主の愛に包まれていました。八年過ごしたアメリカ生活を終えて、今、それまでのことを振り返ってみると、そう思います。どんなときにも主はともにいて下さいました。孤独、苦しみのどん底にあるときも、自分の力だけを信じていたときも、傲慢になっていたときも、神様の愛を知らないときも、その愛を知っていながら神様が悲しまれるようなことをしたときも、共に居てくださって僕を支えてくれていた。こんなにもどろどろとした心を持った弱い、罪人を。それを思ったときになんと大きな愛なのだと、こんな自分をここまで愛していてくださる方がいるのだと思ったときに抑えられない感動を覚えました。
その感動の中で特に心に残っていることを書かせていただきたいと思います。
二年前の八月だったと思います。その当時教会学校の校長先生をされていた姉妹から教会学校の先生をしてみないかという話がありました。それまでの自分は、絶対に僕には教会学校の先生は頼まれない、もし頼まれたとしても絶対に断ろうと思っていました。僕に頼むなんて血迷ったかとも思いましたが、そのときある御言葉に心を打たれていました。「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた聖なる供え物としてささげなさい。」(ローマ人への手紙12章1節)神様のために何かしたいという思いが与えられていて、単純な自分は何も考えずにその御言葉を信じて引き受けますとその場で返事をしていました。
その後、家に帰って考えてみた時、自分がなんて大変なことを決めてしまったのか気づきました。というのは、自分は話すのが一番苦手だからです。冷静に考えてみると、自分には無理ではないのか、普通に考えたらやっぱりだめだよなーという思いでいっぱいになって、引き受けたことをすごく後悔しました。友達に教会学校の先生をやることになったと話したときには、「向いてないね」と皆に言われ、本当に自分はこの奉仕に向いていないのだと心のそこから思い、自分の至らなさに愕然としたのを覚えています。
その時、自分の心の中に五つのパンと二匹の魚で五千人の人のお腹を満腹にした話が浮かんできました。イエスについてきた五千人もの群集が周りに何もないとことにきて疲れ果て、食べ物を必要としていたが、イエスの弟子たちの手元にあったものは五つのパンと二匹の魚だけだったので、群集を近くの町に行かせるようイエスに提案した。しかし、イエスはそれを持ってきなさいと、五千人を前にして、弟子たちが持っていたちっぽけで何の役にも立たない食べ物を、イエスの元に持ってきなさいというのです。そして見事にイエスは何も役に立たないもので五千人もの人を満腹にしてしまったという話です。この話を思ったとき、自分はこの時の弟子たちと同じなのだ、自分にはちっぽけなものしかないけど、イエス様はそれを何十倍にも大きくしてくれるのだ、大事なのはその至らないところに働く力を信じて、そのままの自分を神様のために捧げることなのだと思わされました。そして教会学校の奉仕を引き受けたことを後悔していた自分に勇気が与えられ、やってみたいという気持ちに変えられていました。
そして二年間この奉仕をさせていただいた中で本当に主は至らないところに働いてくださる方なのだということを経験させていただきました。自分のようなものが担任をして生徒だった子供たちには申し訳ないという気持ちもありますが、自分ではなくて神様が確実に毎回のクラスにいてくださって子供たちを導いていて下さっていたのだと、人間の頭で考えるレベルを遥かに越えた事を日々されているのだと思わされました。
アメリカでの生活を終え、香港、中国本土で新たな生活を始めますが、どこに行っても、今までずっと共にいてくださった神様がこれからも共にいてくださると思うと、新天地での生活への不安が吹き飛んでいきます。これからどんな嵐が襲ってくるか分りませんが、その嵐の中を、僕を愛してくださる神様と共に歩んで行きたいと思います。
月報2003年9月号より