「パズル」

アメリカに来て1年半、この教会に来るようになって約半年が経ちました。
生まれてからすぐに日本へ行き、それからずっと同じところに住んでいて、1度も「転勤」を経験したことのなかった私にとって、この引越しはすごく大きな出来事でした。

引越しが決まったのは2006年の秋頃、中学1年のときでした。父の仕事の都合上、いつかは必ずアメリカに引っ越すときが来る、というのは分かっていましたが、実際にそういうこととなると、そう簡単なことではありませんでした。
まずは転校したくないということ。しかも中学受験をしてやっとの思いで入った学校。ちょうど学校にも慣れ、楽しくてしょうがないという時に転校なんて、正直ありえないと思いました。しかし現実は現実。引越しの準備は着々と進んで行き、とうとう引越しはやってきました。初めて転校をし、たくさんの人との別れを経験しました。
また、新しい生活への不安とは反対に、同じクラスだった帰国子女の友達が英語をぺらぺらしゃべっているのを見て、「アメリカに行けばすぐに英語なんてしゃべれるようになる」単純にそう思って羨ましがり、わくわくしながらニューヨークの空港に着きました。

しかし、待ち受けていたのは、想像以上の苦労でした。
新しい学校、新しい友達、新しい環境、カルチャーショック。しかも英語がしゃべれないので、言いたいことも思うように言えず、かなり疲れていました。学校に行っても、日本人が何人かはいるもののなんとなく落ち着かず、毎日のように、日本に帰りたいと思っていました。改めて今までの友達の存在の大きさを感じました。
そして一番大きかったのは、教会がないことでした。
私が洗礼を受けたのは2001年クリスマス、小学校2年生のときでした。母がクリスチャンなので、小さいときから母に連れられて教会に行っていて、教会に行くのが当たり前のような感じでした。たくさんの人たちに囲まれ、神様の愛にあふれた生活でした。
引っ越して最初の頃は、母と一緒に近所のアメリカ人の教会にも行きましたが、なんとなく居心地が悪くて、それも何度か行っただけで行かなくなってしまいました。
それから約一年、教会に行かない日が続きました。まぁ日曜日に教会に行かないんだったら、友達とも遊べるしそれでもいいかなぁ、とか思っていました。
しかし、教会に行かない生活は今までと違っているような感じがしました。自分の中で教会の存在が大きかったことに改めて気づきました。
とは言っても、教会がない。アメリカ人の教会しかないかなぁ・・・。と思っていたとき、母がちょうどインターネットでこの教会を見つけてきて、行ってみることになりました。
初めて行ったときは緊張していましたが、行ったら中高生の人たちが迎えてくれて、すごく嬉しかったです。それから毎週通うようになりました。中高生の集会もあり、教会に来るのがすごく楽しく思えました。

そしてこの前の夏、一人で日本へ一時帰国したときのことです。ずっと帰りたいと思っていた日本。すごく楽しかったけど、1つ感じたことがありました。それは、時間は進んでいるということでした。前の学校に行ったとき、みんなすごく成長していて、自分は全く成長してないかのように思えました。また、教会にも新しい人、知らない人が増えていて、あ、やっぱりものなんだと思いました。一年以上も経っているのだから変わっていてあたりまえなのに、なんとなく寂さと焦りを感じました。
そんなとき、教会のこどもの祈り会でこの御言葉を聞きました。

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める。祝福の源となるように。  創世記12:1、2

寂しさと焦りは消え、ふと、神様は何か意味があって私をアメリカに行かせたんだ、沈んでばっかいないで、今おかれている場所で頑張らなきゃいけないんだと思えるようになりました。

8月、アメリカに戻ってくると、Joy Joy Campとファミリーキャンプがありました。いつも以上に神様のことに触れることが増え、すごく祝福されたときでした。
また、キャンプを通して中高科のみんなとも仲良くなれました。学校にも友達はたくさんいるけど、やっぱり教会の友達っていいなぁと思いました。何でも安心して話せるし、何よりも、神様っていう共通点がある。すごく大事な存在です。

あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えてくださいます。コリントの信徒への手紙一 10:13

すべては神様の計画であって、無駄になるようなことはひとつもない。もしここに引っ越してこなかったら、あのときこの教会を知ることがなかったら、すべてのことが今と全く違ったかもしれない。この、パズルのような道を神様はすべてまっすぐにして待っていてくださる。試練があっても絶対に乗り越えることができる。そして、今ここにいるのも神様の計画の内。
すべてを備えてくださり、導いて下さる神様に感謝します。

月報2008年12月号より

「振り返って」

今年の8月で受洗してから3年がたちました。けれども今まで一度もあかしをしていませんでした。次々と受洗された方のあかしを読んでは、わたしはまだしていないとうしろめたい気持ちでいっぱいでした。

なぜ、今までほとんど信仰を持たなかった私が洗礼を受けようと思ったのか。主人の仕事のことでいろいろあって、不安と不満が入り混じり、泣いたり、怒ったり不安定な気持ちの毎日でした。
そんな時、Tenaflyの教会で三浦光世さんのお話を聞く機会が与えられ、元綾子さんの秘書であった方の讃美歌を聞いて涙が止まりませんでした。そんな心に響く歌を聞いて泣いたのは、私だけではなかったでしょうが、私は自分で私の心は病んでいると思い込んだのでした。
それからしばらくして、イースターに今度はMaywoodの教会に招かれ、その後、ほとんど毎週、教会へ足を運ぶようになりました。
教会ではいつも涙が出てきました。その涙が私の心を洗ってくれていたのかもしれません。少しずつ気分が落ち着いてきて、私は心の病から救われた感謝の気持ちとして、洗礼を受けようと決心したのです。

錦織先生に私の気持ちを話し、何週間か洗礼を受ける準備をして頂きました。そのとき、少し今までのことを話しているうちに、全くキリスト教に結びつくものはないと思っていたのが、そうでなかったことを発見しました。

母が近所に住んでおられたクリスチャンの方のお葬式に参列し、白いカーネーションを一本ずつ献花してとてもシンプルでいい式だったと話してくれたこと。
(その方は杉山さんといいましたが、いつもニコニコされていたのを思い出しました。)

中学の時、英語塾に通っていた道にインマヌエル教会と立看板が示されていて、何のことかな、といつも気になっていたこと。
(正直に言いますと「インヌマエル」か「インヌマニエル」とうろ覚えで、先生から「インマヌエル」と訂正して頂きました。)

北海道稚内市で、友だちのレストラン“おつな”に三浦綾子さんが三、四人で来られて、一言、二言、話しかけられたこと、首に大きな十字架をかけられていたこと。
(その時はキリスト教の事のはずもなく、召し上がられたお料理の事でですが・・・)

等々です。

そして、マタイによる福音書第一章を読んだ時、インマヌエルという文字を見つけて、それが“神はわれらと共にいます”という意味であることを知りました。

あかしを少しずつ書き始めていた頃、9月28日の礼拝で「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書13章34節)を聞き、なぜか私に今一番足りないものはこれだ、と心に響きました。初めて聞いたわけではない、何度も聞いてきた言葉のはずですが、そのときには特別に心に届いたのでした。「御言葉が与えられる」というのはこういうことなのか、と思わされました。

働いても働いても楽にならない生活。主人のこと、子供たちのこと、日本にいる母たちのこと、心配で不安なことは、まだまだありますが、これから信仰生活を送る一生の課題としてこの言葉が与えられたと確信しました。どうぞこの言葉に一歩でも半歩でも近づけますよう、導き、見守ってくださいますようにお願い申し上げます。

月報2008年11月号より

「私は3人きょうだいの長女で…」

私は3人きょうだいの長女で、両親や祖父母に大事にされて育ちました。小学校5年生の時、父親の兄に会いました。東京の音大を出た伯父はクリスチャンで、九州のミッションスクールに転任になるのでお別れにと、父が私たちを連れて会いに行きました。「それでは元気で、さようなら。」と別れたことを覚えていますが、その後一度も会ったことはありません。その伯父の勧めで父は私と妹をカトリックの日曜学校に通わせ、自分も聖書を読むようになったようです。その頃よく訪ねてきたエホバの証人の人たちと議論をしていましたが、自分が教会に行くことはありませんでした。私と妹は2年ほど教会に通いましたが、中学生になると足が遠のき、いつか行かなくなりました。でもその教会での思い出はいつも懐かしく、時々こっそり前を通ったりしていました。
結婚してコロラドに住んでいたとき、夫の同僚から、自分の行っている教会のクワイヤーが伴奏者を募集しているのでやってみたら、と勧められて、オーディションを受けたのですが、「私はクリスチャンではありません、家は仏教です。」と言いました。後日採用の知らせがあった時も、「クリスチャンではないけど良いのですか?」とたずねたところ、「良いです。」と言われて、「へえ~」と思いました。お金をいただいて、週一度の練習と礼拝に出ているうちに、子供の頃通った教会で聞いたお話を思い出して、「ああ、そうだそうだ。こんなこと聞いた。」と懐かしく思いながら、毎週の礼拝を楽しみにしていました。皆に温かく接してもらい、女性の祈りのグループや教会のいろいろな行事に出席するうち、私もこの教会の一員になりたいと思うようになりました。居心地がとてもよかったのです。私に子供が与えられるようにと祈ってくれた友達のことも忘れられません。9年間子供がなかったのに与えられ、皆にお祝いしてもらいました。教会での幼児洗礼式を見て、自分の子にも洗礼を受けさせたいと思い、牧師先生に相談したら、「あなたも一緒に洗礼をうけたら?」と言われました。夫に言うと、「いいよ。」とあっさり承諾してくれたので、驚きました。でも、少し不安があったので、「私に従いたいと願うなら家族を捨てて云々・・・とあるけれど、私には捨てられません。」と牧師先生に言うと、癒されてイエスについていきたいと言った男に、家族のところに帰るように、とイエスが言われた、ということを話してくださいました。そして、私を通して家族が救われる、と言われたのです。とにかくその時はまだ聖書の学びもしておらず断片的な知識しかなかったので、「救い」の意味も良く分からず、友人が「I am so happy! You will be saved!!」と言ったのを聞いて、「Saved? Yeahノ,I think soノ」と答えたのを思い出します。
夫の仕事で日本に戻る日が近づいていたので、ろくに受洗前の学びもせずに洗礼式となりました。教会のたくさんの人に祝福されて、夫もその日は教会に来てくれて、喜びの中で洗礼を受けましたが、次の週には、「クリスチャンが1%しかいないという日本に直子を送り出します。直子のために皆で祈りましょう。」と言ってみんなに送られて日本に戻りました。
アメリカから移り住んだ山形には親戚知人が誰もいなくて、6ヶ月の子供を抱え、心細い思いをしていました。その頃モルモン教の人たちがいつも自転車で街を走り家々を訪問しており、うちにも若いアメリカ人や日本人が伝道に来ました。彼らと話しているうちに「やっぱり教会に行かなくちゃ。」と思ったのです。私が導かれたのはウェスレアンホーリネス山形南部教会、ちょうど同じような年代の子供を持つ人たちが何人かいて居心地が良く、娘とふたりで13年間お世話になりました。そこで受洗後の学びをし、勉強会や祈祷会などを通してイエス・キリストのことが少しずつ分かるようになりました。あまり熱心に学んだわけでもなく、ゆっくり少しずつ、時には抵抗も感じたり疑問を持ったり、ほかの事を優先したくなったり、本当にのろのろとした歩みではありますが、背中を押されたり手を引かれたりしながらここまで来ました。
山形での13年間は、子どもを通しての恵みと自分の音楽の仕事での恵みがたくさんありました。自宅でピアノを教えるほか、娘の通ったキリスト教の幼稚園のお母さんコーラスの指導や伴奏、教会での奏楽の奉仕と特別伝道集会でのコンサート、そのほかいろいろなところで音楽を通しての奉仕をさせていただけたのがとても祝福でした。もうひとつ私が10年間続けた活動がありますが、いくつもの国の紛争や内戦を生き抜いている人たちを映像と音楽で紹介するというNGOグループのコンサートでした。初めは山形近辺、東北地方、そして関東に足を伸ばし、もっと遠くの地域まで活動範囲を広げていきました。学校やPTA、公民館や県の国際交流課などの企画で呼ばれ、いろいろなところでコンサートをしました。とても良い内容でやりがいのあることのように思え、楽しくてやっていたのですが、その活動がだんだん忙しくなり、遠くまで出かけて泊まりになったり帰りが夜中になったり、仕事が日曜日にまで入るようになって、礼拝に出るのが難しいときもありました。礼拝に出ても後奏を弾き終えるとすぐ飛びだして行ったり、奏楽が義務のように感じられてきました。毎日忙しく活躍してすごいね、とひとに言われてそれが嬉しい反面、忙しさで気持ちががさがさしていました。そんな時、牧師先生に、「日曜日は礼拝に出る、仕事は入れない、ということにしたらいいですよ。はっきりそう決めたらかえってうまくいきますよ。」と言われました。いつの間にか高慢になって、神様より自己満足のための活動を優先しようとしていた自分の心を示されて、「そうか。そうしてみよう。」と思い、「日曜日は教会に行くので仕事は入れられません。」と言うことができました。するとすんなりとそれは認められて、何も心配することはなかったようにうまくいきました。ところが今度は別の、人間関係の難しい問題が出てきました。良い目的でやっているはずなのに、世の中何が正しいのか何が普通なのか、私がおかしいのか、と信じられなくなってしまうことがいくつかあり、神経の磨り減る思いをするようになりました。それでも続けていたのは、ステージに立つ楽しさと、自分がここまで作り上げてきたのに、という執着でした。もういよいよ耐えられないと思うようになった頃、NGO団体の内部の問題が表面化してごたごたが起こり、何人かがやめ、私もやめる決心ができました。いくら良いことのように見えても、人間の思いによるものでは限界があると思い知らされた出来事です。それからはピアノ教室も心を込めて教える余裕ができ、幼稚園のお母さんコーラスで賛美歌を教えるのが本当に楽しく、教会の奏楽も感謝してできるようになり、さらに牧師先生たちの宣教グループの事務の仕事までいただいて、精神的にも経済的にも恵まれました。クリスチャンになるにもドンと背中を押されるようにして洗礼を受けてスタートを切ったようなものだし、自分の信仰にも自信のない私が教会にずっとつながっていられたのは奏楽の奉仕と教会学校に行きたがった娘のおかげですが、それによっていただいた祝福は計り知れません。そして牧師先生方や教会の人たちによる祈りに支えられてきたことを思い、本当に感謝です。
ニュージャージーに来て一年間、教会を離れて心が弱ってくる思いを経験しましたが、この時期があったからこそ、今の教会に集えることの喜びが大きいのかもしれません。今も辛いことや祈りの課題はいろいろあるし、これからもあるでしょうが、神様が最善をなしてくださると信じ、「あなたが私を選んだのではない。私があなたを選んだ。」という御言葉を信じ、神様が私にどんなご計画をお持ちか楽しみにしています。教会につながり、聖書を学んで、恵みとエネルギーをいただきつつ、「主イエスを信じなさい。そうすればあなたも家族も救われます。」との希望を持って、祈りつつ歩んでいきたいと思います。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4:6-7) 心強い御言葉に感謝です。

月報2008年10月号より