2025年3月<牧師室より>「神様からのチャレンジ」

先月の半ば頃、私たちの教会のHPを通して、一人の方から英語での問い合わせがありました。

「私が仕事に行く途中の道で、ホームレスの方を見かけます。こんな寒い中、何かできないかと思って、ある日、声をかけたら、英語が通じなくて、どこから来たのか聞いたら、日本からだと言っていました。それからスマホの通訳アプリで話をしているのですが、コミュニケーションが難しいので、日本語の分かる皆さん、助けてくれませんか」

世の中には、そういう話でお金をせびる詐欺を働く人もいるので、少しだけ疑いながら、その方にお会いすることになりました。教会に来られたその方は40代の女性。医療関係の仕事をしている、ポルトガルからの移民だと言っておられました。そして、その日本のホームレスの方のところに連れて行くから、ついてきて、というのです。その女性にお会いして、少しガードが下がりましたが(これがまた危ない可能性もあるのですが・・・)、実際に自分が行って何ができるだろうか、と思いながら、でも、少なくとも通訳はできるなと思いながら、現地に向かいました。

そこには、寝袋とバックパックだけで生活している男性がいました。私よりもずっと若く、背も高く、がっちりとした体格。髪がボサボサとか、服が汚れているとかを別にしたら、普通のホームレスの方のイメージとはかけ離れた感じでした。日本語で話しかけると、うれしそうに返事をしてくれました。アルコールやドラッグの中毒になっている様子もありません。でも、「どこから来たの?」と聞いても、何も覚えていないとのこと。「寒いから暖かいところに行こう」と言っても、「いや・・・」と言葉を濁します。その時は「また来るからね」と「これでいいのかな・・・」と思いながらその場所を後にしました。

それから、週に1回のペースで、温かいものを手に3回ほど訪問させていただきましたが、本人は「何も覚えていない」「自分の身元につながるようなものは何も持っていない」との話。もちろん、本当のことは何も知られたくなくて、とぼけているのかもしれません。そして、もっと心が通うことができてきて、何かが分かっても、私たちには何もできないかもしれません。でも、これも、この地域で生きていく私たちに神様が与えてくださった出会いだと思わされて、何ができるだろうかと自分に問い続けています。

その中で、この聖書の言葉が心に響いています。

私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。兄弟か姉妹に着る物がなく、毎日の食べ物にも事欠いているようなときに、あなたがたのうちのだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹になるまで食べなさい」と言っても、からだに必要な物を与えなければ、何の役に立つでしょう。同じように、信仰も行いが伴わないなら、それだけでは死んだものです。

ヤコブの手紙 2章14~17節

この地域社会とのつながりを持って歩んでいくということは、私たちに与えられている使命です。日々チャレンジです。神様が助けを与えてくださいますように。この使命に忠実に歩んでいくことができますように。

「ECでの恵みと振り返り」

私は今回初めて年末年始のEquipper Conference(EC)に参加しましたが、その中で経験したことを、分かち合いたいと思います。

Equipper Conferenceは、海外でキリストに出会った日本人クリスチャンたちが、キリストによって遣わされる者として、日本に帰国する前に、彼らをequipすることを目的としたカリフォルニアで行われるキャンプです。実を言うと今年のECはあまり行く気がありませんでした。知っている人が多くいるわけでも無く、講師もあまり知らない人ばかりでした。

もともとは去年のEC2023に参加するはずでしたが、新しい職場で体調を崩し急遽いけなくてなりました。去年のECは朝岡先生が講師としておいでになるはずでした朝岡先生の話は、ポッドキャストWTP(What The Pastors!!)で、よく家族で聴いていたので、去年はすごく参加を楽しみにしていたのに諦めざる得ませんでした。しかし、なんと、その朝岡先生も直前に体調を崩し、今年再チャレンジとのことだったので、これは神様が与えてくださったチャンスなのでは、と思い行くことを決意しました。今回のECの参加のために祈ってくださった皆様に感謝します。

ECとその後のカリフォルニアでの時間を通して、神様の働きをすごく実感できました。今回の部屋は一番年上の部屋で、26歳から23歳までの、異なる経歴を持った男性たちと一緒でした。東京から来ている音楽業界の韓国人、マサチューセッツ州の大学ミニストリーの奉仕者、カルフォルニアからの中国系のハーフ、テキサス州のバイブルカレッジの生徒達、そこのOB,とあまりにも共通点がない人達が集まっていました。そのような7人でしたが、ECでは、毎回スモールグループの終わりに手を取り合い輪になって祈りあう、また礼拝ではお互いのために泣きながら祈るなど、あまり日常生活では経験することのない、言葉では表せない愛と恵に溢れた時を過ごせました。最近の教会での学びとして、日曜日の礼拝と個人での礼拝について学んできましたが、ECではいわゆる日曜日の礼拝、心許せる信徒達との礼拝がいかに大事なのか、というのを実感しました。

カルフォルニアでの時間を通し懐かしい出会いもありました。ニュージャージーの教会に集っていたメンバー達、またその人達を通しての新しい出会い、多くの出会いにも恵まれました。何も知らない地で、このように新しく、また懐かしい出会いがありえたのは、神様という共通点が我々をめぐり合わせてくれたからだと思いました。

第一 歴代誌 16:10

主の聖なる御名を誇りとせよ。主を慕い求める者たちの心よ、喜べ。

今回のECのテーマは「誇人」でした。5日間の中でバプテスマのヨハネ、エパフロデト、そしてパウロ、朝岡先生が言うには「神様の働きを助ける人たち、脇役」について学びました。彼らを通して学んだのは我々が今何を誇りに思い、クリスチャンとして本当に何を誇るべきなのかを考えさせられました。簡潔にいうと、クリスチャンとして、誇るべきものはクリスチャンとしての完璧さ、ではなく、人間としての欠点、愚かさを誇るべきものだと伝えられました。我々は自分の信仰深さ、神様の前での謙虚さという「偽りの誇り」を掲げるのではなく、キリストの十字架を誇るべきだと学びました。神様は我々に必要なものはすべて与えてくれ、弱さの中で力を与えてくださいます。キリストの十字架を誇りとできるから、人間としての弱さを誇るべきなのです。

少し政治的な話になりますが、今のアメリカの政治環境はキリスト教が根強くなってきています。クリスチャンが正しいと言い、迫害を正当化する光景が多くなってきてます。クリスチャンであることの「誇り」を大々的に宣伝し、そうでない者を脅し、軽蔑し、傷つけ、陥れます。聖書に言及されてないから否定的になることもあります。これがクリスチャンとしてあるべき姿なのでしょうか?これは自分も含め、クリスチャンの多くが「誇り」を自己満足と履き違えてるのではないでしょうか。救われたから、謙遜でいるから、一方的に神様から愛と恵みをもらい、それだけで満足しているのではないでしょうか。本当にすべきことなのは、静かに神様の愛に応え、用いられるべきなのでは、と思いました。クリスチャンとして、自分の愚かさを受け入れ、誇りの原点となるべきものは自分の信仰の強さではなく、神様であるべきだと思わされました。

今、自分は進路選択で戸惑っています。今後のキャリアを考え、どのような選択をしていけばいいのか、と迷ってしまいます。自分の中で何度も何度も色々と考え、模索しています。ただ、自分の知恵と力だけで人生を左右しようとしてもうまくはいきません。

コリント人への手紙第一 1章 25 節

25 神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。

コリント人への第二の手紙12章9, 10節

9 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。10 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。

このように、人間の限界や、人間の不完全さをはるかに超えるのが神様です。それを自分で解釈しようとし、自分で自分の道を作り替えようとするのはあまりにも難しすぎます。逆に、我々はその人間の限界や、人間の不完全さをクリスチャンだから克服しようとするのではなく、クリスチャンだからこそ誇るべきなんだと学びました。

今回古き信仰の友たちとも進路選択の話ができました。彼らもまた、進路選択で迷っていた、迷っている人たちですが、神様の愛に応えそれぞれいるところへと行きました彼らがこうできたのはやはり、自分の弱さを誇り、自分の力では成しえないことを神様がしてくださると信じているからです。神様の愛を一方的に受けるのではなく、それに応え、行った先々で神様に仕えに行ったのです。今回もNJの教会の元メンバーが、ECでの奉仕を通しまた一人救いへと導きました。また、新しい地で伝道開拓の一環として、新しい教会を立ち上げました。また、もうひとりのメンバーは西海岸へ行ったことで仕事だけでなく、人間関係、信仰の恵みの実感を伝えてくれました。神様がともにいてくれるから、どこにいても祝福してくれると知っているからこそ、不安の中でも選ぶことを恐れず、その選択を神様は祝福しました。このようにキリストを誇り、神様の愛に応えて用いられるキリストに従う人々に教会を通して会えたことに感謝しています。

今振り返ると、自分は神様の愛に応えられていたのでしょうか。大学、インターン、職場、自分で選んでおきながらも全て自分では想像もしてなかったように神様は祝福してくださいました。それに対して自分は神様のために仕えていたのでしょうか、その呼びかけに応えられていたのでしょうか。振り返りの時間をこのECは与えてくださいました。ECを通し、クリスチャンとしてあるべき誇り、また生き方を改めて学びました。この先何があるかわかりませんが、神様はどれをとっても祝福してくれます。それに対し自分もまた、キリストを誇り、どこに行っても静かに神様の愛に応えて用いられるることが与えられますように。今回EC のために祈ってくださった人々、出会えた人々の今後も恵まれ、守られますように祈ります。

2025年2月<牧師室より>「それを、ここに持って来なさい」

「それを、ここに持って来なさい」(マタイ14章18節)

私たちの教会は、この言葉をいただいて、2025年をスタートしました。

その日、イエスの周りには、男だけで5000人、女性や子どもを入れると1万人とも1万5千人とも言われる人々が集まっていました。日が傾き始めたとき、イエスの弟子たちは「もう夕方です。この群衆を解散させて、それぞれで食物を買いに行かせてください」と進言しました。しかし、それに対するイエスの答えは信じられないものでした。イエスは言われたのです。「あなたがたの手でこの人々に食物をあげなさい」と。「そんなこと言われても・・・」と、自分たちの手の中にあるものを見て、弟子たちは「私たちには5つのパンと2匹の魚しかありません」と答えます。それに対してイエスが言われた言葉が、その言葉でした。

「それを、ここに持って来なさい」

日本の企業の競争力が落ち、また円安が進む中で、駐在や留学のために来られる方々が減っている中で、私たちの教会に集う方々も減ってきています。また、長年にわたり教会を支えて来られた皆さんも、また私自身も10年、20年前のような動きができなくなってきています。そんな現状を見るときに、「私たちにはこれしかありません」と言いたくなります。しかし、そんな私たちに対して、今日も、イエス様は同じように言われているのではないかと思ったのです。

「それを、ここに持って来なさい」

私たちの手の中にあるものは何でしょうか?「これっぽっちでは・・・」「何もできませんよ・・・」そう言わないで、神様のために用いていただくのです。

「あなたがたの手で食物をあげなさい」とイエスは弟子たちに言われたのですが、実際に起こったことを見ると、弟子たちは自分の手の中にあるものを、ただイエスのもとに持って行っただけでした。イエス様はそれを受け取って、神様に感謝して、弟子たちに渡して、人々に配らせられました。その時に人々は満腹したというのです。人々を満腹させたのは弟子たちではなく、イエスご自身でした。

「それをここに持ってきなさい」といわれたイエスは、私たちの手の中にある小さなものを喜んで用いてくださり、人々の心をいっぱいに満たしてくださるのです。イエスの招きに応えて歩んでいきたいと思います。

2025年の皆さんの歩みにも神様の祝福をお祈りしています。

「私の居場所」

私は、2024年12月24日に信仰告白し、翌年1月19日にニュージャージー日本語キリスト教会で洗礼を受けました。そこに至るまでのことを、少しお話ししたいと思います。

いつの頃だったかはもう思い出せませんが、仕事柄、欧米の方とよりよくコミュニケーションを図りたいという思いから、聖書に手を伸ばしました。岩波文庫の個人訳聖書(創世記と福音書)で、初読の私にとって親しみやすいものでした。福音書の方は、たくさんのブックマークと書き込みで、だいぶ愛着のあるものになっています。
また、敬虔なプロテスタントクリスチャンであったカール・ヒルティの著書をいくつか読みました。今思えばちょうど、私が長いメンタルダウンに苦しんでいて、すがりたいものを探していた時期と重なるように思います。

日本での数少ないクリスチャンとの出会いの中で、忘れられない方がいます。ある学会の仕事をしていた頃に、事務局長の交代によりHさんに出会いました。Hさんはバリバリ仕事をされる方でしたが、不思議なほどいつも笑顔で、思いやりがありどなたにも気さくに接していました。プロジェクトが思うように進まないと悩んでいたある日、「私クリスチャンなんですけどね」とHさんが、全て神様が整えてくださる、そんなことをお話くださったように記憶しています。私が学会を離れた後に、Hさんは学会総会に向けた準備の最中に天に召されました。ご葬儀には参列できませんでしたが、ご家族から後日いただきましたお手紙に愛が溢れていたことを覚えています。

こうした経験を経るにつれて次第に教会に興味を持つようになりましたが、日本にいた時には敷居が高く感じられて戸を叩くことはありませんでした。コロナ禍の気分転換に、近所を散歩していた際に見つけた教会がありましたが、文字通り扉の手前まで来て戸を叩かずに帰りました。

その後、長い間希望していた海外赴任が叶い、2023年3月末からNJで単身生活を始めました。生活立ち上げが落ち着いた6月、自然と教会を探(検索)し始め、ニュージャージー日本語教会を探しあてました。日本人コミュニティが恋しかったこともあってか、今回はドキドキしつつも教会の扉を開けることができました。
タイミングを同じくしてマンハッタンで男声合唱を始めました。後日、錦織先生も参加されている合唱団ということを知ることになります。手帳を読み返すと、6/16(金)に合唱練習を、6/18(日)に教会を訪ねていて、錦織先生とは教会で初めてお会いしました。今思えば、また尻込みするかもしれない私のために、神様は二重の道を整えてくだっさていたのだと思います。

初めて経験する教会での礼拝は、その様式に戸惑いを感じましたが、聖書に学んで讃美歌を歌うことに楽しみを感じて、また、お茶時間には「ここには日本がある」という安心を感じることができました。教会の皆さんにはとても優しく接していただき、時には食事にお誘いいただいて家族の温かさを感じたりしていました。

少し時間が経ち、赴任初年の冬に仕事に忙殺され、年が明けて訪れた出張先にて恐らくストレスによって声が出なくなった時には、自然とイエス様にすがっている自分に気づきました。聖書の言葉がなかったら、そのままホテルで悶々と過ごすだけだったでしょう。ただ結局、そのまま体調悪化の波に飲まれ、自責の念に駆られ(海外赴任までしてやるべき事ができない)、人と触れ合うことに負担を感じてしまい、半年ほどの間、教会から足が遠ざかってしまいました。

そんな中、合唱仲間と昨年の夏に訪れたメイン州への旅行は、とてもリラックスできた思い出深いものになりました。旅行からの帰り道は、私の単身生活をよくケアしてくださっているYさんと2人のドライブでした。その道中にYさんから、信仰はパーソナルなものであって、教会は自分と神様との関係を見つめる場所だよね、と気付かされ、何か引っかかっていたものが取り除かれた気がしました。
マルティン・ルターの著した論文「キリスト者の自由」にある二命題(キリスト者はすべてのものの上に立つ自由な君主であって、何人にも従属しない/キリスト者はすべてのものに奉仕する僕であって、何人にも従属する)を理解できるようになったことも、この気づきをサポートしてくれました。
この旅行をきっかけに体調がだいぶ回復し、人と関わることに安心を覚え始めたことも手伝って、また教会に通うようになりました。変わらず温かく迎えてくださった兄弟姉妹に、ただただ感謝です。

今考えると、何か義しい行いをしなくてはいけないという思いにずっと縛られていたのだと、思い知らされています。そういえばこれまで生きてきた中で、自分の考えを人に押し付けることが多かったように思います。信仰を持って自由に、そして愛を以って奉仕する、そうした信仰生活を送りたいと今では願っています。

ルカの福音書2:7
男子の初子を産んだ。そして、その子を布にくるんで飼葉桶に寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

錦織先生との学びの中で、またクリスマスを迎えるアドベントの中で、この聖句に目を開かれました。居場所がないと感じている者にとっての大きな慰めーーー私も長い間、自分の居場所を求めていた気がします。自分の努力でどうにかなる、どうにかしなければならないと頑張っていたあの頃、無理が祟ってうつ病を患い、聖書に手を伸ばした時、初めての単身赴任にて気持ちが安らぐ場所を求めていた時期。

学びの途中で、個人的に心の奥底にしまっておいた罪を神様に告白しました。この罪がこれまでの私を形作り、私の人生となって現れ、またイエス様と出会う道であったのだと思います。私の代わりにイエス様が十字架にかかってくださったことを、今では覚えて感謝しています。

伝導者の書3:15
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることはできない

言い過ぎかもしれませんが、私の心には後悔というものがなくなりました。これから何が起こるか知る由もありませんが、全てにおいて神様を信頼して歩んでいこうと思います。まずは3月の本帰国に向けて、神様のお心に適う仕方で全てを整えてくださることをお祈りしたいと思います。兄弟姉妹と歩んでいく中で目が開かれ、より強められますように。残り短いNJ生活で、良い働きを持って奉仕できる事が与えられますように。日本でも居場所が与えられますように。

<牧師室より>2025年1月号「何を大切にするのか」

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

12月の最後の日曜日の夜、カーター元大統領が100歳で亡くなられたとのニュースが入ってきました。

彼が大統領であった時代、私は日本で中学高校時代を過ごしていたので、政治のこと、アメリカのことなど何も分かっていませんでしたが、とにかく、敬虔な信仰の姿勢、また温厚な人柄、そして、キャンプデービッドでのイスラエルとエジプトの歴史的な和解に代表される、平和を求める姿にはとても魅力を感じたのを覚えています。後になって、アメリカの政治のことなども少しは分かってきて、彼が再選されなかったことにも、「まあ、しょうがなかったのかな」と思うようになってきていました。

今回、カーター氏の訃報を受けて、オバマ元大統領が投稿した文章を読みました。その中で、彼はこのように書いています。“He believed some things were more important than reelection – things like integrity, respect, and compassion.”(「彼は再選よりも大切なものがあると信じていた。誠実さ、尊敬、思いやりといったものだ。」DeepL訳)これを読んだ時に、本当にそうだな、と思いました。もちろん、ここにはオバマ氏の、再選にこだわった歴代大統領たち(と言うか、特に一人の人)に対する皮肉も込められているのでしょうが、カーター氏の生き方は、私たちが何を大切にしていくのかについて問うているように思います。

新しい年を迎えて、私たちはもう一度そのことを確認すべきでしょう。わたしたちは自分の人生で何を大切にしていくのか?本当に大切にすべきなのは何なのか?教会としても私たちが大切にしていくべきものは何か、問われていると思います。新しい年、本当に大切にすべきことを大切にして歩んでいきましょう。

「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」

コリント人への手紙 第一 13章13節

<集会案内>「教会の、それって何?」(2025年1月)

2024年の12月から始まった新しいプログラムです。

これは、教会のメンバーに知っておいてほしいことをお伝えするために始めたプログラムです。でも、それと共に、教会のメンバーだけではなく、教会に来はじめた方や、教会に行ってみようかな、でも・・・と躊躇している皆さんが持たれるであろう、教会ってどういうところなのか、教会が大切にしていることは何なのか、という疑問に答えることができれば、と思っています。

第1回目の12月1日は、「教会の、『礼拝』って何?」というテーマでした。まず、皆さんに「礼拝で大切にしていることは何?」と伺ったときに出てきたのがこちら。いやあ、とても活発にいろんなことが出てきて、うれしかったです。そして、皆さんが礼拝を大切にしている思いもビンビン伝わってきました。で、この日、お伝えしたかったのは、「こうやって、日曜日に集まって共にささげる礼拝、と共に、日々、私たちが生きていく中で、神様にささげていく『礼拝』の生活が大切なんですよ」ということでした。その延長上に日曜日の礼拝があるんですね。

毎月1回、第一日曜日の礼拝後に30分、ジムで持ちます。2025年1月は「教会の、『礼拝』って何?」の「そもそも礼拝は・・・」ってところから、次のステップで、「日曜日に集まって礼拝をささげる意味」って感じで話をしようと思っています。お楽しみに!

「起承転結 ― 神様のものさし」

2025年が、始まります。今年還暦を迎える私にとっては新しい章のスタートです。

0〜29歳 :“娘” -まだイエス様との出会いもなく、自由奔放に毎日を楽しんでいた私は、父と言われて頭に浮かぶのは、血縁の父。

30〜59歳:“妻”“母” -新しい家族ができ、救いへと導かれましたが、父と言われて浮かぶのは、日々二人の娘と健闘していたその父親である夫。

60〜(神様のとき歳):“私” -父といえば、天のお父様です。
天のお父様には、これまで多くのことを教えていただきました。そのお方は万能であり全てが可能で、どんなものにも変え難い平安を与えてくださること、そして誰よりも私を愛してくださっているということを、これまでの歩みの中で繰り返して実感しております。

これからの日々は、この天のお父様の大きな御手の中で、肩の力を抜きリラックスして父の示される道を歩んでいけるようにと祈っていきます。

1番の敵は、自分の常識を正しいと錯覚してしまうことです。たとえ、自分にとってはマイナスに思えることがあったとしても全てを益とされる方は、決して私を暗闇に置き去りにすることはなさらず、祝福というゴールを備えてくださっていました。神様の常識のもとでは、自らの思いはなんの効力もないことを自覚しています。日々、天のお父様のみ顔を求め、み声を聞き逃すことのないように、御言葉をうちに積み重ねて、力強く全身全霊を持って歩んでいきたいと祈っています。

主に望みをおく人は新たな力を得、 鷲のように翼を張って上る。 走っても弱ることなく、歩いても疲れない。(イザヤ書40章31節)
―――――――

2023年9月、自分が洗礼を受けた母教会の日本語礼拝が30周年記念を迎え、その時自らの信仰生活を振り返りました。その証をこれからシェアさせていただきます。

————

 私がイエス様と出会えるための道案内をしてくださった母教会が、神様の愛の中で素晴らしいお働きをして30周年を迎えられたことを感謝、お祝いし、自らのこれまでの歩みを振り返ります。

 2001年、夫は20代から勤めた金融業でのリタイヤを決心して、私たちは日本からサンフランシスコ郊外に引っ越しました。長女は幼稚園入園、現地校に馴染めず、毎朝学校に着くと泣き出し、困難でのスタートとなりました。その中で、私は車で15分の所にあったJapanese Christian Church of Walnuts Creekにつながっていくことになります。教会での集会、行事などに子供達と共に参加し、翌年クリスマスに私は受洗へと導かれました。その頃の私は神様に夢中で、毎日は教会生活が中心でした。

 長女が中学校に入る準備をしていた2007年5月、6年間安定した仕事に恵まれなかった夫に、NYの証券会社から香港支社・東京支社での仕事が与えられました。夫は香港で1年間勤務、私は、強い信仰を持っていると勘違いしながら東京に帰りました。子供達もインターナショナルスクールに戻り、日曜日は共に教会に通い、長女は2008年、自らの意志で受洗、2009年、2歳年下の次女も自らの強い意志を果たして、受洗をいたしました。

 2009年リーマンショック。しばらくして、夫はレイオフされました。会社から支給されていた家を数ヶ月後に出て、家族で私の実家に移り住み、子供達は翌1年、日本で学校に通い続けました。長女が高校入学の2010年、私はニュージャージー州に住む義理の母に、子供達を現地の学校に通わせるために、母娘3人で住まわせてもらえることをお願いしました。夫は続けて私の実家に残り、1年間、NYの別の証券会社の東京支店で、出来高制という契約の仕事をしました。

 私が思う“試練“は、ここから加速して行きます。私が一生懸命頑張って願う思いは何もかないませんでした。たくさん笑う以前の私はそこにはなく、明日が見えずに日々を過ごしていました。しかしなぜだかその頃、初めて聖書通読をしました。私にとって、別の物語であった旧約と新約が、通読によって一つの大きな世界へと変わり、聖書の理解が別のものになりました。夫の母教会にも毎週、歩いて通いました。今も、時々このカソリック教会で礼拝をします。神様に守られていたことを、聖霊様が私に伝えるが如く、礼拝のたびに涙が溢れ出て、当時の信仰生活を思い出します。

 また、夫の実家から車で15分の距離に、母教会の藤岡先生夫妻がWalnuts Creekに行かれる前にいらしたJapanese Christian Church of New Jerseyがあり、私は神様にあってこの教会に導かれ、その時から、多くの敬愛する兄弟姉妹に恵まれ、宝物を得たような日々を過ごせています。

 2016年、私は98歳の方の運転する車で生死に関わる交通事故に遭いました。裁判所で、この方の体調を見た時に、神様が私を事故の相手に選ばれたのだと思いました。そののち2019年末まで、私は事故によって必要となった手術を、何度も繰り返すことになったのですが、今その頃を振り返ると、事故以前の私ではない私がそこにいて、神様が私と共におられたと痛感しています。

神様の憐れみにあって、私と夫は11年前に会社をスタートし、年月もかかりましたが、神様がこのビジネスを通して私たち家族に、日用の糧と必要を与えてくださっています。時々困難も訪れますが、神様の知恵を求めて祈る時に、主はそれに応えて下さり祝福をいただいています。

21年間の信仰生活の中、神様から様々な経験をさせていただきましたが、その歩み故に教えていただけたことは、この世の人知で測ることのできない平和があることです。 

マタイによる福音書10章34−39節

地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。 わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。 そして家の者が、その人の敵となるであろう。 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 また自分の十字架をとってわたしに従ってこない者はわたしにふさわしくない。 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。  

 自分中心の私の物差しで測って来た過去は、自分が望むもの以外を受け入れることが出来ずに、その全てを試練と思い、平安はありませんでした。それは人と付き合っていく中でも起こる事があり、それぞれの物差しは異なるわけですから、争いが生じたり、そこから平安が生まれるのは偶然です。

“神様の物差し”は、愛によって作られ、義によってはかられる、唯一正しいものです。

  まずは自分の物差しを捨て、神様の物差しが持てるように祈り、自分の家族や隣人を、建前や偽り、愛するフリをするのではなく、真に愛せるように、御言葉が持つ奇跡の力で自らの思いから解放されることを願っています。 

    いつの日か平和の器になれることを信じて、これからも御心を知るために祈り、恵みを数えながら歩んで行きます。 

2024年12月号<牧師室より>「どう受け継ぐかクリスマス」

もう20年近く前でしょうか、Operation Santaというプログラムに参加したことがあります。サンタクロースの住所にプレゼントのリクエストを送った子どもたち(その多くは貧しい家の子たちだということですが)の手紙をボランティアの人たちが読んで、プレゼントを買ってその子に送ってあげる、というプログラムです。今はオンラインで受け付けているようですが、その頃はNY市の中央郵便局に置いてある手紙の山から、気になった手紙を持ち帰ってプレゼントを選ぶようになっていました。

クリスマスに、お金がなくてプレゼントをもらうこともない子どもたちのために何かできないか、と思って参加してみたのですが、その手紙に出てくるリクエストは、ゲーム機だったり、高価なおもちゃだったり、自分が自分の子どもたちにも到底買ってあげることのできないものばかりだったのです。その手紙を書いた子どもたちの気持ちは分からなくもないですが、ここまで商業主義がクリスマスに広がっているのかと、複雑な気持ちになりました。

私たちのために、この世を照らす光としてきてくださったイエス様のことを、私たちはどのように伝えていけばいいのでしょうか?特に、これからの時代を担っていく子どもたちに、私たちは何を受け継いでいけばいいのでしょうか?

イエス様は、私たちのためにこの世に来られ、私たちを赦すために、私たちを罪から救うために十字架にかかられました。私たちのためにいのちまで与えてくださったのです。そして、このように言われました。「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒の働き20:35)。神様は、私たちにこのイエス様というプレゼントを与えてくださったのです。このクリスマスの時、私たち自身が、どれほどの愛をもらっているのか、それを思いめぐらして、周りの人々に何を与えることができるのか、それを考える時、実行する時なんだということを、子どもたちに伝えていくことができればと思います。

メリークリスマス!

<集会紹介>「修養会」(2024年12月)

「修養会」は、いつもとはちょっと違う場所で、たっぷり時間を使って、聖書の言葉に触れ、共に語り合い、祈り合う集まりです。普通は2泊3日などの泊まりがけで出かけて、寝食を共にする中で、互いの思いもゆっくり分かち合う時を持ちます。

 英語では「retreat」という言葉が使われていて、「戦いの前線から一時退いて、英気を養い、態勢を立て直す」という意味が込められています。忙しい日常から離れて、疲れを癒し、大切にすべきことを確認して、新しく出て行く集まりなのです。

 私たちの教会では創立当初から毎年「修養会」を持ってきました。外部から講師をお迎えすることが多いのですが、講師が祈って準備してこられる聖書からのメッセージによって、多くの方々が新しい発見をし、心を探られ、また新しく信仰を持って立ち上がってきました。教会の集まりに初めて来られた方々の中にも、ここでの経験をきっかけにして、信仰に導かれた、信仰の決心をした、という方々もおられます。

 コロナ禍で2020年から中止されてきた修養会を、今年、1泊2日という限られた時間でしたが、5年ぶりに持つことができました。場所は私たちの生活圏からそれほど遠くないLiberty Corner。今回の講師は、南カリフォルニアのオレンジ郡サンタアナにあるウィンタースバーグ長老教会の牧師、清水まお先生でした。まお先生は牧師としての働きを始める前に私たちの教会で短期のインターンをされていたので、その頃から教会に来られている方々にとっては、とても親しみのある先生です。明るく楽しいパーソナリティーから語られる聖書の言葉は、自然と柔らかくなった心に染みこんできます。そして、個人的にお話をする時間が与えられた方々は自然と心を開いて、思いを打ち明け、祈っていただくこともできました。

 夜の集会の後に持たれた小グループでの語り合いの時も、普段話せないような話が自然と出てきます。1泊2日ではちょっと詰まりすぎていたかな、というプログラムでもありましたが、とても充実した修養会となりました。

 これから、また毎年修養会を持つことができるようになることを期待しています。この修養会を通して、一人一人が神様に心触れていただいて、教会として一つになって進んでいくことができますように。