- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : ルカによる福音書14章7節-11節
「わたしの出エジプト」
1970年2月、40年住み慣れた日本を去り一路ニューヨークに飛び立ったわたし、以来早39年目、人生の半分をニューヨークで過ごすことになるとは夢にも思わぬ事でした。
人生は、人の思い、計画の及ぶところではなく、神の計画と導きによって展開されることは、死から命に移された私が今日在ることからも明らかです。
一人の事業家の招きでニューヨーク行きが決まり、当時でもなかなか取れぬE2ビザが与えられ、一年後には家族揃って新しい地での生活が始まりました。
ニューヨークの生活を始めた頃は、この地が人生に結実を与えられる神の約束のカナンの地であることには気がついていませんでした。司祭であった叔父から幼児洗礼を受けていた私がジャスティン春山牧師により信仰生活に導かれ堅信礼を受け、妻も二人の娘たちも夫々自らイエス・キリストとの出会いによってクリスチャンとしての歩みを始まることが出来る喜びに満たされる者になりました。日本にいた時、私自身がそうしなければならないとの魂への迫りを受けながら主に立ち返ることが出来なかったにも拘わらず、主の深い憐れみと御愛がニューヨークの地で家族全員に救いを与えてくださいました。
信仰は人間の努力によって勝ち取るものではなく、聖霊の助けと、罪の告白と主の十字架の赦しによって救いを受けなければ与えられないことを知り、キリストに委ねる人生に望みを抱く者へと変えられました。
イスラエルが囚われの地、エジプトから逃れることが出来たのはモーセの働きによりますが、神が、神自身の民、イスラエルを憐れみ、愛された御心と御働きが、出エジプトのスペクタクルの背後にあったことは言うまでもありません。人生の困難にある時、万事休す状況にある時も神はわたしたち一人一人に出エジプトを経験させ救って下さるお方であることをわたしたち家族も経験させて戴きました。
2000年の夏、主の限りない御愛に答えるために私に示された主の幻は「あなたのイサクを捧げなさい」でした。私のように罪深い者を赦され、愛される主に仕えるには、自分自身をイサクとして神に捧げる道しかなかったのです。
祈りつつ悔い改め、錦織牧師に献身の思いを打ち明けました。
小論文を提出し、入学を許可され、働きながらJTJ神学校の神学部牧師志願科の学びを通信で始めました。
当時はDVDはなく、どさっと送られて来る山積みのビデオテープで教室の学習を見ながらの学びでしたので忍耐と、教室と隔離されている孤独感の戦いを経験しましたが、御霊の助けと家族の励ましとを感謝しつつ学び続けることが出来ました。
通常、通信講座は3年から5年かかると言われていますが、神は私を早急に用いようとされるそのご計画によってか、一年九ヶ月で全講座のクレジット修得を許されました。
卒業式の時、中野雄一郎学長から「最短の卒業だね」と言われた時には喜びと共に、神は生きて働かれるとの確信が与えられ、心から感謝しました。
妻と娘たちは私の学びのためにあらゆる犠牲を払って2年間サポートしてくれたことが何よりの助けでした。
然し厳しい訓練をわたしに課せられる神は、前立腺ガンをもって私にチャレンジを与えられました。毎朝午前4時から7時まで学習し、8時にはマウントサイナイ病院で放射線治療とガンの発育を抑えるホルモン(ヴィアドール)治療を受け、それから仕事に向かう強行軍でしたが、不思議になんの副作用もなく25日連続の治療を完了することが出来ました。
それは主の憐れみと、主の癒しの御業以外の何ものでもないことを覚え、深く感謝しました。
わたしに与えられた主の使命は主キリストを証しすることで、そのためにバイブルクラスの指導を毎週礼拝の前に守ることでした。罪の淵をさまよっていたわたしの霊の目を開かせ新しい命に導いてくださった春山先生が命をかけて(先生はわたしたちが堅信礼と洗礼を授けられて僅か一ヶ月後に内臓のガンで天に召されました)十字架に掛かられたあの犠牲の死がなければ、わたしの献身、家族の救いはあり得ませんでした。
わたしの献身を一番喜んでくれたのは言うまでもなく信仰をもって支えてくれた家族でした。
又、わがことのように喜び支えてくれたのは千葉市川キリスト教会の小野寺牧師(わたしの信仰の兄貴分)で学びのためにたくさんの参考図書、注解書を送ってくれました。
至らないわたしを赦し、今日まで共に聖書を学び、分かち合いをして下さった兄姉に心から感謝しています。
特に、わたしを助け、善きアドバイザーとしてバイブルクラスを支えてくださった呉(オー)兄に感謝します。
長いようで短かくもあった20年のJCCNJでの信仰生活も思いがけない、否、これも神のご計画と信じていますが6月15日をもって終えることになりました。
新たな地に新たな使命をもって遣わされる神の御心を受け、喜んで従って参ります。
20年にわたり、信仰を育ててくださった主の教会の更なる成長を心から祈り、キリストにある友としての交わりに入れてくださった会員の皆様に主の豊かな祝福と励ましがありますよう祈ります。
御心を十字架のビジョンとして受け入れ、信仰をもって、聖書を日々の糧として歩んで行きましょう。
感謝。
ヘブル人への手紙11章8-9節「信仰によって、アブラハムは、受け継ぐべき地に出て行けとの召しをこうむった時、それに従い、行く先を知らないで出て行った。信仰によって、他国にいるようにして約束の地に宿り、同じ約束を継ぐイサク、ヤコブと共に、幕屋に住んだ。」
月報2008年6月号より
2008年5月4日「小さな始まり」
- 説教者 : 錦織学 牧師
- 聖書箇所 : ルカによる福音書13章18節-20節
「悲しみの淵より」
昨年12月に、突然、丈夫で元気だった母が脳梗塞で亡くなった。
日本時間で深夜、救急車で運ばれたと父からの電話を受け、私はその頃体調を崩して寝込んでいたのだが、翌日慌てて飛行機に飛び乗った。教会でもすぐに連絡網で祈りの緊急課題がまわされたが、雪で飛行機は欠航、母は亡くなってしまった。
「神様、今、なぜ母なのですか?」最近は父の方が具合が悪く手術や入退院を繰り返し、その世話を母がしていたからだ。アメリカに来て17年、次女も9月には大学に入るので、ようやくこれから両親と共に過ごせる時間がもっと出来ると、そんな話を楽しく母と電話で話したのは1週間ほど前だろうか。空港から葬儀場の霊安室に直行して、眠っているとしか思えない母と会った。「ごめんね、でも今までありがとう」と泣きながら頬ずりをしたその頬は冷たく、レモンの匂いがした。消臭剤だ。しかし母のいない家に戻り玄関を開けたとたん、いつもの母の匂いがした。「神様、こんなことは耐えられません」どうやってこの試練を乗り越えたらよいのか、まったくわからなかった。ショックと悲しみと後悔でもはや信仰さえ失ってしまうかもしれない、と思うほどだった。
翌日から待っていたのは、どこに何があるかわからない家の中の探し物から始まり、身も心も傷心し切った父を励ましながら、家の片付け、遺品の整理、山ほどある事務手続き等、日本の事情もよくわからない、自分も具合が悪い中、まるで戦場だった。自分の身に起きた事が信じられなかった。ただ、祈られていることだけが感謝で、それだけが支えであり、共に悲しんでくれる人たちの存在がありがたかった。親を亡くすことは誰でも通る道だが、愛する人を“突然”失うことがこんなにも辛く大変なことだと初めて知った。これは体験した事がある人でないとわからない苦しみだ。自分はこのまま鬱になってしまうかもしれないと思った。
しかし、神様はおられないと思えるような場所でも神様は働いておられた。きっかけは送られてきた2冊の本だった。一冊は『素晴らしい悲しみ』送ってくれた彼女も数年前NJの教会にいた頃に突然の転落事故でお母様を亡くし、私と同じ経験をされていた。ここにはあらゆる種類の喪失の悲しみから癒されるまでのステップが書かれてあり、喪失体験後に 陥るひとつひとつの症状が、どれも私に当てはまる事ばかりで、‘自分はおかしくなってしまったわけではない、これでいいんだ’と思えたことは救いだった。しばらくして教会の別の友人から『慰めの泉』が届いた。これは、特に家族を失って深い悲しみの中にある人へのショートメッセージが日ごとに書かれてあり、毎日少しずつ読んだ。そのうちに、天国がどのような所か、神様はどのようなお方かに、だんだん目が向くようになり、この地上の悲しみから神様、イエス様がおられる天を見上げる事が出来るようになり、そして母は今どんな所にいるのかが見えてくるようになった。確かにこの地上では母の死は喪失なのだが、天国では新しい仲間をひとり迎え入れた喜びとなる。地から天に視線を移すこと、自分が合わせるべき焦点はどこかがはっきりとわかった。
実は母が亡くなる少し前にどういうわけか、電話でこんな会話をした。「お母さん、もしどこかで倒れちゃうような事があったら、“イエス様、信じます”って言ってね」と言うと、クリスチャンでない母は「あら、難しいわ。ちゃんと言えるかしら」と言うので、私は「大丈夫だよ、今からちゃんと練習しておいてね」と言ったのだ。その話を父から母危篤の連絡を受けた時、沖縄の妹に電話で伝えた。彼女が病院に着いた時、母は酸素ボンベをつけたまま意識不明の状態だったが、私の話を思い出し「お姉ちゃんが言ってた事、今からでもいいからねー」と言うと母の目から涙が流れたそうだ。母は、きっとイエス様信じます、と言ったに違いない。イエス様は信じたその瞬間に、天国の切符を下さるお方だ。
また、母の遺品を整理していた時、毎月の月報の束を見つけた。ちょうど12月号の証が長女の真奈がニカラグアに行った時のものだった。「お母さんがそれを読んで、真奈も大人になったのねえ。と言っていたぞ」と父が言った。日本に届いたのは母が倒れる直前のはずだ。母がこの世で最後に見た月報は孫の書いた証だった、最後の最後まで確かに福音は届いていたのだ。
母に何もしてあげられなかったという後悔と罪悪感にずいぶん苦しんだ。しかし最近になって、一番しておかなければならなかったこと、それは神様の事を伝える事だったのではないか、と気がついた。もっと共に時間を過ごせれば楽しい思い出ができたし、病気になって看病する事ができれば良かっただろう、しかし、とどのつまり永遠の命の事を伝えなかったら、この世の幸せもそれまでなのだ。イエス様の事を伝え、これさ
え握って天国に入ってもらえたら、後は御国で再開した時に何でもできることなのだ。
そうして、2ヵ月半日本に滞在してNJに帰ってきた。母が死んで全ては変わってしまったかのように思われた。確かに状況や計画は変わってしまった。しかし変わらなかったもの、それは神様はおられたという事実だ。人間の目にそうは見えなくても神様の時は確実だ。神様は一番良い時に一番良い場所に母を連れて行ってくれたはずだし、この地上においても最悪な状況が続く中、必要な助け手をいくつも備えてくれた。神様はいないと思える時でも、振り返ればそこに初めから共にいてくれたのだ。母が死んだ時「もう伝道できない」と思ったが、気がつくと今、苦しみの中にある人と一緒に祈れるようになっていた。『わたしはあなたの信仰がなくならないように祈りました。だから立ち直ったら兄弟たちを力づけてやりなさい。』ルカによる福音書22章32節。今回多くの人の祈りに支えられたが、イエス様ご自身も私の信仰がなくならないように祈ってくれていたのだ。そして、あの深い深い悲しみの淵からここまで引き上げてくださった神様の力、これこそがまさにイエス様を死からよみがえらせた神様の力なのだとわかった。
まだ母のことを思い出すと泣けてくるし、残された父の事も心配だ。試練はまだこれからかもしれないし、いくつもの喪失体験が待っているだろう。しかし起こった出来事に焦点を合わせていく限りこの世は「なぜ。どうして?」の連続だ。でも出来事にではなく、神様に焦点を合わせていけば、今はわからなくてもいつか、神様がすべての事を神様の目的を持ってされていると思える時が来ると思う。聖書の中で信じられないような試練に会った人たちがどうやって歩んできたか。それはどんな最悪の状況の中でもただひたすら神様を信じ、神様に忠実に歩んでいる、今その姿に心が惹きつけられる。私もそのように歩めたらと。
『人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。あなたの神、主の命令を守って、その教えに歩み、主を恐れなさい。あなたの神、主があなたを良い道に導き入れようをしておられるからである。』申命記8章5~7節。
月報2008年5月号より
