<牧師室より>2023年5月号「神の時を待つ」

 昨年のクリスマス直前、12月22日の午後に携帯電話にテキストメッセージが届きました。「・・・旅行の帰り道にある出来事に遭遇し、その時神様がいらっしゃるという事を実感しました・・・」

 4月の最後の日曜日、今年初めての洗礼式を持ちました。今回の月報にも証しを書いてくださっていますが、クリスチャンの男性と結婚されて数十年、それからずっと教会に集って来られた方です。その方のために、御家族はずっと祈っておられたそうです。教会でもお祈りしてきました。その祈りが聞かれるまでは、時間がかかりましたし、もう、ずっとこのままなのかな、とも思いました。一緒に聖書の基礎の学びもしました。イエスの十字架の話も何度もしてきました。それでも、なかなか聖書の言葉が入っていかない、そんなもどかしさも感じていました。しかし、この時に、神様は特別な方法で、その方の心に触れてくださったのです。

 その前の週、4月4週目の日曜日は一人の方がカリフォルニアに引っ越されると言うことで最後に一言挨拶をお願いしました。その中で、NJで経験した一つ一つの出来事の中で、心に与えられた聖書の言葉を分かち合ってくださいました。

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」(伝道者の書 3章11節)

 私たちには分からないことがあります。すべてを見極めることはできません。でも、神様の時があって、神様の時に美しいことをしてくださるというのです。

 私たちはしばしば、思い通りに行かないことに出会います。自分の願った道が開かれなくてがっかりすることもあります。「どうして?」と思うことにも出会います。でも、神様はすべてを美しく導いてくださり、神の時に御業をなしてくださるのです。その神の時を待ち望み、神様を信頼して歩んで行こうではありませんか。

Testimony

I feel that my life has been led by God.

However, it took me a long time to believe in God as my Lord, but through an event that took place in 2022, I was able to believe in and accept God. I am truly grateful for that.

I married my Christian husband from Taiwan in 1972 in the United States. My husband’s mother and four sisters were all Christians. So I started attending a Taiwanese church in Queens every week, as my husband’s relatives gathered at church. However, my husband never once told me to become a Christian myself. I think that was a good thing for me. If he had told me that, I would have run away.

If I had not believed it myself, I would not have wanted to be baptized.

God has invited me many times through many events. In 1984, an American woman took the trouble to order a Japanese Bible and gave it to me as a gift.

Then, in 1989, when the pastor of the Japanese church in Maywood was still Rev. Masaki, my husband was working in real estate at that time, and I met a Japanese Christian at that time, and he and his wife invited me to come to the New Jersey Japanese Christian Church for the first time, and then I started listening to Bible stories in Japanese.

Then, in 1992, my mother-in-law, who had been really good to me, passed away, and I made a promise to her at that time that I would be baptized someday.

But for the life of me, I couldn’t really feel God.

Then one thing happened in December 2022. I was on a trip at that time. But on the way back, I had a real problem at the airport. A woman saw my situation and approached me. She told me that she was a doctor and that she had to help me as soon as she saw my situation. Then, after hearing my story, the woman reached out to me with her time and what she had at her convenience. At that moment, I felt God’s hand in giving me that person’s presence. The person’s name was Nancy. When I heard her name, I remembered that my friend who gave me a Japanese Bible as a gift 38 years ago was also named Nancy. With a strange feeling, I came home and was relieved when I received a video from a Japanese friend. It was a video called “Love Letter from Heavenly Father” made by a Christian, and it was edited in such a way that words and stories from the Bible were spoken directly to me from God. It ended with the message, “I am waiting for your return.” As I watched the video over and over again, I realized that God was now calling me through each of these things. And I wanted to believe in Him.

Four months later. In the study of preparation for baptism, I have learned again about God’s love, my sins, and Jesus who went to the cross to forgive them, and I want to follow him as my Lord.

「証し」

私の歩みは神様に導かれてきたことを感じます。

しかし、なかなか、その神様を主として信じることができなくて、時間がかかりましたが、2022年に起こった一つの出来事を通して、私は神を信じ、受け入れることができました。その事に心から感謝します。

私はアメリカで、1972年に台湾系のクリスチャンの夫と結婚しました。夫の母も、4人の妹たちもみんなクリスチャンでした。それで私も、教会で夫の親戚が集合するという流れで、毎週Queensにある台湾系の教会に通うようになりました。しかし、当の夫は自分に対して、一度も自分がクリスチャンになるように、と言うことはありませんでした。それが自分にとっては良かったことだと思います。もしも、そう言われていたら、私は逃げ出していたと思います。

自分から信じることができなければ、無理をして洗礼を受けることはできなかったのです。

そんな私を、神様は幾つもの出来事を通して、何度も招いてこられました。1984年には一人のアメリカ人の女性が、わざわざ日本語の聖書を取り寄せて、私にプレゼントをしてくださいました。

そして、1989年だったでしょうか、まだこのMaywoodの日本語教会の牧師が正木先生だったときです。その頃夫が不動産の仕事をしていて、その時に一人の日本人クリスチャンに会って、そのご夫妻のお誘いで初めてニュージャージー日本語キリスト教会に来て、それから日本語で聖書の話を聞くようになりました。

そして、1992年には、本当に良くしてくれた義母が亡くなりましたが、その時に「私はいつか洗礼を受けるから」と義母に約束をしていました。

でも、どうしても、神様を実感できなかったのです。

そして、2022年12月に一つの出来事が起こりました。その時、私は旅行に出ていました。しかしその帰り道、空港で本当に困ったことが起こりました。その私の様子を見て、一人の女性が声をかけてくれました。その人は自分は医者であり、あなたの様子を見てすぐに助けなければ・・・と思った、と私の状況を聞いてくれました。そして、私の話を聞いて、その女性は自分の時間や持っているものを都合して、私に手を差し伸べてくれたのです。その時、その人の存在が与えられたことに神様の御手を感じました。その人の名前はNancyさんといいました。その名前を聞いたときに、38年前に日本語聖書をプレゼントしてくれた友人もNancyという名前であったことを思い出しました。不思議な思いを持ちながら、家に帰ってきて、ホッとしたときに、日本の友人からビデオが送られてきました。それはあるクリスチャンが作った「天のお父様からのラブレター」という名前のビデオでしたが、聖書の言葉やストーリーが神様から自分に直接語りかけられてくるように編集されたビデオでした。その最後は「私はあなたが帰ってくるのを待っている」というメッセージで締めくくられていました。そのビデオを何度も繰り返し見ながら、今、これらの一つ一つのことを通して神様が私を招いている、と分かりました。そして、私はこの方を信じたい、と思いました。

それから4ヶ月。洗礼の準備の学びの中で、神様の愛、私の罪、そして、それを赦すために十字架にかかってくださったイエス様のことをもう一度学び、この方を主として従って行きたいと思っています。

<集会紹介>クロッキー教室(2023年5月)

2008年7月に、「ぐるぐるっと線を描いてみましょう。」と、アーティストのお宅で始まったクロッキー教室。Covid 19のパンデミック時もZoomでオンラインセミナー形式を駆使して広く参加者を繋ぎ、途切れることなく15年の長きにわたって続いています。教室の後半は、錦織牧師からみ言葉メッセージを頂き、皆さんに聖書の世界にも触れてもらっています。教室がおわってからの茶話会は、皆さんのアメリカ生活豆知識や体験談など話題がどんどん広がって楽しみな時間となっています。手作りサンドイッチやお菓子を食べながら、楽しい時間となっています。

クロッキー教室で絵の指導をしているのは、日本ではイラストレーターなどで、今はニューヨークの街や聖書のみ言葉を題材に絵を描き活躍している画家、啓茶(ケイティ)こと渡辺啓子さん。”クロッキー“の意味も良く分からないような私たちに、色々な媒体をつかってアートの面白さを手取り足取り指導して下さっています。参加者による”私の好きな画家紹介“なども、アート界への目を開いてくれる貴重なテーマです。人物画はクロッキーの主体として毎回どなたかにモデルになっていただき、モデルをしている間に簡単な自己紹介をかねお話をしてもらっています。皆さんが淡々としてくださるお話に共感したり励まされたり…。最後にお互いの作品を見ながら啓茶先生の評をきくのは大きな刺激となり、アートへのさらなる興味を引き出してくれます。

参加者からは、自分の意外な才能に気がついた、今まで何気なく見ていたものの形状に興味をもってみるようになった、集中力が付いたなどの感想を頂いています。渡米中のお母さんと参加された方に「自分の母親が絵を描くのを初めてみた!」、というようなうれしい驚きもありました。参加にはなにも制限はなく、赤ちゃん、幼児、永住の方、駐在の方、学生、渡米中の親族など、アートにちょっとでも興味がある方どなたでも歓迎しています。Zoomでは日本やNJ外からの参加者もあり貴重な体験となりました。

現在Zoomは終了し、教会のジムで月1回水曜日約2時間のベースで行っています。教室の様子は、HPクロッキーブログをご覧ください。

啓茶先生が教会でのご奉仕の場として始まったクラスです。「アート能の右能をつかって自由な発想力を付け…」ながら、聖書のみ言葉の学びと共に成長していける教室を目指しています。皆様の参加をおまちしています。

<集会紹介>親子クラス(2023年4月)

3年前にこのクラスをスタートしようと準備を進めていた矢先にコロナになり、2020年7月からオンラインで始めた親子クラスですが、その時々の状況によって、参加者のニーズやお子さんの年齢によって、クラスの持ち方や内容も少しずつ変わってきました。途中からオンラインと対面でのクラスを交互に持つようになり、昨年の秋からは完全な対面で月2回(第2と第4火曜日)教会に集まって楽しい時間を過ごしています。


現在参加して下さっているのは0歳から3歳になったばかりのお子さん達とそのお母さん達で、プログラムは手遊び歌、ギターに合わせての歌、運動・遊び、絵本の読み聞かせ、聖書のお話、スナックタイムなど。おしゃべりタイムでは子育てについて考えたりシェアしたり、アメリカ生活あれこれについての情報を交換したり。。。昨年12月には初めての試みで、お母さん達のためのお茶会を持ちました。途中から子ども達はお母さんと離れてベビーシッターのスタッフと楽しく遊び、お母さん達は美味しいコーヒー(錦織先生が淹れて下さる本格的なコーヒーです!)とお菓子を囲みながら話も弾み、息抜きをする時間を過ごして頂けたのではないかと思います。今年になってからは新しい参加者も増え、好評だったお茶会を定期的に行うようになり、もともと描いていたクラスの形になりつつあります。毎日の子育てに追われて忙しくしているお母さん達が少しでもほっとできるような時間を、お子さんを安心して連れて来られるような場所をこれからも提供していくことができたらと願っています。そして、可愛い子ども達が神様の愛の中で守られ、元気に成長していく姿を見せてもらうのを楽しみにしています。

参加ご希望の方は、こちらの案内をご覧くださり、案内にありますリンクからお申し込みください。

2023年4月号<牧師室より>「新しい力に満たされて」

Happy Easter!

今年も春の訪れを告げるイースターがやってきます。今年は4月9日。近所の公園でも桜の木が花を咲かせ始めました。まだまだこれからという感じですが、ちょうどイースターの頃には花盛りとなりそうです。

 

 冬の間、葉を落としていた木々が一斉に芽吹き花を咲かせるこの時に、イースターをお祝いするのは、イエスの復活の力が私たちにも注がれるのだということを教えてくれます。死んでいたかのように見える自然界も冬が過ぎ去るのを待っていました。そして、その内側にあった命が春の訪れと共に外にあふれてくるのです。それと同じように、十字架にかけられて墓の中に葬られたイエスは、死と墓を打ち破ってよみがえり、今も、私たちのうちにその復活の力を満たしてくださるのです。

 「イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。」

ローマ人への手紙 8章11節

  私も自分の力のなさ、弱さに落ち込むこともあります。がっかりすることもあります。エネルギッシュに生きている他の人を見ると、そのように生きられない自分に焦りを感じることもあります。そんな時、この復活の力が今も私のうちに注がれていることを思い出すのです。そして、祈るのです。「神様、あなたの力を、イエスをよみがえらせたあなたの力を、私のうちに満たしてください」と。祈りの力はすごいです。祈りの中で心が燃やされていき、本当に力が湧いてくるのです。

 その力を一人でも多くの方々に知っていただきたいです。

 今年のイースター礼拝は4月9日の午後1時半からです。そして、礼拝後には4年ぶりになる愛餐会(持ち寄りのお食事会)をいたします。是非お出かけください。皆さんで共にイースターをお祝いしましょう。心からお待ちしています!

2023年3月号<牧師室より>「聞くのに早く、語るのに遅く」

最近、家族に「テレビの音が大きい」と言われることが増えてきました。ずっと「単なる好みの問題だろ・・・」と思っていたのですが、ある集まりで皆さんのお話を聞きながら、「ん?右の耳で聞くときと、左の耳で聞くときで聞こえ方が違う・・・」と気がついたのです。

 それで、アプリで「聴力検査」を探して、試してみたら、なんと「高度難聴」!その後、静かなところで落ち着いてテストしたら、そこまでは悪くないようですが、それでもボーダーライン。神様からいただいた大切な聴力。これはちゃんとお医者さんに行って調べないといけないな・・・と思っているところです。

 聖書の中にこのような言葉があります。

「人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。」

ヤコブの手紙 1章19節

 語るためには聞かないといけないです。私たちは、相手の言うことを一言聞いて、すぐに反論したり、アドバイスをしたりすることがどれほど多いことでしょうか。自分が聞いてもらう立場だと、ちゃんと聞いてもらっていない時はすぐに分かります。「この人、全然話を聞いてくれていないな」と。でも反対に自分が聞く側に回ると、自分ではなかなか気がつきません。勝手に相手の言いたいことが分かったような気になって、コメントをしたくなるものです。一生懸命聞いて、理解しようとして、その心の叫びに耳を傾けて、そして、初めて口を開く。そのような姿勢がどれほど必要かと思います。

 それと共に、この言葉は、まず聞くことによって内側が豊かにされて、初めて語ることができる、という真理も表していると思います。ですから、私たちはもっともっとinputに目を向けなければいけません。何を聞くかによって、私たちの口から出る言葉は変わってきます。Negativeな言葉を聞いていると、negativeなものがあふれてきます。Positiveな言葉を浴びていると、positiveなものがあふれてくるのです。ですから、神の言葉である聖書のメッセージを聞くことが、本当に大切です。神の愛の言葉を聞くことが本当に大切です。それによって、私たちの内側が満たされて、そこからあふれるものによって語っていくことができるのです。

 心の聴力、ちょっと目を向けてみませんか。

「証し」

3歳の頃から3つ上の姉に連れられ町内の土曜学校に献金の5円を握りしめ行ったのがキリスト教との出会いです。

途切れとぎれの記憶ですが時々頂く小さなカードがとっても嬉しく宝物だったのを思い出します。斎藤という同じお名前のふたりの牧師がおられて、楽しく、子供讃美歌も沢山教わり、今でも時々口ずさみます。

小学低学年の頃「放蕩息子」のお話を聴いた時は心が熱くなり、それが私の「初恋」でした。

毎日、押し入れに電気スタンドを引き入れ本を読んで、親の言う事も聞かない、弟息子の様であった私を、あの様に迎えて下さる主、その様なお方は子供ながら辺りを見廻しても見た事も聞いた事も無い世界でした。

15歳の高校受験に入るまでは斎藤牧師のいらっしゃる堀切教会に通いました。

その主を知った私が、その後は高校、デザイン学校と、成績はともかく生活は主とかけ離れてしまいましたが、「主の祈り」だけは私の身から離れませんでした。

1989年にアメリカに渡り、ノースカロライナ州のチャペルヒルに住んでいました。

今、手術しないと2週間の命と言われた60歳の時、同じ乳がんを経験した台湾の方にお話を伺いに行った所、日本人の大学教授の乳がん経験者が近くに居るので紹介しましょうかと言われましたが、その時はお断りしました。

幸いに手術で全ての癌は取り去られました。

2年後の1月に連れ合いに肺がんが見つかり7月に亡くなり独りになった時に、先程の台湾の方にお話頂いた方の紹介をお願いしました。

連絡を取り翌日山内先生にお目にかかれたのも主のお計らいであったと思います。
その晩は1ヶ月に1度の山内家でのバイブルスタディの日でした。約20名の日本の方が集まり、リーダーは山内先生のご主人で、そこにはラーリーの日本人教会の横井牧師もいらっしゃいました。2年後横井牧師から洗礼を受けました。

64歳の「放蕩息子」です。

ノースカロライナからNYに来て約10年、NJの教会の礼拝に参加させて頂いてから5年程、毎週の教会が喜びです。

讃美歌も沢山覚えました。
若い方々とご一緒出来るのも嬉しいです。
私に何が出来るのかを探すのも楽しみのひとつになって来ています。

あの小学低学年の子供が恋をしたと思っていたのは思い上がりだったと今はっきりと判ります。私が恋をしたのではなく、主に愛された時だったのです。

2023年2月号<牧師室より>「春を待ち望んで」

2023年も早くも1ヶ月が過ぎ、2月になりました。アメリカでは2月2日が春の訪れを占うグランドホッグデー、日本では2月4日が、寒が明けて春の始まりを告げる立春ですね。冬至から1ヶ月あまり経ち、ちょっと散歩をしてみようと外に出ると、久しぶりの青空はまぶしいほどです。夕方も4時半には暗くなっていたのに、今は5時半まで昼間の明るさが残っています。2月はまだまだ寒い日や雪の日も多いですが、太陽は確実に春がやってくることを約束してくれています。春が待ち遠しいですね。

この「待つ」ということは、私たちの信仰にとってとても大切なことです。自分の力ではどうにもならないことを前にして、神がなさることを信頼して、神が働いてくださる時を信頼して、待ち望んでいくのです。聖書の中に「待ち望む」という言葉が何度も出てきます。

代表的な言葉を挙げると、

「雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ。」詩篇31篇24節

「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」イザヤ書40章31節

「その恵みは、私たちが・・・祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。」テトスへの手紙 2章13節

ですから、「待ち望む」というのは、「冬は寒いからこたつの中で丸くなっていよう」とか「今は状況が悪いから、我慢するしかないね」と、ただ我慢して春が来るのを待っている、嵐が通り過ぎるのを待っている、というのではなく、神が良くしてくださることを信頼して、いろいろ心配しないで、勇気をもって、自分のなすべきことをするという意味です。上のイザヤ書の言葉にあるように、「主を待ち望む者は力を得る」ことができるのです。

あなたは今、どんな状況に置かれているでしょうか?冬のような状況でしょうか?主を待ち望みましょう。必ず春がやってくることを信じて、主を待ち望み、力を頂いて、勇気をもって、忠実に自分のなすべきことをしていきましょう。

「証し」

私は3度の神様との出会いからキリスト教に関心を持つようになりましたが、キリスト教との最初の出会いは「恐怖」からでした。

最初の出会いは、クリスチャンホームで育った友人のお母様から聞かされたイエス様のお話からでした。当時の私は宗教に対してあまり良いイメージを持っていませんでした。イエス様のお話を聞かされた時は、正直内容を理解することができませんでした。

ある日、出かけるから車に乗ってと友人と彼女のお母様が言われたので、言われるがままに車に乗り、知らない場所で下ろされ、案内された場所へ向かうと、そこには多くの海外の方が座っており、私も流れで席につきました。しばらくすると1人の男性が前に登壇され、目を瞑り英語で何か話し始めました。周りを見渡すとその場にいる人全員も目を瞑り、手を合わせていました。そして、“Amen”と聞こえた瞬間、私は教会にいるのだと認識し、神様との最初の出会いから「クリスチャンは強引で怖い人」というイメージを持つようになりました。

この日を境にキリスト教に触れることを避けてきましたが、大学進学で神様との2度目の出会いがありました。履修した“English Literature”の授業の担当講師がクリスチャンであり、この授業で扱った文献が英語で書かれた聖書だったのです。この先生も友人のお母様と同様な熱量で神様のお話をしていました。キリスト教に対して恐怖心を拭うことはできなかったものの、聖書の内容から励まされていることが何度かありました。

私は大学時代アメリカに1年間留学をしており、同じ大学のクリスチャンホーム育ちの日本人学生との出会いが神様との3度目の出会いです。友人のお父様が牧師先生をしている教会の中高生や子どもたちとのアクティビティにお誘いをいただくことがあり、何度かお伺いしていました。子どもたちとのアクティビティは楽しく、その後に聞く牧師先生によるイエス様のお話を聞くのも大変励まされていました。その中でも、『善きサマリア人のたとえ』を聞いたとき、心を覆っていたモヤモヤがスッと晴れたような感覚になったのを覚えております。

私は小さい頃から他人と比較されることが多く、無意識に自分で他人と比較する癖がありました。またそういったことから人の目を気にするようになり、何をしたら嫌がるのか、何をしたら喜んでくれるのか、そればかり考えていました。当時留学先での勉強に不安もありましたが、それ以上に留学先で出会う友人との友好関係が良好でいられることを考えることに気を張っていました。しかし、良好でいられるようにと思いつつも、許せないこともあります。私の友人のある行動で私は1人勝手に憤りを感じていました(その行動についてはその方の尊厳を守るために控えさせていただきます)。その友人と向き合いその行動の理由を聞くことができたが、それでも怒りを抑えることができませんでした。このような経験は何度かありましたが、相手は私が怒っていることにすら気づかずに何事もなかったかのようにしていました。私もこれ以上悪化したくないという思いで普通に振る舞いますがモヤモヤが残るばかりでした。そんな思いを抱えていたので、強盗に襲われた人に手を差し伸べた「善きサマリヤ人」のように、どうにもならない私のためにイエスが手を差し伸べてくださる、イエス様は私たちに罪を背負い、死をもって罪が赦された、自分の都合で人を愛するのではなく、どんな人に対しても愛を持って接することの大切さに気づくことができました。ずっと前から神様は私を導いてくれていたと思うようになりました。

このことがきっかけでキリスト教について、アメリカの教会のみなさんとのバイブルスタディや聖書を一緒に読んで祈る機会、牧師先生による学び会を通して勉強するようになりました。私たち人間は払いきれない程の罪という負債を抱えているが、イエス様の十字架の死の贖いにより救われた、神様は父なる神、イエス様、聖霊様の三位一体で、どれかが欠けることは絶対になく、私たちは神様の栄光をあらわすために生きる、と様々なことを学びました。

神様のみことばにはいつも励まされていましたが、あるバイブルスタディの時、「神様は神様と私たちの間にある扉の前で私たちが開けるのをずっと待っている」というお話を聞いた時、私たちは聖霊様を通して神様との交わりを持ち、イエス様によって罪が赦されたことへの感謝をすることが大切であることを認識しました。ここから神様との交わりを常に持つようになりました。

学び会の中でヨハネの福音書にある「生命の水」について牧師先生からお話を聞いた後、私は信仰告白をしました。信仰告白をしている時の感情をどのように表現したら良いか今でもわかりませんが、涙が止まらず、ただ「永遠の生命に至る水が湧き出る」感覚であることを実感し、神様はいるのだと確信しました。ここから私の信仰生活が始まりました。

「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(ヨハネの福音書 4章13~14節)

そして、その後、日本のクロスプレイスという教会に導かれて、1月15日に洗礼を受けました。神様がここまで私の歩みを導いてくださったことに感謝します。

<牧師室より>2023年1月号「光に照らされて輝く」

明けましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いします。

2022年はガラテヤ人への手紙5章13節「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい」という言葉を頂いて、歩んできました。

多くの困難や閉ざされた道などもありましたが、そのような中でも、皆さんのお祈りに支えられて、神様が与えてくださる平安と喜びの中に歩むことができました。心から感謝します。

教会としてもっともっと地域社会とつながりをもって外向きの働きができればと思っておりましたが、大きな進展はありませんでした。そんな中でも、弱さや痛みを抱えたお互いのために祈り合い、支え合う中で、聖書の言葉通り、与えられた自由を仕えるために用いておられる方々の姿に励まされています。

「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」詩篇105篇4節

2023年のために祈っている時に与えられた聖書の言葉です。

たとえ、私たちが今までよりも積極的に社会の中に出ていくことができたとしても、もしも、私たちの顔が死んでいたならば、もしも、私たちが単なる義務感で、しょうがなくやっている、というのが見え見えだったら、それに何の意味があるのでしょうか?社会に出て行くときに、人々に仕えていくときに、私たち自身の心の状態がどんな状態であるかが問われてくるのです。

聖書の中に出てくるモーセという人は、神と語り合ったがゆえに顔が輝いていたと書かれています。私たちも、神の輝きに照らされて、そして、私たち自身が輝きにあふれて歩んでいく時こと、それが私たちが出て行くときに必要なことだと思わされています。

新しい年も、続けて私たちがこの地域社会の中で、特に日本語を使う方々の社会の中で果たしていく役割が何であるかを求めていこうと思います。更に一歩外に出て、人々に仕えていく教会となることができるように、まず、私たちの顔が神様の光に照らされて輝くものとなりますように!

「クリスマスの平和」

2022年も早くも12月になり、街はクリスマスの装いになりました。今年のクリスマス、皆さんはどのような思いで迎えようとしておられるでしょうか?

今年はロシアがウクライナに侵攻するというニュースがあり、今も戦いが続いています。例年以上に平和を祈るクリスマスを迎えられる方も多いのではないでしょうか。

実は、「平和」はクリスマスの大切なメッセージの一つです。聖書の中にこのような言葉があります。

ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。

イザヤ書 9章6~7節

これは、イザヤという預言者が救い主の誕生を預言した言葉です。その救い主は「平和の君」と呼ばれる、そして、その救い主による平和が限りなく続く、と約束されているのです。

そして、それから700年後、最初のクリスマス、イエスが生まれた夜に、天使たちはこのように歌いました。

「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」

ルカの福音書 2章14節

アメリカで道を走っている時に時々目にする「Peace On Earth」という言葉はここから来ているのですね。

イエスは平和をもたらすために来られました。そして、神は今も私たちの平和を願い、私たちに平和を与えようとしておられるのです。この時に「平和」が何を意味しているのかにちょっと注意しないといけません。日本語・英語を含めてほとんどの言葉で、「平和」は「穏やかなこと」「争いのないこと」「波風が立っていないこと」を意味しています。戦争と戦争との間の争いがない期間のことを「平和」と呼んだ人々もいました。しかし、旧約聖書が書かれ、また新約聖書でもその背景となっているヘブル語では、「平和」は「シャローム」といって、命と自由にあふれた状態を指すと言われています。ただ、争いがない、強い者の横暴さの中で、みんなが我慢して成立しているような平和ではなく、本当に一人一人が喜びに満ち、感謝にあふれて歩むような平和を指しているのです。神は、クリスマスにお生まれになったイエスを通して私たちに与えようとしている平和はこれです。私たちの内側を喜びと命、自由と力に満たし、それによって、私たちが周りの人々との間に平和を作り出していくことができるようにしてくださるのです。

今年のクリスマス、私たちが世界の平和を祈ると共に、神様の力を頂いて、まずは自分の周りの人々との間に「波風が立たない」状態を超えた本当の平和を作り出していくことができますように。

「証し」

主の御名を賛美いたします。

 2021年夏、私たち家族は日本へ本帰国をしました。約8年ぶりの日本での生活です。皆さまにお祈りをしていただき、ありがとうございます。

 帰国してすぐは、新生活に向けて一からの準備で忙しい日々を送っており、準備が落ち着いたら、礼拝へ行こうと考えておりました。1ヶ月過ぎ、少しづつ生活が落ち着いてきたので、そろそろ日曜日に礼拝へ…と思い、主人に話したところ、日曜日、私は家族と過ごし、教会へはもう行かないと思ったそうです!キリスト者の生活の中心は礼拝である、わかっていましたが行動で示していなかったのです。このことを機会に、教会の礼拝を守ることを第一にして生活を送ることを目標にしました。

 今年の初夏、日本に一時帰国をしている姉妹(教会ではお互いのことを神の家族として、「兄弟姉妹」と呼ぶことがあります)から一緒に礼拝をお捧げしませんかと連絡をいただきました。NJ日本語キリスト教会で大変お世話になった方です。大変嬉しかったです。主の恵みに感謝です。

 礼拝を喜んで守るものには祝福されるという神様の約束を信じ、これからもキリスト者として信仰生活を守っていきたいと祈っています。

 日本の生活も少しずつ落ち着いてきたころ、予想していなかった出来事がありました。義母の死と実母の介護です。

 義母は、体調を崩し総合病院へ受診、そのまま入院、数日後亡くなりました。あっという間の出来事でした。私たち家族の本帰国を誰よりも楽しみにし、孫の成長をこれから近くで見ることができると喜んでいました。今も義母の笑顔の写真を見るたびに何故?という思いが消えず、悲しみの中におります。

 そして、実母の介護です。ついこの間まで元気に一人で生活できていましたが、転倒が多くなり、気づいたら歩行困難になっていました。総合病院にて腰の手術を提案され入院しましたが体調を崩し、手術は見送りになりました。やっと体調が整いましたが、主治医から手術するタイミングを逃してしまった、手術しても改善されないと、今度は施設での車椅子生活を提案されました。

わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、
あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。
ー主のことばー
天が地よりも高いように、
わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、
わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。 イザヤ書55:8−9

 私たちが考えても理解できないことが現実にあります。義母との突然の別れがそうです。また、私たちが予定していた通りには計画はすすみません。実母は手術して少しでも歩けるようにと願っていたのに、手術ができなくなり、施設での車椅子生活を提案されました。しかし、実母は以前と変わらず退院後一人暮らしを強く希望したため、介護生活に向けてケアマネジャーさんたちと相談を繰り返しました。やっと決まって安心したと思ったら、変更になることも数回続きました。住宅改修など大きな決断をしなければならず、その変更が何度も続くと、さすがに心も身体も疲れを感じてきました。

 そんな時に、このみことばから、慰めと励ましをいただきました。神様のみ思いと私たちのみ思いは異なる。そのことを受け入れる。神様に委ね、神様を信じて共に歩ませていただく。私たちの想像をはるかに超えた神様のみわざを信じたいと祈っています。

 その後の実母は、入院中リハビリに一生懸命に取り組み、退院後、介護サービスを利用し、多くの方々に支えられ、転倒することなく一人で生活をしております。神様が多くの助け手を与えてくださり、実母の生活を守ってくださっています。感謝です。

 安中聖書教会に導かれ、現在、転入会に向けて牧師先生と共に学びの時が与えられています。

 今住んでいる所から車で30分ほどのところに安中聖書教会はあります。群馬県は山々に囲まれている県で、小さい頃から山を見ることには慣れ親しんでいますが、教会に向かう時に目の前に広がる山々は本当に素晴らしいです。毎回、教会へ向かうたびに、この景色に感動し、天地のつくり主である主の恵みに感謝を覚え、礼拝を大切にしたいと思います。

 NJ日本語キリスト教会に主の豊かな祝福がございますように、多くの方が導かれますように日本からお祈りしています。アーメン

2022年11月号<牧師室より>「小さき者と共に」

  先月、私たちの教会でずっと信仰の歩みを共にしてきた方が、神様のもとに召されて行かれました。92歳とご高齢ではあられましたが、もうしばらく共に歩む時間が与えられていると思っていたので、突然のことに本当に寂しさを感じています。ご遺族のために心から神様の慰めをお祈りしています。

 聖書の中に、このような言葉があります。

「彼は死にましたが、その信仰によって今もなお語っています。」(ヘブル人への手紙 11章4節)

 この「彼」というのは、聖書に出てくるアベルという人のことを指しているのですが、これは、私たちの信仰の先輩たちのことに当てはめて受け止めることのできる言葉です。

 天に召されたその方は、本当に多くの働きを担ってくださいました。オルガンやピアノでの奏楽、聖歌隊のメンバーとしての奉仕、そして、英語が第一言語の方でしたので、通訳や英語でのバイブルスタディーも担当してくださいました。本当に穏やかな、謙虚な方でした。大学の哲学の教授でしたから(それもニーチェの専門家)、多くの学びをしてこられたでしょうが、本当に幼子のように神の前に歩んでおられました。教会の人々を愛し、笑顔で迎えられる方でした。その彼が、時々厳しい表情をすることがありました。それは、社会的に弱い人、軽んじられている人が、不当な差別を受けたというニュースに接したときでした。ご自身も戦時中には日系人として強制的にキャンプに収容されたときもありましたが、その事についてはあまり触れることなく、それよりも、現代の社会の中での不当な差別に怒り、社会の断絶を嘆いておられました。彼が天に召されてから2週間が経ち、彼が遺してくれた信仰の遺産、「その信仰によって今もなお語っている」のは、このことではないだろうかと思わされています。

 イエスも言われています。「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。」(マタイの福音書 25章40節)

 まず、私たち自身が神様に愛されたその愛に満たされて、この社会の中で、今も弱い立場に置かれている方々のことを覚えて、声を上げ、行動を起こしていこう、そのように思わされています。

私の好きな絵シリーズ「ハワイの画家、Heather Brownのご紹介」

 

今回とりあげたのは、“Rip Curl ”を描くハワイの画家、Heather Brownです。

“Rip”はサーファー用語で波の大きなうねりが上部で崩れていく様子を表しています。彼女の描く波は、サーファーの作者が波の中でみた瞬間を表す独特の世界のようです。

海の大すきなEさん。ご主人との出会いもシュノーケリングとか。

日本のお家のインテリアもビーチリゾート風。ある日デパートの展示会でHeather Brownの絵に出会って一目ぼれされたそうです。

シュノーケリング中の娘さんたち ↓

夏の思い出をそれぞれで描いてみましょう。

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聖書のお話。

今日は皆さんにこの聖書の言葉を紹介させていただきたいと思いました。

「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」

マルコの福音書 12章31節

今度の日曜日、また9月11日がやってきます。21年前のこの時、世界は本当に平和に見えました。私自身は3人目の子どもが生まれて、日本から母が助けに来てくれて、日本に送り返して、ホッとした週末明けの火曜日でした。とても爽やかな、気持ちのいい晴れの日でした。

しかし、あのテロリストによる攻撃によって、世界はガラッと変わってしまいました。悲しみと怒りが人々のうちにあふれました。

今までの私の大好きだったアメリカのオープンさが一気に変わりました。 “retaliation”「復讐」という言葉が何度も大統領の口から飛び出してきました。世界の平和を守ることよりも、アメリカのプライドを守ることの方が大切であるかのような言葉が飛び交いました。「テロリストたちは、この行為の報いを必ず受けなければいけない」リーダーたちは口々に叫びました。それに対して疑問を挟む人々は、非国民、というレッテルを貼られる空気でした。

テロリストのアメリカに対する憎しみの恐ろしさ、そのもたらす結果のおぞましさ、愚かさを私たちは目の前にしました。それに対して、傷ついた人々が一つになって立ち上がろうという思いも見えました。しかし、それと共に、世界が憎しみの連鎖に飲み込まれてしまうような恐ろしさを感じないではいられませんでした。

それから21年経ちましたが、世界を取り巻く空気は何も変わっていないように思います。それ以上に分断が広がっているようにも感じます。

だから、この聖書の言葉が今日も大切だと思うのです。

「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」「自分を大切にし、家族や友人を大切にするように、もっと周りの人々を大切にしなさい」今日も問われていると思います。

私たちを愛してくださった神様の愛を感謝して、私たちも、一歩踏み出して、愛を表していくことができればと思わされます。

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2022年10月号<牧師室より>「あなたの若い日に」

 時折雨の降る肌寒い日でした。神奈川県の三浦半島油壺海岸でブルブル震えながら洗礼を受けました。今から46年前の10月24日のことです。初めて自分の口で信仰を告白したのは小学校2年生の時でしたから、この時には「中学生になったのだから、もう十分大人だ、何を信じるかだって自分で決められる」と思っていました。

 でも今思うと、この時は本当にまだまだ子どもの信仰だったと思います。自分の心の醜さに自己嫌悪に陥ったことも、「本当は神なんていないんじゃないか?」と疑ってみたことも、「あなたはどうして信じているの?」と友だちに聞かれても説明できなかったことも、「自分は親から言われて信じているだけで、自分の信仰なんてないんじゃないか?」と思って葛藤したことも、洗礼の後の出来事です。本当の意味で信仰が確立したのは何年も後でした。

 それでも、自分が子どもの頃から聖書に親しみ、信仰の歩みを続けることができたことは本当に良かったなあと思います。

 聖書の中に「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書12章1節)という言葉があります。

 時々、「人生好きなことをして、いよいよ、というときに『神様ゴメンナサイ』とお祈りをして赦してもらったらいいのでは」という話を聞くことがあります。聖書の中にも人生最後の瞬間に信仰に導かれた人の話が出てきますし、お年を召してから信仰に導かれる方々もおられます。それは確かに素晴らしいことです。でも、若いときに信仰を持ち、その生涯、いつも聖書の言葉に支えられ、神様に支えられて、心にあふれるものを持ちながら歩むことができるのは何という幸せかと思います。

 教会で語られる「天国」もこの世の生涯を終えたあとに行くところ、という印象を持たれる方も多いかと思いますが、決してそれだけではありません。「あの世」だけではなく、「この世」でも「天国」の歩みをすることができるのです。この世の困難や闘いの中でも、いつも神様に支えられて、心が守られ、満たされて、歩んでいくことができるのです。信仰を持つのを先送りして、「この世の天国」を十分に味わうことができないのはとってももったいないことだと思います。

 一人でも多くの皆さんにとって、この地上での歩みが喜びにあふれたものとなりますように!

コロナ禍の中でも恵みを数えて

全世界の人々が同時に経験した患難であるコロナ禍の中で、多くの方々が困難を味わって来ました。こんな事が起こるとは!思いがけない事の中で私達が味わったことはなんでしょうか? 神のみ心を知り、尚深い愛なる神のご計画を知りたいと思っています。

コロナ禍が始まった頃の、不気味な不安、人との交流を絶たれた寂しさ、病気への恐れ、日常の変化の戸惑い、考えたらキリの無い暗闇が押し寄せたものです。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなた方の願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、全ての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。」ピリピ4章6〜7節

コロナ禍の始まる前に、この箇所から錦織先生がメッセージをされました。私はこのみ言葉の「祈り」の言葉の前に「感謝を持って」という言葉がとても気になっていました。
神様が「先ず恵みを数えるのだよ」と言われている気がしました。
詩篇103篇2節の「わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」の言葉のように、日常のどんな小さな恵みにも感謝していくことの大切さを示されたのです。コロナ禍の中でも朝目が覚め、立ち上がり、手足が動くだけでも高齢の私には恵みの数々です。そう考えると恵みは溢れていきました。 三年間のコロナ禍でも小さい恵みを数えて行くと、確かに神様は共に居られ、最善を示して下さった事を知るのです。

皆様にも沢山のお祈りをして頂いた叔母が居ました。母の妹です。生涯独身を貫き90歳まで身の回りの事もきちんとし、お洒落も忘れなかったです。正に90歳の誕生日の後にコロナ禍が始まりました。私も誕生日を共にしてギリギリセーフの帰米をしました。今思えば、成田でひどい咳をしているアジア人がいた事を覚えています。

瞬く間に広がっていくCovid-19 の中、娘もマンハッタンでの仕事に不安を感じて、コロナ禍が始まる2年前に娘が購入したコネチカットの家で仕事をする準備を始め、私も一緒に生活することになりました。 娘の仕事の動きが止まり収入が減りましたが、国のサポートを受ける事が出来ました。そして何よりも感謝だった事は、娘は仕事が多忙過ぎて受ける事のできなかった建築の試験勉強を始める事が出来た事です。一年間で5回ほどの試験(一回4~5時間)を無事クリアする事が出来た時はバンザイをさけび、特別に与えられた時間を二人で感謝しました。又共に祈って下さった方々に感謝いたします。

礼拝や祈祷会などの集会にZoomが始まったのも不思議な事です。この方法を持って仲間と励ましあうことで助けられました。コロナ禍にインターネットを通して世界中に神の愛が伝わって行くという神のご計画の凄さを知りました。「何時になったら世界中に福音が伝えられるのか」と思いましたが、正に神には不可能な事がないのですね!

2021年半ばに妹から知らせがあり、何時も明るいメールで元気だと思っていた叔母の心不全が進んでいる事が分かりました。家での生活は無理になりそうなので、私の代わりに妹が施設を探すのに奔走して、家のすぐ近くに良い所を見つけてくれました。私の日本行きの時期を決めるのは難しかったのですが、未だ規制が厳しい11月30日着で日本入国しました。
空港の税関で叔母が危篤のことを伝えると、施設の方と相談するように言われ、施設の方の配慮で、入国3日目の12月3日に叔母と2年ぶりの再会をしました。まだ入国後14日間自宅待機の時です。時間も心配しないでと言われ驚きました。酸素を付けながらでしたがとても喜んで貰えました。次の日も面会して良いということで、12月4日の朝、更に苦しそうでしたが、面会室に来てくれました。 口紅を塗ってあげ、大きな声で笑い合いました。酸素量が殆どMaxになっていました。その夜、食事の後静かに息を引き取ったと連絡があり、駆けつけてまだ温かみの残る叔母に触れ、叔母の人生を守って下さった神様に感謝しました。 看護婦さんが「貴方に会うのを本当に楽しみにしておられましたよ、待っておられたのですね。本当にしっかり生きられた方で、いろいろ教えられました」と言って下さった言葉は、何にもまして叔母の人生を示している気がします。神様に支えられた人でした。

2022年の春、若い友人二人をガンで次々に失いました。あっという間のお別れで、大きな悲しみでした。教会にも来られ福音に耳を傾けた友ですが、確信を受け取れなかったのは心残りの辛いことです。世界中にコロナで家族を失った方がおられます。神がおられるならどうして?と悲しみから立ち直れない方もどれほど多い事でしょうか? 

天地を創造され、始めから最後までを御支配なさっておられる方が「今はわからないが、後でわかるようになる」と言われる時、解決を頂かなくても平安に包まれるからふしぎです。この平安の基なる方を機会を逃さずお伝えしていきたいです。

「これらのことをあなたがたに話したのは、あなた方が私にあって平安を得るためです。世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。私はすでにこの世に勝ちました」ヨハネ16章33節

患難まで行かなくとも日々問題にぶつかる者ですが、世に勝った方が共に歩いてくださっているのです、感謝です。 短い証の行間にいちいち感謝の言葉は入れませんでしたが、コロナ禍の中でも数えると恵みは溢れます。自分自身を見ると望みも消えゆくような時にも、行いでなく恵みによって贖い出して下さったイエス・キリストの憐れみが、恵みの一つ一つに現れてきます。日常のささいに見える様な恵みを数えながら、与えられた命を歩んで行きたいと願っています。

望みも消えゆくまでに 世の嵐に悩むとき 
数えてみよ主の恵み (汝)なが心はやすきを得ん
数えよ主の恵み 数えよ主の恵み  
数えよ一つずつ 数えてみよ主の恵み(新聖歌172番)

2022年9月号<牧師室より>「最後の生命線」

この一週間は牧師館のベッドルームにこもって過ごしています。はい、私も、とうとう新型コロナウィルスに感染してしまいました。症状は最初の2日間だけ、それも本当に軽く済みました。しかし、アメリカのCDCの基準では、今でも5日間の自己隔離+5日間はマスク着用、ハイリスクの方々には近づかない、ということで、もうしばらくは自宅勤務、9/4の礼拝はビデオでのメッセージになります。

 この自己隔離期間中、ずっと同じ部屋の中でじっとしている中で、メールや電話でのやりとり、Zoomでの祈り会など、この部屋の外の方々とのつながりが、どれほど励ましになり、力になったかと思います。

 ちょうど、9/4の礼拝で読む聖書箇所はイエスを信じる人々が、投獄されている中で神に祈り賛美をささげていた、というところです。今から2000年前、ネットや電話はもちろん、読むものだって個人で持つことができなかった時代、彼らは外とのつながりを持つことはできませんでした。しかし、そんなときにも切れない生命線がありました。それは神とのつながりだったのです。

「真夜中ごろ、パウロとシラスは祈りつつ、神を賛美する歌を歌っていた。ほかの囚人たちはそれに聞き入っていた。」(使徒の働き16章25節)

 彼らは投獄され、自由を奪われ、外との関係を断絶される中で、神に祈り、神から力をいただいて、賛美をしていたのです。そして、その賛美を他の囚人たちは静かに聞いていました。そして、そのことが、このあとの他の囚人たちや獄吏の行動を変えていくのです。

 今回、物理的には皆さんにお会いするのを控えていても、テクノロジーを通してつながっていることができています。それには本当に感謝しています。しかし、それが故に、彼らが経験したような神との親しさを私は経験できていないではないかと思います。

 新学期を迎えようとする中で「さあ、これから秋の活動再開だ!」と気負っていた私には必要な時だったのかもしれません。その必要がないときにも、敢えて時間を作って、一人になって、ネットや電話もすべて切って、静まって神を求めるときが大切なのではないか、そんなことを思わされています。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」詩篇46:10(口語訳)

「信仰によって義とされて」

名前は宣彦(のぶひこ)です。
父が「宣べ伝える人に」と名付けました。
名前の所以からお分かりかと思いますが、私は牧師の家庭/クリスチャンファミリーで育ちました。

幼稚園、小学校の時は、毎週、当たり前のように教会学校に通い、神様の事、聖書の事、よく分からないけど、楽しくて、いつも自分の回りに「教会」がありました。そして、それが私にとって当たり前でした。

しかし、小学校高学年頃から、この当たり前が自分が回りとは違う事を知り、それが、いろんな宗教を知るきっかけとなりました。なんか自分は友達とは違う、日曜日は友達と遊べない…と。いつも友達といたいから、両親に対しての反抗期が始まりました。

そして、中学生の頃から教会からも離れ、生活態度はだんだんと悪くなり、両親とも不仲になりました。

高校受験の時、生活態度が悪く、いわゆる不良中学生だったため、姉、兄が行っていた高校を受験できず、私は落胆して、働く事を考えてました。ただ両親は高校には行って欲しいと、中学浪人の道を備えてくれて、1年浪人した後、ミッション系の学校に合格しました。

この時、両親に「今までゴメンなさい。そして、ありがとう。これから頑張ります。」と、強く思った記憶があります。ですがこの思いは本物でなく、まだ、自分の変化までは至りませんでした。

高校生活は実家から離れ、寮に入りました。両親に感謝はしつつ(今思うと上っ面だけの感謝)、勉学に励んだ結果、高校3年の時、学校から私立大学の推薦をもらえる事になりました。両親は大変、喜んでくれました。
が、それが決まってすぐの高校3年の夏休み、私が謹慎に値する事を起こし、その推薦も取消しとなりました。

その時の両親の涙は、今でも忘れられません。両親が高校に来て、私のために懇願する姿を見て、「私はなんと愚かな人間だ」と強く思いました。「両親の愛」を感じた時でした。中学生の時と同じく、働く事も考えましたが、その後、なんとか、この時期でも募集のある大学にいく事ができました。

中学浪人の時、また、やっと手にした高校生活で自ら犯した事での謹慎処分による推薦停止。そこでの両親の対応。こんな私を信じて思う両親の愛。私自身もやっと、この両親の思いに気付き、神様のお導きにて「洗礼」を受けました。

大学からまた、教会に出席するようになり、青年会で母教会の日本基督教団池袋西教会に関係のある先生が牧会していた鹿児島の奄美伝道にお手伝いに行ったり、クリスマス祝会や教会バザーを運営したりと教会生活を歩んでいました。

ただ、大学3年になると、アルバイトに夢中になり、社会勉強と理由をつけ、日曜日の教会をサボるようになりました。

中学生の時からまた、2回目の神様や両親の思いに対して、逆行する生活が始まってしまいました。そんな生活が続いて2年がすぎ、なんとか東京の百貨店に就職が決まりました。

しかし、日曜日は休めない業界のため、さらにどんどんと教会から離れていきました。全く教会に行かない日々が10年近く続きました。

この間に会社から人事異動により、ニューヨーク駐在になり、アメリカに来ました。その前にも婦人服のバイヤーとして、何度か出張でアメリカには来ていましたが、駐在になるとは思わず、驚いた事を思い出します。

アメリカで勤務してる中、今の妻(アメリカ在住者)と出会い、結婚しました。そして、私にとっては大好きな会社でしたが、6年間の駐在期間を完了して、その会社を辞め、家族でアメリカ在住を決めました。

そこから10数年、自営業をいくつか起業して家族のために邁進しました。
簡単で楽な道のりではありません。自営ですので、また日曜日は休めず、サラリーマンとは違い、朝から夜中まで毎日毎日が奮闘の日々でした。

そんな中、日本で牧会を続けていた父が亡くなりました。9年前のイースターの時期です。アメリカのお店を義弟に頼んで、帰国しました。帰国して父が私を認識した翌日に父は召天しました。

帰米の際、いろんな事を思い、考え、これからの自分を見つめ直して、アメリカの自宅に戻りました。

でも、また日々奮闘の毎日の中、その気持ち、思いも薄れて、いつもの流れとなり、毎日毎日、仕事に追われる日々が続きました。何も変わりませんでした。

それから数年後、コロナが起き、お店の状況も悪化し、とうとう閉業をする事に
なりました。それが、今年の1月です。自営の閉業作業は大変でした。
そんな中、さらに私に追い打ちをかけるように、今年2月には日本の姉のもとにいた母も召天しました。コロナ禍のため、母の最期には会えず、姉が母の最期をFaceTime で連絡してくれました。自分の状況を母が心配する事はなく、天に逝ったのは、すべてもの救いでした。

….上記が今年までの私の歩みです。

父そして母、クリスチャンの両親の死を考え、私の中で、何かが動きました。

私自身を振り返る日々を過ごしていると日本の姉から連絡があり、
普通の会話から一言… 「そろそろ教会に戻りなさい。両親に安心してもらえるように。」

何か見えないものに心を揺さぶられました。
多分、それは聖霊のお導きだったかもしれません。
天国から父と母が見ていたからかもしれません。

日本の牧師先生からアメリカで牧会されてらっしゃる錦織先生の話を伺って、今があります。

今は私にも新しい仕事が与えられ、次のステップを生かされてます。

両親、姉、また兄… 家族に支えられ、こんな私が今まで生きてこれたのは目に見えない神様のお導きがあったからだと感じます。

姉の一言で今は救われ、毎週教会出席ができて、感謝です。

人生を甘く考え、勝手し放題に生きて来て、
苦しい環境を自ら生み、自ら苦しんできた日々。
自分の人生の節目節目で家族に助けられてきた、
甘えた、どうしようもない自分の今までを振り返ると、
やはり、その都度その都度、
神様のお導きがあって今があると思います。

 
牧師である亡き父がアメリカ赴任時に私に渡してくれた色紙があります。
「患難を喜ぶ」
ローマ人への手紙第5章3〜4節
苦しい状況からお導きによって、いろいろな形で強く生かされる。
神様が共にあって導かれる事に感謝します。

再び、教会に戻りました。
この30数年間、礼拝をまもらない私に共にいて下さった神様に感謝します。
今、私の手元に母の形見の聖書と讃美歌があります。
教会には、母と一緒に出席しています。

だらしのない私ですが、この再スタートをどうぞよろしくお願いします。

そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。 希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」
ローマの信徒への手紙5章3-5節(新共同訳)

2022年8月号<牧師室より>「ホンモノの平和を求めて」

 8月8日から12日までJOYJOYキャンプが持たれます。今年は「3年ぶりに日本に一時帰国してきます・・・」という方々が多く、いつもに比べてかなり参加者が少ないのですが、それでも、参加する子どもたちと楽しい時を過ごすことができれば、と思っています。

 今年のテーマは「ピースレンジャーズ」。

 ウクライナへのロシアの侵攻など不安定な世界情勢の中で、子どもたちにも不安が襲ってきている今の時代。でも、それは決して、遠くの国の話ではなくて、自分の身の回りにも小さないざこざが起こっている。そんなときに、どんな状況の中でも、子どもたち自身が心の平和を与えられて、周りに平和を作り出すようになってほしいなあ、という思いをこめてこのテーマに決めました。

 イエスの言葉にこのようなものがあります。

「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。」(マタイ10:34)

 これを読むと「えー、どういうこと?」と思います。イエスは他のところでは、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」(マタイ5:9)とも言われているのですから。

 では、これはどういう意味なのでしょうか?それは、「表面的な、見せかけの平和を壊して、本当の平和を作り出すのだ」ということです。事なかれ主義の平和、波風が立たない平和、とりあえず戦いが起こっていない平和、そのような表面上の平和ではなく、本当に中身のある、喜びがあふれる平和を目指していくのだ、ということです。9-11の日、その朝まで世界は平和だと思っていました。でも、それはただ、アメリカの軍事力や経済力によって、世界の人々が黙っていることによって保たれている平和に過ぎないことを私たちは見せつけられました。

 簡単な道ではない、でも、この不安の時代の中にあって、まず、私たちは内側に神様からの平和をいただいて、その平和をもって、平和のメッセージを周りの人に語っていく、自分の周りに平和を作り出していく、家庭から、職場から、友人関係から平和を築いていく、そんな働きが始まるきっかけとなったら、と願っています。どうぞ、お祈りください。

弱さのその先

コリント人への第二の手紙 12:8-10
‘このことについて、わたしは彼を離れ去らせて下さるようにと、三度も主に祈った。 ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。 だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。 ‘

 イエス・キリストを受け入れるまでの私は自分の弱さに対し見て見ぬふりをして過ごす日々を送っていたと記憶しています。「弱い自分なんていうのは、一時の気の迷いだ。人よりも頭の回転が遅くて、劣るところがあるんだからきっと努力がまだまだ足りないんだ。こんなネガティブ思考じゃダメだ。なんて、情けない。」26歳までのわたしはいわゆる根性論の塊で、可能性は無限なんだから努力すればどんな自分にもなれると信じて疑いませんでした。家族や親戚の目もあり、幼少の頃から割と早くなんでもできていたようで褒められるのも好きだったわたしは、いじめられれば立ち向かい怖気付かない自分でいればいつか終わるとやり過ごし、成績が悪ければわかるまで問題を解けばいい、なんでも挑戦してそこそこ優秀でいれるよう努力、努力、努力。いつからか、家族からの期待なども相まってひとりで過ごしていても常に見られている感覚が抜けず、見られている恥ずかしさによりその「誰か」のために自分の弱点、弱さに蓋をし無視し続け「ちゃんと」を演じる人格が形成されました。しかし、2013年、地元で大学を卒業後、就職のため上京し医療従事者として働き始め大きな挫折を契機にその演技は崩れます。
 職場とプライベートでの人間関係による人間不信と日に日に悪化する体調、仕事における度重なる失敗と努力しても努力が足りないと言われ続ける虚しさなど理不尽と思えるようなことが起こっても、すべて「自分が悪いんだ」と行き場のない悲しみと怒りの矛先はいつも自分でした。病院での出来事や体験は守秘義務があると思い、親含め誰にも打ち明けず、通勤できず引きこもりになって、4ヶ月間は人との関わりを一切遮断しました。起きている間中、過去人からかけてもらった言葉の一つ一つが脳内を無限ループし、気持ちが悪かったので、ひたすら寝て忘れる日々。今思い出してもどうやってあの頃を過ごしていたのか、正直他のことはあまり思い出せません。苦悩を話すとキリがないのですが、ここまでが救い主イエスさまを知るまでの主なわたしの背景になります。
 ですが、神さまはわたしを常に自分自身を見つめている必要から解放してくれました。大きな転機となったのは当時友人だった現在の夫との出会いでした。2014年、わたしが幼少期の頃にアメリカで一人クリスチャンとなっていた母にやっと打ち明け、せっかく時間があるのなら何か好きな習い事でもしてみては、という提案から通い始めたのが英会話スクール。マンツーマンレッスンを担当してくれていたインド人の先生とより親交を深めたいと話したら、牧師であるお兄さんが毎週末に家庭集会を開いているからと誘われて、通い始めました。当時の夫と初めて会ったのは牧師を筆頭に、クリスチャンではないメンバーで結成されたワーシップバンド(礼拝のリードをするバンド)の初リハーサルの時でした。家庭集会にはカレーに目がない当時の彼も時々参加していたようで、彼は彼でその牧師から仕事で必要になった英会話レッスンを受けていたそうです。その頃のわたしは人混みが苦手で、今でもそうですが街を歩くときは人の目線が気にならないように視線を外すようにしていました。そんな弱いわたしを隠せないほどまでになっていた時期に、わたしは彼に拾われて、教会に通う後押しをされました。彼は「少なくとも君には必要なことだとわかるから」と言ってもらいながら教会についてきてくれました。後にその彼の姿を思い出して、神さまはどんな人もこうして用いて導いてくれるんだなと感じました。その後、母のお世話になったアメリカの牧師家族のいるミシガンを夫と共に訪れ、結婚準備の聖書勉強会と小さなパーティーを開いてもらいました。驚いたことに夫の口から「J牧師の言葉は信用できる。あの人はまさに本物の牧師さんだ。」そんな言葉が彼から出てくるとは思いもしませんでした。まだ小さかったわたしに彼が語りかけるときの話し方や言葉はよく覚えていて、まるで子守唄のように心地が良かったのを覚えています。今でも英訳聖書を読むと頭に流れてくる音声はその牧師の声です。帰国後しばらくしてから夫と入籍しましたが、その1ヶ月後、彼は召天されイエスさまのもとへ行かれました。のちに牧師の娘さんから聞いた話によると、もう何度も脳梗塞を繰り返しては自宅へ帰り失明し聖書も読めなくなっていながらも常に認知症を患った日本人の奥さんを気にされお世話をしたがっていたそうです。ところが、私たちが2015年の年末に訪問したとき、目が再び見えるようになり、読みたかった聖書を自分の目で読むことができたんだそうです。また、実は訪ねた時もう一つの奇跡が起こりました。認知症を患った彼女にわたしたちが日本語で話しかけるや否や、なんと小さい頃話したわたしの知っている昔の彼女の喋り口調そのままにハキハキと話し始めたではありませんか。これにはご家族も牧師も涙ながらに大変驚かれていました。そのため、わたしたちは牧師の喜びに満ちた目と目を合わせ、奥さんの日本語での聖書解説を聞くという、そんな奇跡のうちに結婚のための聖書勉強会を終えたのでした。
 その後、夫と共に教会を転々としながら、2年と時間は掛かりましたが、自分を粉々に打ち砕かれ疲弊し、夫がいるのに自分にはもう何もなく自分を含めたすべての人が信じられないほどの絶望を抱えていた2016年、後に洗礼を受けることとなる教会の方々の祈りにより悔い改め、新生しました。祈ってもらう中で目が開かれ、イエスさまが十字架にかかりすでに勝利してくださったこと、イエスさまの御名の権威によりサタン(悪魔)がわたしの宮から去るようと共に涙を流しながら神さまの御前に明け渡すことができました。ちょうど母が東京に来ていたので、帰宅してから二人で泣きながら喜びました。2017年12月10日、友人であり長老の二人から洗礼を受け、イエスさまと歩み始めたのが4年半前です。
 そして2022年、現在は夫婦でアメリカの地にいます。夫と初めて出会った日の帰り道、お互い違う時代に幼少期をミシガン州で過ごしたことを知り、いつかまたアメリカに行きたいと二人で語り合った日から8年です。あの頃と比べ、関わっている人や状況、体型も悩む内容も全く異なりますが、神さまが、何より今もなお絶えずわたしの弱さを用いて、真に自分を砕き、神さまの御前に平伏し明け渡すことがどれほどの恵みであるかを毎回新しく認識させてくださることに喜びを覚えます。最後に著者ティモシー・ケラーのThe Songs of Jesusの本から引用します。

詩篇51:14-19では、無償の恵みによって砕かれた心について、ダビデ自身が、どれほど失われつつ、どれほど愛されているかを知っている心の大切さを語っています。神さまの方を向く時、私たちは常に自分自身を見つめていることから解放されます。わたしのくちびるが開かれた時、わたしたちは自分のことを語るのではなく、神への賛美を語るのです。

 天の父なる神さま、あなたの御名は代々限りなく崇められるべき御名です。わたしを打ち砕き、救い出し、あなたの所有する者としてくださったことを心から感謝いたします。ここに、自己に目が向いてしまう弱さを認め、度重なる裏切りと背きを告白いたします。わたしの砕かれた霊と与えられた聖霊さまの満たしにより自己保身をやめます。ただただあなたの御手に委ね安堵し、傲慢な自己陶酔である自己嫌悪も自己満足からも解放され、何度も悔い改めて平伏し神さまに向き直します。救いの喜びと絶望などの偽りの傷ではなく真に受けた砕けた魂の傷を御前に捧げることができますように。あなたの御心のままに、心を騒がせない静かな霊の平安に預かります。
万軍の主なるイエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

 渡米し、夫と共に新たな生活を始めた2019年から2020年3月の新型コロナウイルス感染症に伴うロックダウン、そして通っていたマンハッタンの教会の閉鎖、メンバーの解体と新たな教会探し、自宅での自粛期間中の孤立と無気力、2021年から少しずつ外出が増え、この頃参加し始めた日本人による街の清掃プロジェクトを通して日本人クリスチャンの女性と出会うまでの間、対面での礼拝に集えないことに伴う精神的な影響の大きさを実感しました。オンラインでいくら礼拝を個人で捧げるも得られない人の温もりといつまで経っても構築できない人間関係は孤立を生み、時差に伴い日本の教会の皆さんとの関わりも激減し、その上教会も失ったため人と連絡を取り合うことや聖書の言葉に触れなくなるまでにそう時間は掛かりませんでした。自分の意思の弱さもあったと思いますが、その頃はまだ神さまに悩みを明け渡し祈り求めることを知らなかったため、ただただ神様に向き直すことが困難でした。
そして2021年12月、当時は気がつきませんでしたが受洗して4年目を迎えた翌日に初めてニュージャージー日本語キリスト教会のNY礼拝へ出会ったばかりの友人と共に赴きました。礼拝での集いはまるで家に帰ってきたような、初めて訪れたとは思えないほどに温かく、対面で母国語で錦織牧師の取り次いでくださったメッセージがすっと心に染み渡り、目は涙で溢れていました。その後、再びオンラインとなりましたがその日を境に主の導きであったと感じ、晴れて今年2022年の3月から対面でのNJ礼拝へ通わせて頂いております。
 NYに住んでいる者がNJで礼拝を守ることは日本にいる多くの友人たちから大変驚かれます。これは神様の憐みと教会員の皆さんのご奉仕がなければ、なかったことです。皆さんの賜物とご奉仕によりこうして私の信仰生活が支えられています。改めて心から感謝申し上げます。同じ教会の神さまの家族として快く迎え入れて頂いた喜びの気持ちを胸に、今後私もニュージャージー日本語キリスト教会の皆さんと共に奉仕を通して神さまのご栄光と御心のため用いていただきたいと思っています。

2022年7月号<牧師室より>「どんな時代にも変わらないもの」

7月になりました。2022年も半分が過ぎ、後半に入ります。

 振り返ってみると、この半年、多くの出来事の中で心乱されることが多かったと思います。なかなか終わらないコロナ感染。ロシアのウクライナ侵攻。アメリカ各地で続く銃の乱射事件と、それにもかかわらず一向に進まない銃規制。そして、6月の終わりには、人工中絶についての連邦最高裁の判断が49年ぶりに覆りました。本当に心が騒ぐ出来事が続いています。

 私たちの教会は、今年は「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」(ガラテヤ5:13)という聖書の言葉を与えられて歩んできました。私たちはどうしても、後半の「愛をもって互いに仕え合いなさい」という言葉に目が行きます。ですから、なおさら、このような社会に対して、分断が進み、対立する価値観が衝突する時代の中で何をしたらいいのか?何を発信したらいいのか?と思わされます。このような社会の中で、「互いに仕え合う」とはどういうことなのでしょうか?

 そのために、私たちはこの聖書の言葉の前半に注目すべきです。それは「自由を得る」ということです。まず私たちが自由になることです。この聖書の言葉が書かれた時代は、「宗教的戒律」が人々を不自由にしていました。「〜しなければいけない」「〜をしてはならない」というような、戒律が人々を縛っていました。イエスは、そこから人々を解放し、神の愛に満たされる歩みを人々に与えたのでした。私たちは何に縛られているでしょうか?世のしがらみや、価値観、人々の期待や、「こうでなければならない」という先入観、そのようなものでしょうか。子どもの頃の経験でしょうか?その時にかけられた言葉でしょうか。それらに縛られている私たちをイエスは解放してくださるのです。そして、私たちを義務感ではなく、喜びと感謝に満たして、人々に仕える者へと変えてくださるのです。

 ですから、まず私たちは「〜しなければならない」というところから解放していただくことが大切です。人々にどんなことを期待されているのか、それを気にして、それに応えることもやめましょう。そして、私たちを無条件で愛し、受け入れてくださる神の愛に目を留めましょう。その神の愛への感謝に満たされて、今、私たちの周りで痛みや苦しみの中にいる方々に仕える働きをさせていただこうではありませんか。時代は変わっても、課題は変わっても、芯になる部分は変わりません。神様の愛に押し出されて、周りの人々を愛する、そのような歩みをさせていただこうではありませんか。

2022年6月号<牧師室より>「平和を作り出す人」

 5月の後半は、立て続けに銃乱射事件がアメリカ各地で起こりました。ニューヨーク州のバッファローでは、グロサリーストアで多くの買い物客が人種差別主義者の犠牲になりました。カリフォルニア州のオレンジ郡では、台湾系の教会に高齢のお母さんを迎えに行った息子さんが、政治的な信条を持った人の凶弾に倒れました。そして、テキサス西部の町では、21人もの無力な小学生と先生たちが、怒りに支配された若者の犠牲になりました。犠牲になった方々のこと、ご遺族のこと、巻き込まれたすべての方々のことを思うと、胸が張り裂けそうになります。

 銃規制が必要なことは確かですが、なかなかそれが進まないことに、無力さを感じさせられています。そして、私は何ができるだろうかと思わされています。教会はこのような社会の中でどんな使命を与えられているのか。ただ、自分たちの建物の守りを固めて、それでいいのか、ということを思わされています。(先月の月報でも、同じようなことを書いていましたね。)

 2月に始まったロシアのウクライナ侵攻の中でも、神の守りを祈ること、苦しんでいる方々のためにできることをすること、その他に、何ができるだろうかと思わされます。大きな国の政治的な力の前に何もできない無力さを感じさせられます。

 そのような中で、やはり、私たちに託されているのは、私たちお互いの間に、そして、身近なところにいる方々との関係の中に、平和ももたらすことなのだと思わされます。大きなことを言う前に、まず私たちの心の中に、神様からの平安を与えていただいて、そのいただいた平安をもって、周りの人々のところに出て行くことです。神はいつも、個人の内側を造り変え、それによって、周りの人々との関係を造り変え、社会に対してインパクトを持つ者として用いてくださるのです。

「わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。」

ヨハネによる福音書14章27節

 社会の分断が進むこの時代、冷静な対論ができずに、相手を非難し、「はい、論破!」と勝手に決めつけて、自分の考えだけが正しいと思う風潮が広がっているこの時代に、私たちはまた、本当に単純に、一歩一歩自分の周りから小さな平和を少しずつ作っていこうではありませんか。

2022年5月号<牧師室より>「出て行く使命」

多くの方々の目に留まる月報にこのことを書くのはためらっていたのですが、半年経って、ずいぶん落ち着いてきたので、書きますが、昨年の9月に牧師館に空き巣に入られました。

 金曜日の夜の集会のために教会に行っていて、帰ってきたら、玄関のドアが少し開いています。「あれ、ちゃんと閉めたはずだったけれども・・・」と思いつつ、中に入ったら、キッチンのキャビネットがすべて全開。「こんなに開けっぱなしにしたっけ・・・、もしや・・・」と思って、ベッドルームに行ったら、引き出しの者が全部引っ張り出されていました。慌てて9-1-1に連絡、「まだ中にいると大変だからすぐ外に出て!」と言われて、外で待っていたら、程なく警察が来て、中を調べてくれて、「もう誰もいない、大丈夫そうだ」と中に一人ずつ入れてもらって、なくなっているものを調べて、すべてが終わったのが夜中の2時頃でした。

 幸いほとんど実害がなかったのですが、勝手に自分たちの生活空間に土足で入られて、部屋を荒らされたことのなんとも言えない嫌な感じはしばらく消えませんでした。

しかし、そのような中で、その日の集会のために与えられていた聖書の箇所、「正しい人は決して動かされることなく、とこしえに覚えられる。 彼は悪いおとずれを恐れず、その心は主に信頼してゆるがない。」(詩篇112:7-8)の言葉がどれほど大きな支えになったか分かりません。

 その後、教会の皆さんがご心配くださって、牧師館にセキュリティーシステムを入れていただいたのですが、その頃から一つの思いが心に与えられました。

「果たして、これで終わりでいいのだろうか?自分たちの生活空間を守ることは大切だけれども、自分たちの周りの守りを固めて、壁を作って、それで終わりでいいのだろうか?」と。

 自分たちも空き巣に入られても、金目のものは何も出てこないようなレベルだけれども、少なくとも、安心して眠れて、日々の必要が満たされている。その一方で、空き巣をして生活をしているような人々もこの周りにはいるのだ、そんな中で、自分たちだけ守りを固めて、それで終わりでいいのだろうか?と。

 教会はこの世に出て行く使命を与えられています。4月15日まで毎週持たれたレント集会でも、私たちはこの世に仕える使命をいただいていることを再確認しました。この空き巣事件を通しても、神様が私たちに「この世に出て行きなさい」と導いておられることを感じています。どうか、神様が私たちに与えてくださっている使命を果たすことができるようにお祈りください。

「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。」ヨハネによる福音書15章16節

「信仰は政治に従属するのか」-2022年3月18日のレント集会によせて-

冒頭から私の大変お恥ずかしい昔話で恐縮ですが、学生時代には政治学科にて学びました。
今思えば若気の至りなのですが、政治の道を志した時でもありました。例えば、①地元の練馬区の小中学校でPTA会長を務められた方がいて、その方が自民党から区議会議員選挙に立候補するというので、そちらで選挙運動のアルバイトをしました。②数々の政治家を輩出している“雄弁会”という弁論サークルがありそこを覗いてみたものの、内部が「学生運動派」「政治哲学派」「国会議員のカバン持ち派」に分かれ、かなり荒れていて、例年GWに行われる最初の合宿前に入部を断念しました。③挙句の果てには就職活動の際、クリスチャンだった伯父たちのうち3人が通信社や新聞社の政治記者だったので面接のご指南を頂いたり、“山崎塾”というマスコミ塾に通ったりしました。1984年に「世田谷ケーブル火災」という事故があり、その山崎塾では課題として住民への取材が与えられました。結局そこで挫折してしまいました。④ゼミでは憲法の「基本的人権」をテーマにしました。ゼミには同期の仲間が20名おり、そこから2人の現職の参議院議員が出ています。そのうちの一人は世耕弘成くんで、次期総理大臣を目指すために衆議院に鞍替えするだとか最近のニュースで見、今後の彼の活躍を祈っているところです。
では、そもそも何故政治を志す様になったのかですが、大学1年生の時のとある教授の一般教養の政治学の授業の中で「全ての学問・芸術は政治に従属する」という、おそらくマルクスかエンゲルスの著書の中の言葉でしょうか。つまりこの世で政治が最上位にあり、宗教を含め全てが政治の支配下にある、と聞いて以来、クリスチャンホームに生を受けたにもかかわらず、その影響を大きく受けました。

洗礼を受けて何が変わったか、と錦織先生にも問われたことがありますが、最近になって「宗教は政治に従属しない、すなわちあらゆる信仰は政治を超える」と感じる出来事が増えてきました。

私の友人の一人に、高校でのクラスメート、その高校は3年間クラス替えがありませんでした。エスカレーターで上がった大学でも同じ学部学科、しかも同じグリークラブに4年間所属していたものがおります。彼は40代中盤になってから生命保険会社を脱サラして日本正教会の神父へと献身しました。ニューヨークめぐみ教会の笹川牧師の東方教会バージョンとでも申しましょうか。現在は熊本県の人吉ハリストス正教会にて務められておられます。

特に私が洗礼を受けてからというもの、彼の教会のFacebookやブログをよく読むようになりました。先月に印象に残る3つの記事があり、引用しつつレント集会での証としてお話しさせて頂きます。

まず2月11日のことですが、「イスラームと正教会」という題で彼のZoom講演会があり聴講しました。

アメリカでも9.11以降、なにかにつけイスラム教徒とキリスト教徒とは対立軸で話されがちですが、実際その後の報復合戦の様相を呈している戦争やテロの報道に接するにつけ、宗教間の憎しみの連鎖が続いているように思います。彼の講演会ではまずイスラームの教えや価値観を客観的に説明し、キリスト教、彼の場合は正教会になりますが、キリスト教との考え方の相違点を説明するものでした。例えばコーランの文中、預言者たちの中の一人にイエス様も含まれているなど、初めて知ることも多く、とりわけ印象に残ったのが彼のまとめの部分でした。それは「異なる信仰、異なる価値観といったアイデンティティの相違を理由にした社会の分断こそが今世紀の世界共通の問題であること。その最大の原因は異なるものに対する無知、無理解である。従って宣教者である彼がイスラームについて学び、正しい情報を教会内に伝え、キリスト者が異教徒の兄弟姉妹に偏見を持ち差別することは誤りだと伝えたい」ということです。

そして講演会ではヨハネ13章34節を引用されたので読みます。「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。」とあるようにキリスト者は相手がだれであれ他者に隣人愛をもって接することが求められると結ばれました。

私自身、西方教会と東方教会とが聖書を共有している同じキリスト教徒であることすらよく理解していなかったのですが、この講演を通してイスラームのみならず日本正教会についても知ることが出来たのが収穫でした。講演会の最後にトピックとして、9.11以前にはWTCの真下にギリシャ正教会聖ニコラス堂があったそうです。9.11でWTCの下敷きになって倒壊したのですが、現在、ギリシャ正教会聖ニコラス国民礼拝堂という新しい名前で再建中との言及があり、是非、機会を見つけて訪ねてみたいと思うようになりました。

次に2月23日、日本では天皇誕生日の祝日でした。

この日にちなんでの話でしたが、日本正教会の祈祷文の中では必ず「我が国の天皇陛下及び国を司る者のために祈る」という文言が入っているそうです。彼自身はカトリックからの改宗者でしたが、当初は天皇陛下という具体的な文言に大変驚いたそうです。私たちに置き換えるとバイデン大統領やニュージャージーのマーフィー州知事を名指しで祈るような感覚でしょうか。

正教会ではどこでもその教会が立地する国の元首の為に祈り、天皇誕生日には天皇陛下の繁栄を祈るとともに日本国を司っている人々が正しい政を行うように、そして世界の紛争と人権侵害に苦しむ人々が救われる様に祈っているそうです。またロシア正教会の在日本代表も天皇陛下の為に祈るそうです。

現在、ロシアとウクライナの間では正教会に属するもの同士の戦争となっており、其々の教会は大変苦しい立場にあるのではないかと想像されます。そんな状況でも正教会はその国の元首のために祈るそうです。その根拠となっている、使徒パウロがテモテに宛てた第一の手紙2章1節を読みます。「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。 それはわたしたちが、安らかで静かな一生を、真に信心深くまた謹厳に過ごすためである。」 私たちの教会でも3月の祈祷課題の第39番に、バイデン大統領やマーフィー州知事の名前こそありませんけれども「政権のリーダーのために祈る」とありますように、日々ウクライナからの報道映像を見るたびに為政者への祈りの重要性に気づかされました。

然しながら、とても残念なニュースもあります。先週の日曜日、ロシア正教会のトップであるキリル総主教の説教があり、そこで彼は「ウクライナ戦争の原因はプライドパレード、つまり性的少数者の多様性を拒否するかどうかの闘争」と発言しました。当初はフェイクニュースではないかと思いました。しかしながら、大学でロシア語を教えている日本人が実際に説教を聞いたところでも、耳を疑うような発言だったとのことです。歴史を振り返るとロシア正教会はソ連時代に共産主義の名の元で弾圧を受け、その後プーチン大統領によって復興を果たした経緯があります。その観点から恩義があるのは理解できますが、まさに「全ての学問・芸術は政治に従属する」と聞いた授業を思い起こさずにはいられません。自らが信ずるもののトップが戦争を肯定するというのは多くの信者にとって受け入れがたいことだと思いたいです。戦火に苦しむウクライナの人々はもとより、戦争に心を痛めているロシアの人々にも祈りを捧げたいと思います。

最後になりますが、2月24日にロシアがウクライナへ侵攻を開始した事を受けてなのか、残念ながら日本でもヘイトクライムが発生していることがニュースで取り上げられていました。東京の銀座に「赤の広場」という名前のロシア料理の食材店があるそうです。その「赤の広場」と書いてある看板が何者かによって破壊されたとのことでした。しかも経営者はウクライナ人の方なのに、です。因みにですが世界遺産にもなっている「赤の広場」は決して共産主義・社会主義の旗の色のことではなく、ロシア語で「赤い」とは「美しい」の意味があり、「赤の広場」とは本来「美しい広場」という意味だそうです。この出来事で、「プーチンは悪、ロシアは悪、だからロシア人を攻撃する」みたいな誤った正義感が戦争の被害者を広げているように感じます。ヘイトクライムが戦争に加担してしまっているとも言えましょう。今私たちが直面している状況に敢えて例えますと、マンハッタンの地下鉄などで惹起しておりますアジア系住民に対するヘイトクライムがあります。これが発生する理由も同じようなロジックなのだと思われます。
今週の水曜日、ウクライナのゼレンスキー大統領が米国議会でリモート演説を行いました。ロシアの攻撃を非難する例えに911とパールハーバーを並列していたことに私は大きく失望しました。これは日本人やアジア系住民に対するヘイトクライムに繋がる、政治家としての資質に疑問符が付きかねない発言でした。彼が今後ウクライナ国民のために正しく政を行うように祈りたい気持ちです。このような状況下でもキリスト者として国籍とか民族とか無関係に祈りをささげたいと思い、最後に、イエス・キリストが逮捕される直前に追手に対して剣を向けたペトロに対して言ったみ言葉、マタイ26章の52節から54節を読みます。「そこで、イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる。 それとも、わたしが父に願って、天の使たちを十二軍団以上も、今つかわしていただくことができないと、あなたは思うのか。 しかし、それでは、こうならねばならないと書いてある聖書の言葉は、どうして成就されようか」。

「愛されているから」

 皆さん、こんにちは!4月からニュージャージー日本語キリスト教会(JCCNJ)で共に神様を礼拝し、教育主事として奉仕させて頂くことになりました、栗栖信之です。現在ニュージャージー州ハミルトンという、メイウッドから南西70マイルの町に妻と2人の娘たちと2匹の猫たちと住んでいます。どうぞよろしくお願いいたします。

 今回は私の自己紹介を兼ねた証をお分ちしたいと思います。

 私は、広島県広島市の瀬戸内海を望む町で生まれ育ちました。友達との遊び場は海、山、川という大自然。体力や筋力はそこで養われましたし、今でも自然の中にいる時に一番ホッとします。父や友達の影響でスポーツを始め、野球、サッカー、陸上、最後にバスケットボールにハマりました。小中高と全国レベルのチームでプレーしましたが、高校3年の夏に突然原因不明の病気で2ヶ月間の自宅療養となり、激しいスポーツはもう無理だと言われました。受験勉強どころではなく、高校卒業さえ危ういほどでした。それまで毎日が楽しく、好きなバスケや友達に囲まれて充実した日々だったのに、楽しみと喜びを失い心は空っぽになり、無気力でダラダラと過ごす日々へと激変しました。かつての「大学でバスケを続けたい。小学校の先生になりたい。弱い立場の人に寄り添いたい。」という目標や願いは消え去りました。友達との連絡を断って孤立し、罪の誘惑に流されて自分や周りの人を傷つけていくという時間が2年も続きました。

 幼い頃は、教会で多くの時間を過ごしました。両親はアメリカ人宣教師たちを支えながら、広島市内で2つの教会開拓に携わりました。だから教会は数名ほどの小さな群れでしたが、私にとって教会は「もう一つの家」のような大切な存在でした。教会の人たちはみんな優しく、いつも嬉しそうでした。だから私も教会に行くのが楽しみでしたし、「教会は楽しくて良い所」だと感じていました。説教や神学など難しいことは分かりませんでしたが、教会の真ん中におられるイエス様は良い方で、いつも私たちを愛しておられる。イエス様を送ってくださった父なる神様は素晴らしい神様だ。と心から信じていました。しかし中学2年生頃から、幼い時に感じていた事や信じていた事が「実は教会や大人のクリスチャン達の中には無い」と批判的に感じ始めたのです。並行してバスケや友達の方が神様や教会より優先順位が上になり、高校入学後はほとんど教会に行かなくなりました。そんな私を両親は咎めることなく、バスケに全てを注いでいた私を常に応援してくれ、教会に行くことを強要しませんでした。教会の大切さやイエス様を信じることの意味を伝えつつ、どうするかは私に任せてくれました。そうやって私に自由を与えてくれたことを今はもっと感謝しているのですが、まさか数年後に彼らの息子があそこまで堕落するとは夢にも思わなかったことでしょう。私の罪は恐ろしく醜く、自己中心の塊でした。神様を愛するよりも、人を愛するよりも、自分の欲望を満たすことだけを求めていました。例え欲しいものを手に入れても、その結果は余りにも悲惨で、代償は余りにも大き過ぎました。「罪の支払う報酬は死である。」(ローマ6:23)と聖書が言う通り、私は生きるに値しない、死が相応しい罪人でした。

 大学留学のため1990年にニュージャージーに来ました。同年クリスマスに西郷純一・かおる牧師夫妻と出会い、91年10月に開始されたプリンストン日本語教会(PJC)に集い始めました。当時は「私は罪人である」という自覚は全くなく、「俺はダメな奴だけど、アメリカに行けば何か変わるんじゃない?」くらいに考えていました。ちょうどその頃、姉夫婦がJCCNJに集い始めていました。「のぶ君は西郷先生と気が合うようだから、PJCに行けばいいんじゃない?」と姉から勧められた私は、内心(俺、神様も教会も興味ないから。そもそもアメリカ来て何でわざわざ日本語の教会に行くの?)と苛ついていました。でも確かに西郷先生ご夫妻の人柄には惹かれていましたし、不思議なことに「自分の本音」とは裏腹に、(教会に行こう。今行かなければ俺は本当にダメになってしまう。)という思いが湧いてきて、迷わず第一回礼拝に行きました。そしてなんと礼拝メッセージでボロボロに泣いてしまったのです。この御言葉がストレートに心に刺さったからです。「無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。」(ルカ10:42)この時、私にとって無くてならぬもの、それはイエス様だとハッキリわかりました。礼拝後、西郷先生に自分の過去について打ち明けました。先生は言われました。「イエス様が栗栖君の罪を背負い、あなたの身代わりに十字架で死なれた。だからあなたはもう死ななくてよいのです。そしてあなたが本当に生きるために、イエス様は甦って今も生きておられます。」私の目から涙が止まりませんでした。その日を皮切りに自分の罪深さが分かり始めました。罪を知れば知るほど心が痛み、本当は生きていてはいけないのだと思いましたが、ますます赦されたことの意味、イエス様の愛の深さ、神様の愛の大きさが心に深く染み込んできて、感謝が溢れました。このプロセスの中で、私にとって教会は再び家となりました。大学のクラスが終わると教会に行って勉強し、そして礼拝の準備や掃除などをしました。牧師に言われたからではなく、そこに喜びと楽しみがあったからです。ただただ「私を愛してくださった神様に感謝したい」からでした。教会を愛し仕えること、それが一番自分らしく感謝を表せる形だったのです。それは幼い時から見て育った、小さな教会を愛して仕えていた両親から受け継いだものでした。また、ずっと前に「小さな子供や弱い立場の人と共に歩みたい」という思いを私に与えて下さった神様の、変わらない召しの現れなのではないかと思いました。間もなく私は、「どんな形でも立場でもいいですから、とにかく教会に仕えていきます」と献身の祈りを捧げました。

 「神の賜物と召命とは、変えられることがない。」ローマ11:29

 「兄弟姉妹たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かな者にしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない。」第二ペテロ1:10

 そして98年にフィラデルフィア聖書大学を卒業、クリスチャン&ミッショナリー・アライアンス教団から牧師ライセンスを頂き、PJCおよびニューヨーク日本語教会(現在単立)の副牧師に就任、2000年からPJCの牧師として今日に至ります。その他、東海岸日本語ユースキャンプ “ひがきゃん”(2009〜2020、現在活動休止中)、リーハイバレー日本語教会(2010〜2013)、JCFN協力主事ユース担当(2017〜2019)、コーナーストーン教会日本語部(シカゴ)コンサルティング牧師(2020〜2021)、無牧教会の礼拝説教ミニストリー(2019〜2022)、オリーブの会(ランカスター)ゲスト・メッセンジャー(2021〜現在)に携わってきました。

 さて私がJCCNJに行くようになったきっかけは、91年から97年までJCCNJに集っていた井上義・直子夫妻でした。姉の直子が鈴木ポール宣教師を紹介してくれたことが大きかったです。バスケとユースへの情熱を共有できたこと、彼が「イエス・キリストの愛に応えたいからキリストの弟子になる」と教えてくれたことは衝撃的でした。彼とは月2回、礼拝後に中高生たちとバスケして、ポール師のアパートで集会を持つという働きをすると共に、キリストの弟子として成長することについて個人的に熱心に導いてくれました。ポール師はまさに「イエス様を愛する弟子が、もう一人の弟子を育てる」という愛を実践してくれたのです。私のユースミニストリーの原点はここにあります。

 そして神様は、錦織学先生と出会わせて下さいました。心から尊敬する先輩であり、同労者として多くのことを分かち合い、祈り合うことのできる先生、また互いに夫・父親・男性としての重荷や思いを分かち合い、友として苦しみや試みの時に支え合うことのできる関係を主に感謝します。しかし私が最も感謝していることは、神様が錦織先生に与えておられる「教会への愛と情熱」です。先生の教会に対する真剣な熱い思いに触れる度に目が覚め、襟を正され、原点に引き戻される思いがします。そして「先生を通して働かれる神様の教会を見たい」と思わされるのです。それが、私がJCCNJで皆さんと一緒に歩み、共に教会を建て上げる働きに参加したい、と願う理由の一つです。

 昨年10月にJCCNJの礼拝に久しぶりに参加し、礼拝後に皆さんが交わっている姿を見て、私はただ嬉しくて心が暖かくなるのを覚えました。家に帰ってからも「あの交わりの中にもっと入っていきたいな」とか、「教会の祝福の為に自分に何かできることはないかな」という思いが湧いてきました。そして何年も前から錦織先生と何度も交わしてきた会話を思い出しました。「いつか一緒に働きたいねえ。」「一緒にできたらいいですねえ。」その時(あれ?もしかして今、神様が語っておられるのかな?前に進めってことかな?)と思い、祈り始めました。そして今ここまで、神様が確かに導いてくださったこと、またここから先へと導いてくださることを信じています。

 先日、錦織先生からJCCNJに今年与えられている御言葉を教えて頂きました。

「あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ5:13)

 この御言葉は、クリスチャンと教会の原点であると思いますし、実は私自身にとっての原点となる御言葉です。かつて私は、与えられた自由を肉の働く機会として、自分の欲を満たすために使っていました。でもイエス様によって救われ、神の愛によって自由とされたことを知った時、この自由を神と人を愛する為に使いたいと願う者とされました。どうかJCCNJが、イエス様が与えて下さった自由によって、神と人を愛する教会として成長し続けますように。その愛を教会の中と外で実践していくことができますように。私もこれから皆さんと共に成長し、教会の為に何か貢献できればと願っています。どうぞよろしくお願いします!

2022年4月号<牧師室より>「復活の力にあふれて」

 4月になりました。もうすぐ、春の訪れを告げるイースターがやってきます。イースターはイエス・キリストが死を打ち破ってよみがえられたことをお祝いする日。ちょうど、すべての木々が枯れ、すべてのものが凍りついた冬を越えて、自然界に命があふれるこの春に、イエスの復活をお祝いするイースターがやってくるのは、とても意味深いことだと思います。

 今から2000年前、イエスが十字架につけられた時に、弟子たちは皆、イエスを捨てて逃げていってしまいました。「どこまでもついて行きます」「たとえ、命を捨てることになっても、あなたをおいて逃げたりしません」と言っていた弟子たちでした。しかし、実際にイエスが捕らえられると、彼らは、蜘蛛の子を散らすように、逃げていきました。また、その後も、人々を恐れて、家の戸に鍵をかけて閉じこもっていたと、聖書は語っています。

 しかし、彼らが復活のイエスに出会った時に、彼らは変えられました。人々を恐れて、戸に鍵をかけて閉じこもっていた弟子たちは、復活のイエスに出会ってからは、出て行って、命の危険をも恐れずに、イエスの復活を語っていくようになったのです。それだけではなく、迫害や困難の中でも人々を受け入れ、愛し、仕えていきました。そして、彼らの人生に触れられた人々はまた変えられていきました。そして、その信仰は、次の世代、また次の世代と受け継がれ、そして、300年の年月をかけて、なんの権力も軍事力もなかった教会が、強大な権力を誇ったローマ帝国をひっくり返してしまったのです。

 今、私たちは、戦争が起こり、軍事力や経済力の強さがものを言うかのような時代の中に生きています。しかし、それは2000年前も同じでした。ローマ帝国の軍事力の前では教会は無力のように見えました。しかし、教会がその使命に生きていった時に、世界が変わっていきました。その同じ復活の力が、今日も信じる時に、私たちに与えられます。私たちも、自分の力は弱くても、イエスの復活の力を内側にいただいて、この世界にインパクトを与えるような生き方をさせていただくことができるのです。

 今年のイースター、お一人一人のうちにこのイエスの復活の力が満たされて、新しい歩みをスタートすることができますように。

「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか。」第一コリント15章55節

<牧師室より>2022年3月号「恐れないで愛しなさい」

 ニューヨーク・ニュージャージー地区は12月に急に広がったコロナ感染も落ち着いてきて、やっと教会の働きも対面で再開できる、というところまで来ました。今、さあ、これからまた再出発だ、という思いでいます。

 そのような中でのロシアのウクライナ侵攻のニュースには、本当に心が痛みます。今も、祖国の危機の中にいる方々、身の危険を感じながら歩んでおられる方々のために祈ります。そして、世界は、これから私たちはどこに向かっていくのだろう、という不安に襲われています。

 そのような状況の中で、私たちはしばしば「世の終わりがやってくる」「世界最終戦争だ」というような声を耳にします。

 確かに、聖書は私たち一人一人の人生に終わりの日があるように、この世界にも終わりの日が来るのだ、と語っています。そして、その前兆として、疫病が起こることや戦争や戦争の噂が起こることを預言しています。そのことを心に留めておくこと、忘れないでいることは本当に大切なことだと思います。しかし、それと共に、聖書が「そういうことが起こっても、慌ててはいけない」「そのような状況の中で、人々の愛が冷めることがあっても、あなたがたは、神を信頼して、愛に生きなさい」と語っていることにもっと注目すべきなのです。

 元々、このロシアのウクライナ侵攻も、ロシア側の「恐れ」から始まったことです。ウクライナがNATOに加入するならば、ロシアにとって脅威となるのだ、という恐れです。そのような恐れに支配された人々は、周りの人々を恐れで支配するようになります。そして、恐れない人々に対して、もっと強い圧力をかけていきます。私たちはその恐れの連鎖を断ち切ることが必要なのです。

 聖書は語ります。

「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。」(第一ヨハネ4:18)

 私たちはこのような世界の中でどのように愛を表すことができるでしょうか?どのように愛に生きることができるでしょうか?

 今年も3月2日のAsh Wednesdayから、4月17日のイースターまで、教会はイエスの十字架の苦しみに心を向けるレントの期間に入ります。今年も、私たちの教会では毎週金曜日の夜に「レント集会」を持ちます。今年は「レントの再発見」というテーマで、このような状況の中でレントの期間をどのように過ごすのかを共に考えていきます。ウクライナのために祈る時も持ちます。是非ご参加ください。詳しくはこちらの案内から。

「私のここまでの歩み」

私は昨年の6月に洗礼を受けました。寄り道もしましたが、ここまで神様に導いていただけたことを心から感謝しています。

私と聖書との最初の出会いは、小学生の頃、疎開させていただいた先が、クリスチャンの家だったことでした。そこではみなさんと一緒に教会に行きましたが、クリスマスなどの催しがとても楽しかったことを覚えています。また、戦争のあとは、母はクリスチャンではなかったのですが、よく宣教師の方をお招きして、お話を聞いていました。その頃、小学生だった私は、一緒に座るようにと言われたのですが、お話もよくわからず、すぐに逃げ出していたことを思い出します。

30代の頃に、一人でアメリカに渡ってきました。友人の家でしばらく居候をしていたとき、NYの友人から、電話があり、彼女の義理の妹がNYで結婚するので、その式に列席してほしいと頼まれて、急遽LAからNYへ参りました。それ以後ずっとNYで生活をしています。あるとき、NYでのルームメイトが付き合っていた男性のところに移ることになり、相手のアパートに引っ越すので、このまま、アパートを借りてほしいと頼まれたのです。そして、そこに一人で住んでいたのですが、あるとき、泥棒に入られました。テレビなど持って行かれてしまったのですが、大きな被害がなくて守られました。しかし、そのアパートからも、私の名前で借りた家でもないので、出なければいけなくなり、どうしようと思っていたときに、私は統一教会に出会いました。

その頃、私は大きな日系の会社の社長秘書をしていました。そこに、統一教会の人が訪ねてきたのです。それは、統一教会の教祖であった文鮮明氏がマジソン・スクエア・ガーデンで大会をするので、そこに日本のエグゼクティブを勧誘するためでした。私は、その訪ねてきた方と親しくなりました。そして、住むところで困っていた私を、統一教会がミッドタウンに持っていたホテルの一室に泊めてもらえることになったのです。そのホテルでは、多くの統一教会の人々が生活をしていました。その時、私は全く宗教に興味がなかったのですが、そこで生活する人々の顔が違うことに魅力を感じ始めていました。大変優しく、きよく見えました。そして、そこで歌われる歌も、若い心が燃やされるもので、また語られるお話も、若い人たちにぐぐっとくるような講義でした。そして、そこを出ようと思ってアパートを探して見つけたのですが、いざ出ようとすると、そこを出るのが怖くなったのです。

それでも、まだ入信するかどうか、迷っていて、いや、もう出ようとも決心した矢先に、「祝福」(合同結婚式)があり、声がかかったのです。しかし、私は、その「祝福」は、もっと長年統一教会員である人でなければ、資格がないと思っていました。そして、その場から立とうとしたとき、それでも、自分を導いてくれたその人の上司にはとてもお世話になっていたし、その方が、「いいから、ただ座っているだけでいいから」と言われたので、その「祝福」を受けることになりました。そして、教祖様の指名する相手と結婚したのです。

私は文先生から「祝福」を受けたときは大変うれしかったです。でも、この「祝福」がうまくいかない人も何組かいました。わたしも例外ではありませんでした。

私たち夫婦は統一教会の中で養女をもらったのですが、アーティストをしていた夫にその娘を預けて、私は仕事に出ていました。その間は良かったのです。しかし、私が仕事を辞めて、家にいるようになってから、関係が壊れていきました。夫は、社会をよくしたいと、次々と文章を書いていました。それが統一教会の教えとはかけ離れたものだったため、統一教会には受け入れられず、それが辛くて、お酒を飲むようになっていったのです。そういうこともあり、私たちは別れることになり、統一教会からも足が遠のくようになりました。

そんな私がニュージャージー日本語キリスト教会に集うようになったのは、クリスチャンの友人に誘われたことでした。最初に書いたように、小さい頃の経験や母の影響等から興味があったので、声をかけてもらったときに、素直に行ってみたいと思いました。

教会に来て、牧師の話を聞き、語られる言葉の指している方向に心が向くようになりました。いろいろな問題にぶつかったときに、何かにすがりたい、導いてほしい、と思いながら、なかなか祈ることができないでいましたが、教会に集う中で、寝る前に祈るようになりました。そして、その祈りに応えて、神様が助けを与えてくださいました。あるときは、大切なものをなくしてしまったときに、「神様、どこにあるか教えてください。見つかるようにしてください」とお祈りしたところ、何度も繰り返し確認していたところにあったことに気がついたのです。その時に、私が信じるべきは、これしかない、いくら抵抗しても抵抗しきれないと感じました。そして、イエス様を救い主として信じていきたいと思いました。私のために十字架にかかり、私の罪を赦してくださるイエス様の恵みに感謝して、洗礼を受けたのです。

洗礼を受けて、私は本当に良かったと思います。それまで、「あーでもない」「こーでもない」と一人で思いわずらっていることが多かったのですが、今では、神様に祈って、神様に委ねて、平安が与えられています。これからも、神様は私の祈りを聞いてくださり、答えてくださることを信じて、歩んでいきたいと思います。

「何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。」

ピリピ人への手紙4:6-7

<牧師室より>2022年2月号「解放されたのだから・・・」

2022年がスタートしました。

「兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。」ガラテヤ5:13

 今年はこの聖書の言葉が私たちの教会に与えられています。

 私自身、イエスと出会って、本当に自由にされたなあ、と思います。

 私は、教会で育ちました。でも、本当の意味でイエスに出会っていなかったのだと思います。その頃は、「もっといい子でなければいけない」「クリスチャンらしく生きなければいけない」というプレッシャーを自分にかけて、がんじがらめになっていました。

 しかし、ある時、私は、自分がそのようなプレッシャーの中でも、そのように生きられない、外側はクリスチャンっぽく生きることができても、内側は醜い思いでいっぱいだということに気がついてしまったのです。

 ですから、私は2つの意味で縛られていたのでしょう。一つは「自分はクリスチャンなんだから、こう生きなければいけない」という義務感であり、また「思ったような生き方ができない」という自分の無力さでした。

 しかし、そんな自分の姿にがっかりする中で、私はイエスに出会いました。そんな生き方しかできない、私のために、イエスが罪を背負って十字架にかかってくださった、ということが、わかったのです。私が立派だから、私が「神様に喜ばれる生き方」をしているから、神様は私を愛してくださったのではなく、内側は醜いものでいっぱいなのに、外側だけは飾っているという偽善的な生き方しかできない私をも愛してくださったのだと、わかったのです。

 その時に、私は本当に自由になりました。解放されました。どう思われるか、ということよりも、この愛にどう応えていこうか?ということが心を占めるようになりました。

 聖書は、そんな自由が与えられたのならば、「その自由を隣人を愛するために使いなさい」と語っています。2022年、この御言葉をいただいて、まず、その自由を確実に自分のものにする、何かに縛られる生き方ではなく、神様に愛されている喜びに押し出されて生きる歩みをさせていただきたいと思います。そして、その自由を、自分勝手な生き方をするためではなく、周りの人々を愛するこのために用いていきたいと思います。

 その時にまた、「愛するってどういうこと?」ということが問われていきます。その問題にもじっくり取りかかっていこうと思います。愛すること、仕えること、お互いに対して、またこの地域に住んでおられる方々に対して、どんなことをすることなのだろうか、求めながら、問いかけながら、実践していこうと思います。神様がこの1年を豊かに祝福してくださいますように!