牧師室より2019年3月「春を待つ」

今年、ニュージャージーでは、本当に雪の少ない冬を過ごしてきました。11月に突然雪が降って、大混乱しましたが、そのあと、12月から2月まで寒い日はあっても、降るのはいつも雨。こんなに雪が少ない冬は今まであっただろうか?と思って調べてみました。すぐ見つかるのはニューヨーク市のの記録。教会のあるNJのメイウッドよりも雪が少ない場合もあるのですが、こちらの記録を見ると、ほんの7年前、2011-12年の冬は7.4インチしか降っていません。そして、2001-2年の冬はなんとたった3.5インチしか降っていないんですね。こんなにお天気バカの私でも、意外と覚えていないんだなあと思いました。

でも、3月に入っていきなり連日の雪の予報、早く春になってほしいなと思いますね。どんなに穏やかな、雪の少ない冬でも、早く春になってほしいものです。

そして、教会は3月6日にレントの期間に入ります。この言葉を初めて聞いた時には「アパートのレントと紛らわしいなあ」と思ったものですが、英語では「Lent」、アパートの方の「R」で始まる「レント」とは全く違う言葉。イエスの十字架への道をたどり、イエスの苦しみに心を向け、イエスの復活をお祝いするイースターを待ち望む時です。

21年間ずっとこの教会の牧師としてレントのテーマを考え、その学びを導いてきて、イエスが十字架に向けて歩んでいかれた思い、以前よりも深く感じるようになってきました。それまでは「イエスの十字架によって、自分も罪赦されてありがたいなあ」という程度だったのですが、このレントの学びを続けていく中で、「イエスはどんな思いで十字架に向かっていかれたのだろうか」というイエスの思いに心を向けるようになってきました。もちろん、ただの人間である私たちにはイエスがどんなことを考えておられたのかは完全にはわからないのですが、そこに思いを向けることによって、イエスの歩まれた道をたどること、イエスが人々を愛されたように、私たちが人々を愛するとはどういうことなのだろうかを考えることの大切さを感じています。

「キリストは、・・・おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」ピリピ2:8-10

今年のテーマは「イエスの苦しみ・私たちの苦しみ」です。私たち自身はどうして苦しみを味わうのか、3月8日から毎週金曜日夜7時半から9時まで、教会で学びをしています。是非お出かけください。

そして、「Lent」は語源をたどると「春」という意味があるそうです。春の喜びを少しずつ味わっていくこの季節に、私たちのために命を与えてくださったイエスの恵みを少しずつ味わっていくことができますように。

2019年2月24日『主の祈り』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書6章9節〜15節

  • 「主の祈り」・・・イエスが「このよう祈りなさい」と教えられた。
  • 毎週の礼拝の中で祈っている。
  • 意味はどれだけわかっているだろうか?
  1. 主の祈りは何か?
  • 神の国を求める祈り
    →神様の素晴らしさ、神様の愛、神様の思いが、この地上でも、豊かに表されるようにと祈っている。
    →その視点で、後半を見ていくと、私たちの人生の中に神様の支配が溢れますように、という祈り。
  • 私を通して
  • 私を超えて
  1. 主の祈りの中心である赦し
  • 主の祈りの後で、イエスは赦しのことを改めて言われた。
    神の国、神の愛の支配の中で、大きな問題は赦しの問題。
    神の国を壊す問題・・・赦せない、という問題。
    神様の愛の支配は、赦しを通して表される
  • マタイ18:23-35・・・100デナリの借金を赦せなかった。・・・確実に相手が悪い。でも、自分はそれをはるかに超えるものを赦されている。
  1. 主の祈りの土台である神との信頼関係
  • 「父よ」からはじまる。・・・信頼の呼びかけ。
    それを可能にするイエスの十字架の恵み。
  • 山上の説教の前提は・・・「神が私たちを愛し、私たちを救ってくださったのだから」・・・あなたは10000タラント赦されているのだ。

<テイクアウトQuestion>

  1. 「主の祈り」をどのような思いで祈ってきましたか?
  2. 主の祈りの中で、どの祈りが、今あなたの心にぴったり当てはまるでしょうか?どこかに引っかかる言葉はありますか?
  3. あなたには赦すべき人がいるでしょうか?どんな人でしょうか?

2019年2月10日『神の報い』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書6章5節〜6節

  • 一緒にいるだけで嬉しい、楽しい、って究極の関係。
    神の報いって、そういうものではないか?
  1. 神様の報いって何?
  • この世でいいことがある?天国でいいものがたくさん準備されている?
  • 「天に宝を積む」→「献金をしたら天国銀行にたくさん貯金がある」
    「神様のために一生懸命やったから、神様はたくさんいいものを天国で準備してくださる」
  • でも、祈りの報いって何?隠れて祈ったら、天国の報いがある?
  • 天国・・・神の愛に満たされていること。神とともにあることこそが、「戸を閉じた祈り」に与えられる報い。
  • 神様ご自身と、神様が与えてくださる何か、とどちらを大切にしているか?どちらを期待しているか?どちらを喜んでいるか?
  • 神様の与える平安・・・ピリピ4:6-7
  • ヤコブのペニエルの経験・・・創世記32章
  1. 戸を開けておきたい気持ち
  • イエスはあえて「戸を閉じて」と言われた。⇔開けておきたい気持ち
  • 「私は祈っていますよ」と言いたい時。誰かへの励ましならいい。
  • でも、そうではなく、自分が祈っていることを認めて欲しい気持ち。
  • また反対に「恥ずかしいから」というのも「認められたい」の裏返し。
  • 放蕩息子のたとえ・・・ルカ15章
    兄息子・・・こんなにやったのに!認めてくれ!
    でも、父は兄も弟も、そのまま受け入れた。
  • 神とともにいることを喜ぶ。人に認められて満足なんてもったいない!

<テイクアウトQuestion>

  1. 神様は私たちにどんな報いを与えてくださると聖書は語っていますか?その中で一番素晴らしいものは何でしょうか?あなたは何が一番嬉しいですか?
  2. あなたは祈りについて、後ろの戸を開けて祈りたいと思うことはありません

2019年1月27日『真理はあなたを自由にする』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書(John) 8:31-32

  • 今年、教会のために与えられているみことば。
  1. 自分を縛っているものを知る
  • イエスを信じた人たち→最後はイエスを殺そうとした。
    ・・・33節「私たちはもともと奴隷になんてなったことはない」
  • 第一コリント8章2節「知っていると思っている人は知らない」
    自分が何かに縛られていると知ることがまず大切。
  • 何に縛られているのだろうか?
  • 「罪」「死」「律法主義」「過去の傷」「恨みや怒り」
  • 全ては認めるところから始まる。
  1. 神の子の自由
  • イエスを信じる者たちは自由を与えられる。
    神の子としての自由。ローマ8:15
    神の子として、神を信頼して歩める自由。⇔ 奴隷として、ビクビク歩む。
  • もう2度と奴隷のくびきに繋がれてはいけない・・・ガラテヤ5:1
    奴隷のくびき ⇔ イエスが私たちのために準備してくださっているくびきマタイ11:30「わたしのくびきは負いやすく」・・・「ぴったりフィットする」カスタムメイド。
  • 他の人とは違う。違っていい。違わないといけない。
  1. 隣人のための自由
  • ガラテヤ5:13-14
  • 私たちの与えられた自由は、自分勝手に生きるためではない。隣人に仕えるため。隣人を愛するための自由。

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは自由ですか?あなたは何かに縛られていますか?あなたを縛っているものは何でしょうか?
  2. イエスはどのように私たちに自由を与えてくださるのでしょうか?自分が今まで経験した「解放」はどのようなものだったでしょうか?
  3. あなたはイエスによって与えられた(与えられる)自由を、これからどのように用いていきますか?

「Trust God Always」

家族の歴史
私の父は1920年に日系二世として東海岸で生まれました。その後、子供時代に家族と共にニュージャージー州南部に移り住みました。第二次世界大戦が起こった時は、父は祖父の足跡をたどるようにメディカルスクールで学んでいる最中でした。そして、父は戦争に協力するために医学生としての歩みを諦めなければなりませんでした。父はアメリカ軍に加わろうとしましたが、父の兄がすでに陸軍442部隊(日系アメリカ人部隊)に入隊していて、母が一人残されることになるため、それは許されませんでした。父は大学を中退して南ニュージャージーの実家に帰り、農園を手伝うことになりました。日本軍による真珠湾攻撃が起こってからは、日系アメリカ人を隔離するため、多くの強制収容所が造られました。それらのほとんどが西海岸に造られたと思われていますが、実際はニュージャージーのシーブルックにもあったのです。父も日系アメリカ人ではありましたが、強制収容所に送られることは免れました。教会が彼をクリスチャンとして保証したからです。
戦争の後、父はメディカルスクールに戻ることはありませんでした。家族を養うために、週7日、24時間働く農園の仕事を続けることにしたのです。農夫としてなすべきことは多くあったのですが、父はいつも神のために時間を使い、安息日を安息日として守っていたのです。私たちきょうだいが生まれてからも、父は神に仕え続けて、クリスチャンホームを築きました。農家の子どもとして、兄も私も妹も農園を手伝い、教会や日曜学校を、日々の雑用から解放される「ミニバケーション」のように思っていました。私は、子どもの頃に教会に通っていたこと、教会のクリスマス劇での私たちの「飼い葉の桶で」の歌の調子外れの録音を、母が何度も繰り返し聞いていたことを思い出します。夏には「Vacation Bible School(夏季聖書学校)」に通い、高校に入ってもユースグループで出かけたりすることを楽しんでいました。しかし、高校を出てからは全てが変わってしまったのです。

大学時代
人生には色々なチャレンジがありますが、大学生活には、それが自分で生活することの第一歩であるがゆえの特別な困難があるものです。私の問題は大学に進んで学生としてバランスをとった生活することと、青年期を迎えることの難しさでした。それはどうしようもない、ということではなかったのですが、ドレクセル大学でエンジニアリングを学んだ5年間、わたしは全く信仰的ではない生活を送りました。教会には行かず、何か信仰的なものに参加するのは、ただ、超教派の集まりくらいでした。いうまでもなく、私は人生を真剣に考えることもなく、ただ、学位を取って、仕事を見つけることだけを考えていました。卒業した後、日本で1年ほどインターンをしたのですが、その後、アメリカに戻って、他の会社で働くことにしました。全てが仕事ばかりで、神からは離れる一方でした。そして、ついには完全に信仰を失ってしまったのです。それはその頃の自分にとって、大きな問題ではありませんでした。しかし、間違った道に進んでいることはわかっていました。

人生これだけなの?
仕事上の能力を向上させてはいましたが、何年も同じことを繰り返していました。朝起きて、運動をして、仕事に行って、家に帰って・・・その繰り返しでした。何かが足りないような気がして、自己啓発を学び始め、仕事以外の自分に投資をするようにしました。ITエンジニアとして働きながら、色々なことを学び、最後には金融関係のビジネスを始めるための勉強を始めました。この努力をしている中で知り合いになった人々の中には成功したビジネスリーダーもいました。驚いたことに、その成功したリーダーたちの共通項は神に忠実な人々であり、皆、神を中心とした価値観を持っているということでした。
私は一つの大きな決断をしました。それは教会に帰るということです。この時、私はホーボーケンに住んでいたのですが、ニューヨークのアッパーイーストにある教会に通うようになりました。電車を乗り換えて、歩いて合計1時間かかりましたが、もう一度教会に通うことが楽しくて、人生の意味を見つけたようでした。良い友人に恵まれ、人生は良いものでした。しかし、2001年の世界貿易センタービルへのテロ攻撃の後、ニューヨークの教会に集う人々の生活は変わってしまい、以前のようではありませんでした。のちに妻になるKayoと私はホーボーケンから引っ越して、教会に行くこともやめてしまいました。
9-11の1ヶ月後、私のITエンジニアとしての仕事はなくなり、ほんの少しの解雇手当が与えられ、私は一夜のうちに失業者となりました。私の生活のルーティーンは全て変わってしまいました。その時はITの世界は混乱していて、ITの世界に帰ることはとてもリスクの高いことでした。ですから、私は思い切って、金融の仕事にかけることにしたのです。これはたやすいことではなく、チームをトレーニングすることはとても難しいことでした。何ヶ月かの後、私の貯金は減り始めました。ビジネスを立ちあげようとすることは多くの歪みを生み出していきました。借金は増えていく中で、自分に「あと何ヶ月か経てば軌道にのる」と言い聞かせていました。
経済的にストレスがさらに大きくなっていく中で、のちに妻となるKayoと私はどうしても必要なもの以外をどんどん捨てていきました。ビジネスを立ち上げていこうという中で、とてもシンプルな生活をするようになっていったのです。ある夜、私はあまりのストレスの大きさに、膝をついて、泣きながら神の助けを求めました。おそらく祈りは応えられたのでしょう。あるビジネスの集まりで、最後に登場した講師がFrank Bolellaという名の成功したコーチであり、牧師である人でした。私は彼のメッセージを聞き、とても良い印象を受けました。私が彼のメッセージを聞くということは神のご計画の中にあったのでしょう。二週間後に、他のビジネスのイベントで再度彼に出会うのです。私は彼の教会に行きたいと思いました。そして、同僚の一人がそこに連れていってくれました。そこで、彼のメッセージを聞いた後、私はイエス・キリストを私の主、救い主として受け入れたのです。
ついに私は霊的な土台を据えることができました。しかし、私たちは仕事もなく経済的な困難は続いていました。その時に、私はその教会に何人かいる牧師のうちの一人に霊的な賜物を持つことの祝福について説明してもらいました。彼はそのために祈るようにと勧めてくれました。そして、私はそのことを心に留めていました。この頃、それまで本当に苦しい時に共に歩んできたKayoと私は結婚することにしました。これからも一緒に歩んでいけば、大丈夫だとわかっていたのです。日本に引っ越すことも考えました。しかし、それほど大きな決断をする心の準備はできていなかったのです。

方向転換
私たちの状況を聞いて、義理の両親は私たちを日本に招いてくれました。そして、驚くことに、タイ行きの航空券も準備してくれたのです。その旅行は、私の頭がクリアになって、物事を整えるために助けになるように、というものでした。タイに着いた時、全てのストレスが体に出てしまたのでしょう、私は体調を崩し、計画していた各地を回ることは一切できずに、バンコクでじっとしていなければならなくなりました。妻は私に旅行者がよく行くような観光地巡りはやめて、ストレスなしに周りをゆっくり歩こう、と提案してくれました。
ワットポー寺院のそばに滞在していたので、私たちは、リラックスするために、そこでなされているタイ式マッサージを経験してみることにしました。マッサージで私は気分がよくなりました。そこを出る時に「7日間でタイ式マッサージをマスターしよう」という看板が目に入りました。私たちにはあまりお金がなかったのですが、妻がそこでタイ式マッサージを学んでみるようにと強く勧めてくれたのです。
そのカリキュラムの一環として、タイの大学の一つを訪問したのですが、そこで人体の解剖の展示がなされていたのです。私は圧倒されてしまいました。そして、しばらく感じていなかった感動を覚えたのです。一週間の学びでタイ式マッサージの免許をもらったのですが、旅行をする体力はまだなかったので、足のリフレクソロジーのコースも受けました。このコースが終わった時には、私はすっかり元気になり、3日間の観光をした後に、新しく得たインスピレーションを心にアメリカに帰ってきました。
私たちはトンネルを抜けました。しかし、次に何をするかを見極めるのはまた簡単なことではありませんでした。住んでいたところの近所に病院がありましたので、そこでボランティアをしながら、医療の現場がどのようなものかを学ぶことにしました。看護の道も考えましたが、それは私の望んでいたことではないことはすぐにわかりました。ボランティアをまとめるディレクターはフィジカルセラピー(物理療法)科に尋ねるようにと勧めてくれました。その頃、私はそれが何であるかを全く知りませんでした。そこで、私はセラピストが患者に対してしている治療を見、それが多くの患者にどれほど大きな効果をすぐにもたらしているかを見て、とても感動しました。

正しい方向への一歩
この時の私にはまだ仕事がなかったので、ボランティアとして、4時間働けば食べさせてもらえる無料の食事が給料のようなものでした。ですから、できるだけボランティアをすることにしました。そして、そこで出される食事だけが私たちにとって、食事と言える食事であるようなこともしばしばありました。タイミングがいいことに、受付の責任者の方がバケーションで留守にするので、私に電話に出たり、スケジュールを作ったりする仕事をしてほしいとディレクターが言ってきたのです。私は2週間一生懸命働きました。そして、自分で稼いだ収入が入った時にはとても嬉しかったです。ディレクターは私のことをパートタイムで雇ってくれました。そして、彼女の部署のスタッフで入れるようにポジションも作ってくれたのです。何ヶ月かが経って、人生は良い方向に向いていきました。
ディレクターは私が大学院に進むようにと勧めてくれました。最初はそれに抵抗していたのですが、神に祈って、願書を送りました。大学院からは合格通知が来ましたが、9ヶ月入学を延ばして、入学のために必要な基本的なヘルスサイエンスのコースの勉強をしました。
大学院への道は簡単ではありませんでした。大学院に入る6ヶ月前、いとこが大腸癌であることがわかり、義母が胃癌になりました。妻は日本に義母の世話に日本に行かなければならず、私はいとこをできるだけ訪問するようにしました。妻が不在の間、私は一人でこつこつ頑張っていましたが、今度は私の父が、大学院のクラスの始まる1ヶ月前に亡くなったのです。私は打ちのめされました、しかし、目標に向かって、神の力を求めて、この困難な時を通り抜けさせてください、と祈ったのです。そのあとの3年間の大学院での学びにも困難がありましたが、神は日々、私の祈りに応えてくださり、一日一日乗り越えさせてくださったのです。そして、ついに大学院を卒業しました。このあとのことはご想像がつくと思います。多くの犠牲とサポートによって、この転職は私の人生で最高の決断になりました。

学んだこと
この旅路を通して、多くのことを学びました。自分の力でしようとしていたことはすべて失敗しました。神に信頼して祈ったことに対しては、神は私を導き、私に知恵を与え、より良い決断ができるようにと助けてくださいました。もちろん、日々困難はあります。しかし、聖霊様と神の恵みによって、罪ある人間の本質に打ち勝つ人生を生きるように努めています。
人生はパーフェクトではありません。そして、私は妻が救われて、神の恵みを受けることができるようにと祈っています。私に今できることは、できる限り、神と共に生きる人生を生きることです。
それは完全な人生ではありません。神様はいつでも必要な答えを与えてくださるとは限りません。しかし、それによって私は忍耐することを学びます。日々、神が私のような者に与えてくださる豊かな愛と溢れる恵みを教えられています。私は、なんの恥ずかしい思いもなく、証しをしたり、クリスチャンとしての自分の人生について話をすることができてとても幸せです。ある会社ではそのようなことができなくなっていますが、私は自分の職場で、何のためらいもなく誰かのために祈ることができます。私たちは神に仕え、イエスの大宣教命令にお応えし、他の人々が救いを求めるのを助けるようにと招かれているのだと私は信じています。それこそが、そして、やがて天国に入れていただく時に「よくやった」と言っていただけることこそが、私たちすべての者にとっての究極的な目標なのだと信じています。

“Trust God Always” Original English Version

Family History
In 1920, my father was a first generation born (Nisei) on the East Coast US and at a young age his family migrated over to southern New Jersey right outside of Atlantic City. When WWII broke out, my father was attending medical school following his own father’s footsteps, but he was forced to abandon his life as a student to help with the war effort. My father tried to enlist in the U.S. military, but was denied due to his widowed mother, and an older brother who had already joined the US Army under the 442nd (Japanese American US Army). He left college and came home to help the family farm down in Southern Jersey. After the Imperial Japanese army’s attack on Pearl Harbor, many internment camps were established to segregate Japanese Americans. It’s common to think that these internment camps were mostly along the West Coast, but there was also one in Seabrook, New Jersey. Despite being a Japanese-American, my father was spared from being sent to the internment camp when the war broke out because his church vouched for him for his Christianity.
After the war, my father never returned to medical school and remained living a life as a farmer to support his family, a life of never ending work 24/7. Despite the amount of work demanded as a farmer, my dad always made time for God and was wise in his ways to keep a Sabbath a Sabbath. After my siblings and I were born, my father remained committed to God and raised us successfully in a Christian home. As children of a farmer, my older brother, younger sister and I also helped with managing the farm and even viewed church and Sunday school as a “mini-vacation” to briefly get away from our daily chores. I remember attending church at a very young age and remember my mom playing a tape recording of a church Christmas show of us singing “Away in A Manger” totally off key! We continued with Summer VBS (Vacation Bible School) and youth group outings until we were well into high school, but things were to change after high school.

College Years
Life has its own challenges, but college life introduces in it own unique set of obstacles and for most the first big step on trying to live on your own. My problems occurred once I started to attend college, trying to balance a life as a student and also experiencing the challenges of becoming a young man. It was not unmanageable, but I was never really spiritual throughout the 5 years I studied engineering at Drexel University. I never attended church, and the only time I participated with something spiritual was a nondenominational get-together. Needless to say, I was not taking life seriously, only focusing on obtaining a degree to graduate and getting a job. After graduating, I had the opportunity to move to Japan for about a year for an internship, but returned to the U.S. to work with another company. Everything was about work, and I became distanced from God more and more; eventually I completely lost my spiritual faithfulness. I wasn’t in trouble, but I knew I was heading down the wrong path.

Is this all there is to life?
While improving my skills professionally, years would go by living a life of routine: getting up, working out, going to work, and coming home…repeat. I felt something was missing so I started to learn about self-improvement and started to invest in myself outside of work. While still working as an IT engineer, one thing led to another and ultimately I started learning about building a business in financial services. The professional relationships I made pursing this endeavor allowed me to meet some very successful business leaders. I stumbled upon common denominator with all these successful leaders; all were faithful to God, and all had God-based values.
I made one of the biggest decisions in my life and decided to go back to church. At this time, I was living in Hoboken and started to regularly attend church up in the Upper East Side in NYC. Despite the hour commute with all the transfers and walking, I enjoyed once again attending church and life started to have some meaning. I was making really good friends and life was good. However, after the World Trade Center Terrorist Attack in 2001, life changed for everyone and attending church in NYC was not as easy as it used to be. Kayo, my wife-to-be and I decided to move out of Hoboken and ultimately I stopped going to church.
A month after 911, my job as an IT engineer was eliminated and overnight I was unemployed with only a small severance package. My life of routine was forever changed. During this time, the IT world was in turmoil; returning to IT was very risky, so I decided to go “all-in” and try and build a full time income stream with financial services. This was not easy at all and training a team was rather difficult. After many months, my savings began to dwindle and the stress of trying to build a business caused a lot of strain. My debt began to rise as I tried to convince myself that I was only a few months away from becoming successful.
Despite the ever-growing financial stress, my wife-to-be and I started cutting out non-essentials. We lived a very simple life, while still trying to build a business. I remember one night that stress got so bad that I actually got down on my knees and began to cry and prayed for God ‘s help! Perhaps my prayers were answered. I was attending a business event in the city and in the audience was a special guest, the closing speaker, Frank Bolella, who was a success coach and pastor. I listened to his message and was very impressed. Listening to his message must have been God’s plan all along, because within two weeks, I met him once again at another business event. I became very interested in going to his church and one of my co-workers invited me to go there. After his sermon, I accepted Jesus Christ as my Lord and Savior.
While I was finally getting spiritual grounding, we were still having financial challenges as I was still without a job. During this time, I spoke to one of the other pastors at this church who explained to me the blessings of spiritual gifts. He told me to pray about it and I kept that in the back of mind. By this time, Kayo and I decided to get married as we had already stuck by each other through some very bad times. I knew that we would make it if we stuck together. Conversations of moving to Japan crossed our minds, but we were not ready yet to make that drastic decision.

Changing of the Guard
Hearing of our situation, my mother and father-in-law invited us to visit Japan, and then surprised us with a ticket to Thailand. The vacation was supposed to clear my mind and help to organize things out. When we arrived in Thailand, all the stress must have gotten to me as I fell very ill and unable to backpack as planned; instead we were stuck in Bangkok. My wife suggested that rather than sightseeing tourist hot spots, it would be better to go around locally with nothing stressful.
We happened to be near Wat-Po, and in one of their temples we decided to try Thai massage to help me relax. The massage made me feel better. As we were leaving, I saw a sign that read “how to learn Thai massage in just seven days”. We didn’t have a lot of money, but my wife insisted for me to stay and at least learn Thai massage.
As part of the curriculum there was a field trip to one of the universities in Thailand, where an exhibition of the human anatomy was on display. My mind was blown away, and I felt inspired, an emotion that I’ve lacked for so long. I completed my training in a week and was now certified in Thai massage, but I was still too ill to travel so instead I took another course in foot reflexology. After taking the course, I finally was strong enough to travel and we completed a short 3-day exertion and then headed home to the States with newfound inspiration.
We were both exited, but I was challenged trying to figure out what to do next. There was a local hospital not too far away from where we lived, so I tried to volunteer there to learn more about working in the healthcare field. I tried looking into nursing, but I quickly realized that nursing was not the kind of work I wanted to do. The volunteer director offered a special suggestion that ultimately would change my entire life. She recommended for me to go check out the physical therapy department; I had no idea what it was back then. I was impressed by the treatment the therapists provided for the patients and the immediate positive impact expressed by many satisfied clients.

A Step in the Right Direction
I was without a job during this time, so as a volunteer I was allowed to “earn” a free meal for every four hours of time. I decided to volunteer as much as I could and sometimes it was the only “real” food we had for the week. Timing couldn’t have been more perfect, when miraculously the primary receptionist was going away for vacation, and the director asked me to fill the role to cover phones and scheduling. I worked hard for the next 2 weeks and was so proud to actually have “earned” income. The director decided to hire me part-time and created a special position for me just to stay on staff with her department. Months would go by and life was starting to turn around.
Ultimately, the director convinced me to go back to graduate school. I was at first resistant to her suggestion, but I prayed about it and submitted my application anyway. After getting accepted to graduate school, I had to first complete pre-requisites that delayed my start for about 9 months; having to go back to school to fulfill basic health sciences courses.
The road to graduate school was not easy. About 6 months before graduate school, my cousin discovered he had colon cancer and my mother in law fell ill with stomach cancer. My wife had to return to Japan to take care of her and I checked in on my cousin as best as I could. I kept plugging away alone while she was away, but then my own father passed away one month before the start of classes. I was a wreck, but I had to stay focused and prayed for God’s strength to get through some tough times. The next 3 years of graduate school had it’s own challenges, but every day God answered my prayers to get through another day! Ultimately, I graduated and as they say the rest is history. All the sacrifices and support made this career change the best decision of my life.

Lessons Learned
This journey is full of many lessons learned. Whenever I tried to accomplish things on my own, it always failed. Whenever I trusted God and prayed, he guided me and provided the wisdom that helped me to make better decisions. Of course, conflicts still routinely occur daily, but through the Holy Spirit and the Grace of God, I am working towards trying to live a life rejecting the sinful nature of man.
Life is not perfect, and I am continuously praying for my wife’s salvation to be saved and receive the grace of God. The only thing I can do right now is live a life with God the best as I can.
It’s not a perfect life. He doesn’t provide me the answers I need every time, but I am learning to be patient. I am learning every day of his abundant love and his full grace for a man like me. I’m lucky that I was able to give my testimony, to be able to speak of my life as a Christian without any shame. I am not bothered to pray for someone where I work, as some companies today shy against that. I believe we are called to serve God and complete the great commission and help others seek their salvation. I believe that’s the ultimate goal for each and every one of us, and to enter heaven hearing the words , “Well done”.

「牧師室より」2019年2月号「あなたは自由ですか?」

「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ8:32)

子どもの頃から、教会は好きでしたが、そこは「自由」なところ、という印象はありませんでした。「ちゃんとしていないといけない」「終わったら遊べるから、それまではガマン」という感じだったと思います。ですから、初めてこのイエスの言葉に出会った時、とても新鮮だったことを覚えています。「そうか、イエスはわたしに自由を与えてくださろうとしているんだ!ああ、自分もこの自由が欲しい!」そう思ったことでした。

この自由を感じることができたのは、イエスの十字架の意味を深く知った時でした。いつも教会の建物に掲げられている十字架、キリスト教のシンボルのように使われている十字架、それが、私の罪のための身代わりだったことは子どもの頃から聞いていました。そして、それを信じてはいました。しかし、ある時、一つの出来事を通して、自分の罪深さを見せつけられ、打ちのめされていた時に、そんなわたしをも愛して、イエスは命を投げ出した、そのことの重みを感じました。それまでは、心のどこかで「自分は一生懸命やっているから、神に愛されるのは当然だ」という思いがあったのでしょう。でも、そうではない、自分がどうしようもない奴なんだ、とわかった時に、初めてこの十字架に表された神の愛がどれほど大きいのかを感じました。その時から、その神の愛への感謝、これによって、私は生かされています。それは「なんでも好きなことをしていい」という自由ではなくて、「この喜びをどのように表していこうか」「この与えられた愛にどのように応えていこうか」と内側から溢れる思いによって生きていく自由なのです。

イエスは「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」(マタイ11:28-30)と言われました。この「わたしのくびきは負いやすい」というのは、「あなたにぴったりフィットする」という意味です。私たち一人ひとりを造ってくださった神は、私たち一人ひとりにぴったりフィットする使命を準備してくださっています。そこに生きることです。

この一年、私たちの教会はこのことを強調して歩んでいきます。お一人でも多くの方々が、この神様が与えてくださる自由、内側から溢れてくるいのちの力を経験することができますように。