2017年11月5日「貧しくなられた神の子」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書17章1〜8節

  • 序)
    イエスの栄光の姿・・・この1回だけ。3人だけ。復活まで黙っている。
    ・・・隠されていた。→この神の子がへりくだられた意味。
  1. 栄光を隠されたイエス
    モーセとエリヤ・・・OTを代表する2人。
    神と語る人・・・モーセは神と語ったあと、顔が輝いていた。
    イエスが輝いていたのは、本来の輝きだった。顔は太陽の輝きのように、衣は真っ白に。第2ペテロ1:16-17
    神様の栄光の輝き・・・本来、私たちは耐えられない。
イザヤ書6:1-5・・・「わたしは滅びるばかりだ」・・・畏れ。awe
    イエスは本来の輝きを隠していた。ピリピ2:6-11
    ・私たちの痛みや悩みや闘いをご自分のものとして経験。ヘブル4:14-16
  2. 山を降りられるイエス
    ペテロはこの光景を前に「ずっとここにいたい」と言い出した。
「小屋を3つ建てましょう」
    天からの声、「これにきけ!」と言われた。あなたが神に指図をするのではなく、あなたが聞くのだ。
    モーセもエリヤも人々に拒否された預言者。イエスも人々に拒否される。山にいたほうが楽だっただろう。山にいて栄光に輝く姿で、モーセやエリヤや弟子たちと一緒に。
    しかし、イエスは山を降りていった。降りたら何が待っていたか?
病の人々、弟子たちの不信仰。
    そして、十字架に向かっていく。ピリピ2:6-11
    私たちも山から降りるように招かれる。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスはどうして「これを誰にも言うな」と言われたのでしょうか?
    2)「小屋を3つ建てます」というペテロの提案の背後にはどんな思いがあったでしょうか?それに対して神はどう言われますか?
    3)私たちが「山を降りる」ということはどんなことを意味しているでしょうか?具体的に考えて、実行してみましょう。

 

 

2017年10月29日「神のことと人のこと」

説教者 : 錦織学 牧師
聖書箇所 : マタイによる福音書16章21〜28節

  • 序)23節のイエスの言葉:「神のことを思わないで人のことを思っている」
    この言葉は私たちすべての者へのチャレンジ。
    「神のこと-人のこと」
    神の視点−人の視点(New Living Translation)
    神の方法−人の方法(The Message)
    神のことを気にしている−人のことを気にしている(ESV, NIV)
  1. 人のこと
    イエスの受難予告・・・ペテロの信仰告白から始まる。
「イエスは神の子キリスト」という信仰
→それはどんな意味か明らかにされる。・・・受難と復活。
    22節のペテロの言葉:新改訳は「神の恵みがありますように」
原語のニュアンス・・・ペテロは神を利用した。
    人の方法・・・自分を守り、自分の夢、自分の願いのために神を利用
自分の夢、自分たちの国の独立、ローマに対する勝利、
  2. 神のこと
    「神のこと」なんかわからない?
イザヤ書55章8−9節・・・わからないことを前提に出発。
    続く10−11節。・・・御言葉に聞く。
神の方法・・・自分を与えることによって命を得る。十字架を負う・・・死刑宣告を受けた者・・・自分の夢、自分のこだわりを捨てる。
神様の大きなピクチャーの中で、私は生かされている。
損に見えるかもしれない・・・神様はそこに命を与える。
    まずそのために、イエスがご自身を与えてくださった。
私たちもその足跡を従うようにと招かれている。イザヤ55:12-23
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスがこのタイミングで受難と復活の話をされたのはどうしてでしょうか?
    2)イエスはどうしてペテロに厳しいことを言われたのでしょうか?
    3)人のことではなく、神のことを考えて生きるということはどうすればいいのでしょうか?

2017年10月22日「何が土台か」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書16章1〜20節

序)
建物の中で、外観よりも、玄関よりも、内装よりも土台が大切。
あなたの人生の土台は何か?教会の土台は何か?

  1. 他の土台
    2つの誤った土台
    1)しるし(奇跡)
    イエスに「しるしを見せてください」という人々。
    イエスの答え「この時代にはヨナのしるし以外にはない」
ヨナのしるし・・・イエスの十字架と復活を指す。
    十字架の下でも、「降りてきてみろ、そうしたら信じよう」の声。
    私達の信仰は「にも関わらず」「たとえそうでなくても」の信仰。
ダニエル書3章の3人。「たとえそうでなくても」
    2)行い(律法)
    パリサイ派・サドカイ派のパン種。・・・彼らの教え。
律法を守ることによって救われる。
    「パン種」は少しでも大きな影響を与える。
    宗教改革500年。ルターが回復したのは行いではなく信仰。
    ⇔「こんなに頑張っているのだから、愛される、認められる。」
  2. 信仰を土台とする
    弟子たちへの質問・・・人々は?<あなたは何と言うか?
    ペテロの答え「あなたこそ、生ける神の子キリストです。」
    この信仰の上に教会を立てる。
ペテロの信仰・・・自分の力を頼った、弱い信仰。
    →自分の弱さを思い知らされた神の力を頼る信仰。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの人生の土台は何でしょうか?
    2)「しるし」や「行い」が土台にならないのはどうしてでしょうか?
    3)ペテロの信仰はどのような信仰だったでしょうか?それが教会の土台になったとはどんな意味でしょうか?

 

2017年10月15日「イエスに満たされる」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章29節〜39節

  • 序)
    「人はパンだけで生きるものではない」・・・これに続く言葉は?
    人はものだけがあればそれで十分という存在ではない。心の満たし。
    人々の癒し、解放、満腹も、イエスが私達の魂を癒し、解放し、満たしてくださることを示している。
  1. 私達の魂を解放するイエス
    イエスのもとに連れてこられた方々、手や足、口や目が不自由だった。彼らを癒された。
→イエスは魂の手を、足を、口を、目を解放し、癒やしてくださる。
    水野源三さんの証し。
    あなたの口は?あなたの目は?あなたの手はあなたの足は?
  2. 私達の心を満たすイエス
    7つのパンと少しの魚で4000人の人々を満腹に。
→「人はパンだけで生きるものではない」を前提に読む。
    宝くじに当たった人のその後・・・必ずしも幸せではない。
    心を満たすパンが必要。・・・命のパンであるイエス。
→最後の晩餐。→十字架のイエス。
    十字架のイエスこそ、私達の心を満たす方。
    状況は変わらない。でも内側が変えられる→状況にインパクトを与える。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの心の状態はどのような状態でしょうか?
    2)あなたの心の内側の状態は、あなたの生活にどのような影響があるでしょうか?
    3)イエスはどのように私達の心を満たしてくださるのでしょうか?

 

2017年10月8日「小犬の信仰」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章21節〜28節

  • 序)
    イエス「あなたの信仰は立派だ」・・・どんな信仰?
    1節からのパリサイ派の人々とは対照的。
    「小犬のような信仰」・・・あまりかっこよくない。そこがまた大切。
  1. 資格がないという自覚
    自分は小犬だ、ということを受け入れた。
    「小犬」・・・今は家族の一員⇔この時代はかなり侮辱的。
    私達の信仰のじゃまになるもの・・・「プライド」
    放蕩息子・・・「あなたの息子と呼ばれる資格はない」
    マタイ5:3「心の貧しい人は幸い」
  2. 神の豊かさへの信頼
    神の恵み・・・パンくずでも十分だ・・・それほど豊かで大きい。
    詩篇81:10「あなたの口を広く開けよ。私はそれを満たそう」
    5つのパンと2匹の魚で人々が満腹になった。パンくずが12かご一杯。
    ダビデがゴリアテを打ち倒した時ダビデの袋の中には石が4個残ってた。
    勝ち得て余りある。ローマ8章37節
  3. 神のなさることへの信頼
    イエスは沈黙された。
    イエスは「ユダヤ人に遣わされている」と言われた。・・・神の救いの計画。十字架まではユダヤ人を通して、世界の人々に祝福を。イエスの十字架によって、全世界の人々に祝福を与える。
    神様の思いは私達の思いを超え、理解し難いことがある。
→それでも、神を信頼する。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスの沈黙にはどんな意味があると思いますか?
    2)イエスに「小犬」と言われた時に、この女の人はどんなふうに感じたと思いますか?
    3)この女の人の信仰と、あなたの信仰はどこが似ていますか?どこが違いますか?

 

 

2017年10月1日「外からではなく」

説教者 : 錦織学牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書15章1〜20節

  • イエスと当時の宗教家たちとの対立。外側ばかりを気にしていた人々。
彼らを「嫌な奴ら」と片付けるだけでは不十分。
聖書は「あなたはどうですか?」と問いかける。
  1. 外側を気にする私達
    「どうしてあなたの弟子たちは手を洗わないで食べる?」
・・・「汚い!」とかそういうことではなく、儀式として手を清める。
    イエスの反論「あなたがたは言い伝えによって神の言葉を無にしている
「父と母とを敬え」⇔「これは神にささげます」(言葉だけ)
    口に入れるものが人を汚すのではなく、口から出るものが汚す。
内側から溢れてくるものが問題。
    あなたの内側には何がありますか?あなたの内側はどうですか?
    オートバーグ「あなたがずっと求めていた人生」
外的な基準・・・何章聖書を読む、何時間祈るとか。
本来の基準・・・「自分は神と人とをますます愛することができるようになっているか?」
  2. 内側に住んでくださる聖霊様
    外側ではなくて内側が問題だとイエスが言われた・・・私たちは困る。
外側はコントロールできても内側はどうにもならないから。
→聖霊様に満たしていただく。聖霊様にきよめていただく。
    使徒行伝1章6-8節。14節・・・祈り待ち望む。
    使徒行伝2章1-4節・・・キリストの証人となる。涌き上がる。
十字架と赦しを証ししないでいられなくなる。
    ガラテヤ5章22-23節・・・品性を整えてくださる。実を結ばせる。
    ルカ11章13節・・・求めること。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは自分の外側が気になる方ですか?内側が気になる方ですか?オートバーグが言っていることはわかりますか?
    2)内側の問題のためにはどのようにすればいいでしょうか?
    3)聖霊に満たされる時に、聖霊様に働いていただく時にどんなことが起こるでしょうか?

 

 

2017年9月24日「わたしだ、恐れるな」

説教者 : 錦織学 牧師

聖書箇所 : マタイによる福音書14章22〜36節

 

奇跡・・・「こんなことあったわけがない!」「あったんだ!」を議論することよりも、奇跡に込められたメッセージを聞くこと。

  1. 逆風の中で近づくイエス
    イエスは無理やり弟子たちを向こう岸に送った。
イエスに従うなら、順調に行くだろう・・・と期待する。
でも、そこに逆風が吹いてきた。
    イエスの訓練・・・イエスを信頼する訓練。
弟子たちはイエスを肉眼では見なくなる。→しかし、イエスは共におられる、ということを経験する訓練。
    私達も神が共におられることを感じられない、思えない時にも、共にいてくださることを信頼すること。
    「わたしだ、恐れることはない」と語ってくださるイエス。
  2. 溺れかけたペテロを引き上げるイエス
    喜んだ弟子たち、その中でペテロが「水の上を歩かせて下さい」。
    イエスの招き・・・おいでなさい。
    ペテロは踏み出した・・・信仰は冒険。イエスに従って踏み出す冒険。
    でも、ペテロは途中で風を見た。自分を取り巻く状況を見た。
    イエスを見ていた時は大丈夫。状況に気を取られて恐れるとダメ。
私達もイエスから目を離さないで歩こう。状況に振り回されないで、イエスを見つめて歩こう。イエスの言葉を信頼しよう。
    でも、失敗したペテロをイエスは見捨てなかった。引き上げた。
    チャレンジ・・・ペテロが踏み出した時に、他の弟子たちが経験できなかったことを経験した。水の上を歩くこと。イエスの力。
  • テイクアウトQuestion
    1)イエスに従っていく時に、どうしてこううまくいかないのだろうという経験はありましたか?どうしてでしょうか?
    2)イエスはどうして、弟子たちを先に行かせたのでしょうか?
    3)ペテロは水の上を歩いてよかったのでしょうか?そんなことしなかったほうが良かったのでしょうか?

 

 

2017年9月17日「それをここに持ってきなさい」

・聖書箇所 : マタイによる福音書14章13節〜21節

・説教者 : 錦織学 牧師

  • 5000人の給食・・・奇跡にはいつもメッセージがある。そのメッセージを聞く。「それをここに持ってきなさい」これはあなたのストーリー。
  1. 主はあなたを用いられるから
    問題の大きさ。男だけで5000人の人々だから全部で1万人以上。
    できない。不可能。問題の大きさに圧倒される。
    「あなたがたの手で」と言われた時に、本当に弟子たちは途方に暮れた
    自分の手の中に「5つのパンと2匹の魚しかない」。
    「そんなの役に立たない」という声。ヨハネによる福音書のアンデレの言葉。
    私たちは自分の手の中のものを見て、「これしかない」という。
    でも、イエスは「それを私のところにもってきなさい」と言われる。
  2. 主が奇跡をなさるから
    イエスのもとに持っていった時に、イエスはそれを喜んで、祝福された。
    「あなたがたの手で」と言われたイエスであるが、結局、イエスがこの奇跡をされた。
    イエスが私達を用いてくださるとき、「関知しない」「成功を祈る」ではなく、イエスは私達のすべてに責任をもってくださる。私が一緒に行くから。私が私のわざをするから。
    私達の訓練は、イエスを信頼する訓練。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたの手の中には何があるでしょうか?神様はあなたに何を託されたでしょうか?
    2)私達が「こんなの役に立たない」と思うのはどうしてでしょうか?
    3)あなたが主に仕えていく時に、主はどこにおられますか?何をしてくださるでしょうか?
    4)私達が神様に仕えていく時に、孤独を感じることはありますか?それはどうしてでしょうか?

 

 

2017年9月10日「恐れを追い出すもの」

・説教者 : 錦織学 牧師

・聖書箇所 : マタイによる福音書14章1節〜12節

  • 恐れ。・・・私達にとって大切なもの
・・・危険、避けるべきことの察知、
    しかし、恐れるべきものではないものを恐れ、恐れるべきものを恐れない・・・罪の結果。創世記3章。
  • ヘロデ・・・人を恐れて、人の反応に振り回された人。
自分の兄弟と恋に落ち、自分も妻を離縁し、相手も離婚させて自分の妻とした・・・ヨハネはそれを「間違っている」と責めた。
ヨハネを捕らえて、投獄。群衆を恐れて、またヨハネの話を聞きながら、「こいつは間違っていないぞ」とヨハネの正しさも恐れていた。
でも、最終的には自分が人前で誓ったことを引っ込めると人々はどう思うかと、恐れて、ヨハネの首を切ってしまった。
  • 恐れに支配されない人・・・ヨハネ、イエス。
  • 恐れに支配されないために、恐れを追い出すもの2つ。
  1. 神を恐れること
    バプテスマのヨハネは神を恐れ、神の命じられることを語った。命を奪われることを恐れず、大胆に語った。
    牢に入れられたあとも、相手が王(領主)であってもひるまなかった。
    イエスの言葉「からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。からだも魂も滅ぼすことのできる方を恐れよ」マタイ10:24-33
  2. 愛に満たされること
    神を恐れるとともに、神に愛されて、受け入れられているその愛に満たされること。神の子として受け入れられている。
    第一ヨハネ4:18−19「完全な愛は恐れを取り除く」
    神の愛は十字架に表わされている。
  • テイクアウトQuestion
    1)あなたは何を恐れていますか?それは本当に恐れるべきものでしょうか?
    2)恐れから解放されるために何が必要でしょうか?それはどのように与えられるでしょうか?