2018年12月16日 『主を喜ぶ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ネヘミヤ記 8章1節〜12節

 

  • 「主を喜ぶことはあなたがたの力です」
    「主を喜ぶ」ってどういうこと?
    「神様がこんなことをしてくださったから喜ぶ」とかならわかりやすい。「病気が治った」「商売がうまくいった」「学校に合格した」・・・
    「神が愛してくださったから」「イエスがお生まれになったから」
    ・・・これは近い。
    でも、「神を喜ぶ」とは?
  • ローマ5章に出てくる3つの喜び。
    「永遠の希望を喜ぶ」(2節)「患難をも喜ぶ」(3節)「神を喜ぶ」
  • 神を喜ぶ・・・経験するしかない。でも、この世にも似たようなこと。
    • 恋愛・・・どうして好きになったかわからない。存在自体が嬉しい。
    • 子供が生まれた時・・・「無条件でかわいい」
    • 誕生日・・・存在自体を喜ぶ、お祝いする。
  • まず、神様が私たちの存在を喜んでくださったから。
    罪人のために死なれたイエス。
  • インマヌエル・・・神が我らと共にいる
  • 放蕩息子のお父さん、その息子をそのまま、丸まま、受け入れた。
<テイクアウトQuestion>
  1. 「神様がこうしてくださったから喜ぶ」という場合にどんなことを思いつきますか?それらのことと「神を喜ぶ」とはどのような違いがありますか?
  2. 神はあなたを喜んでおられると思いますか?どうしてそのように思うのですか?
  3. 日々の生活の中で「神を喜ぶ」ために、どんなことをしていますか?あなたはどんな時に神を喜んでいるでしょうか?どんなことが助けになるでしょうか?

2018年12月9日 『羊飼いなる救い主』

 

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: エゼキエル書34章11節〜16節

 

 

羊は迷いやすい。
イスラエルの指導者たち、羊を養うのではなく、食い物にする
→これからは私が羊飼いだ、と神は言われる。→救い主の預言。
1)羊を養う救い主
神様は、私たちを探してくださった。
気がつかない時にも、あなたを導いてこられた。
神様は私たちを集めた。違う存在を集めた。イエスの弟子たちも。
養う。・・・泉のほとりで養う。
・・・愛で養う。愛されているなあ、という経験、肯定。
基本的信頼。「幼子のようにならなければ」
2)弱い者に注目する救い主
失せたもの、迷い出たもの、傷ついたもの、弱ったもの、そのようなものに対する神の特別な思い。・・・これが公平。
イエスがこの世に来られた時に、飼い葉桶の中に寝かされていた。・・・「それがしるしだ」(ルカ2:12)・・・このしるしは、シンボル。
羊飼いに神様はご自身をidentifyされた。
降りてきて、私たちと同じところを歩まれた。底辺を歩まれた。
イエスは「私は仕えるために来た」(マルコ10:45)と言われた。本当に私たちに仕えて、ご自身を十字架に与えてくださった。
イエス様が仕えてくださったその恵みをいっぱいに味わうこと。
イエスが弟子たちの足を洗った時のペテロに対するメッセージ。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたは迷うことはありますか?どうして迷うのでしょうか?どんな時に迷いますか?何があなたを迷わせるのでしょうか?
2)神が、私たちの羊飼いであると宣言してくださいました。イエスは羊飼いとして世に来られました。神は、あなたにとってどんな羊飼いでしょうか?
3)神は弱い者に注目することによって公平であると言われました。そのことについて、あなたはどう思いますか?

2018年12月2日 『希望を与える神の計画』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: エレミヤ書29章1節〜14節

 

今日からアドベント
どれくらい待つことができるか?どう期待するかによる。
1)神が与える平安
平安・・・シャローム。
 問題がないことではない。波風が立たないことではない。
 問題の只中で、与えられる平安。
「神はご計画を持っておられる」
あなたを捨てるのではなく、あなたをtake careする計画
2)神の時間軸
問題・・・バビロン捕囚・・・「すぐに帰れるよ!」という偽預言者。
エレミヤのメッセージはそこに腰を落ち着けなさい、バビロンの祝福を祈りなさい。70年後に解放を与えられるのだ。
究極的には救い主が送られてくるという約束。
主の計画の中心は私たちの救いの計画。
500年以上・・・主のご計画は私たちの人生の長さには収まりきらない
3)神と共に歩み幸い
神の究極的な計画・・・イエスによる救い・・・によって神と共に生きることを知ることができた!
12−13節「神に祈りなさい」「神に求めなさい」ということ。
13節の「尋ね求める」を2回(口語訳)、「尋ね求める」「求める」(新共同訳)「捜し求める」を1回→「探し求める」「求める」(新改訳)
元々は、これは2つ違う言葉が使われている。バーカシュ(情熱的)とダーラシュ(理性的)。熱い想いと、冷静な頭で。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたは待つことができる方ですか?できない方ですか?
2)神の時間軸と、私たちの時間軸はどのような関係になっているのでしょうか?
3)神に祈ることはどんな祝福でしょうか?どんな喜びがあるでしょうか?

「あなたの若い日に・・・」

今年の4月に主人と共に日本語教会に転入してから半年余り、錦織先生をはじめとして、主にある兄弟姉妹との嬉しい出会いをたくさん経験させていただきました。決して模範的なクリスチャンではありませんが、私がどのようにしてイエス様を救い主として受け入れたのかを証しさせていただきます。
私の両親は台湾人です。私には2歳年上の姉と2歳年下の弟がいます。私は次女として3人兄弟の真ん中に生まれました。私が5歳の時、家族で台湾から日本に引越しました。当時、父の兄が神奈川県の平塚市で中華料理店を経営していました。父はその縁で日本に招かれ、料理人として働くようになりました。20代だった母は、日本語が不自由ながら仕事をして、3人の幼い子供を育てました。父は仕事がら夜遅くまで帰宅せず、私たち3人が同じ公立小学校に通いはじめた頃も、顔を合わせない日も少なくありませんでした。家でも学校でも使うのは日本語だけで、中国語も台湾語も忘れました。学校では友達やクラスメートといっしょに楽しく勉強したり、遊んだり平凡な子供時代を過ごしました。ところが、私が中学1年を終えた時、家族全員で渡米することになりました。ブルックリンに在住する知人の薦めに父が独断で決めたことでした。ただ私にとっては迷惑な話しで、日本の友達とも別れ、英語もわからぬまま、現地の公立中学校に編入させられてしまいました。英語も話せず、友達もできず、大学に進学するまでの6年間は、ただ学校と家を往復するだけのつまらない毎日でした。
なぜか小さい頃から、母の愛情は学校の成績がよかった姉と弟にだけ注がれていたようです。台湾では男の子の方が女の子よりも望まれていたからでしょうか、2番目の女の子として生まれた自分は、母にとっては期待はずれのやっかい者だったのかもしれません。日本にいた時から父は仕事で忙しく、日本の生活に戸惑う母は、3人兄弟の中で一番成績が低かった私に、その鬱憤と不安に荒れた心をぶつけました。優秀な姉や弟と学校の成績を比べられ、ささいなことで叱られる毎日。私はヒステリックな母の怒りから逃れることばかり考えていました。小学校時代の自分のバイブルは少女マンガでした。「ベルサイユのばら」のオスカルに憧れ、「生徒諸君」のナッキーを目標に、正義感と友情に厚い人間を目指していました。そんな少女時代に「自分は何のために生まれてきたのか。」といつも考えていました。
ようやく高校を卒業し、私は母から離れて自立するために、看護師を目指してマンハッタンにある市立大学に進学しました。後に看護師の勤務が不規則で、おまけに夜勤まであることを知り、2年生の時に専攻を薬学に変えました。自分には看護師よりも薬剤師の方が合っていると考えたからです。姉と弟は私立の有名大学に進学しました。私は親の経済的な援助を一切受けまいと心に決め、学費の割安な市立大学に進学し、アルバイトで学費を稼ぎながら、自力で大学を卒業して薬剤師の免許を取りました。私が大学3年の時に両親はルイジアナに引越して、レストランをオープンしました。私は母と顔を合わせずにすむようになりほっとしました。そんな時、アルバイト先で今の主人と知り合いました。彼は日本から語学留学でニューヨークに来たばかりでした。大学を卒業して5年後に彼と結婚し、ニュージャージに引越しました。主人は米系の金融システム会社に就職し、私も病院の勤務に多忙な日々でした。
その頃、勤めていた病院で知り合ったフィリピン人の医者夫婦に誘われて、はじめて超教派の福音集会に参加する機会がありました。ホテルのボールルームに設置さえた会場は2000人ほどの人で埋まり、コンテンポラリーな賛美歌と聖書メッセージが続き、まるでコンサートのような雰囲気でした。メッセージの内容は、今まで思っていたキリスト教の教えよりも、ポジティブで現実的でした。そこで母との長年の確執によって、生きることの意味をずっと考えてた私の心が、伝道者の書の12章1節の言葉を捕らえました。「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ。」自分は母ではなく、神に造られ、神に生命を与えられ、神に生かされていることを知りました。母の批判的な言葉に心傷ついていた私には、それは大きな救いであり慰めでした。同時に、母を赦せない心、姉と弟を妬む心も教えられました。それは神の愛と聖さからほど遠い自分であり、贖いきれない自分の罪でした。その罪のためにイエス様が十字架で死なれたことを知った時、私はこの方を救い主として受け入れました。その後、主人といっしょに教会に集いはじめ、1993年10月に洗礼を受けました。イエス様を受け入れたとは言え、心は寛大さに欠け、人を赦すことさえ難しいのです。それでも神さまはそんな自分をありのままに受け入れ、見放すことなく、見捨てることなく、ずっと導き続けてくださいました。これからも家族といっしょに愛なる神と恵み深い救い主なるイエス様に従っていきたいと思います。

牧師室より2018年12月号「サンタ来る?サンタする?」

「サンタ来る?サンタする?」

子どもの頃、うちにはサンタのおじさんは来ませんでした。

煙突がなかったから、ということもありますし、また、あまりいい子ではなかったというのもあるでしょう。でも、それだけではなくて、昭和40年代、多分、まだサンタさんが来る家が少数派だったのだと思います。両親が牧師だったので、教会ではクリスマスをお祝いするのですが、サンタさんとは無縁でした。ただ、クリスマスの諸行事が終わって、学校が冬休みに入ってから、デパートに連れて行ってもらって、好きなものを一つ買ってもらえるのが楽しみでした。7歳年下の末弟のところにはどういうわけかサンタが来るようになって、それは謎なんですが、それはちょうど、時代がそうなってきていたということもあるでしょう。でも兄たちとしては「なんだかなあ」という気持ちだったことを覚えています。

それから20年くらい経って、自分が子どもを持ったときに、「さて、どうしようか」と思いました。そして、それなりによーく考えて、こう言うことにしました。「サンタさんは、お金がなくて、お父さんやお母さんがプレゼントを買うことができないおうちの子にプレゼントをあげるんだよ。ウチはお金があって、お父さんがプレゼントを買うことができるから、サンタさんは来ないんだよ」と。まあ、なかなかいい言い方だなと思っていました。なんといったって、サンタさんのモデルになった聖ニコラオスは貧しい人たちにプレゼントをした人なのですから!
でも、この話もほどなく破綻します。息子がクリスマスの後に「え?〇〇君のところにはサンタさんが来たの?〇〇君のおうちはお金がないんだねえ!うちはリッチだからお父さんが買ってくれたよ!」と大きな声で言って回るようになるという、ちょっと考えれば「まあ、そうなるよね」という展開で・・・。

アメリカには「オペレーション・サンタ」という働きがあります(今年で106年目!)。郵便局に届いた「サンタさんへの手紙」の中から、「この子にプレゼントを贈りたい」と思ったものを選んで、プレゼントを買って、郵便局に持っていくと、それをサンタさんからのプレゼントとして配達してくれるというサービスです。プライバシーの問題もあるので、今では相手の住所や名前も知ることはできず、子どもたちがどんな風に受け取ってくれるかを知ることもできません。それはちょっと残念な感じがするのですが、子どもたちの安全を考えると大切なことですね。この時期、多く団体が同じような働きをしています。この季節、「受けるよりは与える方が、さいわいである」(使徒行伝20:35)と言われたイエスの言葉をほんの少しでも味わうことができればと思います。

みなさんにとって、良いクリスマスとなりますように!

2018年11月25日 『我らを持ち運ぶ神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: イザヤ書46章1節〜9節

 

アブラハムの伝説。「こんなのに、そんなことできるわけない」
人々に運ばれる神と、私たちを運ぶ神。神はあなたを背負われる。
1)あなたをここまで運んだ神
自分の力で生きてきたと思っている私たち・・・違う。私が運んだ。
イスラエルの民・・・アブラハム、ヨセフ、モーセ「出エジプト」
あなた自身・・・子供の時から、一つ一つの出会い、神のところに導かれた。今日ここにいるのも、神があなたを運ばれた。
JCCNJの歩み・・・30年の歩みを支えられたのは神。必要を満たし続けてくださった神。私たちが神を支えているのではなく、神が私たちを支えてきた。
私たちは偶像礼拝をすることはないかもしれない。
しかし、自分が神を支えている、自分が神のために頑張ってきた、と思っているならば、それは偶像礼拝をしているのと同じ。
2)あなたをこれからも運ぶ神
「聞け」(3節)→神に聞くこと。55章「神の思いは人の思いと全然違うよ、だから、神の言葉に聞け!」
私はあなたを造ったから、あなたをここまで導いたから、ずっとあなたを負っていくよ、年老いても、白髪になっても。
「介護が必要な、自分では身の回りのことができなくなっても」私があなたを運ぶから。
Footprintsの詩
イエスは私たちの罪を負われた。死をも打ち破って、私たちを迎えてくださる。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたが神様に運ばれたと感じることはありますか?神様はあなたをどのようにここまで運ばれたでしょうか?
2)これからのあなたの歩みについて、心にかかることはどんなことがありますか?それについて、神はどのように約束をしておられるでしょうか?

 

2018年11月18日 『谷間に泉が湧く』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 詩篇84編

 

 

幸い・・・アシュレーという言葉。
・・・語源は「導く」→「導かれている」→「幸い」
幸せは、状況で左右されるものなのか?
どんな状況の中でも、変わることのない、幸い。
実はこの詩は、離れた地にあって、エルサレムを思って書いた詩。
1)主の家に住む幸い
あなたの居場所はどこか?ほっとできるところ。
家庭、職場?
神こそが、あなたの居場所になる。神はあなたのことを受け入れる。
2)谷間に泉が湧く幸い
バカの谷を行く時もそこに泉が湧く。
バカ・・・乾燥に強い植物。・・・渇いた谷、困難の谷。
新改訳「涙の谷」新共同訳「嘆きの谷」
状況が困難であっても、そこで泉が湧くのだということ。
「乾ききった谷を通り過ぎたら、オアシスがある」というのではない
涙の谷の只中で、泉を与えてくださるのが神様。
3)神を信頼する幸い
信頼する・・・身を投げ出す、という意味の言葉。
自分の願った通りにならなくても、主は良いことをしてくださるのだと信じること。⇔自分の願い通りに神様を振り回す。
「あたりまえ」ではなく「ありがたき」こと。
イエスが私たちのために命を与えてくださったのだから。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたはどんな時に幸せを感じますか?こうなったら幸せなのに、と思うことはありますか?
2)状況に左右されない幸せ、というものがあると思いますか?それはどんなものでしょうか?
3)谷間の中でも泉が湧く、とは実際にはどのようなことなのでしょうか?そのような経験をしたことがありますか?

2018年11月11日 『『一切は空』から『主にある喜び』へ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 伝道の書12章1節〜14節

 

序)
まず「神が・・・」から入らない方法もある。
「伝道の書」はそのアプローチ。
始まりは「空の空、空の空、一切は空」。
平家物語のよう・・・諸行無常
結論は「神を恐れよ」。
1)神抜きで生きる意味
ソロモンの権力、富、知恵、名声。・・・一切は空。
ジョージ・フォアマン・・・力、勝利、名声、富・・・こんなことのために生きているのか?
この水を飲む者はまた渇く(ヨハネ4:13)
私たちのうちにある空洞。それを埋めるためにいろんなことをする。
なんとか埋めようとする。なんとか見つけようとする。
しかし、それでは満たされない。
私が与える水を飲む者は、いつまでも渇かず、私の与える水は、その人の中で泉となる(ヨハネ4:14)
2)人の限界と神の支配
3章・・・全てのことには時がある。
→神のなさることは時にかなって美しい。(11節)
→でも、私たちは全てを見極めることができない。
水の上にパンを投げよ(11章1節)
無駄に見えるようなことでも大胆にしなさい。
見えなくても、神様は報いてくださるから。回収させてくださるから。
ローマ8:28・・・万事を益にしてくださる
テイクアウトQuestion
1)「はじめに神が・・・」と始まる創世記と、最初に神を前提としていない伝道の書と、あなたはどちらが受け入れやすいですか?
2)あなたの心を満たすものは何でしょうか?本当に神様によって満たされているという感覚がありますか?
3)神様を信頼する時にどのような生き方ができるでしょうか?

2018年11月4日 『炎をもって答える神』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: 列王記上18章17節〜39節

 

序)
民は神と共に歩まない。神に背く、神を捨てる。
そんな中で、神と共に歩む人々。このエリヤもその一人。
神と共に歩むとはどういうことなのか、それをここからお話しする。
1)壊れていた祭壇を繕う
・祈りの祭壇・・・あなたの祈りの生活はどうなっているか?
 壊れていた祭壇・・・人々に忘れられていた/軽んじられていた。
 気にはなっていたのだけれども・・・実行しないとダメ。
・自分自身の献身
 ささげもの。
 最高のものを主に捧げる。
・イエスの十字架の恵み
 しかし、結局のところ、私たちの祭壇は、イエスの十字架。
 イエスの十字架に感謝すること、その恵みに応えること。
 →悔い改め。
2)天からの火を求める
・天からの火・・・聖霊様。
・聖霊様はどんなことをなさるか?
 罪を示し、救いを示す ヨハネ16章8節
 イエスを証しする ヨハネ15章26節
 私たちに力を与え、イエスの証人とする 使徒行伝1章8節
 み言葉を私たちの心に分からせてくださる
 平安を与えてくださる。
  不純なものを燃やし尽くしてくださる。
テイクアウトQuestion
1)「壊れていた祭壇」というところで、あなたは何が壊れた祭壇だと思いましたか?
2)聖霊様はどんなことをしてくださるでしょうか?今までどんなことをしてくださいましたか?今日は祈っている中で、どんなことを語ってくださいましたか?

 

「9月30日、私は・・・リッジウッドのベツレヘム教会にて・・・」

9月30日、私は5歳の娘エミリー、10か月の息子ウィリアムと共に、リッジウッドのベツレヘム教会にて洗礼を受けました。立ち会って下さった錦織先生はじめ、駆けつけて下さった日本語教会の方々、個別に祝福のメッセージを下さった方々、神の家族になる喜びを共に感じて下さり心より御礼申し上げます。

私のキリスト教との関わりは幼稚園とカトリックの私立中高でした。片道2時間かけて通学していたのですが、中1のある日、通学のバスの中で読む本がなかったので、聖書を手に取りました。この学校では6年間通して、週1時間「宗教」という科目が設定されているのですが、この日は「宗教」がある日だったので、カバンの中に聖書が入っていたわけです。旧約聖書から読み進めてみると、これがなかなか面白い。神と人との関わりを巡る物語に魅了され、しばらく行き帰りのバスの中は毎日聖書を読んでいた記憶があります。とはいえ、新約聖書に入った途端に、説教臭くなり面白くない、などと感じ、そのままになってしまいましたが。

中高では、附属の修道会のシスター達が教員もしており、「宗教」を教えていました。このシスターがこれまた揃いも揃って厳格で恐くて怒った顔つきをしていて、中学生の私には、何が楽しみで生きているのか分からないような人達に見えました。自発的に読むのと違い、「宗教」の時間に読まされる聖書には興味が持てず、シスターの話も絶望的に退屈で、何を聞いても右から左へ抜けていくばかりでした。「宗教」の定期試験は論文形式でしたが、適当に書いて最後を「神様は本当に素晴らしい」「神の栄光を讃えます」などとまとめておけば、評価はAがつくので、舐め切っていました。私にとって「宗教」もミサも昼寝タイムでした。
私自身、それ以来ずっと神様に無関心なままでした。それが変わったのは、2015年に一家で誰も知り合いのいないニュージャージーに引っ越してきて、3か月ほど経った頃、友人に誘われて、クロッキー教室に行った日のことです。絵を描いたあとは聖書を開き牧師先生のお話を聞く時間もあったので、びっくりしました。教会主催の教室とはつゆ知らず、錦織先生に「何か教会関係のお仕事をされているんですか」などという、とんちんかんな質問をしてしまったのを今でも恥ずかしながらよく覚えております。(独身司祭しかいないカトリックしか知らなかった私は、妻帯してよい牧師という職業のことをよく知らなかったのです。)

この初めてのクロッキー教室が一生忘れない日になった理由はもう一つあります。実はその前日、悲しい出来事があり、私は喪失感に打ちのめされていました。お腹の赤ちゃんが8週で亡くなっていることが分かったのでした。1週前は元気に動いているのも見えたのに。酷かったつわりもピタリと止まり、しかし腹部はまるで鉛の玉が入っているかのような重苦しさでした。外出する気分ではなかったのですが、元気を奮い立たせて出かけたところ、絵を描いている間は悲しみを忘れている自分がいました。また、この日、実に25年ぶりに聖書を手にしたのですが、錦織先生が開いた箇所に書かれた言葉は、まさにその時の私が最も必要としていたものだったのです。「あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい。あなたがたの寛容を、すべての人に示しなさい。主は近い。何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人知では到底はかり知ることの出来ない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、イエス・キリストにあって守るであろう。(ピリピ人への手紙4:4-7)」これは、大きな悲しみ、苦しみや悩みがあっても、神様に心の内を、自分の願いをすべて打ち明けたなら、「人知では到底はかり知ることの出来ない」レベルの平安が私を守ってくれる、という約束なのだ、というお話でした。

この日、神様は私を絵と言葉で癒して下さっただけでなく、ニュージャージーにまだあまり知り合いのいなかった私に多くの友人を与え、日々を豊かにして下さいました。特に、クロッキーをきっかけに、月に2度の日本語教会のスモールグループ「奥様会」には3年弱お世話になっていますが、牧師夫人の範子さんのおいしいランチを頂きながら、小さな子供を持つママたちとの、子育ての悩みや喜びを共有し家族のために共に祈る時間に、今までどれほど救われてきたか分かりません。その後二度目の流産、そしてようやく第二子ウィリアムを授かった時も、「奥様会」の仲間たちは多大な心の支えになってくれ、この素晴らしい出会いにただ感謝するのみです。

神様はまた、いつも最善のご計画を私に用意して下さっていました。エミリーが生まれてから3年間は、私は専業主婦をしていましたが、ずっと、どこか大事なものが人生に欠落しているような、自分のアイデンティティが崩れ落ちていくような、そんな感覚を持っていました。日本にいた時はフルタイムで高校教員として仕事を続け、アメリカに来てからは大学や補習校で仕事をしながら大学院で研究生活を送り、とにかく突っ走ってきたので、突然自分が何者でもなく「母」「妻」でしか無くなった時に、苦しくなってしまったのです。

そんな時、「奥様会」の友人が、学校で音楽を教える仕事の空きがあると知らせてくれました。最初は自分の専門分野とは違うと思い躊躇したのですが、強く勧めてくれたその友人の言葉に背中を押され、応募してみたところ、採用されました。約一年の勤務期間、これほど自分の趣味と仕事内容が一致したことは初めてで、天職ではないかと思えるほど、生徒たちと一緒に作る音楽が楽しくて、毎日が幸せでした。途中で妊娠が分かり時期を見て校長に報告に行ったときも、私は出産後も仕事を続けたいと強く望んでいることを伝えたのですが、学校に産休も育休も無いため、一旦退職しなければならないと言われました。やり切って満足して去るのであれば、もう振り返ることもないのですが、年度途中だったこともあり、自分の中でやり残したこと、これから生徒たちとやりたいことがたくさんあったので、大変に後ろ髪を引かれる思いでした。こうして私は出産3週間前に退職しました。

その後、二人目育児に専念する毎日の中で、私は出来るだけ、失ったもののことは考えないようにしていました。でもふとした時、授乳中や一息ついた時には記憶が蘇り、息が詰まりそうになるのです。なんとも言えない寂しさや悔しさがこみ上げ、なぜ辞めなければならなかったのかと、どうしたらまた戻れるだろうかと、どうにもならない思いを巡らせる自分がいました。赤ちゃんは可愛いし、この上ない恵みであったと思う一方で、退職に関していまだ納得のいっていない自分がいて、そのうち夢にまで見るようになりました。その繰り返し見る夢の中では、私は音楽教員なのですが、教室に行くと後任の音楽教員がいて「あなたはもう辞めたんですよ」と言われたり、合唱指導にてこずっている彼女を見かねて私が指導をすると、生徒たちの合唱が見違えるように良くなるとか、それはぽっかり穴が開いたような、それでいて傲慢な、自分の心の内をあらわした夢でした。その夢から覚めた時には、いつも何とも言えない嫌な気持ちになるのです。

それが、ある日を境に、悪夢にうなされることも、授乳中に無念さのあまりに窒息しそうな気持ちになることも一切なくなったのです。今年3月に私たちはリッジウッドに引っ越しをしたのですが、引っ越しを決めた後で気付いたのは、家の斜め前がベツレヘム教会だったということでした。オープンハウスの日は雪が降っていて気付かなかったのです。すると5月のある日、夫が突然日曜礼拝に行くと言い出しました。青天のへきれきでした。夫は信仰心の篤い家庭に育ち幼少の頃に洗礼を受けていますが、出会って10年、教会へ行くことはおろか、彼がクリスチャンらしい行動や言動を取ったのを見たことがなかったからです。夫はその次の日曜日も、そのまた次の日曜日も、子供たちを連れてベツレヘム教会に行きました。私はというと、家で自分一人で過ごす日曜の朝をのんびり満喫していました。一緒に礼拝に行くという考えはありませんでした。当時はウィリアムが夜中何度も起きてその度に授乳していたため、慢性的な寝不足で頭痛もあり、礼拝なんか行くぐらいなら家で休んでいたい、というのが本音でした。すると夫は「じゃあスリープトレーニングが完了したら、一緒に礼拝に行こう」と言い出しました。私にはなぜ夫がそんなに教会に行きたがるのか、まるで分かりませんでした。7月になり、ウィリアムのスリープトレーニングは無事成功し、夜を通して寝てくれるようになりました。私もまとまった睡眠が取れるようになり、体調も回復し、もう礼拝に行くのを断る理由が無くなったなどと考えていたとき、夫が言いました。「I have found my faith again.」と。

そういうことだったのか、と思いました。家探しを始めたその日に行ったオープンハウスで即決した家。目と鼻の先に教会。あれだけ神様から背を向けて生きていた夫が一度も欠かさず毎週日曜は礼拝へ。すべて神様のご計画のうちだったのです。そして次は私の番でした。夫の強い後押しを受けて、7月下旬から、私も家族とともにベツレヘム教会の日曜礼拝に行くようになったのです。あまりに熱心な夫に引きずられる形ではありましたが。そして忘れもしない8月5日、私にとって2回目の礼拝で生まれて初めて聖餐式でキリストの体と血を頂いた日。その日の朝、私は例の嫌な夢を見て目が覚め、何とも言えない鬱々とした気持ちでした。重い足取りで教会に入ったはずなのに、礼拝の1時間、神様の言葉を耳にし、賛美歌を歌い、静かな祈りの時間を過ごしていた間、悪夢のことは全く忘れていて、とても穏やかな気持ちで家に帰ってきたのでした。浄化されたような、救われたような感覚でした。「自分の方が子供たちを引き付ける楽しい音楽の授業が出来るのに」「制度上の理由で私を辞めさせるとは、学校にとってどれだけの損失になるかなんて上は考えてもいない」と、向けどころのない怒り、失望、思いあがった傲慢な考え・・・どれもネガティブな気持ち。そんなものが沸き上がる毎日に疲れ、神様にもっと救われたい。もやもやした気持ちから解放されて、神様が与えてくださった赤ちゃんとの生活を、もっと心から楽しめるようになりたい。そんなふうに素直に思えたのです。この日初めて、神様にすべて委ねたい、安らぎたい、と思え、洗礼を受けようと決意しました。そして、この日以来、悪夢を見ることもあの窒息しそうな感覚に陥ることもなくなりました。今では、仕事のことも、いずれ神様が私にとって一番良いタイミングで、私の進むべき道を用意して下さると信じ、平安の中に、失ったものではなく自分が持っているものに感謝をしつつ、日々過ごすことが出来ております。

ちょうど1年ほど前になりますが、錦織先生に聖書の学びのコースを受講させていただいた最後に、「今はどのようなお気持ちですか」と洗礼のことを聞かれて、今は準備が出来ていないしきっかけもないと答えた私に、先生は「では僕は待っています」とおっしゃいました。「クリスチャンになってすべてを神様に委ねる人生はとてもラクなんです」とも。神様の存在を信じる気持ちはずっとあったけれども、聖書も読破していないし、日曜礼拝に休まず行く自信はないし、クリスチャンになる資格はないと、私は勝手に思い込んでいたのです。しかし神様の愛はいつもそこにあり、私がそのことに気付けず神様を信頼できていなかっただけなのでした。

こうして私たちは家族4人で、ベツレヘム教会のメンバーになり、日曜礼拝を守るようになりました。エミリーとウィリアムを教会に育てて頂けることはこの上ない喜びです。夫は教会に通った子供時代の経験から、私はキリスト教系の幼稚園に通った経験から、子供たちの健全な人格形成のためにキリスト教教育をしたいと思ってきました。やはり大きな存在、大きな愛に守られているという安心感の中で自己肯定感を育み、感謝の気持ちや他者への愛を持つようになって欲しいと考えるからです。ここまで神様が一つ一つ導いてくださったこと、家族で同じ方向に心を合わせて歩んでいけることの恵みに感謝しつつ、私の証しとさせて頂きます。