2018年8月5日 『神のものは神に』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章15節〜22節

 

 

「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」政教分離?
ヘロデ党・・・親ローマ⇔パリサイ派
この対立する2つのグループが反イエスで協力。
ローマに納税すべき?
イエスの答えは「納税にはYES、でももっと大切なことがある」

→神のものは神に返しなさい
1)何が神のものか?
全てのものの十分の一・・・マラキ3:8-12
神様への信頼。神様を第一とする信仰告白。
才能・・・マタイ25:14-15
私たちの時間、人生、周りの人々、神様が私たちに託されたもの。
私たち自身・・・神のかたちの刻まれた者(創世記1:27)
2)どうやって返すのか?
十分の一献金は単純。
神のもとに帰る。自分の考えで生きてきたことを悔い改めて、神に帰る。
一瞬一瞬、神がほめたたえられることを求める。
神に身をささげて生きる=修道院や伝道者になることではない。
与えられたところで神を第一として歩んでいく。
仕事を通しても神の栄光を表す。
3)何がそうさせるのか?
神がそのように造られたから。そこに祝福があるから。
イエスが全てを与えてくださったから。
第一コリント6:19-20
テイクアウトQuestions
1)あなたが神に返すべきものは何でしょうか?どうしたらいいと思いますか?
2)私たちが神に全てをお返しすべきなのはどうしてでしょうか?どうしてそれができるのでしょうか?
3)私たちが神に返すべきものを自分のものにしてしまうことはあるでしょうか?神に返すのが難しいものはあるでしょうか?

2018年7月29日 『婚宴への招き』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書22章1節〜14節

 

パーティーに招かれるのも、来てもらえるのも。うれしい。
神様は楽しみにして、準備をしてこられた。
しかし、人々は2つの反応で神の招きを拒んだ。
1)招きを受け入れなかった人々。
ユダヤ人に向けたメッセージ。
神はあなた方を招いたのに、あなた方はそれを侮辱で返した。
→エルサレム滅亡の預言。
私たちはどうだろうか?
畑、商売・・・仕事。神様より仕事?

仕事は神様が与えてくださっているもの。創造の初めから。

問題は神様から任された仕事が、神様よりも大切になること。
お金も、才能も、家族も神様から与えられたもの。
で
もいつの間にか、神様よりも大切になる。
アブラハムに「約束の子」イサクを捧げなさいと言われた神。

アブラハムはいつの間にか、イサクが神よりも大切になっていた。
神はひとり子を与えて、私たちを婚宴に招いておられる。
2)礼服を着なかった人々。
礼服を着てこなかった人が追い出された?どうして?
礼服は入り口に準備されていた。・・・その礼服を着なかったということは、自分の服に自信があった。礼服を着たくなかった。
私たちのために備えられた礼服はキリストの十字架。
「キリストを着る」ガラテヤ3:26-27
それを着ないということは、自分の力で神に受け入れられようと思っている。自分は大丈夫と思っている。
テイクアウトQuestions
1)王の招きに応えなかった人々はどうして応えなかったのでしょうか私たちも同じような理由で神の招きに応えないことはないでしょう
2)礼服を着なかった人はどうして着なかったのだと思いますか?私たちに当てはめるとどのような気持ちでしょうか?
3)神様は私たちにどのようなパーティーを準備しておられるのだと思いますか?

2018年7月22日 『砕かれた心』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書21章33節〜46節

 

砕かれた心・・・信仰生活の中でとても大切。
⇔傲慢な心、「プライド」
私はあの人よりも信仰深い、結構良い線いっている
 自分はわかっている・・・
砕かれた心に神の恵みが注がれる。
1)神の思いと人の思い
ユダヤ人に向けたメッセージ。
神はあなたがたにこの世界に祝福を運ぶ使命を与えられたのに、それに従わなかった。預言者たちを送ったのに従わなかった。ひとり子さえも殺そうとしている・・・そのことを指摘した。
私たちに対するメッセージでもある。あなた方はどうなのか?
神は私たちに愛をもって使命を与えられた。
裏切られても、裏切られても、招いておられる。ひとり子さえ送られた。
私たちはその神様の愛に対して、神を退けて、この世界を「私たちのものだ」と主張している。人生も、時間も、お金も、才能も。
そこに気づいて砕かれることが必要
⇔自分が砕かれない→神を砕こうとする
2)隅のかしら石イエス
「隅のかしら石」詩篇118:22-23の引用。・・・イエスのこと。
他に土台はない。他のもので代用することはできない。
この石によって砕かれる。イエスに出会う時に砕かれる。
「
罪を犯すから罪人なのではない。罪人だから罪を犯さないではいられない」
詩篇51:16-17 「神の受け入れられるいけにえは砕けた魂」
テイクアウトQuestions
1)神様は私たちに対してどんな思いを持っておられますか?どんなことをしてくださったでしょうか?今日の聖書箇所と、自分の今までの歩みから考えてみましょう。
2)私たちは神様からこの世界をどのように任されているでしょうか?
3)神様によって砕かれた経験はありますか?それはどんな経験だったでしょうか?

2018年7月15日 『悔い改めへの招き』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書 21章28節〜32節

 

兄が「行きます」→行かなかった
弟が「嫌です」→心を変えて行った
なのか、その反対なのかは写本の問題。
いずれにせよ、指導者たちへの悔い改めへの招き。

→私たちに対する悔い改めへの招き。
1)義の道への悔い改め
「義」は神様との正しい関係。
神は私たちを神と共に歩む者として造られた。創世記1:26-27
「罪」は神と信頼関係が壊れてしまう。
「神は意地悪で、本当は私たちを愛していなくて、私たちを騙していて」
(創世記3:4-5)
悔い改めは「神との関係に戻りなさい」ということ。

正しいことをする、間違いを犯さない、ではなく、
神との関係によって、平安をいただいて、自由を与えられて、生き生きとした歩みをする。
「義」は「羊」の下に「我」がいる・・・十字架の元に自分を置く。
2)神の国への悔い改め
「悔い改め」:普通は「メタノイア」:思いを方向転換する
ここの30, 31節は「メタメレオー」:関心の向くことを変える
自分のことから、神のことへ。
「神の国」は「神の愛の支配」「神の愛に満たされる生き方」
神の愛に感謝して歩む生き方へ。
「悔い改め」・・・罪を犯さないように頑張る???
「罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯す」

だから、悔い改めは、神の前の全面降伏。⇔自分は大丈夫
テイクアウトQuestions
1)「義」とは何でしょうか?それによって、私たちは何を得ることができるのでしょうか?
2)「悔い改め」とは何でしょうか?
3)悔い改めをためらわせるものは何でしょうか?どうしたら、悔い改めることができるでしょうか?

2018年7月8日 『何を恐れるか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章23節〜27節

 

スポーツのゲームでの審判・・・権威を持っている。
それに従うことによって、秩序が守られ、ゲームが成立する。
神殿でイエスが商売をしている人を追い出したり、人々を教えたりしている。
・・・神殿の管理をしている祭司長や長老は「何の権威で?」
イエスは彼らの権威に中身がないこと、そして、自分は神から遣わされていることを言いたかったのだろう。
しかし、ここではストレートにそれを言うのではなく、質問をすることを通して、彼ら自身の姿を問うている。
・・・悔い改めへの招き。
しかし、彼らは恐れなくていいものを恐れ、恐れるべきものを恐れないで、結局逃げてしまった。
1)恐れなくていいもの
①人を恐れた
群衆が恐ろしい。
聖書の中には人を恐れて失敗をする人がたくさん。

創世記12章 アブラハム
ルカ23章 ピラト
②今まで築いて来たものを失うことを恐れた

バプテスマのヨハネを認める・・・
自分が悔い改めなければ
→自分が権威あるものとしてイエスに文句を言いに来たのに、自分が悔い改める側に
・・・それはできない。
結局はプライド。
2)恐るべきもの
神を恐れる(畏れる)
箴言1:7, 伝道の書12:13
テイクアウトQuestions
1)どうして人を恐れると、失敗をするのでしょうか?
2)今まで築いて来たものを失うことが恐れになるのはどうしてだとおもいますか?
3)神を恐れる(畏れる)とは具体的にどういうことでしょうか?

 

2018年7月1日 『見た目ではなく』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章18節〜22節

 

難解な箇所:いちじくの実がなっていなかったから枯らしてしまった?
→イエスは奇跡を通して、メッセージを伝えた。
「葉だけ繁らせていて、実を結ばないならば、切られる、枯らされる」
・・・当時のイスラエルの民への警告。
ルカ13:6-9のたとえ話「もう少し待ってください」と取りなす番人。
2つのストーリーをまとめる
→「実を結ばなくても憐れみの時があるが、いつまででも、ではない。」→実を結ぶ歩みへと招かれている。
1)実を結ぶとは?
①悔い改めの実(ルカ3:7-14)
 悔い改め・・・方向転換・・・自分中心から神に従う道へ
 
悔い改めの実・・・それにふさわしい歩みをする
②伝道の実(ヨハネ15:16)
 出て行って、伝えていくときに、救われる人が起こる。
③御霊の実(ガラテヤ5:22-23)
 聖霊が住んでくださる中で、与えられる品性。
2)実を結ぶために
実を結ばなければ・・・と、頑張って、実に注目して、実をつけようとすると「クリスマスツリー」状態に。
実を結ぶために必要なのは、
ヨハネ15:4-5「イエスにつながっている」

ルカ13:8「周りを掘って肥料をあげる」
詩篇1篇「流れのそばに植わった木」・・・みことば
山も動くことを信じて主に従って歩んでいく。
テイクアウトQuestions
1)実を結ぶとはどういうことでしょうか?あなたは実を結んでいると思いますか?
2)あなたは3種類の実の中で、どの実を結ぶことを大切にしたいと思いますか?
3)実を結ぶために、あなたの生活の中で何が必要だと思いますか?

 

2018年6月24日 『神と共に歩む喜び』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第21章12節〜17節

 

クリスチャンの歩みで一番大切なものは何?

礼拝に来ること?聖書を読むこと?お祈りすること?
「神と共に歩む喜び」「神の愛に感謝して歩むこと」
宮で商売していた人たち
両替
・・・ローマ皇帝の肖像付きのコインは神殿ではダメ。偶像礼拝。

     祭司たちの認めた肖像のないコインに両替する。
鳩・・・貧しい人々のささげもの、でも完全でなければならない。
    「いらないもの」ではなく、最高のものを神にささげる。
    「これは完全だ」と祭司が認めたものを売っていた。
どちらも手数料で祭司たちが儲けていた。
イエスは「わたしの家は祈りの家」だと神は言われた、と追い出す。
「神が子ども達の口に賛美を与えた」と子ども達の賛美を受け入れる。
神と共に歩む喜びは祈りと賛美の中に。
1)祈り
祈りは特別なことではない。神と語り合うこと。神と過ごす時間。
私たちが祈ることができるのは、イエスがいるから。

イエスの十字架によって、神との関係がつくられた。
祈りの中に主はおられる(マタイ18:19-20)
2)神と共に歩むところにある賛美
賛美は神様をほめたたえること。
神様は私たちの賛美を喜んでくださる。
賛美は天国に行っても続いている。・・・伝道も、説教も必要ない。
神は賛美の中に住んでおられる。(詩篇22:3)
テイクアウトQuestions
1)イエスはどうして、神殿で商売をしている人々に対して厳しい態度を取られたのでしょうか?どうしますか?
2)信仰生活の中で、一番大切なことは何だと思いますか?
3)祈るのが難しいと思う時はありますか?どうして、そう感じるのでしょうか?
4)あなたが好きな賛美の曲は何ですか?それはどうしてですか?

 

2018年6月17日 『あなたをつかんで離さない!』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書21章1節から11節

 

 

イエスが馬ではなく、ロバに乗ってエルサレムに入った思い。
平和の王として・・・軍馬に乗る勝利者ではなく。

軍馬に乗る勝利者は・・・私が勝ったんだから、私のいうことを聞け!
イエスは、事なかれ主義の平和ではなく、
誰かが我慢して実現する平和ではなく、
「シャローム」を与える方。
・・・内側から溢れる喜びと力。
そのためにはどうしてもロバが必要だった。
馬ではいけなかった。

馬がいなかったから仕方なくロバにしたのではない。
「主がお入り用なのです」
・・・平和の王として来られたイエスを示す存在。
「柔和」・・・日本では美徳のように思われている。
・・・ここでは、「惨めな」という意味を持つ言葉。
惨めな思いになる私たちのことをわかってくださる。
上から見下ろすのではなく、同じところに立ってくださるお方。

→究極は十字架。この箇所から、イエスの十字架までの1週間が始まる。
私たちを愛によって離さない神。ローマ8:35-39
テイクアウトQuestions
1)イエスはどうしてロバの子を用いられたのでしょうか?
2)平和の王としてこられたイエスは、当時の社会の支配者たちとどのように違っていたでしょうか?
3)このイエスを私たちの人生の王とする、とはどういうことだと思いますか?
4)私たちは神に従う時に、その動機は、恐れによって支配されていますか?愛によって支配されていますか?

2018年6月10日 『何をして欲しいのか』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書第20章29節〜34節

 

「何をして欲しいのか?」
叫び求める目の不自由な二人の人に「何をして欲しいのか?」
彼らの答えは「目を開けていただくことです」
21節でもヤコブとヨハネに「何をして欲しいのか?」と聞かれる。
イエスは今日も、私たちに「何をして欲しいのか?」と聞かれる。
あなたは、「何をして欲しいのか?」と聞かれたらどう答えるか?
1.認めてください!
ヨハネとヤコブの「大臣にしてください!」
19章27節のペテロの言葉から繋がっている。
→こんなにやったんだから、こんなに有能なんだから認めてください!
私たちは認められないと生きていけない。
イエスの答えは「あなたが頑張ったから、こんなにやったから、有能だから認められるのではない、その前から、存在自体が認められている」
私たちが罪人である時からひとり子を与えるまで、私たちを愛した神
・・・私たちの存在自体を認めてくださっている。
2.目を開いてください!
この目の不自由な二人の求めは、弟子たちの求めとは対照的。
何も「これだけやりましたから!」というものがない。
自分の貧しさ、足りなさ、それを知っていた。
ヨハネ9:41「見えると言い張るところに、罪がある」
わかっている、見えている、と思っている時にはわからない。
マタイ5:3「心の貧しい人は幸いである」
神の恵みは低いところに流れる。
<テイクアウトQuestions>
1)私たちの「私を認めてください!」との叫びにはイエスはどのように答えられますか?あなたはそれをどのように感じますか?
2)イエスは今日も私たちに「あなたは何をして欲しいのか?」と尋ねられます。あなたはどう答えますか?