「僕を信仰へと導いてくれました敬愛する楠秀樹先生へ」

ニューヨークは3月に入っても寒い日が続いており、「春遠し」という感じです。こういう時にはカリフォルニアの気候が懐かしく思い出されます。

毎週日曜日に行っているLTG*の交わりを通して、本当に恵みが与えられていますこと感謝しております。また、毎週、先生にお祈り頂いていることで、日々の生活が主によって守られています。ありがとうございます。

さて、これは、昨年11月から開始したLTGにより、確かに神様が僕を変えて下さったことを証しする手紙です。これからもLTGの学びが豊かに祝福されることを祈りつつ、ペンを取りました。

先ず、今回の背景となる僕の置かれた状況についてここで、改めて申し上げます。先月、2年半勤めていた会社を退社しました。その理由は(1)営業マンとして会社が期待する結果が出せなかった(2)結果だけでなく、会社の求める能力が自分自身の能力を超えてしまった(3)会社が急速に変化してくスピードについていけなかった、の3点が挙げられます。誤解のないように申し上げますが、これらの理由は会社との数回にわたる話し合いで双方同じ理解のもとで到達した結論です。

とは言っても、これらのことはビジネスマンとしては致命的な人事考課であり、僕自身の努力不足、勉強不足を考慮しても、仕事中心のアメリカ生活を送っていた僕にとっては、とても受け入れ難い出来事でした。人は自分自身の能力を知らされた時が一番辛い、と言われますがまさにその通りでした。会社に対する過去2年半の貢献が否定されたようで、いわゆる挫折感を抱きました。

しかしながら、このような事実を素直に受け入れることができたのは、ずばり「イエス・キリストを救い主とする信仰」のおかげでした。もし、この信仰がなければ自暴自棄になり、かなり荒れていたことでしょう。そして、何かをスケープゴートにして自分自身を正当化していたと思います。たとえ荒れていなくとも、この事実を受け入れるには多くの無駄な時間と労力が必要であったと思われます。

素晴らしい信仰のおかげで、辛いことを素直に受け入れることが出来ただけでなく、感じていた挫折感が主への感謝にと変わりました。ハレルヤ!です。僕をクリスチャンへと導いてくれました先生に改めて、感謝申し上げます。「ありがとうございました。」そして、神様は今回の出来事を通して僕自身をも変えて下さりました。その変えられた点を下記の3点にまとめてみましたので、お伝えします。

1「ラストチョイス」から「ファーストチョイス」へ
クリスチャンになってから、これまで祈りや聖書の中で求めてきたのは、自分が勝手に決めた行動の結果への安心と平安でした。つまり、クリスチャンとしての歩みの過程で、転び、つまずき、傷つき、壁にぶち当っても、最後の最後には神様の守りがあるから大丈夫だという考えでした。今回の件も、神様が最後には守って下さるので「それまでは自分自身で進めるところまで行こう」という神様を切り札とした自分勝手な歩みでした。これこそ、神様に背を向けることであり、神様が最も悲しむことでした。神様は全てにおいて、最後の最後ではなく、最初の最初として、求めていくお方であると気づかされました。

2「欲望」から「希望」へ
正直言って、これまでの人生のモチベーションはすべてが「何々したい」でした。過去10年のアメリカ生活は特にそうでした。「経済的に成功したい」「社会的に成功したい」「人からよく思われたい」「人からほめられたい」など、満たされない物事をなんとしても満たしたいという心、つまり欲望が僕を支配していました。

そうではなく、神様を第一とする歩みの中に欲望ではなく「希望」だけがあることに気づかされました。それは神様が僕にとって益とされるものを備えておられるという確信です。まさに暗闇の中に与えられた光のようでした。今のところその光は遠くの遠くにポツンと輝いており、何時その光に到達するか知る由もないですが、僕にも僕にふさわしい光を与えて下さるという神様への信頼が希望になりました。

希望を与えられたことで、今回の件も神様の計画の一部であると受け入れることが出来て、神様がこれから僕に何を用意してくれているのかと思うとワクワクします。希望を待ち望むことは喜びでもあります。まさに、希望が「喜望」になりました。もっと素晴らしいのはこの希望は失望に終わることはないと、しっかりと聖書(ローマ人への手紙5章3節~5節)に刻まれていることです。ハレルヤ!です。

3「主人公」から「脇役」へ
僕の人生の主人公はもう僕自身ではありません。これまでは、天動人生(天動説のように自分を中心にすべてが回っているという人生)などという言葉を信念として、自分中心にそして自分勝手に生きてきました。しかし、上記のように神様を第一とする歩みにおいて、すべては神様であり、僕の人生の主人公は神様であると告白できます。

僕は今年10月で34歳になりますが、ここにきて僕の人生の第一幕が終わり、これから第二幕が開こうとしているようです。人生の第一幕では僕という素人芸人がなんとなく舞台に立っていましたが、第二幕では、ステージに上るのはイエス様です。僕は脇役か黒子か、もしくは客席で拍手をもって主人公であるイエス様をたたえることが僕に与えられた役割であると気づかされました。

「神様はラストチョイス」「欲望に支配」「自分が主人公」というこれまでの歩みを振り返ると、それは綱渡りと譬えられます。それでも、ここまで綱から落ちずに歩んでこられたのは神様の愛のおかげでした。もし、このままこの状態で歩み続けるならそれは、綱よりももっと細い糸の上を歩んでいくようなもので、ゾットします。そうではなく「神様がファーストチョイス」「希望に満たされて」「神様が主人公」とする歩みは、硬くて広い舗装された土台の上を進むことであるとイメージ出来ます。

神様のしっかりとした硬い土台の上に、仕事とは何か、家族とは何か、将来築いていく家庭とはどうあるべきか、人間関係はどうか、ということをひとつひとつ神様に導いてもらい、これからの人生を歩んでいきます。その大きな第一歩を今、踏み出しました。

このように毎週行うLTGの学びを通して神様が僕を変えて下さったということに付け加えて、先生にもう一つお伝えしたいことがあります。それは、神様は先生を通してその栄光を僕に見せて下さったことです。毎週の先生との分かち合い、罪の告白、そして祈り合いで先生に「癒され励まされ」「慰められ元気づけられ」ました。それは先生を介された神様の素晴らしい働きによるものであると確信しております。「ああ、素晴らしいではありませんか、そのように神様は私たちのLTGの学びにいつもいて下さったのですね。ハレルヤです。」

先生、お祈りさせて下さい。「愛する天のお父様。あなたの御名を賛美します。神様、あなたに背をむけていた的はずれの歩みをお赦し下さい。悔い改めます。あなたとの和解がイエス様の十字架の死によるもので、私たちの罪を贖ってくれましたことを覚えて、大いなる神の愛とイエス様の恵みに感謝します。また、先生を通してあなたの栄光を現して下さったことを感謝します。今一度、心よりあなたを賛美したい気持ちで満たされています。感謝です。アーメン。」

チコさんにもよろしくお伝え下さい。チコさんの健康が支えられますようにお祈りしております。それでは、また、次回LTGの学びでお話します。

・LTG(Life Transformation Groups):LTGとは2~3人でグループを構成して行う楽しみを備えた双方向のコーチングプログラム。1週間に約1時間ミーティングを持ち、そのグループの中で、心を開き、正直に、人格形成を促す会話と罪の告白を行う。LTGの学びで行うことは次の3点。

(1)あらかじめ決められた人格形成の質問事項に交互に答えていく。その質問内容は「先週、主イエス・キリストの偉大さを、言葉と行いを通して証ししましたか?」「先週、あなたの身近な人の気持ちをよく理解し、やさしく寛大に接しましたか?」「先週、誰かに対して腹を立て、怒りが収まらなくなったことはありませんでしたか?」などを含む計11項目。これらの質問項目に基づいて、罪を告白し合うこと、相互に報告義務を持つことを目的とする。
(2)グループごとにその週に読む聖書の箇所を決めて、同じペースで聖書の御言葉を繰り返し読む。
(3)まだ救われていない人々のために祈る。

詳細参照URL: 日本語  http://homepage3.nifty.com/rac/coach_ltg.html
英語   http://www.missionspokane.org/globalocal_life_transformation_groups.htm

月報2003年5月号より

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