2019年1月27日『真理はあなたを自由にする』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書(John) 8:31-32

  • 今年、教会のために与えられているみことば。
  1. 自分を縛っているものを知る
  • イエスを信じた人たち→最後はイエスを殺そうとした。
    ・・・33節「私たちはもともと奴隷になんてなったことはない」
  • 第一コリント8章2節「知っていると思っている人は知らない」
    自分が何かに縛られていると知ることがまず大切。
  • 何に縛られているのだろうか?
  • 「罪」「死」「律法主義」「過去の傷」「恨みや怒り」
  • 全ては認めるところから始まる。
  1. 神の子の自由
  • イエスを信じる者たちは自由を与えられる。
    神の子としての自由。ローマ8:15
    神の子として、神を信頼して歩める自由。⇔ 奴隷として、ビクビク歩む。
  • もう2度と奴隷のくびきに繋がれてはいけない・・・ガラテヤ5:1
    奴隷のくびき ⇔ イエスが私たちのために準備してくださっているくびきマタイ11:30「わたしのくびきは負いやすく」・・・「ぴったりフィットする」カスタムメイド。
  • 他の人とは違う。違っていい。違わないといけない。
  1. 隣人のための自由
  • ガラテヤ5:13-14
  • 私たちの与えられた自由は、自分勝手に生きるためではない。隣人に仕えるため。隣人を愛するための自由。

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは自由ですか?あなたは何かに縛られていますか?あなたを縛っているものは何でしょうか?
  2. イエスはどのように私たちに自由を与えてくださるのでしょうか?自分が今まで経験した「解放」はどのようなものだったでしょうか?
  3. あなたはイエスによって与えられた(与えられる)自由を、これからどのように用いていきますか?

2019年1月6日『イエスに触れる』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネによる福音書20章30節〜31節

  • 4つの福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)
    一つのイエスの生涯を、4人の人が書いた。
    4つの角度から書いた。・・・でも共通のメッセージもある
  • マタイ・マルコ・ルカは似ている。・・・共観福音書。
    マルコが最初に書かれて、マタイとルカはマルコを参考にした。
    イエスの伝記→「この方はほんとうに神の子だった」
  • ヨハネ・・・最初からおられた神の子→人となってくださった。
  • マタイ・・・ユダヤ人に向けて書かれた。イエスは旧約聖書に予言されてきた救い主。ユダヤ人の王。→世界の救い主。
  • マルコ・・・イエスは神の子、神のしもべ。人々に仕える方。イエスの言葉よりも、イエスの働き。「すぐに」という言葉の多用。
  • ルカ・・・テオピロというローマの高官宛。イエスは「ほんとうの人」として歩まれた。「良きサマリヤ人」「放蕩息子」「ザアカイ」など。
  • ヨハネ・・・最初からおられた神の子であり、言であり、光であり、命を与える方が、この世に来られた。私たちに命を与えてくださる。

→4つの角度から見ることによって、イエスの生涯が本当に豊かなものとして分かってくる。・・・聖書を通してイエスに触れる。

  • 共通するメッセージ。・・・イエスはご自身を与えてくださった。
  • 当時の当たり前の「王」「神のしもべ」「神の子」「救い主」「ほんとうの人」とは違う、革命的な形でご自身を表された。
  • 十字架の人々の言葉。「神の子なら、イスラエルの王なら、救い主なら、そこから降りてきてみろ」・・・サタンの誘惑の延長。
  • イエスはその期待には応えず、自分を与え尽くされた。
    →私たちはどのように応えるのか?

<テイクアウトQuestion>

  1. どうして、聖書には4つの福音書が入っているのだと思いますか?
  2. その4つの福音書に共通するメッセージはどんなことがあるでしょうか?
  3. あなたは全てを与えられたイエスにどのようにお応えしようと思いますか?具体的にお応えすることができるのはどんなことでしょうか?

2018年12月30日 『注がれた愛を知る』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ヨハネ第一の手紙3章1節

  • 今年のみ言葉・・・神の愛を味わう。
    →外側を飾るのではなく、内側から溢れるもの。
  • 私たちはどれだけその恵みをあじわってきただろうか?
  • キャンドルライトサービスから「関係ない」と「必要ない」
  1. 「救い主は関係ない」と感じている人への神の愛
  • 「教会は自分のような者の行くところではない」と思っておられる方がおられる。
  • イエスの誕生の場面の羊飼いたち。・・・飼い葉桶のしるし「これこそが救い主なんだ!」という神からのメッセージ。
  • 放蕩息子の弟息子。・・・自分には資格がない。
    でも、父は彼を抱きしめ、息子として受け入れた。
    洗ってこい!誠意を見せろ!ではない。
  • 神は、イエスの十字架ゆえに、私たちのことをそのように受け入れてくださる。
  1. 「救い主は必要ない」と感じている人への神の愛
  • 自分は大丈夫、と思っている人。
  • 放蕩息子のお兄さんの方。
    「自分はこんなに頑張ってきた!」
  • ほとんどの方々がこうだろう。
  • 私の使命がここにあることがはっきりした。
    自分もそうだったから。
  • 本当に神の愛がわかっていますか?
    ・・・第一ヨハネ3:1は教会の人へのメッセージ。
  • 頑張っても偽善者にしかなれない私たちも愛されている。

<テイクアウトQuestion>

  1. あなたは放蕩息子のストーリー(ルカ15章)を読む時には、兄と弟、どちらに自分を重ね合わせて読んでいるでしょうか?
  2. 神様の愛はあなたの人生のどこに注がれていると思いますか?
  3. この一年、あなたはどのように神様の愛を味わうことができたでしょうか?

2018年12月23日 『王としてこられた救い主』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: マタイによる福音書2章1節〜12節

 

 

愛の反対語は何?
  • 憎しみ?
  • 無関心?
  • 恐れ?
    「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く」(1ヨハネ4:18)
  • 今日の聖書箇所に出てくる二人の王。
  • ヘロデ=恐れに支配されている王
    多くの功績をあげて、「大王」と呼ばれている。
    しかし、恐れに支配されていた。
    自分の地位を脅かすものを抹殺していった。
    周りの人々も恐れていた。「ヘロデ王は不安を感じた」
  • 周りの人々も恐れで支配しようとする。
    自分が恐れで支配されていると、周りの人も恐れさせる。
  • もう一人の王=「ユダヤ人の王としてお生れになった方」=イエス
    権力も、軍事力もない。
  • 自分を与えることによって、人々の心を掴み、王となられた。
  • サタンの誘惑・・・豊かになって満足せよ。
  • 十字架の下の人々の声・・・他人を救ったが自分を救えない。
⇔イエスは自分を十字架に与えることによって、私たちの王となる。
  • 愛に支配されると、恐れる必要がない。自分を守ろうとする必要もない
  • 今、ヘロデを王とする人々はいない。しかし、イエスを王とする人々は世界にあふれている。あなたは誰を王とするか?
<テイクアウトQuestion>
  1. 「愛」の反対語、どんなことが心に浮かびますか?どうしてそう思うのでしょうか?
  2. 恐れに支配されている時、私たちはどのように行動するでしょうか?
  3. 愛に支配された生き方ってどんな生き方でしょうか?

2018年12月16日 『主を喜ぶ』

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: ネヘミヤ記 8章1節〜12節

 

  • 「主を喜ぶことはあなたがたの力です」
    「主を喜ぶ」ってどういうこと?
    「神様がこんなことをしてくださったから喜ぶ」とかならわかりやすい。「病気が治った」「商売がうまくいった」「学校に合格した」・・・
    「神が愛してくださったから」「イエスがお生まれになったから」
    ・・・これは近い。
    でも、「神を喜ぶ」とは?
  • ローマ5章に出てくる3つの喜び。
    「永遠の希望を喜ぶ」(2節)「患難をも喜ぶ」(3節)「神を喜ぶ」
  • 神を喜ぶ・・・経験するしかない。でも、この世にも似たようなこと。
    • 恋愛・・・どうして好きになったかわからない。存在自体が嬉しい。
    • 子供が生まれた時・・・「無条件でかわいい」
    • 誕生日・・・存在自体を喜ぶ、お祝いする。
  • まず、神様が私たちの存在を喜んでくださったから。
    罪人のために死なれたイエス。
  • インマヌエル・・・神が我らと共にいる
  • 放蕩息子のお父さん、その息子をそのまま、丸まま、受け入れた。
<テイクアウトQuestion>
  1. 「神様がこうしてくださったから喜ぶ」という場合にどんなことを思いつきますか?それらのことと「神を喜ぶ」とはどのような違いがありますか?
  2. 神はあなたを喜んでおられると思いますか?どうしてそのように思うのですか?
  3. 日々の生活の中で「神を喜ぶ」ために、どんなことをしていますか?あなたはどんな時に神を喜んでいるでしょうか?どんなことが助けになるでしょうか?

2018年12月9日 『羊飼いなる救い主』

 

説教: 錦織学牧師

聖書箇所: エゼキエル書34章11節〜16節

 

 

羊は迷いやすい。
イスラエルの指導者たち、羊を養うのではなく、食い物にする
→これからは私が羊飼いだ、と神は言われる。→救い主の預言。
1)羊を養う救い主
神様は、私たちを探してくださった。
気がつかない時にも、あなたを導いてこられた。
神様は私たちを集めた。違う存在を集めた。イエスの弟子たちも。
養う。・・・泉のほとりで養う。
・・・愛で養う。愛されているなあ、という経験、肯定。
基本的信頼。「幼子のようにならなければ」
2)弱い者に注目する救い主
失せたもの、迷い出たもの、傷ついたもの、弱ったもの、そのようなものに対する神の特別な思い。・・・これが公平。
イエスがこの世に来られた時に、飼い葉桶の中に寝かされていた。・・・「それがしるしだ」(ルカ2:12)・・・このしるしは、シンボル。
羊飼いに神様はご自身をidentifyされた。
降りてきて、私たちと同じところを歩まれた。底辺を歩まれた。
イエスは「私は仕えるために来た」(マルコ10:45)と言われた。本当に私たちに仕えて、ご自身を十字架に与えてくださった。
イエス様が仕えてくださったその恵みをいっぱいに味わうこと。
イエスが弟子たちの足を洗った時のペテロに対するメッセージ。
<テイクアウトQuestion>
1)あなたは迷うことはありますか?どうして迷うのでしょうか?どんな時に迷いますか?何があなたを迷わせるのでしょうか?
2)神が、私たちの羊飼いであると宣言してくださいました。イエスは羊飼いとして世に来られました。神は、あなたにとってどんな羊飼いでしょうか?
3)神は弱い者に注目することによって公平であると言われました。そのことについて、あなたはどう思いますか?