聖書箇所:哀歌3章22節〜25節
私は東京都品川区に生まれ育ちました。6歳離れた兄がいます。
両親共、育ったのは典型的な日本の仏教の家です。仏教の行事は、私も全て行って育ちました。
大学卒業後は、稽古事の学校に入学し、その頃、アメリカを旅行したのが、私が将来、アメリカに住みたいと思うきっかけとなりました。
その翌年、サンフランシスコ近郊の、アメリカ人の家にホームステイをし、近くの英語学校に通いました。学校でよりも、私を家族の一員としてくれたファミリーとの生活の中で、英語を覚えていきました。また、家族の知人に日本人の奥さんを持つクリスチャンの夫婦がいて、私を娘のように可愛がってくださいました。私を教会にも連れて行ってくれました。
その後、日本に戻り、当時、女性のための外資派遣会社がスタートしていて、英語を少しでも話せると、すぐに仕事がもらえました。私は、数ヶ月働いては、この夫婦の家に遊びに行くというような日々を過ごしていました。
数年たち、産休に入るワシントンDCの友達に、半年間、日本の旅行会社で彼女の代理を頼まれました。この仕事が終わる頃、日本で、機関投資家間の国債の取引を始める外資の証券会社が、大蔵省より、男女雇用機会均等法に沿って、夫を含む、外人男性ブローカー3人に対し、日本人女性を3人雇わなければいけないという条件を出され、私は、債券ブローカーになりました。数年後に結婚をし、退職しました。
2000年、カリフォルニアの夫婦の奥さん(Yさん)が、バイブルクラスに行き、そこで会った方の家に招かれ、その家が売りに出ていると、聞きました。その家は、すでに買い手が決まりかけていたのですが、最終的に、私たちがこの家を買うこととなりました。
2001年、夫の仕事は、ほとんどコンピュータ化されてしまっていたので、会社からWorld Trade Center のNY Officeへ転勤か、退職をするかと提言されました。カリフォルニアに家を買った後だったので、私たちは退職を選びました。その2ヶ月後、9/11が起き、ノースタワーの上階にあった、夫の元の会社の殆どの方が、召されていきました。
その頃、長女は、アメリカのkindergartenにショックを受けたのか、泣き続ける日々が続きました。それを聞いたYさんが、ウォールナットクリーク日系キリスト教会(JCCWC)で同じくらいの歳の娘さんを持つ方を紹介してくれて、わが家に遊びに来てくれました。そののち、長女は学校でも、友達ができて、自分の居場所を作って行きました。
これをきっかけに、私と子供達はJCCWCの交わりに入るようになりました。
夫は、カリフォルニアに引っ越してから1年後の2012年9月にNYで就職し、私たちは、東海岸に引越そうとしました。その時、私は受洗を決意しました。1年間、自分を愛してくれたクリスチャンの皆さんとの絆を守りたくて、また、私もクリスチャンとして、NYでの生活をスタートしたいと思ったからでした。
しかし、夫の仕事は順調ではありませんでした。また、家を売ろうとしていた知り合いが直前にキャンセルをしたので、私と子供達は、カリフォルニアに残ることとなり、母娘3人にとって、教会生活が大切なものとなっていきました。
結局、夫も、翌年に帰ってきました。
夫の長い失業、株式での大損、経済的には、かなり厳しくなりましたが、そのころ、カリフォルニアの家の値段が急騰して、家を担保に、銀行からかなり借り入れをして、それまでと、変わらない生活を過ごしていきました。
私は、礼拝、集会、奉仕、信徒の交わりを多くすることによって自己満足し、“私は、一生懸命なクリスチャンだ”と、自負していました。
当時、神様に委ねるということは全くできずに、私が神様との関係を作っていました。自分に都合の良いように、神様を使ってさえいました。
祈りは、自分の希望、欲望を、ただ並べるだけでした。
もちろん、それらは御心ではありませんでしたから、ほとんど聞かれることはありませんでした。そうすると、私は不幸だ、神様に試練を与えられている、私の祈りは聞かれないのだ、と言っていました。
その頃、私は、いつもヨブ記を読んでいました。最後に、ヨブが、神様から与えられる多くのものを羨ましいと思いました。
自分が持っているもの全ては、自分のものだと勘違いしていたので、“なぜ、神様はこれすら私から奪うのですか”と聞いていました。
自分の家族(夫)に対しても、自分は、平和の基とは、かけ離れていました。
私たちは、毎週末、家族みんなで外出することを楽しんでいました。
私が、救われた後は、私は好んで、教会、信徒と、多くの時間を過ごすようになり、日曜日は、朝早く、子供を連れて教会に行き、夕方まで帰ってこないこともありました。
当時、子供と過ごす週末を、とても楽しみにしていた夫が、一人で過ごすことが多くなってしまいました。失業していたこともあり、私と夫の間には、平安は全くなく、常に、言い争いをしていました。信仰深いカソリックの家に生まれ、カソリックスクールに行った夫に、教会から距離を置かせているのは、私の過去の歩み故だったと思っています。
カリフォルニアで6年が過ぎ、2007年夏、夫にアジアでの仕事が決まり、私たちは日本に引っ越しました。やっと神様が私の祈りを聞いてくださったと思いました。もう大丈夫だと思いました。
しかし、サブプライム問題が起き、まだ持っていたカリフォルニアの家の価格は、やがて半分になりました。また、リーマンショックの後、2009年春、夫もレイオフされました。東京の家は、会社から支給されたものだったので、家族で実家に移りました。
当時娘たちは、私立に通っていたので、その一年後には、NJの義理の母のところに居候しながら、現地の公立学校に行けるようにと、頼みました。夫は、東京のある会社から、出来高払いという仕事をいただいたので、私の実家にそのまま残りました。
私たちは、家族や、周りの人に助けてもらわなければ、日々の生活ができないという状態でした。
私と子供達は、NJへ、各自、スーツケース1つに洋服、ダンボール1個にパーソナルグッズで、引っ越してきました。
その頃、私は、自分の家、生活、車は、一生持てない、と思いました。
しかし、この経験で、自分の全てを神様に明け渡すという信仰が産まれました。
古い“私“から解放されました。
本当に、自分では、どうしようもできないという現実の中で、“神様、私には、もう、どうすることもできません、助けてください。”神様は、長い間、辛抱強く、私のこの言葉を待っておられたのです。全てのものは、神様から与えられていて、自分のものではないということに、ようやく気がつけました。
私の祈りは、我が罪のためのイエス様の贖いの死―十字架の恵みを感謝すること、全てのことを御手に委ねること、地上で自分が与えられている使命を全うすることへの導き、へと変えられました。
2016年10月、私は交通事故に遭いました。夫と次女がカレッジヴィジットのために家を出て、1時間経った、夜の7時ごろ、犬と散歩に行き、横断歩道を渡っているときに、98歳の男性の運転する車にひかれました。
骨盤骨折、脳内出血、太腿と腰にかけて15センチと35センチの2箇所の裂傷、首、腕などのステッチ、全身の打撲や切り傷、私の怪我は生死に関わるものでした。数日間、集中治療室で手当てを受け、事故から3週間後には、腐敗した腿の一部の組織を取り除き、そこに皮膚移植をするという手術も受けました。
当初は、1週間に1度くらいは、痛みを苦痛に思ったり、ひと月に1度は、“なぜ私は事故にあったのだろう”と考えたりしていたように思います。しかし、家族は、私がそのようなことを言っていたのを聞いたことがないと言います。それは、神様が当時の私に平安を与え続けてくださっていたからでしょう。
事故の3ヶ月後、執刀医の一人の先生の診察で、“二度と事故の前の体には戻らない、痛みも残るだろう”と言われましたが、私は、この言葉を冷静に受け取りました。それは、たとえ、足は元に戻らなくても、それとは異なる恵みが与えられるという、神様の御業を信頼していたからです。将来の後遺症への恐れなどからも解放されています。事故前の姿が、私なのではなく、今の状態が、“私”なのだと思えるようになったことで、以前の体とは比べなくなりました。
事故から1年後に、裁判所であの車を運転していた人を見ました。この人が今まで事故を起こさなかったのが不思議なくらいの方でした。神様は、この事故に、私を選ばれたのだと思いました。そして、神様は、その日から、これまで以上に、私に絶えず働きかけてくださって、希望を与えてくださっています。
また、神様からいただく使命=軛というのは、自分が想像していたよりも、はるかに軽いものでした。神様の軛のおかげで、昨年2回行った手術や、全ての回復の道のりの中にも、思い煩いはありませんでした。
また、今年予定している数回の手術も、全き癒しへのステップだと、感謝しております。
見えないものを信じる信仰の中にいた私は、神様のご臨在を実感することによって、実際に見たもの(経験したもの)と共に歩む信仰へとなりました。そして、この事故も、恵みへと変えていただきました。
私が愛する神様が何もかもを最善にしてくださります。私は、ただ神様を信頼するだけでいいのだ、という平穏に包まれています。
そして、ヨブのように、多くの祝福をいただいています。
その祝福とは、以前私がヨブを羨んでいた、物質的な豊かさではありません。
万能なお方が、いつも私と一緒にいて、私を強くしてくださり、喜びと感謝に溢れた日々を与えてくださるのだという確信が、今の私を豊かにしてくれています。
また、慈しみ深い神様は、サプライズの祝福までもくださいます。2012年に夫と二人で会社をスタートしました。神様が日々、私たちに知恵を与えてくださり、そのビズネスは年々増え続けています。
2017年4月には、自分たちの家さえ持つことができました。
私を愛する神様の、私のための、最高のシナリオである、そのご計画は、時には、悲しみや痛みを味わうこともあるかもしれません。しかし、全てのことを相働かせて益となさる方です。
その先には必ず祝福への扉が開かれていることを、私は知っているので、いかなる時も、いかなることへも、恐れず、強く、雄々しくありたいと祈っています。
神さまのなさることは、全てが時にかなって美しいのです。
“主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである“ ―エレミヤ書29章11節
神様は、本当に、私たちを愛しておられます。
アーメン
イースターの礼拝、礼拝後の愛餐会(お食事会)には久米小百合さんをお迎えしました。久米さんは今から40年くらい前に「久保田早紀」という名前で歌手をされていた方です。私も高校時代に彼女のミリオンセラーの「異邦人」をよく聞いていました。というかいつもテレビで流れていたのを見ていたんですね。ですから、今でも、どうしても「あの久保田早紀さんね」という目で見てしまうのですが、今回、ほんの少しですが、個人的にお話をさせていただいて、また音楽やお話を生で聞かせていただいて、やっぱり、その人の魅力というのは、内側から溢れてくるものだなあ、と思いました。
とても素敵な方です。とても楽しい方です。そして、イエスに出会って、その喜びにあふれている方です。それはYouTubeで昔の映像を探し出して見てみても、わからないものです。伝わってこないものです。でも、個人的にお話をする時には、その心にあるものがビンビン伝わってくるのです。今回久米さんをお迎えすることができて、本当によかったなあ、と思います。
私は4月23日から6月16日まで長いお休みをいただきます。その中で一番大切にしたいのは、自分の内側がどうか、ということです。どんなにノウハウを学んでも、どんなに正しい教えを語っていても、自分の内側が渇いてしまっているとするならば、心の中にあるものが枯れてしまっているとするならば、それは虚しいものです。内側に溢れるもの、それが周りに流れていく、そのような歩みをしたいのです。
「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう。」ヨハネ4:13-14
私のライフメッセージです。このイエスの言葉を語り続けるために、もう一度、命の水の源である神様との関係に集中して、そこに目を留めて過ごしたいと思っています。どうか、お祈りください。神様が素晴らしいことをしてくださいますように。
先月の月報で「今年は雪が少ないですねえ」と書いたとたんに雪が降って、その後も肌寒い日が続きました。私は庭に最初に咲くクロッカスの花で春の訪れを感じるのですが、一昨年は3月1日に、昨年は3月15日に咲いた花が、今年は3月26日にやっと開花。いよいよ春だな、と心から感じます。
そして、春の訪れを告げるお祭り、イースター。今年はこのイースターも4月21日と、いつもより遅いです。それはイースターが「春分の日を過ぎた最初の満月の次の日曜日」と決められているからです。今年は春分の日の翌日が満月だったので、次の満月は4月19日。その次の日曜日ということで4月21日となるわけです。
いつお祝いするかよりも大切なのが、その意味。イースターはイエスが十字架にかけられた後、三日目によみがえられたことをお祝いする日です。ですから、イースターのメッセージは「死に対するいのちの勝利」です。私たちすべての者がいつかは迎えなければならない死。その前には私たちは全く無力であり、そこに佇むことしかできません。ある人は、「人間は生まれた瞬間から死に向かって生きているのだ」というようなことを言うほどです。しかし、イエスはその死を打ち破ってよみがえってくださったのです。
それにはいくつかの意味があります。
まず第一に、イエスを復活させた神の力が今も私たちのうちに注がれているのだ、ということです。人類最大の敵、最後の敵である死を打ち破る力が、この世の中で、いろいろな悩みや困難の中を通っていく私たちのうちに注がれている、それはなんと心強いことでしょうか?どんなに大きな問題だとしても、この死の問題よりも大きな問題はありません。その一番の問題を打ち破った神の力は、私たちの人生の問題に、勝利を与えてくださるのです。
第二に、死の意味が変わってしまったということです。死はもはや無敵ではありません。絶対のものではなくなってしまったのです。恐れる必要は無くなってしまったのです。神はイエスによって永遠の命を約束してくださって、私たちを永遠の世界に迎えてくださるのです。「死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」(第一コリント15:55)
まるで死んでしまっていたかのようだった木々も芽を吹いていのちのあふれる春。イースターはこの自然界と一緒に、私たちも、イエスによって死の問題に勝利することができることを告げるのです。
今年のイースター、子どものためのJOYJOYイースターは4/7の午後3時半から。イースター礼拝と愛餐会(どなたでも歓迎の食事会)は4/21の午後1時半から。お待ちしています。
3月17日はセントパトリックデーでした。今まで「アイルランドのお祭り」と、あまり気に留めていませんでしたが、4世紀末から5世紀にかけて働かれたパトリック宣教師の辛い少年期を知りました。そして彼が残した言葉に目が止まりました。
Christ beside me. Christ before me. Christ behind me. Christ within me.
Christ beneath me. Christ above me. (St. Patrick)
目の前が真っ暗になったあの日から、全く変わってしまった状況の中に封じ込められてもがく中で 、神の存在を喪ったかの様な時にも、パトリック宣教師の言われるように、確かに私を支える存在は、一番近くで囲み守り抱えてくださって、深い慰めを持って立ち上がらせて下さろうとしておられたと、その足跡を振り返る毎に感謝に溢れます。
2017年後半、私達は多くの友人を天に送る不思議な年でした。12年間病と闘い続けた親友を含め10人の友を失いました。しかし最後に健康な主人が召されるなど?思いもしない事でした。「私達は明日のことはわからないのです。」(ヤコブ4:14)の通りです。
11月15日、どの位心臓マッサージが続けられたのでしょう? 救急医の「残念ですが。。」と言う声に、映画のシーンを見ている様な錯覚を覚え、主人の死に一人直面しました。まるで 生きている様な顔に思わず声をかけていました。「ね〜Aki」—–? 当たり前ですが、
返事が返ってこない、静けさの中に涙も出ずに立ちつくしていました。
主人が横たわるベッドと私の間の距離は僅かなものなのに、でもそこは全く声の届かない断絶の隙間でした。取り返すことのできない真っ暗闇「死」の壁がありました。
ヘンリー・ナウエンの慰めの手紙の中には、「死は私達のコントロールや影響が及ぶ領域から完全に外れたところにある。死は決定的な終わり、見たこともない終止符、完全な破壊。」と書かれていますが、そんな壁の前に立たされました。
「人間には一度死ぬことと、死後に裁きを受けることが決まっている」(ヘブル9:27)
神の言葉が迫りました。 これが? 神の言われる、全ての人間が迎える「肉の死」なのですか? 元気だった主人が突然迎えた命の終わりという現実を突きつけられて、答えを求めるようにつぶやきました。
全く聖い神の前に立つことが出来る人はいるだろうか?
裁きの前に、この世での多くの立派な働き、功績や財産などは何の力もないのでは無いか?
その時、十字架にかかられて血潮で真っ赤になったイエス・キリストの姿が、リアルに目の前に何度も迫って来ました。イエス様、わたしたちでなく、なぜ聖いあなたが、罪のないあなたが? 人間が掛かるべき十字架にかかられたのですか? 何故そこまでしてくださったのですか?言葉で表現出来ない程の重みを持って、十字架のあがないのすごさを受け取りました。
「私を通してでなければ、だれひとり神のもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6b)
突然の主人の死でしたが、この一方的な御愛を信じ受け止めていた主人が、ただ恵みによって神のもとへ帰って行ったことをハッキリと感じました。 聖なる神の前に立つ時も、
このイエスご自身が執り成して下さる方であることも。
ああ感謝せん〜 、ああ感謝せん〜
不思議に静かに賛美が心に響き始め、
断絶の闇だと思っていた死の絶望の中に、希望の光が圧倒的な力で迫り覆いました。
「この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。
やみはこれに打ち勝たなかった」(ヨハネ1:4~5)
十字架にかかられて死に、3日後に復活された主、死に勝利された方の約束が響きます。
「私は蘇りです命です。私を信じる者は死んでも生きる、あなたはこれを信じるか」
「これを信じるか?」 はい信じていました、でも今はっきりとわかりました。
主人からの別れの言葉はありませんが、この約束が残された言葉であると感謝します。
召天から1年5ヶ月。 彼は最高の場所に帰ったことが段々とクリアに信じられるようになりましたが、当初、主人に頼りきっていた私は、空虚さ喪失感から抜けきれない毎日が続き、眠れず、運転も出来ず、聖書も読めず、祈れない、ただひたすら主の憐れみの中に弱さを留める時間でした。主人に何回か「アメリカで、貴方が居なくなったらどうするの」と聞いたことがありました。主人の答えは何時も「イエス様がいるから心配ない」でした。
全てを主にお委ねする状況に追いやられました。
「主の祈り」が私の祈りとなりました。「御心の天になるごとく 地にもなさせたまえ」!
寂しくなると、「Pray」という賛美を主に叫ぶように歌いました。
In time of sorrow, season of pain.
When all seems hopeless
One thing Remains ➖Our God is Faithful
His word is true, He said call on his name
And He will answer you. Pray! Pray!
He has promised He will answer when you pray
Jesus is answer when you pray
詩篇を声を出して読みました➖「私のうちで、思い煩いが増す時に、あなたの慰めが、私の魂を喜ばせてくださいます様に。」詩篇94:19
「我が助けは天と地を造られた、主から来る」(詩篇121) ➖強められて行きました。
11/18=ハワイでお葬式。3/24 =主人の誕生日にNJでの記念会。5/30=日本の大和カルバリー教会での召天記念礼拝、沢山の皆様のお祈りとサポートによって無事に終えることが出来たことを感謝いたします。主人の死を知らせた時、父親っ子だった娘はどんなに辛かった事かと思いますが、あれからズーと私を支え続けてくれています。ありがとう!
「私は私を強くして下さる方によって」又歩み出しました。 お祈り有難うございます。
主人は「神の栄光の中で」、私はこの世で「神の業が現れるために」生きて行きます。
聖霊様どうぞ宜しくお願いします。