置に入れられる時は本当に怖くて怖くて。(ちなみに父とは青年期に話し祈る機会が与えられました、感謝)
小2の時、キャンプで覚えて帰った曲「祈ってごらんよわかるから♪」は、沈みがちな私の心を灯してくれました。「きみは神様にね話したことあるかい心にあるままを打ち明けて。天の神様はね、きみの事なんでもわかっておられるんだ何でもね。だから空をあおいで、神様、とひとこと祈ってごらんよわかるから。小川のほとりでも人混みの中でも広い世界のどこにいても。本当の神様はいまも生きておられ、お祈りに答えてくださる」
賛美を口ずさんだり、簡単な祈りをしたり。その小さな祈りを神様は聞いてくださっていたのです。気づけばいつからか暗がりがそんなに怖くない。怖いと思う時に神様に祈ると、主の平安が私と共にあって、恐れに縛られることはなくなっていきました。
高学年の夏に行ったキャンプで、私は聖書のメッセージを聞いて信仰告白に導かれました。
当時クラスの中でいじめに合っていたクラスメートに対して、私は何もできずにいました。いじめをしていた加害者ではなく、一緒に無視をしていたわけでもありません。でもその友達に対して何もできなかったことに私は本当に苦しんでいたのです。何もしない事がまさに罪であると知りました。その私の罪のためにイエス様が十字架にかかり死んでくださった。お部屋のカウンセラーのお姉さんと一緒に神様に祈りながら、罪の告白とイエス・キリストの十字架を信じることにより罪から救われるという祈りをしたことを記憶しています。
わたし(本人訳イエス・キリスト)はぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたし(イエス)にとどまり、わたし(イエス)もその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたし(イエス)を離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
ヨハネ15:5
強烈におぼえていることがあります。私は風邪を引き高熱でうなされた時、その度に見ていた悪夢がありました。火の燃える巨大な池の周りを無我夢中で自分が走っている、後ろから何者かが追いかけてくる、今にも捕まりそう。その瞬間ハッと我に返り起き、汗びっしょりな私は夢うつつでトイレに行き、その後現実に戻りホッとする。その度に憂鬱になるのです。でも気が付けば、いつのまにかこの悪夢を見ることは無くなっていました。
大人になって聖書の黙示録を読み、これは地獄の様だったと知るのです。 神様がイエス様を通して私を永遠の滅び、死から引き上げてくださり、神様のものとしてくださったと信じます。
その後、教会の方々が背中を押してくださって、中学2年のクリスマスに、同級生2名と一緒に洗礼を受けるよう導かれ、公にクリスチャンとして信仰のスタートを切りました。
臆病な私は、友達と一緒だったから洗礼を受ける決心ができたのです。今思い返すと、私はこの時点では聖書の真理をよく知らず、神様に信頼して日々歩むことがどんな事かもわかりませんでした。ただ信じる一歩を踏み出しただけです。でもその一歩によって、私の今までの歩みがどんなに神様に支えられ守られてきたか、振り返ると心が熱くなり感謝でいっぱいになります。
さて、その後は進学、仕事、結婚、出産と子育て。ライフステージが変化することで、私ももちろん沢山の問題と葛藤を経験しました。引越しの数々、国際結婚、義家での同居、家族の病気と転職、不妊、流産、3度の帝王切開による高齢出産と不調、家族の課題、そしてアメリカでの移住生活。
自らの愚かさによる失敗、知恵がないために起こる困難も多々あります。基本、石橋を叩いて渡るタイプなので、神様に聞きながら神様の御手の中にあると信頼して進んできました。ですがもちろん自分の力量はすでに超えていて、重すぎます。弱すぎます、私は。
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。
ヨハネ15:7
イエス様を信じた人は、神様の子どもとされました。子どもの時に覚えた歌のように、イエス様の名前を通して神様に祈ることができます。何でも自分をさらけ出して、心にあるありのままを話すことができます。そして驚くべきことに神様はそれを聞いておられるということです。賛美したり御言葉を読む時、神様の愛が私を満たします。
また他人の言葉や状況を通して神様は語られる時もあります。私が求めるときに、そこに居て応えてくださるお方。これは信仰生活を送りながら知った神の子の特権です。そしてこの特権は、イエス様の死と復活によって完全なものとされた(完了)という真理は、本当の意味で私はまだ知らないと思います。
いいえ、環境や現状を見て恐れ、もうだめだと否定的になり、この事には救いはないのではと、信仰のかけらさえ奪われやすい者です。 なので今日も自分の思う方法を手放します。
また、神の大能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、どれほど偉大なものであるかを、知ることができますように。
エペソ1:19
私は家族が与えられて、自分の愛の乏しさを嫌というほど思い知りました。ユニークな子ども達の子育てを通して、こうでなければという私の枠が引き延ばされ続けています。これは、私自身が小さい頃から刷り込まれてきた、クリスチャンはこうあるべきという概念にも影響を与えましたし、すべては神様の愛の広さ高さを知るに至るのではないか、とさえ思うのです。いまは課題のすべては理解できませんが、そこにも神様のご愛があると想像できます。
神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。
ローマ8:28
神の子の特権は、私個人に与えられたもので終わらず、神の子達と共有することができます。
私は行く所行く所で、共に祈り合う仲間が与えられて来ました。教会の祈り場であったり、一緒に分かち合える信仰の友や先輩が備えられました。子育て中は子供を抱っこしながら。沢山の祈りの応答を見てきました。今は電話やメール、LINEでも分かち合い祈り合えます。御言葉と祈りによって癒されます。自分一人では祈れない時も、イエス様の名前で集まるところに神様が共にしてくださるので、祈りを通して働かれ、新しい力、出ていく力が与えられます。そして神様を信頼して行動することができます。
私が神様に聞くなら、神様は私に応えてくださる。私達が神様に聞くなら、神様は私達に応えてくださる。
神様、あなたは私に何をしてほしいですか。私達に何をしてほしいですか。あなたの御声を待ち望みます。
2025年6月号<牧師室より>「私が神を信じるわけ」
わたしは牧師の家庭に生まれました。気がついたらそこは教会だったのです。子どもの時から神さまの存在はあたり前、毎日聖書を読んでお祈りをして、日曜日は教会に皆さんが集まり、楽しく過ごす、良くも悪くもそれが当たり前の環境の中で育ちました。
でも、学校に行くと、そんな生活をしているのは少数派。それでも、小学校低学年の頃は日曜日には教会に来る友達もいました。でも、小学校高学年から中学に行く頃にはそんな友達も減っていき、「神なんているわけない」「神がいるならば、証明してみろ」「神がいるなら、おまえんちの教会はなんであんなにボロいんだ」なんて言われることが増えてきました。高校くらいになると、そんな意地悪な言葉だけではなく、もっと真摯な問いかけを受けるようになりました。「どうして錦織君は神さまを信じているの?ホントに信じているなら、それを説明してほしいな」とか・・・。そんな環境に揉まれる中で、私も、一度だけ、「ホントは神はいないのかもしれない・・・」と思ったことがありました。
しばらく悶々と過ごしたのですが、ちょうど新緑の頃だったと思います、何の気なしに窓から見た木々の葉に走る葉脈に、これすごいな、と思いました。そして、自分の手を見たとき、その複雑な動きに、これは偶然ではないな、神が造られたんだろうな、と思わされたのです。
つい先日、教会の方が「これ見てくださいよ」とあるテレビ番組(2025年4月27日放送 NHKスペシャル 人体III 第一集 命の源 細胞内ワンダーランド)を紹介してくださいました。人間の小さな細胞の中に本当に多くの物質があって、それがそれぞれの役割を果たして、命が支えられている、という番組でした。小さな細胞一つの中でこんなことが起こっているなんて、ホントにすごいなあと思って見ていたのですが、番組のまとめのところで、IPS細胞の山中伸弥教授が「まあ、わたしも科学者なんですが、ちょっとその、やっぱり、神がいるんじゃないかとか、そういう気持ちになってしまうこともありますね」と言っておられました。科学者の先生がそう言われるとホントに説得力ありますが、高校生の錦織少年も、まさに、その素人・超初心者バージョンの気持ちになったわけです。
そして、歳を重ねる中で、自然界の中で神を感じることが増えてきたな、と思います。
天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ話を伝え夜は夜へ知識を示す。
話しもせず語りもせずその声も聞こえない。
しかしその光芒は全地に
そのことばは世界の果てまで届いた。
詩篇 19篇1~4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ニュージャージーも6月になって外で過ごすのが楽しい季節になってきました。教会もいくつか野外での集まりがあります。
まずは、6-9月の毎月第1土曜日の朝6時半からFort LeeのRoss Dockでの、早天祈祷会。ハドソン川のほとりで、マンハッタンのスカイラインを遠くに見ながら、共に聖書を開き祈る時を持ちます。
また、6月15日(日)の午前10時からはParamusのVan Saun Parkでの野外礼拝。緑いっぱいの公園の片隅で、礼拝とランチ、レクレーションの一時を持ちます。
水と緑と動物たちと一緒に、私たちを、そしてこの世界を
造られた神さまの素晴らしさと力を賛美しましょう!
2025年5月号<牧師室より>「天国の希望に生きる」
3月の最後の日曜日の礼拝が終わった後、車でノースカロライナ州の息子の一家のところを訪問してきました。第一の目的は、息子のお嫁さんが歯医者なので、1年ぶりに診てもらうためでした。月曜日に到着して検診とクリーニング、虫歯が見つかったので、火曜日に治療。それで水曜日から木曜日ににかけて、ノースカロライナ州にいる他の知り合いの方々を何人か訪ねて回りました。
最初に訪問したのが、2月半ばまでNJにおられたご夫妻。こちらのご夫妻の息子さんのご一家もノースカロライナにおられて、息子さんのそばにしばらく滞在する、ということだったのですが、出発前後に90歳のご主人が弱ってこられて、あまり歩けない状態になってしまっていました。私がお会いしたときにはもうほぼ寝たきりの状態でしたが、とても輝いた顔をしておられて、「このようなときが与えられて、人生を振り返って、神さまの恵みを思い巡らしています」と言っておられました。元々、ご主人は昔からのクリスチャンで、奥さんが3年ほど前に洗礼を受けられた方です。おそらくこれが最後にお会いするチャンスだろう、と思っていましたが、このように輝いて最期の時を過ごせるのは何という幸いかと思わされました。(ご主人は4月28日に主の御許に召されていかれました)
その後にご訪問したのが、28年前、私がまだこの教会の牧師になる前にお嬢さんを天に送られた方です。ご主人がまだご健在の頃、お証しを伺って2009年の10月号でご紹介させていただきました。https://jccofnj.org/akashi200910 で読むことができます。今回もお一人で施設に入っておられるこのご婦人が、天国の希望を持って、先に天に行かれたお嬢さんとご主人との再会を待ち望みながら、でも、この地上に生かされるならば、できることをしていこうと、新しいことに挑戦しておられる姿に励まされました。
私はキリスト教が「死んだ後に天国に行く」ということばかりに集中して、余りにも彼岸的になってしまって、「この世のことはどうでもいい」と、世界で紛争が起こってもなんとも思わなかったり、環境問題に無関心になってしまうのは間違っていると思います。ですから、「死んだ後の天国」のことよりも、「私たちがどう生きるか」「神と共に生きる幸い」を主に語ってきました。しかし、今回、天国の希望を持ちながら、この地上で平安をいただいて歩んでおられる皆さんにお目にかかって、この天国の希望は、この地上での歩みをも豊かにするのだと思わされています。
「私たちの国籍は、天にあります」(ピリピ3:20)
