「前略 父上、母上」

前略 父上、母上
日本は蒸し暑い日が続いていると聞いています、いかがお過ごしですか。僕は相変わらず、元気です。仕事、趣味、遊びにと毎日、充実した日々を過ごしています。最近はラグビーも再開しました。
留学から始まったアメリカ生活は、先月でちょうど10 年が経ちました。空港で見送られた日が昨日のように思い出されます。ボストンでの語学学校から、ハートフォードでの勉学と修士号取得、そして、ニューヨークにある保険会社への就職、ニューヨークからロスアンジェルスへの転勤、IT ベンチャービジネスへの転職、さらに、ロスアンジェルスからニューヨークへの移動、と文字通り「アット」言う間の10 年でした。
その10 年間に、尊敬すべき人々や大切な友達との出会い、それに伴う貴重な経験、やりがいのある仕事、そして、さらなる大きな夢への歩みなど、本当に多くのものを与えられたアメリカ生活でした。もちろん、その中には嫌なこと、辛いこともありましたけれど・・・。
アメリカ留学という機会を与えてくれたことに改めて、感謝します。ありがとうございました。これからの生活も今まで以上に、より充実したものになると確信していますので、ご安心下さい。
さて、この10 年間での最も大きな出来事を伝えたく、ペンを取りました。それは、昨年5 月にイエス・キリストを救主とする信仰を受け入れ、今年3 月24 日にプロテスタントの教会にて洗礼を授かったことです。僕がクリスチャンになったことを、お二人に喜んでもらえれば幸いです。ここからは、そこに至る経緯を書いています。
僕が、自ら聖書を開くようになったのは、今から3 年半前です。ちょうど、当時勤めていた保険会社で転勤になった時でした。ニューヨークから異動になったロスアンジェルスで、任された仕事は、北はシアトルから南はメキシコ(ティファナ)までの西海岸全地域の日系ビジネスを管轄するという、大役でした。しかも、約300 人働く赴任先のオフィスには日本人スタッフが僕以外にいない環境でした。
そのような状況下で会社から与えらたミッションは「西海岸における日系ビジネスを成功させる」でした。正直言って、その時は悩みました。初めての土地、知っている人はいない、頼るツテも無し。全てが、「はじめまして」の挨拶で始まる生活でした。まさに、孤軍奮闘でしたね。
何をすべきなのか考えました。あれこれ、考える中で到達した結論が「ここで、成功するには一緒に働く米国人の助けが必要になる。助けてもらうには彼らのことを知らなければならない、米国人を理解するために、聖書を読んでみよう!」でした。つまり、この国またはこの国の人々の根底には、腐ってもキリスト教的な考え方が流れている、それを学べば、米国人の考え方、習慣を理解でき、ひいてはビジネスを実践する上で役にたつのでは?という仮説に基づく、考え方でした。
主の導きはこの時から働いていたようです。そのように、僕が独りで、聖書を開き始めた頃ちょうど、新しく友だちになった一人が、ある牧師先生を紹介してくれました。その先生が、それから2 年後に僕を信仰へと導いてくれた、ぶどうの木国際教会、英語部牧師の楠秀樹先生でした。その友人に「牧師らしくない牧師がいるから、毎週土曜日にある聖書勉強会に遊びにおいでよ」というのが、誘い文句でした。牧師らしくない牧師?いったい、どんな人なんだろうと興味本位に、出かけて行ったのです。
牧師らしくない牧師、まさにその言葉通りでした。牧師とは堅物な人、もの難しい人と、僕が勝手に決めつけていたイメージとは、全く正反対で、楠先生はとても気さくな、楽しい、親しみやすい方でした。なんと、初めて勉強会に行った日、突然、ギターを弾き始め、作詞作曲の賛美の歌を聴かせてくれたのです。このパフォーマンスにはびっくりしました。それが、僕の抱いていた牧師のイメージを壊すきっかけとなりました。それから、時間の許す限り、毎週土曜日の午後から行われる、楠先生宅での聖書勉強会に2 年間通いました。
横道にそれますが、勉強会の後は、楠先生の奥さんが夕食を用意してくれていて、家庭料理に飢えていた僕にとって、奥さんのおいしい手料理はいつも楽しみでした。もしかしたら、胃袋で信仰へと導かれたのかもしれません。楠先生はクリスチャンでなかった僕に、いつも、温かく親切に分かりやすく、聖書の御言葉を教えてくれました。また、勉強会に集まってくる数多くのクリスチャン達との交わりも持つようになり、少しづづでしたが、主の御言葉が僕の心に響いてきました。
不思議なもので、独りで聖書を読み、週一回聖書勉強会に通うことで、今まで、見えなかったアメリカの仕組みが見えたり、一緒に働く米国人の考え方が手に取るように理解できたり、また、ビジネスで米国人との交渉が問題なく進むなど、僕の仮説に基づく行動はまんざら間違っていないようでした。聖書を学ぶことで知らず、知らずのうちに恵みを受けていたのですね。
その様な中、一年ほど経ったある時期、仕事において、大口顧客の契約を成立させることが出来ました。それは自他ともに高く評価される業績でした。その嬉しさを楠先生に伝えた時、私に教えてくれた次の聖書の御言葉はとても衝撃的なものでした。
「おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くするものは高くされるであろう」(ルカによる福音書第14 章11 節)の一節は、深く考えさせられるものでした。また、はじめて畏れを感じました。しかし、聖書の御言葉に畏れを感じても、結局、信仰を持つには至らず、その後一年経ち、仕事の関係で再度、ニューヨークに戻ることになりました。
ニューヨークに発つ数日前に、お世話になった楠先生のお宅に挨拶に伺いました。奥さんのおいしい手料理を頂き、思い出を語り合い、楽しく時間を過ごしました。それから、時間も遅くなったので、楠先生宅をお邪魔しようとした時に、先生から、「倉田君、なにをためらっているのかね?」と突然、言われました。それは、信仰を受け入れるということでした。それまで、何回かやんわりと勧められていたものの、何か踏み切れない気持ちがあり、お茶を濁していました。
しばしの別れの言葉として、「なにをためらっているのかね」には少々面食らいましたが、その時、先生のその言葉を素直に受け取ることが出来、その場で信仰告白をしました。今から、考えれば、僕はきっかけを求めていたのかもしれませんね。そして、その場にいた、楠先生夫妻、クリスチャンの友達から祝福の祈りを受け、信仰を受け入れてロスアンジェルスを離れました。
クリスチャンになってから、僕のアメリカ生活を振り返ってみると、それは「影踏みごっこ」でした。常に心は乾き、何かを求めて、自己実現という目標に向かって、見ていたものは結局、自分の影だったのです。今まで神に背を向けていた僕が、神の光の前に映されて見ていたものは自分自身の影でした。その自分自身の影を踏もうとして、掴もうと、がむしゃらに生活を送っていました。
踏めそうで踏めそうでない、掴もうとして掴めないのが、「影踏み」です。そして、自分の影を踏む試みほど、愚かで虚しいものはありません。クリスチャンになって、それに気づきました。そして、自分の影を踏む必要もなくなり、神に背を向けることを止めて、今では神に向き合えることで満たされています。その後、ニューヨークに移ってから、通える教会を探していましたが、なかなか良い教会が見つからずにいました。その時、先述ぶどうの木国際教会、日本語部牧師の上野五男先生より、ニュージャージーにある日本語キリスト教会を教えてもらい、今年からその教会に通い始めました。
ニューヨーク、ニュージャージーに住む日本人の集まる教会です。親切で温かい人ばかりで、とても素敵な教会です。そこで、当教会の錦織学牧師先生の導きを受け、3 月24 日に洗礼を授かりました。
と、言っても、まだ初心者クリスチャンで、信仰を受け入れた新しい生活は、葛藤の毎日です。おまけに、自分自身の罪深さが曝け出されて、嫌になることも日常茶飯事ですね。でも、「神が僕の側にいつもいてくれる、イエスキリストの十字架の死によって、罪が贖われている」と信じることで、救われています。
その他に話したいことは多くありますが、それは次回、会った時に話をします。お二人とも体には十分気をつけて、いつもまでも健康でいて下さい。最後になりましたが、お二人、そして兄夫婦、また、親戚一同の上に主の恵みがあることをお祈りしております。
それでは、また連絡します。
草々

(於:ニューヨーク)

月報2002年7月号より

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